(文章:相沢内記さん)
「うっ、くっ……」
 赤茶けた岩場へと、雲一つない青空からぎらぎらとした真夏の太陽が容赦なく照りつける。水泳客でにぎわう海水浴場の沖合いにぽつんと浮かぶ無人の小島の波打ち際、波がくるところから少し離れた岩。そこに縛りつけられた水着姿の少女が苦しげな呻きを上げた。
「いい様だなぁ、ええ?」
 ウエットスーツの男がにやにやと笑いながら少女へと呼びかける。贅肉の一かけらもない引き締まった肉体にびっしょりと汗を浮かべ、苦しげに顔を歪める少女。くっくっくと低く含み笑いを上げると、男はホルダーから抜いたダイバーナイフでぴたぴたと少女の頬を叩いた。
「インターハイ女子自由形4種目制覇、超高校級スイマー清川望さん」
「な……あたしのこと、どうして!」
 灼熱の太陽に照りつけられ、苦しげに顔を歪めながら望が問いかける。それには答えず、男がびゅっとナイフを横薙ぎに振るった。水泳で鍛え上げられた少女の肉体、その盛り上がった胸をかばうスポーティーなセパレーツ水着の薄い布が切り裂かれ、あらわになった肌の日に焼けていない部分に一直線に真っ赤な線が走る。
「ぐっ……!」
「自分の立場ってもんが、まだ良く分かっちゃいねえようだなぁ、ええ? 全身切り刻まれたいのか? ああん?」
「どうして…どうして、こんなことを? あたしが…あたしたちが、何をしたって言うの? あんたたち、何者?」
 彼女は男の言うとおり、きらめき高校の水泳部員だった。2年の夏休みの一日、彼女は同じ水泳部の少年と二人、海へ泳ぎに来ていた。海の家で水着に着替えた二人は、いつものように沖の無人島を目指して泳ぎはじめる。彼も同じ水泳部員だけに泳ぎは達者で、二人でここへ海水浴に来ると必ず沖合いの無人島まで泳いで渡り、二人だけの時間を過ごすことにしていた。
 島まではちょっとした遠泳と呼べるくらいの距離があるため、普通の水泳客が近づく事はまずない。事実、今まで一度も他の水泳客が島にいたことはなかった。しかしこの日、島を目前にした二人に水中からスピアガンの銛が襲いかかった。
 正体不明のダイバーたちによって捕らえられた二人。少年はクルーザーの船上に引き上げられ、望は目指していた島につれていかれる。そして、男は望を陸の方からは死角になる位置の岩の上に拘束した。
「俺らが何者か知ってもしょうがないだろう?」
 男の肩越しに、クルーザーの舷側に水飛沫があがるのが見えた。手足を縛られ、重石をくくりつけられた少年が海に投げ込まれた水音が望の耳を叩く。
「やめてええええええ……」
 望の絶叫。
 そして、少年の姿が波の間に浮かび上がってくることはなかった。

「あっ、ぐっ、ぐううううぅっ」
 男がナイフを望の胸に当て、ゆっくりと横に引く。さほど大きくはないが美しい曲線を描く胸のふくらみに赤いギザギザの線が刻まれ、望の表情が歪み、口から呻きが漏れる。
「ふん、良い声だな」
 先刻スピアガンによって撃ち抜かれた太腿の傷口へとナイフの先端を突きいれ、ぐりぐりとえぐる。
「ぐあっ、あっ、グアアアアァッ!」
 海水がしみ、感覚の敏感になっている傷口を容赦なくえぐられ、望は顔をのけぞらせて悲痛な絶叫を上げた。跳ね上がったショートカットの前髪から、くっついていた汗の玉がぱっと飛び散る。
「ど、どうせ、あたしも生かしておく気はないんでしょう? さ、さっさと殺しなさいよっ!」
 傷からナイフが離れ、ぽたぽたと鮮血を滴らせる。いったんがくっと首を折って数度荒い息を吐くと、望は顔を上げて男をにらみつけた。彼女の言葉に、男はくっと低い笑い声を上げる。
「あいにくだったな。死にたがってる人間を、あっさり楽にしてやるほど俺らの依頼主はお人好しじゃねえんだ。お嬢ちゃんは、そこでゆっくりと死んでいくんだ。たっぷりと苦しみながらな」
「え……!」
「最後に教えてやろう。俺の依頼主は、あんたに勝てなかった選手の一人さ。で、その人はあんたがもがき苦しんで溺れ死んでいく様を、ビデオでお楽しみになりたいんだとよ。まったく、女の恨みってのは恐ろしいねえ…」
 にやにやと笑いながら男はすらりとした望の手足一本一本縛り直す。望が手足をXの字に開いた形で平らな岩の上に磔にされると、男は再び望の前に戻り、ビデオカメラをセットした。
「ま、せいぜい苦しんでくれや。できればカメラ目線でな」
「そ……そんな…」
 望が絶句する。男はにやにや笑いながら彼女に背を向けた。
「アディオス」
 ひらり、と、手を軽く振って波打ち際の方へと歩み去っていく。
「待って! お願い! これをほどいて!」
 望が叫ぶが、男はその歩みを止ようとはしない。スキューバをつけた彼の姿が視界から波間に消えるまで叫びつづけ、喉が痛くなった望は叫ぶのをやめた。
「くそっ、このままじゃ……」
 小さく呻き、何とか拘束から逃れられないかと望は身をよじる。しかし、手足を縛るロープは緩む気配すらない。かえって手首や足首に擦り傷ができ、血を滴らせるだけだ。
「う、あ、ぐ……くっ、暑い……。このままじゃ、日干しになっちゃう……ううぅっ」
 容赦なく照りつける真夏の太陽。水泳で鍛え上げられた彼女の肉体に無数の汗が浮かび、滴る。体内から汗という形で水分が失われていくにつれ、喉が焼けるような乾きが彼女のことを責め苛み始めた。直射日光の熱によって体温も上がり、頭がくらくらする。しかし、毎朝五十キロのロードワークを日課にしている彼女の体力が、皮肉にも彼女の苦しみを長く引き延ばしていた。
「ぐっ、うっ……くそっ。うっ、あ、暑い……水…、水を……」
 拘束から逃れようとあがきながら、望は弱々しく呻く。唇がからからに乾き、目の前の景色が歪む。はあはあと荒い息を吐きながら、身をよじり、頭を振ってもがく望。
「う、あ、あ……ああっ!」
 もがきつづけるうち、寄せてきた波が仰向けに岩に縛り付けられた望の背中をひたした。望の顔色が変わる。全身に水を浴びたようにびっしょりと汗をかいている彼女だが、額にそれとは違う冷たい汗が伝うのを感じた。
「くくっ、もう時間が……くうぅっ」
 彼女がこの島に着いた頃は干潮の時間帯だった。そして時間の経過とともに、引いていた潮が再び満ちてきたのだ。このまま潮が満ちてくれば、当然待っているのは海面下に沈んでの溺死だ。しかも、少年がつい先刻彼女の目の前でされたように重石をくくりつけられて海に沈められたのならば数分で意識を失えるだろうが、潮が満ちてくるに従って波間に沈むのでは、じわじわと時間をかけて溺死していくことになる。
「うっ、くうっ、くそ、くっ、くうっ、ううっ……くそうっ」
 じわじわと、僅かずつ増していく波の高さに表情を引きつらせつつ、望が懸命にもがく。しかし相変わらず拘束は緩む気配すら見せない。手首や足首の肌が、更には肉がロープにこすれて裂け、紅い鮮血が海水の中に広がっていく。真夏の日差しのなか、恐怖と焦燥に懸命に耐えながら、息を弾ませて望がもがく。
「うっ、くっ、くくく……!」
 水泳で鍛え上げられ、引き締まった身体をのたうたせてもがきつづける望。その顔を、ついに波が乗り越えはじめる。海水を気管に吸い込みそうになり、苦悶の呻きを上げて更に激しくもがく望。
「ぐえっ、ごぼっ、ごほごほ……!」
 ゆっくりと潮が満ち、望の生命を脅かしていく。潮が満ちてくるにつれて波が顔の上を覆っている時間が長くなっていくが、潮の満ちる速度はゆっくりだからすぐに息が出来なくなるわけでもない。
「ちくしょうっ、彼の仇も取れずに…こんなところで、死んでたまるか。うぐぐ……ごぼっ、がぼぼっ」
 もうほとんど全身を波にひたされ、波が引いたときにだけ息継ぎをしながら何とか逃れようともがき続ける望。手足からにじんだ血が、寄せては返す波にそのまま溶けこんでいく。
 水泳が誰よりも得意だった望。だが、今までのすべての練習、的確な息継ぎのタイミングも、すぐれた心肺機能も、今ではただ苦しみを長引かせるだけの役にしか立たなかった。
 徐々に呼吸を制限されていく。息の苦しさ、そして、ゆっくりと、しかし確実に潮が満ちてくる恐怖。その二つと戦い、望はもがきつづける。しかし、ついに最後の時が訪れようとしていた。彼女の戦いがどれくらい続いたのか、はっきりとは分からない。だが、決して短い時間でなかったことだけは確かだ。中天に浮かんでいた太陽が、今でははっきり見て取れるほどその位置を変えているのだから。
「がばっ、あ、ぐぐぐ……ごぼおぉっ」
 目を大きく見開き、くぐもった呻き声をあげながら望が激しく身体をくねらせる。ギシギシと手足のロープが軋む。今や望が顔を精一杯持ち上げても、波はもっとも引いた瞬間の一瞬だけしか彼女に呼吸を許さなくなっていた。
「ごぼっ、う、ぐううっ、うぐっ、うぐぐぐぐ……むぐっ」
 傾きはじめた夏の日差しの下、波間で苦しみもがく望。こぼれ落ちんばかりに大きく目は見開かれ、毛細血管が破裂したのか真っ赤に充血している。水泳で鍛えられ、引き締まった身体がガクガクとふるえる。
「がばっ、ぐ、ごぼっ、がばぁっ……ぐっ、ごぼぼぼっ、ごぼっ……」
 波が引ききった瞬間も、水面は精一杯持ち上げられた望の鼻や口の上になった。口から最後の気泡を吐き出し、望が身体を硬直させる。びくっ、びくっと水中で数度大きく身体を跳ねさせると、細波のように細かい痙攣が彼女の身体を襲った。彼女の股間を包む水着から音もなく尿が漏れ、海水をわずかに変色させながら広がっていく。僅かに遅れて大便が彼女の肛門から水着の中にあふれ出た。水中でかっと見開かれたままの彼女の瞳から光が失われ、全身から力が抜ける。

 海水浴場の沖に浮かぶ無人島。こうして一人の少女の人生が終わりを告げた……。