ユ ウ リ の 受 難
 
作/Syun★Ka 


 西暦3002年初夏、それは突如として起こった。
 インターシティの空に、黒い空間の渦が発生した。その巨大な渦に太陽は遮られ、辺り一面を闇が覆っていた。
 その渦の中心部では稲妻が走り、今にもインターシティの街を飲み込まんとしている。
 人々は誰もがこの異様な光景に恐怖し、その得体の知れない恐怖に不安を募らせていた。
 しかし、このインターシティの街の中で、唯一この光景の記憶を持つ者がいた。
「大消滅……?」
 この街を守る街の守護者、インターシティ警察。
 そのインターシティ警察の一捜査官は、黒い空を見上げて、そう呟いた。
 その表情には、驚きと絶望の色がうかがえた。
「何故……大消滅が?」
 大消滅とは、歴史の闇に封印された地球の終末。
 それを覚えている者は、今ではこの世に二人しか存在しない。
 しかもそのうち一人は、銀河の果てを旅している。つまり、大消滅の記憶を持つ者は、この地球上には自分しかいない筈である。
「馬鹿な。大消滅なんてあり得ない。……まさかアイツが……?」
 捜査官は一人、インターシティ警察を飛び出した。
 
 インターシティに異変が起きて、既に半月が過ぎようとしていた。
 相変わらず街は暗闇に閉ざされ、街に住む人々の生活にも支障を来していた。
 しかし、この半月の間、捜査官はインターシティ警察を離れ、単独行動でこの異変の原因の追及に尽力し、遂に有力な情報を手に入れていた。
「やはりアイツがλ2000を使用している。止めなければ。早く止めなければ取り返しのつかない事になる!」
 λ2000。
 この名前を知る者も、この世には存在しない。全ては時間の彼方へ封印してきた筈。
 そう、大消滅を引き起こした原因となったエネルギー、λ2000は、何人たりとも思い出してはいけない暗黒の記憶である。
 だから全てが終わったとき、彼らはそれらの存在を封印したのだ。正規の歴史からその発生根拠に遡るまで抹消する事によって。
 封印したのは当時の仲間4人。彼らのみがその事実を知っている。
 一人はネオフレンドシップ計画という、途方もない宇宙開拓計画の一員として、半年前に地球を旅立った。今頃は2つ目の目的地、ベラン星系で活動している頃だろう。その距離、3万光年。
 一人は不治の病に倒れ、全てが終了した2週間後に他界した。やはりあの一年間の激務が、彼の死期を早めてしまったのだろうか。ただ、彼の死に顔は安らかだったという。
 一人は過去の世界に子孫を残すという時間管理法上やってはいけない罪を犯してしまい、その責を取り、全ての記憶を削除し、過去に帰った。もう、彼はこの時代に戻る事はできない。
 そして一人は、前職のインターシティ警察に復職し、この街を守り続けている。
 全ては終わったと思っていた。
 しかし、そうではなかった。
 敵の首領は死に、大消滅を起こした張本人はあの時代で5人の仲間が倒した。
 だが、彼らは忘れていた。もう一人、仲間が残っていた事を。
 それに気付いたのは4ヶ月前。既に仲間はこの地球上に存在しなくなった時。
 故に捜査官は、その後一人でその者の足取りを追った。
 もしもあの時代に残っているのなら、それは一大事である。そのままにしておく事はできない。しかし、あの件以来、殆ど不可能となってしまった時間移動を、再び行わなければならない。
 だが、その後の調べで、どうやらその者は、この時代に戻っている事が解った。そして、幾つかの冷凍カプセルもその者が所有している事も。
 
 インターシティ警察の制服に身を包み、捜査官は単身、λ2000を使用していると思われる町はずれのとある倉庫に乗り込んだ。
「ここか」
 物陰に隠れて倉庫をうかがう捜査官。しかし、周りには人の気配が感じられない。  時計を確認する。
 午後4時58分。
 潜入時刻を午後5時と決めていた。行動に移すには頃合いの時間だ。
 ベルトに付随するバッグからハンディタイプの探知機を取り出すと、すぐさま起動した。
 モニタの中心に赤い目印が表示された。
「間違いない」
 再び探知機をバッグにしまいこむと、エネルギーをフル充電したレーザー銃を構え、倉庫の進入を試みた。
 倉庫は電磁ロック付き装甲シャッターで閉ざされていたが、捜査官はミニコンを巧みに操作して電磁ロックを解除した。装甲シャッターは重い音をたてて開いた。
 捜査官はレーザー銃を構え、中に踏み込んだ。
 前後左右見回したが、人影どころか倉庫の中には何も見あたらない。
 カツカツカツ。
 何もない空洞の建物の中に、捜査官の足音だけがこだまする。
「馬鹿な……」
 捜査官は焦りを感じていた。肌をすっぽり覆った厚手の制服の中で、汗が流れ落ちるのが感じられた。
「逃げられた……?」
 一歩一歩、建物の中央に向かいながら、頭の中で様々なパターンを考え巡らせた。
「しかし、確かにλ2000の反応はあった」
 そろそろ建物の中心にさしかかった時、ジジジジジという電磁音が何処からともなく聞こえた。 勘の良い捜査官は、聞き覚えのあるその音で、自分が罠に陥った事を悟った。
「しまったっ!」
 そう思ったが時既に遅く、頭上から電磁網が降り注いで、捜査官を捕らえてしまった。
「ホホホホホホ」
 近くで人の笑い声が聞こえた。しかし、電磁網に体の自由を奪われ、捜査官はその人間の姿を目で捕らえる事はできなかった。ただ、その笑い声には聞き覚えがあった。
「久しぶりねぇ。あんたとこんな風に再会できるなんて、思ってもいなかったわよ」
「やはりお前か……」
「罠を仕掛けて待ってた甲斐があったわ。あんたには色々聞きたい事があんのよ。元タイムレンジャーのユウリ」
 そう言うと、ピンクの髪の女は、ユウリの首筋に麻酔銃を撃ち込んだ。
「くっ、何を……」
 ユウリの意識はそこで途絶えてしまった。
 
 辺りが一瞬のうちに眼も眩むような光に飲み込まれた。
 その光に、否応なくユウリの意識は覚醒させられた。
 気付けばユウリは手術台に寝かされていた。今の光の洪水は、真上に設置された手術灯の光である。しかも、その体は、首、肘、手首、腰、膝、足首と、それこそ一分の隙もないくらい、きっちりと手術台に固定されている。
 手術台はおそらく金属製のものであろう。背中やまっすぐ横に伸ばされた腕の、台に直接触れている箇所が冷たい。どうやら制服も脱がされているらしい。幸い、インナー代わりに着ていた黒のフィットネスタンクトップとショートスパッツはそのままのようだが。
 しかし、この極限状態でこれだけ肌を晒す事は、非常に心許ない。露出した肌に直接突き刺さる部屋の冷たい空気が、この様な姿で手術台に貼り付けられているという事態を一層、悲壮なものにしていた。
「お目覚め?お嬢さん」
 目の前にピンク色の髪の女の顔が、勝ち誇った笑みを浮かべて覆い被さった。
 ユウリはもともとこの女のこういう笑みが気に入らなかった。
「リラ!どういう事?何故こんな事を……あたしをどうしようっていうの?」
「そんなに幾つも質問しないでよね。それに聞きたいことがあるのはこっちなのよ」
「聞きたい事?あんたなんかに話す事なんて、何もないわ。それよりも持ってるλ2000をすぐに渡しなさい。あんたみたいな人間があんなもの持っててもろくな事にならないわ」
 リラの顔から笑みが消えた。
「あんた、勘違いしてんじゃないわよっ。自分の立場が解ってないようね」
 リラの振り上げた手の先が一瞬光り、その閃光がユウリの目元を薙いだ。
 一瞬の痛み。
 右目の下。頬骨の辺り、一瞬の痛みの後、そこからなま暖かい液体が右耳に向かって流れ落ちた。
 リラは手に持ったメスをユウリの目の前に翳し、言った。
「あまり無駄口は叩かない方がいいわよ。あたしはあんたの事、大っ嫌いなんだから。次は掠り傷じゃ済まないわよ」
 ドスの効いた声で呟く。
 負けずにユウリも厳しい目でリラを睨みつける。悔しいが今の彼女にはそれくらいの事しかできない。
「フン。ま、いいわ。あたしが聞きたいのはそのλ2000について」
 リラがメスを降ろしてユウリに尋ねる。
「知っての通り、あれはまだ不完全な状態なのよね。大消滅に至らないのはその所為だわね。せーっかくギエンの部屋から構成図を奪ってきたってのにアイツ、肝心な部分にプロテクトかけててどうやっても解析できないのよ。だから、あんたにその大事な部分を教えてもらいたいのよ」
「そんな事、あたしが知ってる訳、ないでしょ」
「馬鹿ね、知ってんのよ。あんた達があんたんとこの前身……んー、何て言ったっけ、シティ何とか……ま、いいわ、そこから構造図を持ち出して来てる事」
「フン、残念ね。そんなモノ、今の世界に存在しない。λ2000も大消滅も、既に歴史の中には存在しないのよ」
「知ってるわよ。タイムレンジャーがλ2000の存在自体を歴史から封印してしまった事。だから、その封印を解くのはやっぱり、タイムレンジャーしかないって事」
 ユウリは一瞬、言葉に詰まった。即ち、リラの言葉が的を射ているという事。
「即ち、クロノチェンジャーさえあれば、あれは再びこの世界に蘇るって事よね」
「……何処でその情報を……」
「そんな事どうでもいいわ。さあ、はやくクロノチェンジャーを保管している場所を言いなさいよ」
「誰が!」
「ま、いいわ。あんたがそう簡単に秘密を漏らすなんて、はなっから考えちゃいないし」
 リラの顔がユウリから離れた。
「シュミット、いいわよ。だけど、絶対に殺さないでね」
「誰に向かって言っている。私はシュミット、拷問吏シュミット様だ」
 ユウリの視野に、一人の男が現れた。恐らくはこの部屋にずっと居たらしい。
 ユウリにはその男の姿に見覚えがあった。それは過去に非合法な拷問で、実に266人の人間を再起不能にした犯罪者、シュミットだった。彼も回収された冷凍カプセルから漏れていた一人だ。
 尚、この男が成功しなかった拷問は一つもなかったとされている。拷問の結果、不必要と判断され殺された被害者は多数存在するが。
 この男の正体を把握した事で、ユウリの心臓が早鐘のように高鳴った。自分の近い未来に、幾ばくかの不安を感じずにはいられなかったのだ。
「しかし、折角圧縮冷凍から解放されて初めての仕事だと思ったら、こんなつまらん事になるとは」
「あまりこいつを嘗めてかからない事ね。以前はタイムレンジャーとしてあたし達を散々嬲り物にしてくれたし、今はインターシティ警察きっての敏腕捜査官よ」
 シュミットはユウリの顎を掴み、彼女の眼をじっと見ると、つまらなそうに手を離した。
「所詮は女だ。女など、こいつで簡単に何でもしゃべってしまう」
 シュミットが取り出したのは、透明な液体で満たされたガラス瓶だった。
「な〜に、それ?」
 リラが瓶を覗き込むが、それは単なる水にしか見えない。
「まあ見てな」
 シュミットはそう言うと、瓶のキャップを外しその中の液体をスポイトに少量吸わせると、その液体をユウリの手の甲に一滴落とした。
 ユウリの手の甲に落ちた液体は、ジュッという音とともに、その皮膚を灼いた。
「うっ」
 ユウリは手の甲に走る激痛に、一瞬顔をしかめた。
「濃硫酸だ。これを顔にかけてやると言えば、女なんてモノは泣いて許しを請う。特にこいつの様に自慢の顔を持った女はな」
「面白いじゃない。こいつの顔、見てるだけで胸くそ悪くなるものね」
 シュミットは瓶の蓋を開けたまま、ユウリの顔の真上にそれを持っていった。
 そして、その瓶をゆっくり、ゆっくりと傾ける。
「くっ」
 ユウリは本能で逃げようとするが、体中を固定されて、ビクとも動かない。
「私は純然たる拷問吏だ。必要以上に傷つける事はしない。素直にしゃべれば助けてやる」
「誰がっ!」
 覚悟を決めたユウリは、それ以上抵抗する事を諦め、毅然とシュミットを睨みつけた。
「いい覚悟だ。しかし残念だ。実を言うと君は私の好みでもあるんだがな」
 シュミットは瓶を一気に傾け、並々と入っている液体をすべてユウリの顔面にぶち開けてしまった。
 それでもユウリは顔を背ける事はしなかった。
 故に大量の液体は、まともにユウリの顔面に落ちた。
 しかし、ユウリの整った顔は、焼け爛れたりはしなかった。水浸しになってしまったものの痛みも襲ってこない。
「はっはっはははは。面白い。今のでしゃべらなかった女は殆どいない。まして、全く顔を背けなかったのは男でも希だ」
 シュミットは大声で笑った。
 リラには何が何だか解らなかったが、顔を濡らされたユウリには、それが何だったのか直ぐに理解できた。
 正体は単なる水である。
 どうやらシュミットは手品も得意なようである。瓶の中身をスポイトに吸い出した様に見せかけたのだが、実はスポイトの中に、もともとごく僅かな濃硫酸が仕込まれていただけなのだ。
「くっくっくっくっ。拷問は女より男の方が楽しいが、最高に面白いのはやはり女だ」
「あんた、言葉がおかしいわよ。文章になってない」
 リラは少し不服そうだった。
「わからなければわからなくていい。ただ今は、最高に面白い獲物を私に与えてくれたあなたに感謝したい」
 シュミットはリラに向かって、深々と敬礼した。
「どうでもいいわ。あたしはこいつからλ2000の秘密を聞ければそれでいいんだから」
「お任せを、必ず目的は達成する。但し、少し時間はかかるかも知れんが」
「相手がこいつだから、それは覚悟してるわよ。こいつの苦しむ顔を鑑賞させてもらうのも楽しみではあるし」
「ならばその楽しみ、存分に満喫していただこう」
 シュミットは再びユウリの方へ向き直った。そのシュミットの瞳には、期待と残忍さの入り交じった異様な輝きが満ちていた。その瞳がユウリの体を嘗め回す。
「これから君は、私の全身全霊をかけた拷問を受ける事になる。大の男が泣いて許しを請う程の苦痛を、君は味わう事になるだろう。君がしゃべってくれるまで、それは続く。私は拷問の途中で相手を殺したり、発狂させたりは絶対しない。つまり君がこの地獄から抜ける事ができるのは、素直に全部白状した時だけだ。……これが最後の忠告だ。知っている事を全て話してみてはどうかね」
 淡々とユウリに語りかけるシュミットが、とても恐ろしく見えた。
「冗談言わないで。そっちこそあたしを誰だと思っているの。タイムレンジャーを馬鹿にしないで」
 精一杯の強がりが、却ってシュミットの嗜虐心に火を付ける。
「クックックッ。ますます気に入った。私の職場復帰を記念する素晴らしい仕事ができそうだ」
 シュミットは裁ちバサミのような物を取り出し、ユウリの頬にその刃先を宛う。
 ユウリは今にも顔を切り刻まれるのではないかと、必死で身構えた。
「これで顔を切られるとでも思っているのかね。先刻も言ったが、君は私の好みのタイプの女性だ。最初から君のその端正な顔を傷つける様な真似はしない」
「だったら優しく労ってもらいたいモノだわ」
「わかっていないようだね」
 シュミットは語りかけながら、刃先をユウリの頬から首筋へ移動させる。
「相手を慈しむ愛もあれば、相手を傷つける愛もあるという事を」
 刃先は更に、ユウリの右肩を通り、二の腕を滑り、肘に達した。
 ユウリは今にも刃先が肌を破り、肉に食い入るのではないかという恐怖と葛藤していた。
「残念ながら私が愛を感じられる対象は、私の嗜虐心を満たしてくれる者でしかないのだよ」
 更に刃先はユウリの腕を滑り、手の甲で止まる。そしてその刃先にはグッと力が籠もる。拳を握り抵抗する事もできないまま、ユウリの右手は手術台の上に平伏した。
 シュミットが広げられたユウリの右手の人差し指を掴む。
「まずは多くの犯罪者を逮捕、あるいは殺すために幾度となくトリガーを引いた、この指に尋ねる事にしよう」
 シュミットは掴んだ人差し指の根元を裁ちバサミで挟むと、再びユウリに尋ねる。
「λ2000の構造図は何処にある?」
「……し、知らない」
「では、君はもう二度とこの手で銃を撃つことはできないだろう」
 言うと、シュミットは裁ちバサミを握る手に一気に力を込めた。
「きゃああああっ」
 ユウリの右手人差し指は、一瞬で彼女の右手から離れてしまった。
 あまりの痛みにユウリの全身に力が籠もる。
「グ、ググググ」
 痛みに悶えるユウリを無視して、シュミットは手際よく切断された指の付け根をきつく縛り、止血を施した。
 ある程度、出血が治まるのを見計らって、シュミットは切断部を覗きこんだ。そして、その部分から僅かに顔を出している白い糸状の物に狙いをつけると、そこをピンセットの様な物で摘む。
「ウギアアアア」
 ユウリは形振り構わず絶叫した。シュミットが摘んだのは、指に繋がる神経だったのだ。
 シュミットはユウリの剥き出しにされた神経を摘み、ぐりぐりと捻る様に引っ張る。
「ハハハハハ」
 ユウリの苦痛に歪む顔に笑いが止まらないのは、リラだった。
「ねえ、痛い?痛い?」
 痛いに決まっている。しかし、今のユウリにとって、リラのそんな笑いも激しい苦痛だった。
 こんな奴に……こんな奴に……。
 ユウリは激痛を堪え、リラを睨んだ。
 しかし、シュミットはそんなユウリを意にも介さず、更に指の神経を引っ張った。
 ブチン。
 すごい音がして、指の切断面から神経の糸が3p程千切れた。
 再びユウリの絶叫が、狭い室内に響き渡る。
「どう?しゃべる気になった?」
 リラが質問する。
「だ、誰が!」
 荒い息でユウリが答える。
「うむ、では次の拷問に取りかかろう」
 シュミットが取り出したのは、木槌だった。
「何?それ」
 木槌とは拷問具にしてはあまりにも間抜けな道具の様に思われた。しかし、この木槌が実は、ユウリに途方もない激痛を与える事になる。
「過去、これを使った拷問で私に屈した人間は、実に80%に上る。私の持つ技術の中でもこれは、最高の芸術と言えよう」
 それを聞いてリラの目が輝いた。いったいどんな拷問を行うのか。
 リラは自分の中に、新しい何かが生まれるのを感じた。
「人間を痛めつけるのに、芸術も何もないわ!もう……好きにすればいい。どんなにされようとも何もしゃべらない!死んでも言わない!無駄な事をしたと、後悔すればいい!私は絶対にあなた達なんかに屈したりしないっ!」
 ユウリは怒りに駆られて、一気に捲し立てた。
「素晴らしい。君は何て素敵なんだ。しかし私は思うよ。無駄なのは君のがんばりの方だと」
 シュミットは木槌を片手で持ち、もう片方の手をユウリの右腕に添えた。そしてその指で引き締まったユウリの上腕部を探る。
 ちょうど肩と肘の中間点に目標を定める為、這わせた指を止めた。
 まさか……。
 ユウリは次に与えられる行為を悟った。
 や、やめ……。
 しかし、木槌は狙い通り、ユウリの二の腕に打ち下ろされた。
 パキ!
 木の枝を折るような乾いた音が響く。
「うっ、くくっ」
「次は左だ」
 シュミットは手術台の反対側に回ると、右腕に行ったのと同じように、まず、肩と肘の中間点を指で探し、再び木槌を振り下ろした。
「うあっ」
「これで君の腕は、両方とも上腕骨の真ん中で真っ二つに折られた。君の体はもう、上半身で支える事はできなくなったのだよ」
 出血こそしなかったものの、人間の体を構成する骨のなかでも太い部類に属する上腕骨を叩き折られたのだ。両腕を襲う痛みが激しくない訳がない。
 知らずユウリの目から涙が零れ落ちた。
 シュミットは手術台を起こした。ユウリの体はそれに伴って腰の辺りから起きあがる形になった。
 そしてユウリの両腕を拘束する4つの拘束具が外された。
 支えを失ったユウリの両腕はダラリと垂れ下がった。
「ぐあっ、ぐががが」
 両腕を襲う悪夢のような痛みに、ユウリは激しく身悶えた。
 シュミットはそんなユウリの右腕を、二の腕の骨を折られた部分を鷲づかみにすると、折れ具合を確かめるように、指でその部分を揉んだ。
「うわああああああ」
 シュミットは満足げな笑みを漏らして言った。
「我ながら完璧な出来だ。この骨折端を造るのは難しい。拷問としての骨折は決して粉々にしてはいけない。また、骨折端を平行にしてはいけない。なぜならば拷問としての効果を生まないからだ。かと言って鋭利になり過ぎてもいけない。骨折端がすぐに皮膚を突き破ってしまうから」
 左腕の骨折部分も確かめる。その都度、ユウリの口から悲鳴があがる。
「どうだ、骨折端が腕の内部で肉を掻きむしっていく。ほら、こうすれば筋肉もずたずたになる」
 少し指に力を加える。
 シュミットの指は、深くユウリの二の腕に埋没した。上腕骨は指の圧力に負け、その骨折端でズレてしまう。ズレた骨折端は腕の内部で筋肉を傷つけていく。
 シュミットはさらにめり込ませた指を、ぐりぐりと移動させる。
 ユウリは悲鳴をあげながら身悶えるが、その行為はただ、腕の痛みを増す結果を産み出すだけに過ぎなかった。
「そろそろしゃべってしまった方が身のためだと思うが……」
 シュミットの問いかけにユウリは目で反抗するだけだった。
「余裕がなくなってきたようだな。私は楽しませてもらってるが、君にとってはやせ我慢するだけ損だとは思うが……、これ以上続けると、君の腕は二度と使い物にならなくなる。いや、腕だけではなく、この先拷問を続ければ、歩くこともままならなくなる。それでも構わないか?」
 ユウリは目を閉じ、項垂れたまま、ぼそっと何かを呟いた。
「何か言いたいのか?」
 リラにも聞き取れなかったようで、耳を近付ける。その顔には勝ち誇ったかの様な満面の笑みが零れていた。
「変態サディスト……」
 声は小さいが、今度ははきりと聞き取れた。
「こ、この……」
 リラの頭の中で、ブチッという音とともに何かが切れた。今にもユウリに掴みかからんとする勢いで詰め寄る。
 それを止めたのはシュミットだった。
「まあまあ、まだまだ楽しませてくれるという事だ。それでは次の段階に入る前に少し休憩させてあげよう」
 シュミットは言うと、骨折端を元に戻し、両腕の骨折箇所に枷を嵌めた。ギブス代わりにはなる。
 そしてユウリを手術台から降ろすと、別の場所に移した。
 そこは床に4つの拘束具が埋め込まれており、天井からは二つの拘束具が一つの鎖でぶら下げられている。
「さあ、ここに座るんだ」
 シュミットはユウリに正座を強要する。
 リラもシュミットも、既にユウリが反抗する気力も残っていないと思っていた。
 しかしユウリは立ち上がった。シュミットの腕を振りきり、スライディングでリラの足を絡め倒し、リラの腰に装備した銃を左手で奪うと、リラに向けて構えた。一対一なら例え両腕を負傷していてもリラなどに負けるユウリではない。
「扉を開けなさい。脅しではないわよ」
 両腕が酷く痛んだが、今は耐えるしかない。これを逃したら二度と……。
「馬鹿な。あんた、何処にそんな力が残ってたのよ」
「ハッハッハッハッ。何とも頼もしい事だ。この期に及んで抵抗できるとは」
 何故かシュミットは余裕の表情だ。その笑いにユウリは息を呑んだ。
「これが何か解るかね」
 シュミットはリモコンを取り出した。
「元気の良すぎるお嬢さんにはすこしお仕置きが必要だ」
 ためらわずリモコンを押す。
「うがあああああ」
 思わずユウリは持っていた銃を落とし、その場にもんどりうって倒れてしまった。
 患部に嵌められた枷が、ユウリの両腕を締め上げたのだ。
 リラが銃を奪い、倒れるユウリの腹部を堅いブーツで蹴り上げた。
「こいつ!嘗めた真似してんじゃないわよ」
 立ち上がれないユウリの顔を、ブーツの底で踏みつけ、そのままぐりぐりと抉った。
 口の中を切ったらしく、ユウリの口から血が溢れ出した。
「それくらいでいいだろう。雑な責めは趣味じゃないんでね」
 リラを宥めると、シュミットはユウリを立ち上がらせた。
「まさかあの状態で戦おうとするとは。しかし、万に一つの可能性も考えて、予防線だけは張らせてもらったよ」
 言いながらぐったりしたユウリを床の拘束具に固定した。固定したのは両足の膝下と足首。この状態では、ユウリは俯せに寝るか、膝立ちをするか、正座する他はなかった。
 ユウリを正座させたシュミットは、吊り下げられた拘束具に、ユウリの手首を括り付けた。
 正座した状態で両腕がピンと真上に伸びる位置に鎖の長さを調節すると、両腕の患部に付けられた枷を取り外した。
 枷を取り外した途端、再び地獄のような激痛がユウリの両腕を襲った。
 この状態では両腕の痛みを庇うことができない。下半身を少しでも動かせば、両腕には発狂する程の痛みが走る。
「下手に動けば、支柱を失った君の腕は、簡単に千切れてしまう。気を付けるがいい」
 そう言ってシュミットが用意したのは、直径5o程の先端を持つ電動ドリルと、火をくべた鉄釜だった。鉄釜の中には、ドロドロに熔けた鉛が満たされていた。
「その状態で今度は、君の脚を責めてみたいと思う」
 ショートスパッツから剥き出しの太腿は、正座を強要され、ピンと張りつめていた。しかし、普段から鍛え上げられ、また女性としての手入れを怠らなかったその太腿は、このような状況下でも、いささかその美しさを損ねる事はなかった。
 ただし、リラにはそれすらも、憎むべき対象としてその目に映っていた。
 彼女も自分の容姿にはかなりの自信を持っていた。ピンクに輝く髪も、男を惹き付けて止まない顔も、すれ違う男どもの視線を釘付けにするボディも。全てが自分の財産だと思っている。
 しかし、目の前のこの女には何故か嫉妬すら感じずにはいられない。
 そう、ユウリはリラとは違った魅力を持っている。リラが男の視線を集めるタイプであるのに対し、ユウリは同姓からの羨望の眼差しを受けるに値する容姿を持っていたのだ。まあ、胸に関してはその限りではないが。
 先程までの寝ている状態の時はそれ程でもないが、今のユウリの体勢は、そんなユウリの魅力を更に誇示する結果となってしまった。
 リラは自分の中のイライラが増していくのを感じた。
「いい格好だね。その姿、タイムレッドにも見せてやりたいよ」
 皮肉の一つも言いたくなる。
「さて、こちらの準備は完了だ。そろそろ覚悟はいいかね」
 シュミットがユウリに尋ねる。しかし、ユウリは二人を無視する。
 が、シュミットが自分の太腿の上に電動ドリルを垂直に立てると、やはり視線は無視できなくなる。
 位置は右太腿の中央付近。ドリルの刃が肌に押しつけられる。
 ユウリは太腿とドリルの接点を凝視し、歯を食いしばる。
 次の瞬間、太腿から脳天に向かって強烈な痛みが駆け上った。
 シュミットによってスイッチが入れられたドリルは、高速回転を行いながらユウリの太腿に突き刺さっていった。
 飛び散る血が、ユウリを、シュミットを赤く染めていった。
 少しづつ、少しづつドリルの刃はユウリの太腿に埋もれていくが、シュミットは更に奥へ突き刺していく。
 ユウリは痛みのあまり正座の姿勢を崩そうとするが、吊り上げられた腕に力が加わり、今度は二の腕からも激痛が起こる。腕と脚との痛みが同時に脳天に駆け抜け、今にも痛みで気が狂いそうな程だ。いや、気が狂ってしまった方が、どれ程楽になれるだろう。
 ドリルの刃が半分程ユウリの太腿に刺さると、ガリガリガリという音がした。どうやらドリルの刃は、大腿骨に及んだようだ。
 そこでシュミットはドリルの刃を止め、引き抜いた。
 太腿に開けられた穴から、ゴボゴボと血が湧き出てくる。シュミットはその穴に指を突っ込む。
「少し穴が小さいので、少し広げさせてもらう」
 そう言うと、太腿に突っ込んだ指をぐりぐりと動かし、穴を押し広げていく。太腿の中でブチブチと、肉や皮膚を引き裂いていく音が聞こえてくる。その音が一層、ユウリの痛みを激しいものにしていった。
 頃合いを見計らってシュミットは、指を抜いた。そして脇に設置した、鉛が煮えたぎる鉄鍋から、少量の熔けた鉛を掬い、太腿の穴の中へ注ぎ込んだ。
「ヒイイィィィィィ」
 既に叫びにはならなかった。
 太腿から煙が立ち、人間の肉を焼く臭いと鉛の臭いが混ざった異臭が部屋に充満していった。
「かはっ」
 開かれたユウリの口から、血の混じった唾液が滴り落ちた。どうやらあまりの痛みで噛みしめた歯で、口の中を切ったようだ。
 それ程時をおかず、鉛は太腿の穴を埋めて固まった。
「次」
 シュミットは再び電動ドリルを手にした。そしてショートスパッツの裾を少し捲り上げると、同じ右脚の更に上部にドリルの刃を宛う。
 先程と同じ責めを繰り返した。先程よりも脚の太い部分が標的なので、ドリルの刃は更に深い位置まで挿入された。
 ドリルで太腿に穴を開け、指でその穴を押し広げ、その中に熔けた鉛を流し込む。
 ドリルで穴を開ける際は大腿動脈を避け、最後の鉛で止血するので、凄惨な拷問でも出血量は想像する程多くはない。
 右の太腿には都合、5つの穴が開けられた。そこで遂にユウリは失神する。
「こら、寝てんじゃないわよ。起きなさいよ!」
 リラがユウリの太腿を、散々傷つけられた太腿をブーツで踏みにじった。
 太腿の中で固まった鉛は、リラのブーツで踏みにじられる事によって、ユウリの太腿の肉を掻きむしる。結果として再び出血を起こしてしまう。
「うっく」
 やっとの事で現実から解放されたユウリだが、一瞬にして現実の地獄に呼び戻されてしまった。
「折角止血したのに、また傷が開いてしまったではないか」
 言葉とは裏腹に、シュミットの口調はそれ程リラを責めてはいなかった。
 リラが足を下ろすと、シュミットは再び出血が始まった傷口から鉛の破片をほじくり出し、新たな鉛を流し込んでいく。
 全ての傷口に同じ処理を行うと、シュミットは視線をあげた。
 汗の滴が流れ落ち、疲労の色が著しいユウリの顔の両横には、内出血で黒ずんだ二の腕があった。
 シュミットは無遠慮にユウリの二の腕を掴んで、骨の様子を窺った。
「ふむ、かなり筋肉組織を傷つけているようだ。では、もう少し続けるか」
 二の腕を放し、再び視線は太腿に移行された。
 止めて、もう……止めて。
 ユウリの目が訴えていた。
 しかしシュミットはもとより止める気などさらさらない。
「知っている事を話すだけで解放されるというのに……」
 シュミットの言葉に、ユウリは唇を噛みしめた。
「できない……それだけは」
 シュミットの拷問が再開された。ターゲットは無傷の左太腿である。
 タツヤ……助けて……。
 ユウリは必死にタツヤの顔を思い浮かべようとした。タツヤの事を思えば、地獄のような痛みから少しは解放されるのではないか。
 タツヤとの初めての出会い。
 タツヤを加えて初めて5人でタイムレンジャーに変身した時。
 五人で行ったバーベキュー。
 異空間脱出で見せたタツヤとの信頼。
 アベルに捕らえられた私を必死に助けてくれたタツヤ。
 最後の悲しい別れ。
 そんなタツヤと過ごした一年の記憶が、ついこの間の事の様に思い出される。
 あいたいよ……もう一度。  知らずユウリの瞳から、止めどない涙が零れ落ちてきた。
 シュミットはユウリの涙に気をよくしたのか、ユウリの左の太腿に7カ所も穴を開けた。
 すっかり抵抗する気力も失ったユウリは、細かい呼吸をしながら、ぐったりとしていた。
「どうだ?そろそろ楽になりたいのではないか?」
 シュミットがユウリの顎を掴み、尋ねる。
「話す事は……何もない……」
「ほう、こんなになってもまだ強情を張るか。いいだろう」
 ユウリの吊り上げられた手を、拘束具から解いた。支えを失った両腕は、ただだらしなく垂れ下がるだけだった。
 そんなユウリの右腕を、シュミットは掴みあげる。
「いい色に仕上がった。そろそろ頃合いか」
 黒く内出血した右腕を、じっくりと観察し、骨折した箇所に力を加える。
「ふうっ、ぐぐぐぐぐ」
 皮膚の上から骨折端の形状が解るくらい、力を加える。
「さあ、君の骨がどんな状態になっているか、今から見せてあげよう」
 シュミットはますます力を加えていく。すると骨の圧力に耐えられなくなり、二の腕の皮膚が破れ、中からドロドロのどす黒い血が溢れだした。
 そして膿血がなくなると、中から意外な程白い骨が突出した。
「さあ、よく見るがいい。この角度だよ、この折れ具合、絶妙だと思わないかね。これは私だからできる究極の技なのだよ」
 シュミットは自慢げにユウリの腕の骨端を見せようとする。が、ユウリは痛みに呻くだけ。
「よく見えないかね。だったらもう少し見える様にしてあげよう」
 シュミットは言うと、肘の辺りまで肉を引き裂き、上腕骨を剥き出しにする。
「ウギャアアアアア」
「もうこの腕は使い物にならないな」
 ユウリの右腕は、既に4分の1程の筋肉と皮膚だけで繋がっている。
 が、それすらもシュミットは千切りとってしまう。遂にユウリの右腕は、その主のもとを離れてしまった。
 腕を千切り取られた出血は、すぐに溶けた鉛で止められた。
「次は左だ。左腕まで失ったら、普段の生活にも支障を来すのではないか?」
「やればいい。好きなだけ傷つければいい。腕をもがれても、足を切り落とされても私はお前達を追い続ける。インターシティ警察の名にかけて、必ずお前達を逮捕してみせる」
 荒い息の中で一気に捲し立てる。
 しかし、シュミットはただ首を横に振るだけだった。
「何とも勇ましいお嬢さんだ。もう既に、君の未来など存在しないのだよ。可哀想だけどね」
 シュミットはユウリの左腕を掴む。そして右腕と同じように、じわじわと千切っていく。
「君の忍耐力に敬意を評し、この両腕は私のオフィスにオブジェクトとして飾っておこう」
 遂に両腕を失ってしまったユウリは、体のバランスを失い、そのまま後ろに倒れてしまった。
 千切り取られた両腕は、シュミットの手で大切に保存カプセルに詰められた。
「それでは、次の舞台へ移そう」
 両腕を失い、息も途絶えがちな程衰弱しているユウリは、それでも休む暇も与えてはもらえなかった。
 シュミットはそんなユウリを再び手術台の上に寝かせる。
「君はお酒はいける口かね?見たところかなり強そうにも見えるが」
 しかし、ユウリの返事はない。
「正直私も、君がこんなにもがんばるとは思わなかった。そこで、君にはとびきりの美味い酒を用意させてもらったよ」
 シュミットが取り出したのは、長く太い針の付いた注射器だった。
「だけど折角の美酒も、今の君には呑んでいただけそうにもないから、これで君の肝臓に直接与えようと思う。普通アルコールは胃や小腸でその大部分が吸収されて血液に溶け込んで肝臓に送られてくる。そして肝臓の中でADHが働き、分解される。だが、そのアルコールを胃や小腸を通らずに直接肝臓に送り込んだら、いったいどうなると思うかね」
 注射器の針をユウリの腹部、右の乳房の下あたり、ちょうどタンクトップの裾から出たあたりに宛う。
「これから身を持って知ってもらうことにしよう」
 注射針を突き刺した。そして長い針をズブズブとユウリの腹部に差し込み、肝臓まで到達させた。
 肝臓に直接太い針を刺された激痛に、ユウリは呻いた。
 そしてユウリの肝臓に、直接アルコールが注入される。その量はほんの僅かではあったが……。
 異変はすぐに起こった。
 ユウリが目を見開き、激しい悲鳴をあげる。そして全身に玉のような汗を噴き出させ、枷を引きちぎらんばかりに仰け反る。体中が朱に染まり、脇腹や内股に火膨れのような湿疹が現れる。
 そんな状況をシュミットは腕を組みながら見守る。
 やがてユウリの体が、朱から蒼に変わっていく。絶叫を奏でる唇も、次第にどす黒い紫へと変色していった。
 ユウリの苦しみは終わらない。
「この苦しさは簡単には直らない。薬による治療が必要だ。白状するなら、薬を投与しよう」
 シュミットの申し出に、ユウリは悶えながら首を横に振る。
「では次にこれを与えよう」
 シュミットはもう一本、同じような注射器を出した。しかも、中身は毒々しい赤い液体が満たされていた。
「これはタバスコの原液だ。今度はこれをプレゼントしよう。但し、これを肝臓に注射すれば間違いなく君は死ぬ。だからこれは、ここに注射してあげよう」
 肝臓の位置よりも更に下。臍の斜め上部辺りに針を突き刺した。
 今度は肝臓の時よりもさらに深い位置まで注射針を刺す。そしてタバスコを注入していく。
 ユウリは先程以上に苦しみ始めた。
 ユウリの体は一気に紅潮し、先程受けた傷、右手人差し指や太腿、両腕の切断部から再び血が噴き出した。
「タバスコは君の腎臓に注射した。死に至る事はないが異常なまでに血圧は上昇する。肝臓にアルコールを与えた事で肝機能に異常を来して血液量も増加しているから、多少出血が増えても出血多量で死ぬこともない。ただ、君の腎臓の一つは、これにより間違いなく壊れてしまうだろうが……。勿論、君が白状する気になればすぐにも治療薬は与えてやる」
 ユウリにその気がない事を確認すると、シュミットは続けた。
「しばらくは君の悩ましい苦悶の表情を見ているとしよう」
 シュミットはゆっくりとユウリの横で腰を下ろした。
 そしてリラは、苦しむユウリに楽しくて仕方ないという笑顔を見せていた。
 ユウリは必死に戦っていた。体中を駆けめぐる激痛に。
 肝臓が膨張して破裂するのではないかと思う程痛む。
 腎臓から火が噴き出すのではないかと思う程熱い。
 指が、腕が、脚が、拷問で受けた傷達が再び痛みを訴える。
 体中に流れる血管が、謀反を起こした様に体の中で暴れている。
 誰かに頭の中を握りつぶされるのではないかと思う程の激痛に、今にも気が狂いそうだ。
 だけど耐えなければ……。
 正気を失う訳にはいかない。そして、死ぬ訳にもいかない。こいつらを逮捕するまでは、私は絶対に屈しない。
 負けて……負けてたまるかっ!
 ユウリは噛み千切れるのではないかと思う程強く唇を噛み、血が出るのではないかと思う程カッと目を見開いてリラを睨みつけた。
 負けない!私はこんな奴に絶対負けない!
 しかし、リラはそんなユウリの目が気にいらなかった。
「何?その目は。ムカつくっ!一層の事、あんたの目、抉り抜いてやろうか」
 リラは立ち上がり、ユウリの左目に自分の指を宛った。そして本気で抉りださんが如くの力を加える。
「まあ待て。拷問には眼球を破裂させる方法もある。良ければそれを実行しても構わないぞ」
「面白いじゃない。こいつの目見てるとムカムカすんのよ。やっちゃってよ!」
「但し、目を潰してしまうと、以降、拷問の楽しさは半減する」
「どうしてよ」
「何故拷問が楽しいかと言うと、その要因の一つに相手が苦しむ表情を見る事の楽しさがあると思う。だが、目を潰してしまったらその表情を見る事ができなくなる」
「なるほど、それも一理あるわね。でも、最終的にはこの女の目は潰してやりたい」
「うむ、その時はリラ殿に任せよう。破裂させるなり抉るなり好きにするがいい」
「わかったわ」
 リラは気持ちが晴れたのか、再び楽しそうな表情に戻り、腰掛けた。
 リラとシュミットの二人が何とも痛々しい話を続けている間も、ユウリの苦悶は治まらなかった。普通なら確実に死んでいると思われる程の量の血を傷口から流しているユウリの周りは、まさしく血の海だった。
 血の海の上で、両腕を失い激しい悶絶を繰り返す半裸のユウリを、シュミットは素晴らしく美しいと思った。それはシュミットがシュミットである故の特殊な美意識ではあったが。
 数える事もできない程の人間を拷問してきた彼だが、果たしてこれ程の美しい獲物に出会った事があったろうか。
 確かにユウリ以上に綺麗な女性も数多く拷問してきた。また、同性でも惚れてしまいそうな美しい男性も同じ目に遭わせてきた。
 だけど……、このユウリという女の美しさはいったい何なんだ?多少気が強そうだが整った顔立ち、女性でありながら鍛え抜いた肉体美、いや、それ以上に彼女の意志の力か。
 間違ったことには絶対に屈しないという意志の力。そして自らが正義として生きていく魂の輝き。そんな内面の強さが、彼女の美しさを引き立てているのか。それはタイムレンジャーという過酷な任務を全うした彼女だけが得る事のできる美しさではないのか。
 今、自分は彼女に出会った。その彼女を自分のこれまでの経験や知識を集結させて拷問をする。
 言ってみればこの拷問は自分にとっての集大成ではないか?
 果たしてこの先、自分はこれ以上に充実した仕事を手がける事ができるのだろうか。
 シュミットはじっとユウリを見つめる。
 彼は今、過去に至った事のないジレンマを感じていた。目の前のユウリをもっともっと痛めつけたい。未だ無傷の胸や背中、顔のパーツに至るまで、徹底的に壊してやりたい。……欲望のままに。
 しかし、その後、自分はどうなる。
 いつも感じる。一つの拷問が終わるたびに、そこに虚空の時間が訪れる。それは一つの仕事を成し遂げた満足感でもあるし、絶頂期を過ぎた後の虚無感でもある。
 その拷問が充実したものであればある程、その虚空の時間は長い。
 今回のこの拷問の後の時間は、いったいどれ程のものであろうか。今ではその大きさが計り知れない。いや、もしかしたら……。
 シュミットは巡らしていた思考を振り払うように、何度も首を振った。
 しかし……今は自分の仕事を遂行しなければ……。
「どうした?」
「いや、何でもない」
 意を決し、立ち上がったシュミットは、ユウリに注射を打った。
「今、肝臓の機能を修復する薬を打った。肝機能の異常による体調異変は直、治まるだろう」
「治してどうすんのよ」
「慌てるな。治療したのは肝臓のみだ。肝臓が壊れてしまったら人は死ぬ。だが、腎臓の方はその一つを失っても、人間、死に至る事はない」
 言いながらユウリの拘束具を外し、ユウリの体を俯せにすると再び拘束具に固定する。
「次の拷問は、異常を来したこの腎臓の摘出手術だ。無論、拷問なので麻酔は一切使用しない」
 シュミットは不適に笑い、メスを取り出す。
 シュミットにとって、この腎臓摘出術は、最もお気に入りの拷問の一つである。
「わあ、面白そうね。人体解剖って事よね?昔からやってみたかったのよ」
「気に入っていただけて光栄だ。ではさっそく手術に取りかかる」
 シュミットはメスでユウリの背中を縦に切り裂く。その長さ約20p。
 皮膚、皮下組織、筋肉と少しずつ切り裂いていき、その都度鉗子で傷口を固定していく。そして太い血管などは止血鉗子で留め、不必要な出血を抑えていく。助手などなくても、シュミットは本物の医師顔負けのメス裁きで手術を続けていった。
 激痛で意識が混沌とする中、再びユウリの脳裏には過ぎし日の盟友達の面影が過ぎっていく。
 アヤセ、ドモン、シオン……タツヤ。
「さあ、これが人の腎臓だ。とは言ってもこの腎臓は破裂寸前まで肥大しているがね」
 切り開いた傷口から、真っ赤なドロドロとした袋状の物が見える。
 知っている者が見れば、それは確かに異常な大きさだった。色もこれ程毒々しいものではない。
 ユウリはひたすら耐えていた。今は耐えるしかない。
 だが、この先、腎臓を抜き取られても、自分は耐えていられるのだろうか。
 これまでも尋常では耐えきれない程の痛みに耐えてきた。指を切られても、骨を折られても、ドリルで体に穴を開けられても、内臓に異物を注射されても……。
 それら一つ一つが大の男でも耐え切れぬ程の激痛である。だけど、ユウリはその全てを必死で耐えてきた。
 しかし、今度は違う。
 腎臓を抜き取られるのだ、麻酔もかけられないまま。
 その痛みの程は想像に難くないだろう。
 ごめん、みんな……。
 心の中でそう叫んだ。
「では、いよいよこの腎臓を摘出する」
 シュミットが、そう宣言した。
 それは自分自身への叱咤でもあった。
 この腎臓摘出の拷問こそが、シュミット自身、最も成功率の高い拷問であると自覚していたから。
 未だかつて、この拷問に最後まで耐えきる事ができた人間はいない。それ程までにこの拷問は過酷なのだ。
 故に、この仕事も終末が近付きつつある事になる。
 もっと……、もっと彼女を痛めつけたい。もっと彼女を切り刻みたい。
 永遠にこの至福の時を過ごしたい。
 シュミットの頭の中で、誰かがそう呟く。
 だが、私もプロだ。世界最高と呼ばれた拷問吏だ。
 世界最高の拷問吏は、そのプライドにかけて、任務を遂行する。
「がはっ!」
 メスの先が直接腎臓に触れるだけで、耐え難い激痛がユウリを襲う。
 くっ。これまでか……。
 一瞬、全てを教えて楽になりたい。という思いがユウリの頭の中を駆け抜けた。
 ユウリ程の強い心を持ってしても、この先を耐える事が不可能であるらしい。
 しかし、ここまで辛い拷問に耐え抜いたユウリを、いったい誰が責められるだろう。
 ユウリの限界は、シュミットにも伝わっていた。
 終わる……。
 遂に私の仕事が終わる。
 長年の経験が、ユウリの異変をいち早く感じ取っていた。
 知らずシュミットの手が硬直してしまった。
 メスの先がユウリの腎臓から離れ、震え始める。
 終わってしまう……これで全てが……。
 そんな思いがシュミットの手を止めてしまったのだ。
 何故?
 それはわからない。シュミット本人にも理解できなかった。何故自分の手が突然動かなくなってしまったのか。
「どうした?」
 シュミットの顔を覗き込む様な状況でリラが聞く。
 いやだ……、いやだっ!
 シュミットの目の前にリラの緊張感のない顔があった。無防備なリラがそこに居た。
 シュミットの握るメスが、一瞬の後、リラの目の前で煌めいた。
 リラは突然の事で何が起こったのか、すぐには理解できなかった。ただ、目の前に赤い液体が飛散したのがわかった。
 血?
 だが、それはユウリの血ではなかった。
「な、なに……?」
 しかし、リラが事態を把握するのに、それ程の時間は必要なかった。自分の首に熱い痛みが生まれたからだ。痛みに首筋を押さえたが、それで事態が把握できた。この勢いよく飛び出した血は、自分の首から吹き出したものである事。首の傷がシュミットの握るメスによってつけられた事。
「シュ、シュミット……何故……」
 当のシュミットは、握っていたメスを落とし、ガタガタと震えているだけだった。
「ば……馬鹿な……何故……あた……し……が…………」
 あっと言う間に流した血にまみれ、その場で頽れるリラ。かつてはドルネロの愛人(?)としてロンダーズファミリーを束ねてきた一人。30世紀社会では知らない者はいない程の悪女、そのリラの最後は、斯くも呆気ない幕切れだった。
 ユウリには何が起こったのか、まるで解らなかった。只でさえ意識が朦朧としている中、俯せで手術台に固定されているユウリには、状況はまるで掴めなかった。ただ、力に屈する寸前に何故か拷問が中断された事にほっとしたユウリは、緊張の糸が切れたのか、そのまま意識を失ってしまった。
「私はいったい何をした?」
 シュミットは震える自分の手を見つめた。
「私は依頼人をこの手で殺してしまったのか?拷問吏としてあるまじき行為をしてしまったのか?何故だ……」
 気を失ったユウリを見る。
「この女か……。私はこの女に何を見た……?拷問吏としてのプライドを捨ててまで、この女に何を求めた……?」
 次にシュミットは辺りを見回す。
 主人を失った数体のゼニットがオロオロしている。他にはリラの持ち物である大きなアタッシュとλ2000擬きが納められたケース。
「私は……私はもっと自分を高めたい。もっともっと自分を磨いて、再びこの女に自分の全てをぶつけたい。いつか……必ず!」
 シュミットは拳を握る。自然と震えは止まった。
   インターシティの街は、光を取り戻していた。
 正体不明の暗雲は、既に空には存在しない。今日も空は高く、真っ青に晴れ渡っていた。
 平和な日常を取り戻した町中で、インターシティ警察は今日も犯罪者を追っていた。
「止まりなさい!」
 ユウリは遂に犯人を路地裏に追いつめた。
「くそっ!死ねっ!」
 犯人はユウリに発砲を繰り返す。が、ユウリは余裕でその反撃をかわしていく。やがて犯人の持つ銃のエネルギーが切れてしまう。
「観念しなさい、アステイル。コンビニ強盗の現行犯であなたを逮捕します」
 ユウリは伸びやかなその両手で銃を構える。
「圧縮冷凍!」
 ユウリの銃から放たれたビームは、アステイルを包み込むと彼の体を縮小し固めた。
「任務完了」
 人形のようになってしまったアステイルをカプセルに納めると、仲間のもとへと戻っていった。
「終わったわ。帰りましょ」
「さすが隊長。復帰直後だというのに、動きは冴えてますね」
 仲間の言葉に無言で微笑むユウリ。軽くハイタッチを交わすと車に乗り込んだ。
 ユウリは一月の間、行方知れずとなっていた。
 3日前、人里離れた山の中で発見されたユウリは、インターシティ警察の制服に身を包み、川辺で倒れていた。しかし、意識を取り戻したユウリには、一ヶ月間の記憶が全くなかった。
 思い出そうとしても、何故自分がそのような場所で倒れていたかも、それ以前に自分が何をしていたのかも思い出せない。思い出そうとすれば、誰かに頭の中を握りつぶされる様な痛みに襲われるだけだ。
 幸いにも体には傷一つなかったので、単なる事故として処理された。現にそうする事で、日常生活に何ら支障があるわけでもなかったから。
 しかし、自分が行方不明の間に、リラが死体で発見されたのには驚かされた。どうやら仲間割れの末の死だったらしい。
 もともと変装名人リラは、3000年初頭、ドルネロらと共にロンダーズ刑務所を脱走。その後脱走犯の殆どがインターシティ警察の手によって逮捕、あるいは殺害されたが、リラは一部未解凍の犯罪者と共に姿を消していた。
 これはユウリ達タイムレンジャーが歴史を書き換えた結果の記録ではあったが。
 リラの死体が発見された後、リラが所有していたと思われる冷凍カプセルのうち、拷問吏シュミットと悪徳医師デイモンドがなくなっていた事が明らかになった。何らかの意図により、リラが二人のカプセルを解凍したが、仲間割れが発生し、リラを殺害。二人は逃亡を図ったと思われる。
 インターシティ警察はリラを一級犯罪者名簿から削除し、シュミットとデイモンドを指名手配した。
「シュミット……?何かが頭の中に引っ掛かる。うっ」
 机の上に載せたシュミットの写真に、何故か失った記憶を刺激されたが、考えると起こる頭痛に、思考は遮られてしまった。
「シュミット……いつか私は彼に出会う様な気がする……」
 だが、インターシティは今、λ2000の驚異から救われた事だけは間違いのない事実であった。
fin