六月十三日 晴れ


 私は、自分で思っているよりもずいぶんと感情的な人間なのかもしれません。今現在、私は領主という立場にあって、少なくとも領内では絶対的な権力を持っていることになります。そういう立場にある人間が、自分の感情をうまく抑制できないというのは、困ったことだと自分でも思います。いっそのこと、表情にまったくといっていいほど感情が出ないというだけでなく、感情そのものがなくなってしまえばいいのに、と、今日はそう思ってしまいました。
 もちろん、それは、楽しいとか嬉しいとか感じることもなくなる、ということですから、人間としては不幸なことなんでしょうけれど……多くの人を酷い目にあわせ、殺してきた私にはその程度の報いがあったとしても仕方がない、という気がしますし。まぁ、私は神様を信じていないので、こんなことを考えても仕方がないのですけれどね。結局のところ、自分で何とか抑制していくしかないわけですから。
 自分では、ある程度は自制心があるつもりだったんですけど、今日は思わず感情的になって拷問をやってしまいましたから……プラムちゃんが釘を刺してくれなければ、殺していたかもしれません。彼女には本当に感謝していますけれど、私が感情的になったときの押さえ役をすべて彼女に任せてしまうわけにもいきません。もしそんなことをすれば、いつかは彼女を殺してしまう日が来るでしょうから……。

「そういえば、プラム」
「はい? 何ですか、ミレニア様?」
 いつものようにミレニアを起こし、着替えを選んでいたプラムへとミレニアがふと思いついたように声をかけ、怪訝そうな表情を浮かべてプラムが振り返る。ベットに腰掛けたまま、ミレニアは軽く指先を頬に当てた。
「ソフィーヤ、と、いうメイドの子がいるんですけど……知ってますか?」
「ソフィーヤ? うーん、友達、ではないですけど、一応知ってますよ。彼女が、どうかしました?」
「ええ。どうも、彼女、誰かに苛められているみたいなんですけど……プラムは、心当たり、ありますか?」
「虐め、ですか。うーん、私の場合、その手の情報って手に入れにくいんですよねぇ。友達いませんから、私の場合」
 苦笑混じりにそう言うプラムのことを、ミレニアが僅かに眉をしかめて見やる。
「友達が、いない?」
 明るい性格で、人見知りをしないプラムならいくらでも友達がいるだろう、と、そう思っていたミレニアの不審そうな問いかけに、プラムがあっさりと肩をすくめる。
「怖がられてますもん、私。ミレニア様のすぐ傍にお仕えしてるでしょう? 私の機嫌を損ねたら、あることないことミレニア様に告げ口されて酷い目にあわされるんじゃないかって、怯えちゃって引いちゃうんですよねぇ。まぁ、私のほうとしても、そんなこと考えるような人たちとは親しくお付き合いしたくありませんしね。気にはしてないんですけど。
 うーん、でも、私に聞くより、本人に聞いたほうが早いんじゃないですか? 誰に苛められているのかって」
「……聞いては、みたんですけど。私には、関係のないことだと言われてしまって」
「関係ないってことは、ないでしょう? 虐めなんて恥ずかしいことですもん。それを放置しておくのは、やっぱりまずいですよ。じゃ、ミレニア様、朝食をとり終えたら、一緒に話、聞きに行きましょうよ。ね?」
「そう、ですね……。そう、しましょうか」
 やや気が進まない様子で、ミレニアが頷く。再び服選びに戻ったプラムが、独り言のように呟いた。
「虐め、かぁ……やだなぁ、そういうの」

「彼女は、今日は非番ですから。多分、森のほうです」
「森、ですか?」
 そして、朝食後。プラムの言葉にミレニアが軽く首をかしげる。屋敷の周囲を取り囲む森はそれほど深くなく、また当然のことながら危険な獣などもいない。だから入り込んでも特に危険はないが、かといってわざわざ見に行くような珍しい物があるわけでもない。特にこの季節ならなおさらだ。
「んーと、別に悪口じゃないですけど、彼女って暗いんですよね。友達もいないみたいで、そう言う意味じゃ、苛められてるって聞かされてもびっくりしないっていうか、むしろ納得しちゃうっていうか、そんなタイプの子なんです。
 だから、休みの日は人と一緒にいるよりも一人で森に行っているほうが気が楽らしくって。まぁ、そのせいでますます友達いなくなってるって部分はあるんですけど」
「そう……」
「まぁ、あてはないですけど、彼女だってそんなに奥まではいかないと思いますし。今日はいい天気だし、散歩にもなりますしね。適当に、歩いてみましょ?」
 どことなく楽しそうにしているプラムの言葉に、ミレニアもつられたように微かな笑いを浮かべた。

    愛してる 愛してる ただひたすらに繰り返し
    あなたは微笑む 鳥籠を胸に抱いて
    空を舞う小鳥 可愛い小鳥 ただ自由に歌を歌う小鳥
    あなたは小鳥を捕まえて 鳥籠に入れてそっと微笑む
    これが私の愛だと

 木漏れ日の中、澄んだ歌声が響く。太い木の根元に腰を下ろし、背中を木の幹に預けて歌を歌うメイド姿の少女。周囲に集まってきた小鳥たちへと穏やかな微笑を向け、物悲しい響きの歌を歌っている。
 と、不意に小鳥たちが一斉に飛び立ち、少女が歌を止めた。彼女の視線の先には、二つの人影。今まで浮かべていた穏やかな笑みを消し、硬い表情になって少女が立ち上がる。
「領主様?」
「綺麗な歌、でしたね。邪魔を、してしまいましたか?」
「いえ……。何か……御用、でしょうか?」
「あなたに、聞きたいことがあります。昨日も、聞いたことですけど」
 ミレニアの言葉に、少女--ソフィーヤが視線を足元に落とす。
「……領主様には……関係のない、ことだと……申し上げました」
「関係ないってことはないでしょ? メイドのごたごたは、領主であるミレニア様の問題でもあるんだから。
 ねぇ、ソフィーヤ。何で、話してくれないの?」
 ソフィーヤの言葉にちょっとむっとしたような表情になってプラムが問いかける。視線を足元に落としたまま、ぼそぼそとソフィーヤが応じた。
「……話せば……人が、死にます」
「人が死ぬって、そんな、大袈裟な。何もミレニア様は」
「イグレーヌさん、は……殺され、ました」
 ソフィーヤの言葉に目を丸くしたプラムが抗弁しかけるが、その言葉を遮るようにソフィーヤが顔を上げ、強い口調でそう言う。思わず絶句したプラムから視線をミレニアのほうへと向け、訥々とした口調でソフィーヤが言葉を続ける。
「……私は……死んだほうがましだと……そう思うほど辛い目には……あってません」
「そう、ですか」
「何故……イグレーヌさんが……殺されなければ……いけなかったんですか?」
 弾劾する、というには弱い口調ながら、ソフィーヤがミレニアにそう問いかける。口を開きかけたプラムを手で制し、ゆっくりとした口調でミレニアが答えた。
「彼女が、私の機嫌を損ねたから、というのでは、理由になりませんか?」
「……いいえ」
 再び視線を足元に落とし、ソフィーヤが首を左右に振る。淡々とした口調で、ミレニアがそんなソフィーヤへと問いを発した。
「ソフィーヤ。誰が、あなたを苛めているのか、答えてもらえませんか?」
「私のせいで……誰かが酷い目にあったり……殺されたりするのは……嫌、です」
「話したくないというのなら……無理やり、話したくなるように、することも出来るんですよ?」
「ちょっ……ミレニア様っ!?」
 淡々としたミレニアの言葉に、プラムが驚愕の声を上げる。びくっと、身体を震わせたソフィーヤが、ゆっくりと顔を上げた。
「どうぞ……領主様の……お望みのままに」
「……そう、ですか」
「ちょっとちょっとちょっと! ミレニア様、落ち着いてくださいよっ!」
 僅かに声を震わせながらも、質問には答えようとはしないソフィーヤ。すっと視線を伏せ、小さく呟いたミレニアが彼女のほうへと向けて一歩を踏み出す。ぎゅっと唇を噛み締めたソフィーヤとミレニアの間に、動揺の声を上げながらプラムが割り込んだ。ミレニアに抱きつくような感じで強引に歩みを止める。
「落ち着いてっ、ともかく落ち着いてくださいってばっ」
「……プラム。落ち着くのは、あなたのほうですよ」
「え? あ、あれ?」
 ぽんっと頭に手を置かれ、プラムがきょとんとした表情になってミレニアの顔を見上げる。
「え? 怒って、ない……ですね、ミレニア様? あれ?」
「少し、脅かしただけ、です。無理に話を聞こうとは、最初から考えていません」
「あ、あはは……もうっ、びっくりさせないでくださいよ、ミレニア様」
「……ソフィーヤ」
 自分の勘違いを恥じているのか、照れたような笑いを浮かべるプラムの頭にそっと手を置き、ミレニアが視線をソフィーヤのほうへと向ける。名を呼ばれたソフィーヤが、視線を伏せた。
「……はい」
「あなたが話したくないというのなら、無理には聞きません」
「……はい。申し訳……ありません」
「別に、謝る必要はありませんが……ああ、そうだ、ソフィーヤ」
「何、か……?」
 軽く小首をかしげるようにしながらのミレニアの言葉に、ソフィーヤが警戒気味の答えを返す。彼女のそんな反応に気がついて無視したのか、それとも最初から気づかなかったのかは今ひとつ判然としないが、ミレニアは無表情に言葉を続ける。
「歌の続きを、聞かせてもらえますか?」
「歌……ですか?」
「綺麗な、歌でしたから」
 僅かに目を見張るソフィーヤへと、ごく当たり前のことのようにミレニアがそう言う。すっと視線を足元に落とし、ソフィーヤが小さく頷いた。
「他人の前で……歌うのは……苦手ですが……。領主様の……お望みでしたら……ここで、よろしければ」
「かまいません」
「分かり、ました……」
 溜め息混じりに呟くと、ソフィーヤが目を閉じて軽く息を吸う。そして、澄んだ、滑らかな歌声が彼女の口からあふれ始めた。

    愛してる 愛してる ただそれだけを繰り返す
    小鳥を閉じ込めた鳥籠を その胸に抱いて
    優しく微笑みあなたは告げる これが私の愛だと
    どうして気づかないの?
    小鳥はもう とっくに骨になってる

    愛してる 愛してる あなたはそう繰り返す
    鳥籠を胸に抱き そっと微笑みながら
    炎が揺れる 館を包んで炎が踊る
    自由を望んだ小鳥 鳥籠に閉じ込めて
    燃える館の中で あなたは微笑む


「な、なんか、怖い歌詞ですね、この歌……。曲も声も、綺麗ですけど」
 ソフィーヤの歌を邪魔しないようにこそこそっと囁きかけるプラムへと、ミレニアはやや複雑な表情を浮かべた。プラムの言葉を肯定も否定もせずに。

「想像していたほど、怖い人じゃ、ないのかな?」
 屋敷に一人で戻ってきたソフィーヤが、小さくそう呟く。他人と話す時よりは多少は早い喋り方だが、それでも普通の基準からすればかなりゆっくりとした喋り方であるのは否めない。それほど長い時間ではなかったとはいえ、ミレニアに見つめられ続けられたのだから無理もないかもしれないが、ちょっと疲れたような表情を浮かべている。
 ふう、と、小さく溜め息をついて自室へと戻るため廊下を歩くソフィーヤ。と、その前に、まるで待ち構えていたような様子で二人のメイドが立ち塞がった。二人とも金髪を長く伸ばしたなかなかの美少女である。足を止め、ソフィーヤが首をかしげる。
「セシリアさん……と、リリーナ、さん? あの……何か?」
「何か、じゃ、ないわよ。用もないのに、あなたなんかのことを待ってるはずないでしょう?」
 二人のうち、年下に見えるほうのメイドが小馬鹿にしたような口調でそう言う。僅かに視線を伏せたソフィーヤへと、もう一人のメイドが薄く笑みを浮かべながら告げた。
「ここじゃ、人目につくわ。いらっしゃい」
「……はい」
 声を掠れさせて頷くソフィーヤの腕を、年下のほうのメイドが掴む。半分引きずるような格好で、二人はソフィーヤを厨房へと連れ込んだ。更に、厨房の地下にある野菜などの保管庫へと彼女を連れていく。
「ふふっ、ここなら、邪魔は入らないわね」
「あの……リリーナ、さん……」
 自分の腕を掴んで小さく笑う相手へと、ソフィーヤが掠れた声で呼びかける。その声に言葉では答えず、リリーナは行動で応じてみせた。
 どすっと、跳ね上げられたリリーナの膝がソフィーヤの腹へと食い込む。苦しげな呻きを漏らしてその場へと屈み込むソフィーヤの髪をもう一人のメイドが掴んだ。
「ねぇ、ソフィーヤ。どうしてこんな目にあうんだと思う?」
「私を……見ていると……苛つくから……でしょう?」
「ええ、その通り。ちゃんと分かってるんじゃない」
 うっすらと目に涙を浮かべているソフィーヤへと、セシリアが笑いかける。どすっと彼女がソフィーヤの胸元を蹴り上げ、くぐもった呻きをソフィーヤが漏らした。
「やめて……ください……」
「あら、こんな楽しいこと、やめられるはずないじゃない?」
「あぐっ」
 リリーナがソフィーヤの尻を笑いながら蹴る。苦痛の声を漏らしたソフィーヤが、震える声で訴えかけた。
「領主様に……ばれます」
「っ!?」
 ソフィーヤの言葉に、まともに二人が顔色を変える。僅かな沈黙をはさみ、声を震わせてセシリアが問いかけた。
「あ、あなた、まさか言いつけたの!?」
「いいえ……。けれど、身体の痣を……見られました」
「ど、どうしよう、セシリアさん」
 動揺の声を上げるリリーナへと、無理をしたような笑いをセシリアが浮かべる。
「それで? 痣を見た領主様は、なんて?」
「その痣は、どうしたのか、と……聞かれました。私は……話したくないと……答えました」
「それで?」
「領主様は……それならば、聞かない、と……」
 ソフィーヤの言葉に、セシリアがふうっと安堵の溜息をつく。
「脅かさないでよ。なら、問題はどこにもないじゃない。あなたが口を噤んでいさえすれば、どうってことないんだから」
 そう言いつつ、セシリアが起き上がりかけたソフィーヤを再び蹴り倒す。小さな悲鳴を上げて床に倒れこむソフィーヤ。えっとリリーナが口元を覆った。
「セ、セシリアさん、まずいわよ、領主様にばれたら……私たちは」
「大丈夫よ。ねぇ、ソフィーヤ。あなた、私たちに苛められましたって、領主様に言いつける気なんか、ないんでしょう?」
「はい……」
 床に倒れこんだまま答えるソフィーヤの胸を、セシリアが踏みつける。苦しげに表情を歪めるソフィーヤの身体を踏みにじりながら、セシリアが視線をリリーナのほうへと向けた。
「気の弱いこの子に、私たちを告発する度胸なんてないわ。ねぇ?」
「あぐっ……。私は……告発など……する気はありません。それに……」
 わき腹の辺りを蹴られ、苦しげな呻きを漏らしたソフィーヤが訥々とした口調で言葉を続ける。眉をしかめ、自分を見下ろすセシリアの顔を見上げながら。
「領主様には……私は、自分を苛めた人たちが……罰を受けることなど……望んでいないと……そう伝えました」
「へぇ?」
 ソフィーヤの言葉に、セシリアが唇の端を奇妙に歪める。小さく頭を振ると、ソフィーヤは更に言葉を続けた。
「だから……ばれても……何もおきないかも……知れません。領主様が……私の意見を……尊重、してくれれば……ですけど」
「だから、なに? 庇ってあげたんだから、感謝しろとでも?」
 不機嫌そうにそう言うと、セシリアがかがみこんでソフィーヤの髪を掴む。髪を掴んで強引に引きずり起こされる痛みに、顔をしかめながらソフィーヤが小さく首を振った。
「いいえ……別に……きゃあっ」
 ぱぁんと乾いた音が響き、小さくソフィーヤが悲鳴を上げる。セシリアがソフィーヤに平手打ちを見舞うのを目にして、リリーナがひっと小さく息を呑んだ。
「セ、セシリアさんっ、顔は……!」
「平気よ。お優しいソフィーヤちゃんは、私たちを庇ってくれるそうだから」
 ソフィーヤの言葉に哀れまれたと感じたのか、セシリアが怒りを内包した危険な笑みを浮かべてそう言う。自分が優位に立っていると信じている人間にとって、下位の人間に哀れまれることほど怒りを誘うことは滅多にない。今までは、目立つ顔への攻撃は避け、腹や腕、足などを狙っていたのだが、怒りのために理性が飛んだのか、セシリアは再びソフィーヤに平手打ちを放った。
「きゃあっ。……庇いは、しますけど……庇いきれるかは……分かりませんよ」
「っ! このっ」
 悲鳴を上げながら、それでも淡々とした口調で言うソフィーヤに、セシリアが顔を真っ赤にする。ソフィーヤを突き放して立ち上がると、爪先を鳩尾にねじ込むような蹴りを放つ。ぐふっとくぐもった呻きを漏らして身体を折るソフィーヤの身体を更に数度蹴りつけるセシリアの姿に、こちらは対照的に顔を青くしたリリーナが部屋から逃げるように出て行った。しかし、それに気づかなかったのか、セシリアはなおもソフィーヤの身体を蹴り続ける。
「このっ、このぉっ」
「うぐっ、ぐっ、あぐぅっ。あがっ」
 偶然か故意かは判断しにくいが、セシリアの蹴りがソフィーヤの顔を直撃する。鼻血を出して仰向けに転がったソフィーヤの顔を、セシリアが笑みを浮かべながら踏みつけ、踏みにじった。

「あら、あなた、どうしたの? そんなに顔を真っ青にして」
 プラムがミレニアをどこかに連れ出してしまったせいで特にすることもなくなり、所在なげに廊下を歩いていたクリシーヌが、厨房のほうから小走りにやってくるメイドを目にしてそう声をかける。怯えた表情を浮かべて立ち止まったメイドの姿に、クリシーヌの口元に嗜虐的な笑みが浮かんだ。
「なにがあったの? 人には言えないようなことを、しでかしてしまったのかしら?」
「え……いえ、そんな……」
 メイド--リリーナが動揺の表情でクリシーヌの言葉を否定しかける。だが、薄く笑みを浮かべ、クリシーヌがすっと一歩を踏み出すと、リリーナはひっと小さく悲鳴を上げて身をすくませた。
「何を、やったの?」
「あっ、あのっ……! わ、私は、悪くないんですっ。ただ、セシリアさんに無理矢理……」
 怯えた表情でそう言うリリーナ。すっと目を細め、クリシーヌが低く笑う。
「だから、何をやったのか、話してごらんなさいな」
「そ、その……気に入らない奴がいるから、苛めるのを手伝えって。わ、私は、本当はそんなことしたくなかったんだけど、セシリアさんが強引に……」
 恐怖に駆られたのか、どもりながらクリシーヌへとそう告げるリリーナ。へぇ、と、小さく呟くとクリシーヌが口元に楽しそうな笑いを浮かべる。
「虐め、ねぇ。それは、御主人様に報告しないと」
「ひっ!? やっ、やめてくださいっ。わ、私は、悪くないんです。嫌だったのに、セシリアさんに無理矢理つき合わされただけなんですっ。お願いですっ、許してくださいっ」
「それは、私じゃなくて御主人様に言うことね。あなたの処分は、御主人様が決めることだから」
 処分、というクリシーヌの言葉に、リリーナががたがたと全身を震わせる。最初から血の気に乏しかった顔はいまや完全に血の気が失せて白っぽくなっている。くすっと小さく笑うと、クリシーヌが肩をすくめた。
「さて、それじゃ、案内してもらいましょうか? どこで、苛めてるの?」
「あ、案内します。案内しますから、お願い、助けて……死にたくないの」
「それを決めるのは、私じゃないわ。もっとも、ここで案内したくない、とか言ったら、罪が重くなるのは確実でしょうけどね」
「あ、あぁ……」
 絶望の呻きを漏らすと、リリーナはふらふらとした足取りで来た道を引き返していく。口元に楽しげな笑みを浮かべたまま、クリシーヌはその後について行った。

「あら? 気絶したふり? それで許してもらおうとか考えてるんじゃないでしょうね」
 自分の足元に転がり、ぐったりと四肢を投げ出しているソフィーヤを見やり、常軌を逸した笑みをセシリアが浮かべる。うつぶせになったソフィーヤの脇を遠慮なしに蹴り、仰向けにひっくり返すとセシリアはどんっとソフィーヤの腹を踏みつけた。ぐうっと苦しげな呻きがソフィーヤの口からあふれるが、それは単に押し出された空気が呻きとなって漏れただけ、といった感じで、ソフィーヤはぐったりと目を閉じたまま動かない。
「そんな演技をしたところで……許してなんかあげないわよ」
 瞳に狂気を宿してそう呟くと再びセシリアが足を上げる。がちゃり、と、扉が開く音がそのとき響いたが、セシリアは気にした様子もなくぐったりとしたソフィーヤを踏みつけ、踏みにじる。
「……楽しそうなこと、してるじゃない? 私も、混ぜてもらえるかしら?」
 揶揄もあらわな声を背後からかけられ、セシリアが怪訝そうな表情を浮かべて振り返る。皮肉げな笑みを口元に浮かべ、腕組みをしているクリシーヌの姿を認め、セシリアの表情が強張った。
「ク、クリシーヌ……!?」
「ええ。さて、セシリア? 自分のしたことが許されることかどうかぐらい、分かるわよね?」
 口元には笑みを浮かべたまま、しかし目は少しも笑っていない。そんなクリシーヌの表情をじっと見つめ、唇を噛み締めるセシリア。彼女が無言のまま俯くのを笑みを浮かべながら見やり、クリシーヌが肩をすくめる。
「分かっているようね。なら、余計な手間は……」
 かけさせないで、と、そう言い掛けたクリシーヌがはっと目を見張る。弾かれたように自分のほうへと向かってくるセシリアへと、クリシーヌが鋭い声を浴びせた。
「無駄よっ」
「あぐっ」
 体当たりするような格好で突っ込んできたセシリアから身をかわすようにしつつ、クリシーヌが拳を放つ。上体が泳ぐような形になったセシリアの鳩尾にきれいに拳がめり込み、ぐうっというくぐもった呻きを一つ漏らしてセシリアはその場に崩れ落ちた。口元に嘲笑を浮かべ、クリシーヌが肩をすくめる。
「逃げられるとでも思ったの? 万が一、この場を逃れたところで、あなたには逃げ場なんてどこにもないのに」
「う、ぐ、あ……」
 気絶まではいかなかったのか、苦しげな呻きを漏らしながら身体を起こしかけるセシリア。口元に嘲笑を浮かべながらクリシーヌが蹴りを放つ。再びくぐもった呻きを漏らし、床の上で身体を丸めるセシリアへと更に数度、クリシーヌは蹴りを放った。
「逃げようとした分、罪は重くなるわね。もっとも、いまさら大差ないかもしれないけど」
「う、ううぅ……」
「リリーナ。あなた、その辺にロープがあるでしょ? 取ってきて」
 呻くセシリアの身体を更に容赦なく蹴りつけながら、クリシーヌが視線も向けずにそう命じる。助かりたい一心からか、従順に従うリリーナ。彼女からロープを受け取ると、意識を失ってぐったりとなったセシリアの身体を手馴れた手つきで縛り上げる。その作業を終えると、クリシーヌが床の上に転がるもう一人の人間、ソフィーヤのほうに視線を向けて肩をすくめた。
「あらあら、こっちも完全に気絶してるわね。ま、こっちは適当に医者でも呼んどけばいいでしょ。
 ほら、何をぼさっと突っ立てるの。この女を運ぶんだから、手伝いなさい」
「は、はい」
 リリーナに手伝わせ、気絶したセシリアを運び出しながらクリシーヌは口元に楽しそうな笑みを浮かべた。

 セシリアの事をとりあえず地下へと運ぶと、クリシーヌは怯えた表情を浮かべたままのリリーナを伴ってミレニアの執務室を訪れた。幸いというべきか、既にミレニアは部屋に戻ってきており、クリシーヌは即座に屋敷の中で虐めが行われていること、更にはその犯人を既に捕らえてあることを報告することが出来た。
「……そう」
 クリシーヌの自慢げな報告を無表情に聞き終えたミレニアが、小さくそう呟いて視線をクリシーヌの背後、怯えた表情を浮かべるリリーナのほうへと向ける。それだけで既に死刑宣告を受けたかのようにがたがたと全身を震わせ、今にもその場に倒れそうになるリリーナ。
「彼女が、そう、何ですか?」
「ひぃっ!」
 ミレニアの言葉に掠れた悲鳴を上げ、リリーナがその場にへたり込む。失禁したのか周囲に微かに異臭が立ち込めた。僅かに眉をしかめてその姿を見やり、クリシーヌが軽く肩をすくめる。
「本人は、自分は強制されてつき合わされただけだ、と、そう主張しています。もう一人があまりにもやりすぎるので怖くなって私に話す気になったのだ、と」
「……そう、ですか。正直、そう言うのは不愉快ですけど……プラム、あなたの意見は?」
 ミレニアの淡々とした言葉に、リリーナが再び掠れた悲鳴を上げる。眉をしかめ、プラムが震えるリリーナとミレニア、さらにクリシーヌへと順番に視線を向け、溜息をついた。
「まぁ、私も、自分さえ助かればいいっていうのは、あんまり好きじゃないですけど。罪を告白する気になったって言えば聞こえはいいですけど、今更っていう気もしますしね。
 ただ、ここで彼女に罰を与えると、ソフィーヤは悲しむと思いますよ。もっとも、それは主犯、って言うのかな? ともかく今捕まえてあるセシリアさんでしたっけ、彼女に関しても条件は同じですけど」
「……そう、ですね」
 軽く肩をすくめながらのプラムの言葉に、ミレニアが視線を伏せて小さく頷く。リリーナが僅かに期待するような表情を浮かべ、クリシーヌが怪訝そうに眉をしかめた。
「ソフィーヤ?」
「苛められてた子のことです。彼女、自分を苛めた人たちが罰を受けるのが嫌なんですって。さっき、ミレニア様と一緒に会いに行ったとき、言ってましたよ、自分が原因で誰かが酷い目にあわされるのは嫌だって」
「彼女の意見は、尊重するべきだと思いますが……」
 クリシーヌの怪訝そうな呟きに軽く肩をすくめながらプラムが応じ、淡々とした口調でミレニアがその後を引き継ぐように呟く。ぎゅっと、クリシーヌが眉を寄せた。
「御主人様、事は彼女一人の問題ではありません。今後似たような事態が再発するのを防ぐためにも、また、今他にも行われているかもしれない虐めを止めさせるためにも、見せしめは必要だと考えますが?」
「それは……」
「確かに、クリシーヌさんの言うとおり、何ですけどね。けど、それをやるとソフィーヤは悲しむんですよ?」
 ためらうような曖昧な呟きを漏らすミレニアの言葉の続きをさえぎるように、プラムがやや強い口調でそう言う。ぎゅっと不快げに眉をしかめ、クリシーヌがプラムのことを睨んだ。
「だから、何? メイドが悲しむからといって、御主人様が自分のやりたいことを我慢しなければならないってことはないでしょう? 当事者とはいえたかが一介のメイドの意向なんて、気にかける必要はないわ」
「ええ、そうですね。もちろん、たかが一介のメイドを喜ばせるために、やりたくもないことをミレニア様がする必要もないわけですけど」
 にっこりと笑いながら、プラムが平然とした口調でクリシーヌの言葉にそう返す。ぎりっと奥歯を噛み締め、堅く拳を握ってプラムのことを睨みつけるクリシーヌ。その視線をプラムのほうも正面から受け止め、睨み返す。二人の間で火花が散るかと思うほど険悪な雰囲気に、気づいているのかいないのか、表情をまったく変えることなくミレニアが小さく首を振った。
「プラムは……私が彼女たちに罰を与えるのは、反対ですか?」
「反対です、と、言っちゃえればいいんですけど。クリシーヌさんが言った、今後のことを考えて見せしめにするべきだって言う意見は正論だと思いますし、私個人の意見としても虐めなんて恥ずかしいことをする人たちには相応の罰があってしかるべきだ、って思いますもん。ソフィーヤの件がなければ、むしろ賛成したいところなんですよねぇ」
 溜息をつきながら首を振り、プラムがリリーナのほうに視線を向ける。いったんは助かるかも、と思ったところで、再び話の流れが罰を与えるというほうに傾き、がたがたと震えながらリリーナは哀れっぽい声で哀願する。
「お、お願いです、許してください。お願いです……どうか、お許しを」
「ソフィーヤが止めてっていったとき、あなたはどうしたの?」
「あう、あ、あぁ……」
 冷ややかなプラムの言葉に、声をなくしてリリーナがぽろぽろと涙を流す。ふうっと溜息をついて、プラムは小さく首を振るとミレニアのほうに視線を戻した。
「だから、ミレニア様が罰を与えるべきだ、って、そう考えてるならあえて反対はしません。もっとも、殺すのは絶対駄目ですけど」
「殺そうとは、思ってませんが……リリーナ」
 小さく首を振りながらのミレニアの呼びかけに、死刑宣告を受けたかのように全身を震わせてリリーナが引きつった返事を返す。
「はっ、はいっ」
「二度としないと、誓えますか?」
「ちっ、誓いますっ。二度とこのようなことはいたしませんっ。で、ですから……」
「ならば、いいです。あなたは部屋に戻りなさい」
「はっ、はいっ!」
 ぱっと満面に喜色を浮かべ、勢いよく頷いてリリーナが立ち上がる。慌しく一礼すると、逃げるように去っていく彼女のことを残念そうな表情で見やり、クリシーヌが溜息をついた。
「よろしいのですか? 許してしまって」
「あれだけ怯えていたんです。もう、二度と同じ行為は繰り返さないでしょう」
「それは……そうかもしれませんが……。やはり、けじめは必要ではないかと」
「ミレニア様が決めたことに、不満でもあるんですか? ミレニア様の意思は絶対、なんでしょう?」
 不服そうなクリシーヌへと、皮肉っぽい口調でプラムがそう問いかける。きっときつい視線を彼女のほうに向けると、クリシーヌは忌々しげな口調で吐き捨てるように応じた。
「誰も、そんなことは言ってないでしょう!?」
「なら、いいですけど。それで、ミレニア様、セシリアのほうはどうします? 彼女も、二度としないと誓わせて今回の件は不問にします? わざわざ見せしめなんてしなくても、ミレニア様がみんなに虐めなんてするなって言えば、それで充分効果はあると思いますけど?」
 あっさりとクリシーヌの敵意の篭った視線をかわすとプラムがミレニアにそう問いかける。軽く口元に手を当て、僅かに考え込むような間を置くとミレニアは視線をクリシーヌのほうへと向けた。
「彼女は、地下でしたね」
「はい、御主人様。私は、彼女ほど楽観的にはなれません。ただ布告を出すだけで犯罪がなくなるというのであれば、今頃世の中に罪人など一人もいないでしょう。やはり、罪を犯した者には相応の報いがあるのだということを、知らしめておく必要があるかと思いますが」
「見せしめに誰かを罰しておけば、それで犯罪を犯す者がいなくなるって考えのほうが、よっぽど甘いと思いますけどねぇ」
 クリシーヌの言葉に、聞こえよがしの独り言といった感じでプラムがそう呟く。再び険悪な視線をプラムのほうに向けるクリシーヌ。その視線をあからさまに無視して、プラムがミレニアに向けて言葉を続ける。
「今回は、被害者のソフィーヤが罰を与えないで欲しいって願ってるんだから、彼女の意見を尊重してあげてもいいと思いますけど。ミレニア様が虐めを止めるよう言って、もしそれでも効果がなければ改めて虐めをやってる人に罰を与えて見せしめにすればいい、っていう考え方もありますよ?」
「……そう、ですね」
 プラムの言葉にミレニアがやや迷う様子を見せながらではあったが頷き、クリシーヌがぎりっと奥歯を噛み締める。小さく頭を振って立ち上がったミレニアが、クリシーヌのほうへと視線を向けた。
「今回は、虐められていたソフィーヤの意志を尊重したいと思います。クリシーヌ、あなたは反対ですか?」
「……いえ。御主人様の決定に、異議を挟むつもりはございません。失礼します」
 不満そうな表情を浮かべつつも、クリシーヌが軽く頭を下げて退室する。ふうっと小さく溜息をつくと、ミレニアはゆっくりと頭を振った。
「怒らせてしまいましたね」
「気にしなくていいですよ、ミレニア様。別に、彼女を喜ばせるためにミレニア様が気の進まないことをする必要なんてどこにもないんですから」
 ミレニアの呟きに、そっけない口調でプラムがそう応じる。ほんの僅かに眉を寄せ、ミレニアがプラムのほうへと視線を向けた。
「プラムは……クリシーヌのことが嫌いなんですか?」
「もちろん嫌いですよぉ。何を今更。まぁ、向こうも私のこと嫌ってるからお互い様、ですけどね」
「そう……」
 あっけらかんとした口調で答えられ、ミレニアが視線を伏せる。苦笑を浮かべながら、プラムは軽く肩をすくめるとミレニアの腕を取った。
「ミレニア様が気にするようなことじゃないですよ、別に。それより、早くセシリアさんのところに行きましょ。今頃、きっとすごく怯えていますから」
「え、ええ……」
 プラムの強引とも言える行動に、クリシーヌとの関係を問い質すきっかけを失ったミレニアがやや戸惑ったような答えを返す。もっとも、それでも表情になんら変化が現れないのが、ミレニアらしいといえばらしいのだが。

 薄暗い、地下室。後ろ手に縄で拘束されたセシリアが扉の開く音にはっと顔を上げた。闇に溶け込むような黒衣をまとい、戸口にミレニアが無表情に立っている。
「セシリア。あなたは、ソフィーヤに対して虐めを行ってきましたね?」
 静かな、感情を感じさせないミレニアの問いかけ。それはまるで死刑宣告のように不吉に響き、弾かれたようにセシリアは立ち上がった。後ろ手に束縛された不自由な身体をよじり、必死に声を張り上げる。
「ご、誤解ですっ、領主様っ」
「……誤解?」
 ほんの微かに、ミレニアが眉を跳ね上げる。もっとも、乏しい光の下ではその動きに気付くのはまず無理だろう。明るい場所で、よほど注意深いものがじっと監察していなければ分からないほど微かな動きだ。声にも、なんら感情の動きは現れていない。ただ、あちゃっという表情を浮かべてプラムが額を押さえたのだが、彼女の姿はミレニアと壁との陰になっていてセシリアの視界には入っていない。まぁ、彼女の意識はすべてミレニアのほうに向いていたから、視界の中に入っていても気付かなかったかもしれないが。
「ソフィーヤを虐めていたわけではない、と?」
「はい、はいっ。その通りでございますっ、領主様」
「あなたが、彼女に対して暴行を加えていた、という報告がありますが?」
 あくまでも淡々とした、感情を感じさせない口調でミレニアが問いかける。一瞬言葉に詰まり、セシリアは慌てて身をよじりながら言葉を並べ立てた。
「そっ、それは……。それはっ、彼女が悪いのですっ。彼女が自分の仕事をせず、他の者に迷惑をかけて一向に悪びれないため、つい手が……そうっ、つい手が出てしまったのです。何度も口で注意したのですが態度が改まらず……無論、越権である事は承知しております。その点に関しては、申し訳なく思っておりますが、全ては彼女が原因で起こったことでございます。決して、彼女を私が虐めていたなどという事はございませんっ。そもそも……」
「……プラム?」
 必死になってなおも自分は悪くない、悪いのはソフィーヤのほうだと主張を続けるセシリアから視線を外し、静かな口調でミレニアがプラムの名を呼ぶ。ふうぅっと大きく溜息をつき、プラムが首を振った。
「殺すのだけは、なしです。その点だけは、私も譲りませんから」
「ええ。分かっています」
「なら、いいです。私も正直、かなりこの人の態度には頭にきてますし。
 それで、ミレニア様。誰が、やります?」
 ぎゅっと眉を寄せて問いかけるプラムの顔をしばし見つめ、ミレニアが軽く首をかしげる。
「クリシーヌを、呼ぶつもりですけれど……何か?」
「ううん、なら、いいんです。ミレニア様が自分でやるって言ったら、止めるつもりだったんですけど」
 軽く肩をすくめて笑顔を浮かべると、プラムがぴょこんと頭を下げた。
「それじゃ、クリシーヌさんのこと、呼んできますね。私はそのままソフィーヤの様子を見に行っちゃってもいいですか? 目を覚ましたとき、事情を説明する人がいないと困りますし」
「そう、ですね。お願いします」
「りょ、領主様っ!?」
 甲高い悲鳴を上げるセシリアのほうへと、ミレニアが冷ややかな一瞥を向ける。ひっと息を呑んで凍りついたように動きを止めた彼女へと、ミレニアが淡々とした口調で告げた。
「死にたくなければ、黙っていなさい」
「ひぃっ……!」
「ミレニア様? 約束ですよ? 殺さないって」
 がちがちと歯を鳴らすセシリアのほうへと一瞬嫌悪の視線を向けるとプラムがミレニアへとそう呼びかける。ええ、と、短く答えて頷くミレニアへと、プラムが更に言葉を投げかけた。
「手を出しちゃ、駄目ですよ? すぐにクリシーヌさん、呼んできますから、それまで待っててくださいね?」
「……ずいぶんと、信用がないんですね」
「昨日の今日ですもん、信用なんて出来ませんよぉ。じゃ、行ってきますね」
 ミレニアの言葉に、屈託のない笑顔を浮かべてそう応じるとプラムが身を翻し部屋から出て行く。その後姿を見送ったミレニアが、セシリアのほうに視線を向け、片頬にほんの微かに笑みを浮かべた。その笑みを目にしたセシリアが、大きく目を見開いてがたがたと身体を震わせる。恐怖のためか失禁した彼女の姿を、薄く笑みを浮かべたままミレニアはただ無言で見つめていた……。

「う、ん……」
 微かな呻き声を漏らして、ゆっくりとベットに横たわってた少女が瞼を開ける。椅子に腰掛けて彼女の様子を見つめていたプラムが心配そうなまなざしを向ける。
「あっ。気がついた?」
「私、は……つっ!」
 ゆっくりとベットの上に身を起こした少女--ソフィーヤが全身に走る痛みに眉をしかめる。彼女の身体に腕を伸ばし、支えながらプラムが小さく首を振った。
「あんまり、無理はしないほうがいいよ。一応、折れてはいないって話だけど……何本か、骨にヒビが入ってるみたいだから」
「……私は、どうして……?」
「んー、覚えてないかな? セシリアさんに暴行受けて、気絶してたの」
「……そう、ですか。…………ということは、ばれて……しまった、んですね」
「あっ。まだ、起きちゃ駄目だってばっ」
 苦痛に表情を歪めながら立ち上がろうとするソフィーヤのことを、慌ててプラムが抑える。
「セシリアさん、は……捕らえられた……のでしょう?」
「まぁ、ね。一応、あなたの望みもあるから、セシリアさんには罰は与えないって言うことに、なりかけはしたんだけど」
「けど……なんです?」
「最後のところで、セシリアさん、自爆しちゃったのよねぇ。素直に自分の非を認めればいいのに、悪いのはあなたのほうだ、なんて言うもんだから、ミレニア様怒っちゃって、結局は拷問するってことになっちゃった。ほら、ミレニア様って、自分さえ助かればっていう考え方嫌いな人だから」
 軽く肩をすくめるプラムのことを、ぎゅっと唇を噛んでソフィーヤが見つめる。
「あなたなら……それでも……止められたんじゃ……ないですか?」
「かもしれないですね。あくまでも拷問はしちゃ駄目だって私が言い張れば、ミレニア様を止められたかもしれない。なのにそれをしなかったんだから、私のことを恨んでくれてもいいですよ」
「……いいえ。……あなたを……責めるのは……筋違いです」
「そう? だったら、ミレニア様のことも恨まないであげて。どうしても誰かを恨まなきゃ駄目なら、私のことを恨んで。ミレニア様が恨まれるぐらいなら、そのほうがよっぽどましだから」
「……恨まない……代わりに……一つ……お願いを……してもいいですか」
 真面目な表情をするプラムへと、途切れ途切れにソフィーヤが問いかける。軽く首をかしげたプラムへと、ゆっくりとソフィーヤは言葉を続けた。
「私を……連れて行って……ください。地下へと……」
「ミレニア様を、止めたいの? でも、それは……」
「お願い……します」
「ふぅ。まぁ、仕方ないか。けど、もう間に合わないかもしれないですよ? あなたが気絶している間に、全部終わっちゃってるかもしれないんだから」
「それでも……まだ、間に合うかも……知れないのなら」
「そう。なら、いいけど……ほんと、あなたといいミレニア様といい、一度言い出したら聞かない人たちですねぇ」
 苦笑を浮かべるプラムに、小さくソフィーヤが頭を下げた。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアァァッ!!」
 大きく目を見開き、顔をのけぞらせてセシリアが絶叫を上げる。スパイクボールと呼ばれる拷問器具を手にしたクリシーヌが、ふふっと小さく笑うと腕を振り上げ、振り下ろす。
「ヒギャアアアアアアアアアァァッ!! 許してっ、もうっ、許してっ!」
 スパイクボールは、主に皮剥ぎに使用されるばら鞭の一種である。星型と称される小さな棘付の鉄球をいくつも皮ひもでつないで作った鞭を何本も束ねたものだ。鉄球自体の大きさが小さく、棘もそれに応じて小さいために威力そのものはさほどない。だが、広範囲にわたって皮が裂け、肉が弾ける為痛みはかなりのものだ。また、かなり派手に出血するため、見た目も惨たらしくなる。
「御慈悲をっ! 御慈悲をぉっ!」
「ふふっ、そんなものが、あるとでも思ってるの? ほうらっ!」
「ウギャアアアアアアアアアァァッ!!」
 ぼろぼろと涙を流して哀願するセシリアへと嘲笑を投げかけ、クリシーヌがスパイクボールを振るう。X字型の磔台に拘束されたセシリアの乳房をいくつもの棘付の鉄球が直撃し、彼女に絶叫を上げさせた。
「ほらっ、ほらっ、ほらっ」
「ヒギャッ! ギャウウゥッ! ウギャアアアァッ!!」
 笑いながらクリシーヌが縦横に鞭を振るい、セシリアが濁った絶叫を上げて身悶える。腕、胸、腹、太股と、次々にスパイクボールの洗礼を受けてセシリアの全身が鮮血に染まる。
「そぉらっ!」
 嘲笑を浮かべながらクリシーヌが下からスパイクボールを振り上げる。割り開かれた股間に直撃を受け、一際大きな絶叫を放ってセシリアが身体を弓なりにのけぞらせた。
「ウッギャアアアアアアアアアア~~~~ッ!! ぎっ、ぎいいぃぃ……」
「あらあら、さすがにこれは堪えたようですわね。気絶してしまったようですけれど、如何いたします?」
「鞭は、もう、充分です。目覚めさせた後、焼き鏝を」
 ぶるぶると全身を痙攣させ、がっくりとうなだれたセシリアの姿を見やりつつ問いかけるクリシーヌへと、無表情に拷問の様子を見守っていたミレニアが淡々とした口調でそう告げる。一瞬残念そうな表情を浮かべ、クリシーヌは頷いた。
「…かしこまりました、御主人様」
 血に染まったスパイクボールを壁に戻し、手桶を取り上げると甕から掬い取った水を無造作にセシリアへと浴びせかけるクリシーヌ。水を浴びたセシリアが弾かれたように身体を震わせ、悲鳴を上げた。
「ヒギャッ!? ヒイイイィッ! 熱いっ、きゃあああああああぁぁっ!」
「塩水を、使いましたか」
 悲鳴を上げて身をよじるセシリアの姿を見やりながら、ぼそっとミレニアが呟く。目覚めさせるだけならただの水でも充分なはずなのに、クリシーヌはわざわざ塩水を使ったのだ。無論、全身の皮膚をずたずたにされた状態で塩水を浴びせられてはたまったものではない。焼けるような激痛にセシリアは拘束された身体を激しくくねらせている。
「まぁ、いいでしょう」
 ぼそぼそと呟くミレニアの言葉は始めから耳に届いていないのか、クリシーヌは口元に笑みを浮かべて焼き鏝を手に取った。悲鳴を上げて身悶えているセシリアの右乳房へと、無造作に焼き鏝を押し付ける。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァッ!?」
 じゅうっと言う音とともに白煙が立ち上る。胸で弾けた激痛に大きく目を見開いて絶叫を上げるセシリア。くくっと低く笑うと、クリシーヌは更に体重をかけるようにして焼き鏝を押し付ける。柔らかい乳房の肉がずぶりとへこみ、真っ赤に加熱された焼き鏝の先端部分を半ば包み込んだ。
「ヒギャアアアアアアアアアアアアァァアアァアァアァアァアァッ!!」
 激しく首を振りたてながら絶叫を上げるセシリア。乱暴にクリシーヌが焼き鏝を引き剥がすと、焼け焦げた皮膚がべりっと剥がれる。啜り泣きを漏らすセシリアへと嘲笑を向けると、クリシーヌは新たな焼き鏝を手に取り、今度は左の乳房へと押し当てた。
「ウッギャアアアアアアアアアアアアアアアァァァッ!!」
 うなだれ啜り泣いていたセシリアが弾かれたように頭を上げ、絶叫する。ぐりぐりと乳房を貫通させようとでもしているかのように力任せにクリシーヌが焼き鏝を押し付け、セシリアの口から更なる絶叫を搾り出した。
「ふふふっ…さぁ、もっと鳴いて頂戴ね」
 次の焼き鏝に手を伸ばしながらクリシーヌが笑う。それを咎めるでもなく勧めるでもなく、ただ黙ってミレニアは眺めていた……。

「あれは……」
 玄関前のホール。大きな階段の前にメイドたちが集まり、ざわめいているのを目にしてプラムが小さく声を上げる。彼女が肩を貸している相手、ソフィーヤが一瞬唇を震わせた。ソフィーヤの視線は階段の上、二階部分に立つミレニアのほうへと向けられている。
「この者は、他のメイドに対していじめを行ったため、罰を受けました。あなた方も、そのような行為は慎むように」
 静かな口調でそう言うミレニア。階段の手すりに手足を縛り付けられ、呻いているセシリアの無残な姿にメイドたちが息を呑む。プラムの身体に小刻みな震えが伝わり、彼女は不安そうな表情でソフィーヤのことを見つめた。
「間に合わなかった、ですね」
「……ええ」
「けど、殺されなかっただけ、セシリアさんは運がよかったですよ。ミレニア様のこと怒らせちゃったんですもん。もしもミレニア様があなたと話してなかったら、確実に殺されてましたよ、あの人」
 なんとなく言い訳じみた口調でそう囁きかけてくるプラムに無言で答え、すっとソフィーヤが一歩前に出た。なんとなく立ち尽くしたプラムを置き去りに、更に一歩、前に出る。視線を動かしたミレニアが、彼女に気付いて軽く首をかしげた。ゆっくりとした足取りで階段を下りつつ、ソフィーヤへと呼びかける。
「ソフィーヤ? もう、起きても大丈夫なのですか?」
「……はい」
「そう、ですか……。あなたの望みを、全て叶えるというわけには、いきませんでした。すまないとは思いますが、私にも立場というものがありますので」
 ミレニアの言葉に、ざわっとメイドたちの間に動揺が走った。中には、露骨に怯えたような視線をソフィーヤのほうに向けるものもいる。あちゃっとプラムが顔を覆い、ゆっくりとソフィーヤが頷く。
「はい……承知して……います」
「そう。彼女は、見せしめのために、明日の朝まではこのままにしておくつもりです。ですが、その後は、あなたの自由にしてかまいません。メイドが一人、いなくなっても特に問題はありませんから」
 ミレニアの言葉に、メイドたちの間のざわめきがますます大きくなる。自分のほうに向けられた怯えを含んだ視線を感じつつ、ソフィーヤは頷いた。
「ありがとう、ございます……領主様」
「あまり、無理はしないように」
「はい……」
 再び頭を下げるソフィーヤに小さく頷き返し、ミレニアが踵を返す。ざわめくメイドたちにすっと視線をソフィーヤが向けると、動揺したようにメイドたちが顔を背けた。軽く溜息をつき、ソフィーヤも踵を返す。
「わざと……やっているんでしょうか?」
「だったら、私も苦労しないんですけど。あれは、単純に色んなことに気付いてないってだけの話ですね、ミレニア様の場合は」
 ぼそっとしたソフィーヤの呟きに、苦笑を浮かべてプラムがそう応じる。ミレニアとソフィーヤのやり取りは、背後の事情を知らない人間が聞けば『いじめを受けたソフィーヤがセシリアを殺して欲しいと願い、そこまですることは出来ないとミレニアが拷問だけにとどめた』と勘違いしかねない代物だ。更に、最後の自由にしてかまわない、というミレニアの台詞は、殺したければ好きにしなさい、という意味に聞こえる。これでは、その場に居合わせたメイドたちがソフィーヤの機嫌を損ねれば殺される、と、そう思い込んでしまっても無理はないだろう。
「孤立するのは……元々……友達のいない……私ですから……問題では……ありませんけど」
「だからって、ミレニア様の発言が誤解を招くものだってのは変わらないですけどねぇ。
 あっと、そうだ、ミレニア様の最後の自由にしてかまわないって発言、ちゃんと意味、伝わりました?」
「治療を……してもよい……。そう言う意味だと……思いましたが」
「うん、正解です。まぁ、その後で、メイドを続けたくないってセシリアさんが言うんなら、暇を出してもいいっていう意味も、籠めたつもりなんでしょうけどね、ミレニア様の場合は」
 苦笑を浮かべつつ、ソフィーヤに肩を貸すプラム。彼女の方を借りて再び自室のほうへと向かいつつ、ソフィーヤがぼそりと呟いた。
「あなたは……ちゃんと……分かっているのに……どうして?」
「え? ああ、だって、ミレニア様が変わらない限り、私が周りに何を言っても無駄ですもん。別に、ミレニア様が周囲から誤解されたままのほうが、独り占めできて都合がいい、だなんて思ってませんよぉ」
 パタパタと空いているほうの手を振り、屈託のない笑顔を浮かべるプラム。つられたように僅かに口元をほころばせ、ソフィーヤが小さく呟いた。
「あなたは……不思議な……人ですね」
「そうですか? 自分では、あんまりそうは思わないんですけど」
「不思議な人……です。本当に……」
 小さく笑いを浮かべると、ソフィーヤはそう呟いた。
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