五月二十日 雨


 今日は、不思議な子に会いました。まぁ、このお屋敷に四月から勤めに来たという女の子ですから、今日が初対面というわけではないんですけど……言葉を交わしたのは初めてでしたから、会いました、といってしまってもいいと思います。名前はプラムちゃんと言うそうなんですけど、私のことをぜんぜん怖がらないんですよね。今まで私の身の回りにいる人はほとんど全員がどこか私に距離を置いたような態度を取っていましたし、私のやっていることを考えればそれも当然だとは思うんですけど、彼女はまるで友達を相手にしているかのように私に親しく接してくれました。とても……嬉しかったですね。
 もっとも、だからといって彼女に自分の身の回りの世話を全部お願いしてしまうというのは、少しわがままが過ぎたんじゃないかと反省しています。つい先日も私の着替えを手伝ってくれた人が心労で倒れてしまいましたし、私の側にいるというのはそれだけで辛いことでしょうから。彼女が全く私のことを怖がらないので、もしかしたら、と期待してしまったのかもしれません。
 確かに彼女は私に親しく接してくれましたけど、それは彼女が誰にでも分け隔てなく親しく付き合う性格をしているというだけのことで、私に対して特別な好意を抱いているからではないのだろうと、自分でも分かっているのに。もしかしたら私のことを好きになってくれるかもしれない、と、心のどこかで期待してしまった自分がいました。私にはそんなことを望む資格などもはやないというのに……。

 じゃらり、と、鎖が乾いた音を立てる。壁から生えた短い鎖によって手首と足首とを拘束され、壁に磔になった体勢でミレニアは無表情に部屋の中を眺めている。
「今日は、三人ですか。アルテナ、ルーザ、それから……マティア」
 淡々とした口調でそう呟くミレニア。彼女にとっては見なれた拷問部屋の中を、覚束ない足取りで動き回っていた三つの人影が、その呟きに反応したかのように一斉に動きを止め、彼女のほうに視線を向けた。もっとも、三人のうちの一人は頭の上半分がなくなっているし、もう一人も全身が焼け爛れて目も完全に潰れている。だから、視線を向けたという表現はあまり正確ではないかもしれない。三人目は顔は原型をとどめているものの、腹部が大きく切り裂かれてそこから内臓が溢れ出していた。
「あまり、脈絡のない組み合わせですね。普段は、同じような殺し方をした人たちがいっしょになってるものですけど……まぁ、私には関係のないことですが」
 無残な三人の姿を眺めながら、全く表情を動かすことなくミレニアがそう呟く。自分が殺した人間に、逆に拷問を受ける夢を見始めるようになったのは、いつからだったか正確には自分でも覚えていない。しかし、領主となってからこの夢を見る頻度が増えたのは確かだ。最近では、この手の夢を見ない日のほうが珍しいほどである。その日によって誰が出てくるか、何をされるかは異なっているが、共通するのは自分が死ぬまで決して夢から目覚めることはない、ということだ。普通に考えれば、途中で夢から覚めて飛び起きても不思議ではない悪夢のはずなのだが。
 三人のうちの一人、全身を焼け爛れさせたアルテナが、長い柄を持つ鉄製の柄杓を手にしてよろよろとミレニアの前に歩み出る。ぐつぐつと煮え立つ油がその柄杓の中に満たされていることを見て取り、ミレニアが軽く首を傾げた。
「三人が三人とも、自分の受けた拷問を再現するんですか? まぁ、別に構いませんけど」
 まるで他人事のようにそう呟くミレニア。彼女の足の上で柄杓が傾けられ、煮え立つ油が彼女の足へと降り注ぐ。じゅうううぅっという音とともに一瞬にしてミレニアの足が真っ赤に焼け爛れた。無表情を保っていたミレニアも、流石に苦しげに眉をぎゅっとしかめて呻き声を上げる。
「あっ、ぐっ、ぐううううぅっ」
 苦痛の声を上げて身をよじるミレニアの姿に、焼け爛れていて判然とはしないものの笑みらしきものを浮かべ、アルテナが更に反対の足にも柄杓の中の熱油を浴びせ掛ける。夢だからこその不条理さというべきか、彼女の手にした柄杓には無限に熱油が満たされているらしい。
「ぐっ、あっ、ぐうああぁっ」
 灼熱の痛みに、ミレニアが身をよじって苦しげに呻く。夢だと自覚していても、感じる痛みは現実と変わりがない。もっとも、痛みのあまり失神する事はないから、現実よりもより苦しいという見方もできるが。
 アルテナと入れ替わりになるように、腹を切り裂かれたマティアがミレニアの前に出る。両足を焼かれ、自力で立っていられなくなったのか鎖に吊るされるような格好になってはあはあと息を荒らげるミレニアの腹にぴたりと手を当てる。
「私は、妊娠はしてませんよ。まぁ、関係ないことですけど」
 ずきずきとした足の痛みに額に汗を浮かべながら、ミレニアがそう言う。冷ややかな視線を向け、マティアが無造作にナイフを振るった。ぱっくりとミレニアの腹が裂け、内臓が溢れる。
「あっ、ああああああああぁっ!」
 悲鳴を上げて顔をのけぞらせるミレニア。薄く口元に笑みを浮かべてマティアが腹の傷に手を突っ込み、内臓を引きずり出す。目を大きく見開き、悲鳴を上げるミレニア。頭が真っ白になるほどの激痛に襲われるが、夢の中では決して失神できない。また、死んでもおかしくないだけの傷を負っても、完全な致命傷を受けない限り簡単には死ぬことも出来ない。
「あ、が……ぐ、うっ。まだ、この程度では、足りないんでしょうね……」
 ぽたぽたと額から汗の弾を滴らせながら、喘ぐようにミレニアがそう呟く。当然だといいたげに頷く三人のことを見つめ、ミレニアが微かに頭を振った。
「まぁ、仕方ないですね……」
 全ては過去に自分がしてきたことだ。今見ている夢が、自分の罪悪感が産んだものなのか、それとも死者の怨念によるものなのかはミレニアは知らないし実のところ興味もない。罪を犯せばその報いがある、ただそれだけのことだ、と、彼女はそう割りきっている。現実に自分が与えた苦痛以上の苦痛を味わうこともある--というより、むしろ簡単には死ねない分そういう場合の方が多い--が、どんなに夢で苦痛を受けても実際に死ぬことはないのだから、これが自分が殺してきた相手への贖罪にせよ殺された相手の復讐にせよ、相手が受けた以上の苦痛を受けなければならないのだろうとも思う。
「ぐうっ、あっ、あぐううぅぅっ!」
 アルテナがヤスリで焼け爛れたミレニアの太股を擦り始め、ミレニアが苦痛の声を漏らして身体を波打たせる。大きく切り開かれた腹の傷から引きずり出された彼女の内臓をマティアが引っ張ったり結んだりして弄び、その度に激痛がミレニアの全身を駆け巡る。まだ責めに参加していない最後の一人、顔の上半分を失ったルーザが大型の万力を物色しているのを視界の隅に捉えつつ、ミレニアが苦痛に身悶える。
「ひぐっ!? ギアアアアアアァッ!!」
 両足の太股を満遍なくヤスリで擦り、皮を削ぎ取ったアルテナが血まみれの太股へとマスタードを塗りこむ。濁った絶叫を上げて顔をのけぞらせるミレニアの内臓を、マティアがナイフで切り取って床に投げ捨てた。ごぶっとミレニアの口から鮮血が溢れる。普通であればこれで死ぬところだが、ミレニアはまだまだ自分が死ねない事を知っていた。何といっても、まだ参加していない相手が一人残っているのだ。生贄の娘の一人である彼女に対してはいろいろなことをしたが、最後にやったのは大型の万力で頭を締め上げて砕くというものだったから、おそらく自分もそういった目に遭うまでは死なないのだろう。そして、死ぬまではこの夢が終わることもない。
----……様、ミレニア様ってばっ! ……きて、ほら、起きてくださいってば。
「……?」
 太股の傷にマスタードをたっぷりと塗り込み終え、新たな傷を作るべく煮え立った油をミレニアの腕に浴びせるアルテナ。引きずり出した内臓をあるいは弄び、あるいは切り裂くマティア。二人から与えられる激痛にまともな思考もままならず悲鳴を上げ、身悶えるミレニアの耳に、微かに知らない誰かの声が届く。いぶかしげに眉を寄せたミレニアが、何か言いかけた途端、ふわっと彼女の視界が白く染まった。

「あっ! やっと起きた。ミレニア様、大丈夫ですか!?」
「……あなた、は?」
 目を開いた途端、目の前に心配そうな表情を浮かべた少女の顔を見とめ、ミレニアが怪訝そうに呟く。あっと小さく声を上げて少女がベットの側から一歩下がった。
「あ、あの、私、メイドのプラムです。もう朝なんですけど……」
「そう……」
 夢の中で味わった激痛の余韻がまだ全身に残っているが、いつものように殺されてから目覚めたときと比べればずいぶんとましな状態だ。小さく頭を振るとミレニアはプラムの方に視線を向けた。
「大丈夫、とは、何が?」
「あ、あの、その……私の勘違いだったらごめんなさい。なんだか、ミレニア様、悪い夢でも見てたんじゃないかって、思ったんですけど……」
「そう……」
「え~と、ミレニア様?」
 少し不安そうな表情を浮かべるプラムの方に視線を向け、ミレニアが独り言のように呟く。
「私にとっては、いつも見る夢ですね。普通の人の基準だと、まぁ、悪夢と言うことになるんでしょうけど……うなされてでもいましたか?」
「えと、うなされては、いませんでしたけど……なんだか、こう、雰囲気がいやぁな感じでした」
「そう……。慣れたつもりでしたけど。ところで、プラム、でしたっけ」
「あ、はい、なんですか?」
 独り言のように小さく呟いて首を振ると、ミレニアが視線をプラムの方に向ける。普通は彼女に見つめられると特にやましいことがなくても怯えたり緊張したりするものだが、プラムはきょとんとした顔で恐れる風もなくミレニアの顔を見返していた。僅かに考えこむような間を置くミレニアに、プラムが小首を傾げながら声をかける。
「あの、ミレニア様? どうかしたんですか?」
「……いえ、あなたは、私の事を怖がらないんですね」
「だって、私、何にも悪いことなんてしてませんもん。そりゃ、ミレニア様が残酷な殺人鬼だって言うんなら話は別ですけど、理由もなく拷問したり処刑したりはしないでしょう? ミレニア様は」
 あっけらかんとした笑顔でそう答えるプラムに、ミレニアが僅かに目を細める。
「……まぁ、そうですけど」
「だったら、怖がる必要なんてないじゃないですか。
 あ、そうだ、私、ミレニア様の着替えを手伝いに来たんでした。えっと、そろそろ着替えちゃいません? お話するのは後ででもゆっくり出来ますし、ね?」
「そう、ですね」
 小さく頭を振るとミレニアが立ち上がる。クローゼットの扉を開けたプラムが、ごそごそと中に吊られた何着ものドレスを物色しながらミレニアへと問い掛けた。
「え~と、ミレニア様、どの服にします?」
「別に、どれでもかまいません」
「む~、そう言うのって一番困るんですよねぇ。あ、そだ、いっつもミレニア様って黒い服ですけど、何か理由があるんですか? 黒い服以外は着たくない、とか?」
 くるっと肩越しに振り返ってそう問い掛けてくるプラムに、ミレニアが小さく頭を振る。
「別に、特に理由はありません。あえて言うなら、黒い服は汚れが目立たないので楽、と言うぐらいですね」
「ふ~ん、じゃあ、今日は他の色にしましょうか。確かに黒い服が一番似合うとは思いますけど、たまには他の色着てみるのもいいですよね。ほんとは、フリルとか一杯ついた可愛いのがあると面白いんだけど……流石にないかぁ」
「フリル……可愛い? そういうのを、私に、ですか?」
「まぁ、多分絶対似合わないとは思うんですけど、皆がびっくりしますよ。そう言うのもちょっと楽しいんじゃありません?」
「色はピンクで?」
「そうそう、それは絶対条件ですね。ね、ミレニア様、今度服を仕立てる時、そう言うの作ってみません?」
 くすくすと楽しそうに笑いながらそう言うプラムを、ミレニアが無表情に見返す。
「あまり、いい趣味ではないでしょうね。やめておきましょう」
「むぅ~、楽しそうなのに……。駄目ですか?」
「あなたが着るなら似合うでしょうけど。私には似合いませんし、似合わない服をわざわざ仕立てるのも無駄なことですから。人を驚かせるためだけに、と言うなら尚更です。
 まぁ、あなたが着るために、と言うのなら作らせてもいいですけどね」
「んう~、じゃ、私用に作ってください、ピンクのふりふりドレス。で、同じのをミレニア様用にも作って、おそろいにしましょうよ。それならいいでしょ?」
「……さっきから思ってたんですけど、あなた、ずいぶんと遠慮なしに喋りますね、この私を相手に」
 無表情に、抑揚のない口調でミレニアがそう言う。こくんと小首を傾げ、プラムがミレニアの顔を見返す。
「えっと、馴れ馴れし過ぎましたか?」
「そんな口の利き方をして、私が怒らないと思ったんですか?」
 口調を変えぬまま問い掛けるプラムへと、淡々とミレニアがそう聞き返す。普通の人間なら恐怖に震え上がる場面なのだろうが、プラムは怯えた様子もなくあっさりと頷く。
「ええ、思ってました。というか、実際、怒ってないでしょう?」
「……まぁ、そうですけど」
「ミレニア様は表情が乏しいせいで誤解されちゃうから損ですよねぇ。よーく観察して雰囲気読めば、どう思ってるのか分からなくはないですけど」
「あなたは、分かるんですか? 私が何を考えてるのかが」
「まっさか。魔法使いじゃあるまいし、他の人が何を考えてるかなんて分かりませんよ。ただ、相手がどう感じてるのか、想像することは出来ますよね、誰だってある程度は。私は人よりちょっとそれが得意なだけです」
「……私は、それが苦手なんでしょうね、では」
「あー、うん、そんな感じですねぇ、ミレニア様は。
 って、いっけない、おしゃべりするのは後でって自分でいっといて、私ってば。えと、ミレニア様、今日の服、これでいいですか?」
 苦笑を浮かべながら肩をすくめたプラムが、不意に思い当たったように口元を押さえるとクローゼットに向き直る。ごそごそっと中を漁ったプラムが取り出したのは淡い水色のドレスだ。ちらりとそのドレスに一瞥を向けるとあっさりとミレニアが頷く。
「べつに、かまいません」
「じゃ、これにしましょう。ほんとは、もっと可愛いのがあればいいんですけどねぇ」
「また、その話題ですか……? まぁ、おそろいの服を作るというのは、考えておきましょう」
「あはは、約束ですよ。じゃ、着替えちゃいましょうね」
 無邪気な笑いを浮かべるプラムのことを、ミレニアは無表情にただ見つめていた……。

「プラム、ですか。変わった子でしたね」
 朝食を取り終え、午前中の仕事をするべく執務室に向かう途中でぼそっとミレニアが朝の出来事を思い出して呟く。その呟きを耳にし、彼女の背後に付き従うクリシーヌが怪訝そうな表情を浮かべた。
「は? 御主人様、何か?」
「別に、何でもありません」
 小さく首を振ってそう答え、廊下の角を曲がろうとするミレニア。が、タイミング悪くというべきか、そこへちょうど向こうから歩いてきたメイドの一人と見事に鉢合わせしてしまう。互いに弾かれるような感じで尻餅をつくミレニアとメイド。そして、メイドが手にしていた盆と水差しとが宙を舞い、ばしゃりとミレニアの頭へと水が降り注ぐ。
「……」
 ぽたぽたと水を滴らせる前髪へと軽く左手で触れ、無言でミレニアが尻餅をついているメイドと自分の腹の上に落ちてきた水差しとを見つめた。
「あ……あ……。も、もうしわけありませんっ」
「御主人様!?」
 顔面を蒼白にして土下座するメイドと、血相を変えるクリシーヌ。額を絨毯へと擦りつけ、がたがたと全身を震わせているメイドの姿をミレニアは無表情に眺める。
「お許しを……! どうか、どうかお許しを……!」
「あなた、謝ってすむとでも思ってるの!?」
「お許しくださいっ。どうか、どうか生命ばかりは……!」
 震えながら哀願するメイドをクリシーヌが怒鳴りつけ、ますます怯えたようにメイドが全身の震えを大きくする。ふうっと溜息をつき、自分の腹の上に落ちたせいで割れもせず中身を半分ほど残した水差しを手に取るミレニア。
「ねえ、あなた」
「ひいっ。お、お許しをっ、どうか、お許しを……!」
 自分が呼びかけただけでますます怯え、ただ哀願を繰り返すメイドをミレニアが無表情に見やる。小さく首を横に振って彼女が何か言いかけたとき、緊迫した場にそぐわない明るい声が響いた。
「あれれ? どうしたんですか? ミレニア様」
「ああ、プラム、ですか」
 近くの部屋の扉を開け、花瓶を抱えた姿で顔を出したプラムがきょとんとした表情で問い掛ける。相変わらずの無表情のまま、ミレニアは周囲の状況を目で示した。ぐるりと自分も周囲の状況を見まわし、プラムが苦笑を浮かべる。
「んーと、角を曲がろうとしてぶつかっちゃった、ってところですか? 駄目ですよぉ、ミレニア様、もっと気をつけないと」
「ちょっと、あなた! そんな口の利き方が許されるとでも……」
 馴れ馴れしいプラムの言葉にクリシーヌがきゅっと柳眉を逆立てる。土下座して震えていたメイドも思わず顔を上げ、突然の闖入者を呆然として見やった。
「プ、プラム、あなた……謝りなさいっ、早くっ」
 顔面を蒼白にしてメイドが叫ぶ。プラムがミレニアの不興を買うのは勝手だが、この場面でミレニアが怒気を発すれば自分の命運も尽きる。だが、そんな二人の言葉をまるで無視してプラムはミレニアに問い掛けた。
「で、どうしたらいいのか分からなくって困ってるんですか? ミレニア様のことだから」
「ええ。どうしたら、いいと思います?」
「ん~、まぁ、それはミレニア様のお好きなように、って感じですね。
 私だったら、こうしますけど」
 軽い口調でそう言いながらプラムがミレニアへと歩み寄る。それを制止しようとしたクリシーヌだが、ミレニアが軽く空いた手を上げてそれを押さえる。水の半分ほど残った水差しを持つミレニアの手を握ると、プラムはそれを震えているメイドの頭の上まで引っ張っていった。そして、くるんとひっくり返す。
「これでおあいこ、っていうのはどうでしょう?」
 頭から水を浴び、呆然としているメイドとミレニアの顔を交互に見やり、プラムがにこっと笑う。無表情にメイドの顔を見つめると、ミレニアがぼそっと呟いた。
「行きなさい」
「え? ……え?」
「もう、仕事に戻りなさい」
 淡々とそう告げると濡れた前髪をかきあげながらミレニアが立ち上がる。
「今日は、これで許します。次は別のやり方を考えますが」
「ひっ……は、はいっ」
 無表情に見下ろされ、引きつった声を上げてメイドが半ば逃げるようにその場を去る。手に握ったままの空の水差しと転がった盆とに視線をやり、ミレニアが小さく首を振った。
「これを持っていかなければ、仕事にならないでしょうに」
「って、ミレニア様、やっぱり自覚してませんね? 今、思いっきり誤解されましたよ?」
 額を指で押さえつつプラムが溜息をつく。ほんの僅かに眉を上げ、ミレニアが視線をプラムの方に向ける。
「誤解?」
「今の言い方じゃ、次は酷い目にあわせるぞって脅してるようなもんじゃないですか。そんな言い方されたら、普通は慌てて逃げますよ」
「別に、私は……」
「だから、誤解されたって言ってるんです。もうっ、ミレニア様ってば言葉足りなさすぎですよお」
「ちょっと、あなたっ! さっきからメイドの分際で馴れ馴れしいっ。少しは口を慎みなさいっ」
 苦笑混じりにそう言うプラムへと、柳眉を逆立てたクリシーヌがくってかかる。すっと僅かに目を細め、プラムがクリシーヌのことを軽く睨んだ。
「何で、クリシーヌさんがそんなこというんです? ミレニア様は私がこうやって話しても気にしてないのに。大体、クリシーヌさんだって私とおんなじただのメイドじゃないですか。文句を言われる筋合い、ないですよ」
「あなた……!」
 憤然とした表情でクリシーヌが腰に吊るした剣の柄に手を掛ける。臆した風もなく睨み返すプラムとの間に、火花が散った。
「どうするつもりです? 切りかかってでもくる気ですか!?」
「いいかげんにしなさい。御主人様に対してそんな口の利き方をしているだけで、あなたには罰せられるだけの理由が……」
「やめなさい、二人とも」
 一触即発の空気が高まった二人の間に、ミレニアが割って入る。
「しかし、御主人様……!」
「やめろ、といいましたよ」
 反論しかけたクリシーヌを静かにミレニアが見つめる。別に睨むというほどの厳しい表情というわけではない。だがそれでもクリシーヌを制するには充分だった。
「申し訳、ありません」
「プラム、あなたには、今日から私の身の回りの世話全般を専門でやってもらいます。いいですか?」
「え、あ、はい、それはもちろん」
「では、よろしくお願いします。ああ、それと……別に無理に言葉遣いを改める必要は、ありませんから」
「はいっ!」
 ミレニアの言葉にプラムが嬉しそうに頷く。そんな彼女のことを、クリシーヌが忌々しげに見つめていた……。
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