4月8日 雨


 私が、ここへ来てから一年が過ぎました。本当に、いろいろなことがあった一年が過ぎて、私の立場もずいぶんと変わりました。最初の私は、ただのメイドにすぎませんでした。それが、領主様に気に入られて領主夫人となっただけでも普通の人から見れば充分うらやましい人生ということになるでしょう。なのに、今日、領主様が死んだせいで新しい領主となったのですから、普通の基準からすればこれ以上ないというほど幸運な人生ということになるんじゃないでしょうか。私が、そうなりたいと望んだわけではありませんけれど。
 今日で一年が過ぎ、ちょうど区切りがいいからと新しい日記帳を使い始めることにしました。それで、昔の日記を読み返して見たんですけど、少しおかしくなっちゃいます。昔の私は、神様のことを信じていたんですね。もしも本当に、神様がいるのなら、私みたいな人間はとっくに死んでいなければおかしいのに。
 今まで同様、これからも、私は多くの人間を殺すことになるでしょう。毎年、四月と十月には新しいメイドと側室を募集します。今年は、領主様は側室を新たに募集することはせず、代わりに一つの布告を出しました。殺されることを前提とした、生贄の娘を募集する。生贄を捧げた家は、今年一年全ての税を免除した上で、メイドとして奉公にあげた場合の一年間の給金、その倍額を支払う、と。
 どういうつもりで、領主様がそんな布告を出したのかは私には分かりません。表現は露骨ですけれど、今までに側室に選ばれた人たちも実質的には『殺されることを前提とした生贄の娘』だったわけですから。まぁ、側室となれば例え一時にしても豪華な生活が出来るわけで、少し違うといえば違いますけれど、結果を見ればむごたらしく惨殺されることには変わりませんよね。報酬が上がっているのは、領内で新しい金の鉱脈が見つかり、今まで以上に財政に余裕が出来たせいではないかと思いますけれど、あえて側室という立場を与えない必然性など、どこにもないような気がします。もちろん、正妻からしてみれば側室など居て欲しくない、というのが普通の考え方でしょうけれど……領主様が、私なんかに遠慮して側室という名目での募集を行わなかった、なんていうのも説得力がありませんし。
 ともかく、そういう布告が出され、結構な数の応募があったのは事実です。表現の露骨さに驚いた人も多かったでしょうけど、ちょっと考えれば前回までの側室候補と立場は大差なく、報酬は多いということに気付けますから、まぁ、あたりまえですが。しかも、普通なら応募してきた人間の中から何人かを選ぶのですが、今回は領主様は全員を採用してしまいました。側室、という名目ではないために、その人たちは全員が屋敷の地下の牢屋に繋がれています。
 領主様が死んでしまったとはいえ、一度出した布告を反故にするわけにはいきません。それに、領主様は今後も同じような募集を行う、と言っていましたから、少なくとも次回、十月には同じ布告を出すことになるでしょう。その全てを惨殺していかなければならないと言うのは、考えると憂鬱ですけれど、殺さなかったり楽な殺し方をしたりするのは、領主様の遺志に背くことになりますから。気は進みませんけれど、いろいろと残酷な拷問や処刑を考えなければいけないみたいです。私の両手は既にこれ以上ないぐらい血にまみれていて、今更新たな血が加わっても大差ないというのが、救いといえばいえるのかもしれませんが……。

「ふむ。これが、例の仕掛けか。見た目は、さほど面白そうではないな」
 以前、旅芸人の一座を焼き殺した部屋で、領主が少し不満そうに鼻を鳴らした。改修が行われた部屋は、中央の窪みの部分に池のように水が満たされている。単に水が満たされているのではなく、窪みの中、領主から見て左の壁に作られた穴から僅かに暖かい温水が流れ込み、右の壁に作られた穴から流れ出しているのだが、確かに見た目は面白いものではない。実際には、地下水を引き込み、この窪みを通した後で再び水脈に戻す仕組みや、引き込んだ地下水を熱してその温度を一定に保つ仕掛けなど、かなり大規模かつ高度な改修が施されているのだが、領主にとって興味が有るのはあくまでも見た目がいかに面白く派手であるかだ。
「はっ……し、しかし、これはあくまでも道具を生かしておくための設備に過ぎません。真価は、道具の方にございますので」
 不機嫌そうな領主の言葉に、傍らに立つ痩せた男がハンカチで額の汗をしきりに拭いながらそう応じる。彼はこの改修を受けおった技師で、まだ三十代半ばだそうだが頭髪はかなり薄く、耳の周辺に辛うじて残っているという程度だ。髭はなく、かなりの痩せ型ということもあってあまりぱっとしない風采の男ではある。
 彼が道具と呼んだのは、窪みの中に放された二百匹を優に越える小型の魚である。手のひら程度の小型の魚だが、身体とはふつりあいな大きな口を持ち、そこには鋭い牙をびっしりと生やしている。かなり獰猛な肉食性で、しかも数百から時には数千という群をなして獲物に襲いかかるために、牛などでもあっという間に骨だけにしてしまうといわれている猛魚だ。この辺りの原産ではなく、わざわざ海を隔てた異国より取り寄せたものである。わざわざ大規模な改修をしてまで水温を高めに保っているのは、この魚が冷たい水には棲めないからだ。ちなみに、壁の左右にある穴には、この魚たちが逃げないように目の細かい網がはめ込まれている。
「ふむ。まぁ、いい。まずは、見せてもらおうか。評価はその後だ」
 そっけない口調で領主がそう言い、技師が恐縮したように頭を下げる。今まで、二人の少し後ろに控えていたミレニアが、すっと前に進み出た。彼女の手に握られたロープは、全裸で後ろ手に拘束された十三か四歳ぐらいの少女の首にかかっている。彼女は既に何度か拷問を受けた後らしく、身体のあちこちには酷い傷が有り、うつろな視線をふらふらと宙にさまよわせていた。ミレニアにロープを引かれ、よろよろと頼りない足どりで前に出る。
「これで、最後……? もう、酷い目に、あわなくてもいいの……?」
 ふらつきながら、窪みの縁まで歩み出た少女が、ぼんやりとした口調でそう呟いた。無言のままミレニアが彼女の手首を縛る縄を解き、首に巻いたロープも外して拘束を解く。文字通り、一糸まとわぬ姿になった少女の背を、とんっと軽くミレニアが押した。僅かに目を見開き、小さくあっという声を上げただけで、あっけないほど簡単に少女が窪みの中へと突き落とされる。
 ばしゃぁんと、水音が上がる。既にあきらめきっていたとはいえ、水の中に突き落とされた少女は本能的に空気を求めてもがき、手足をばたつかせて水面から顔を覗かせた。ぶはっと、飲んでしまった水を吐き出し、水でべったりと髪を顔に張りつかせたまま手足を動かして沈まないように身体を浮かせている。そこへ、今まで水の中を群を為して回遊していた魚たちが、いっせいに襲いかかった。
「ぎっ、ぎゃああああああああっ!」
 大きく目を見開き、少女が絶叫を上げる。腕、足、胴体、いたるところに小さな魚たちがかじりつき、鋭い牙で肉を食い千切っていく。 一つ一つの傷は小さいが、身体をびっしりと覆うほど大量の魚たちにかじりつかれているのだからたまらない。全身で激痛が弾け、あふれた血が彼女の周囲の水を真っ赤に染める。壁の穴から水は流れでていくから、血で染まった水も流れていくのだが、出血量の方が多いせいで少女の周辺の水は真っ赤に染まってしまい、水面の下が見えなくなってしまう。
「あぎっ、ぎっ、ぎひいいぃぃっ! うぶっ、ごぼごぼっ、ぶはぁっ。ひぎゃっ、ぎゃっ、ぎゃあああああーーっ!!」
 その、真っ赤に染まった水面から上体を浮かび上がらせ、ばしゃばしゃと激しく水しぶきを上げて少女が身悶える。もっとも、手足をでたらめに動かしているのでは溺れているも同然であり、彼女の顔は水の下に沈んでは浮き上がるということを繰り返している。まとわりつく魚たちを振り払おうと、手足を目茶苦茶に動かしているが、何しろ数が多い。振りまわされた拍子に彼女の腕からかじりついていた魚たちが振り払われて宙を飛んだりもするが、ぱしゃん、と、少女の上げるものより格段に小さな水しぶきを上げて水に落ちた魚たちは、少女の血の臭いにひきつけられて再び少女に襲いかかるのだからどうしようもない。傷を更にかじられ、次々と全身で弾ける激痛の嵐に、少女が半狂乱になって手足をばたつかせ、絶叫する。
「だず、だずげでっ、ぎいいぃっ。ひぎっ、ぎっ、ぎゃひいいぃっ! 痛いっ、あぎっ、ぎゃああああ--っ!!」
「くっくっく、なるほど。確かに、これはなかなかの見物だな」
 苦悶する少女の姿に、満悦の笑みを浮かべて領主がそう呟く。水の下に顔が沈んだ拍子に鼻に噛みつかれ、悲鳴をあげながら水面上に顔を出して少女が激しく首を左右に振る。鼻に噛みついた魚はその勢いで吹き飛ばされたが、しっかりと鼻に噛みついたままだったせいでぶちっと鼻が半ばから無残に引き千切られた。苦痛にのけぞった少女の耳に魚が噛みつき、耳たぶをかじり取る。
「あべっ、ぎぎぎっ、ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃっ。ぎゃああああ--っ!!」
 半狂乱になって泣きわめく少女。領主たちの目には触れないが、血で真っ赤に染まった水面下では、散々に食い荒らされ、ぼろぼろになった腹部からはみ出した内臓へと魚たちが先を争うように群がり、食い千切り始めていた。内臓へと魚が群がり、食いつき、噛みちぎる。激痛が次々と弾け、獣じみた絶叫を上げ、少女はなおもしばらくは身体を浮き沈みさせていた。だが、しばらくすると力尽きてしまったのか、頭まで完全に血に染まった水の中に沈みこみ、浮かび上がってこなくなった。少女が沈んだ後も真っ赤な水面ではばしゃばしゃと魚たちがしばらく跳ねていたが、それもしばらくすると収まる。
 更にしばらく待つと、血で染まった水が全て壁の排水口から流れ出していき、窪みの中に満たされた水が透明度を取り戻す。透き通った水の底では、少女の骨が奇妙な白さを見せていた。再び群を為して回遊を始めた魚たちを見やり、領主が感心したような声を上げる。
「ふぅむ、なかなか、貪欲なものだな。人間一人、奇麗に骨にしてしまったではないか。ここで、新しい人間を放り込んだらどうなる? 流石に、興味を示さぬかな」
「そ、そうですな……。あと、一人か二人程度なら、すぐにでも食べ尽くすでしょうな、奴等は」
 領主の呟きに、顔を青くした技師が応じる。自分で作ったものではあるが、あそこまで酷い光景が展開されるとは思っても見なかったのだろう。喉の辺りに手を当て、吐きそうな雰囲気を見せている。領主に対しての言葉も、意識して、というよりはポロリと口からこぼれてしまった、といった感じだ。
「ふむ、では、試してみるか」
「……新しい人を、連れてくるんですか?」
 領主の言葉に、今まで沈黙を守っていたミレニアがぼそっとそう呟く。淡々とした口調で、表情からも口調からも、彼女の感情を読み取ることは出来ない。技師の方を見やった領主が、にやっと笑った。
「それには及ぶまい。それ、そこに丁度いい実験台がおるではないか」
「ひっ!? ご、御冗談を……」
「冗談などではない。まぁ、男を殺すのは趣味ではないがな。新しい生贄を連れてくるまで、ぼうっとしているのもつまらんからな、お前で我慢しておくとしよう」
 領主の言葉に、技師が表情を引きつらせる。ぽんっと、その肩に背後からミレニアが手を掛けた。ひいっと悲鳴を上げ、その手を振り払うように身体を半回転させる男へと、ミレニアが相変わらずの無表情で視線を向ける。
「自分で飛び降りるのと、突き落とされるのと、どちらがいいですか?」
「じょ、冗談じゃない! 何で私が殺されなくちゃいけないんです!?」
「領主様の、御命令ですから」
 半狂乱になった男へと、静かにそう告げると無造作にミレニアが前に出た。表情をこわばらせ、気圧されるように男があとずさる。無言のまま、更に数歩ミレニアが足を進め、同じだけ技師が後退した。軽く首を傾げ、ミレニアが無表情に技師の顔を見つめる。
「自分で、飛び降りるんですね?」
「え? わっ、うわあああああ~~っ」
 後ろ向きに下がっていた男が、がくんと足を踏みはずし、窪みの中へとおっこちる。尾を引く悲鳴にどぼんという水音が続き、くっくっくと領主が笑い声を上げた。
「おうおう、さっき一人を骨にしたばかりだというのに、早速獲物に襲いかかりおったわ」
「……そう、ですか」
 縁ぎりぎりに立つ領主の斜め後ろに立ち、ミレニアが無表情に水面を見下ろした。悲鳴を上げながら手足をばたつかせる男へと、魚たちがいっせいに襲いかかり、水を血で染めている。裸だった少女とは異なり、男は服を身に付けてはいるのだが、魚たちの鋭い歯の前には大して役にたっていないらしい。男は服もろとも肉をかじり取られ、濁った絶叫を上げながら水の中でもがいている。
「しかし、クリスは惜しいことをしたな」
「……え?」
「いやなに、この場に同席していれば、奴を生贄に出来たものを、と、少し惜しく思ってな。どうせ同じく殺すなら、男よりは女、それも若い女の方が楽しいというものだろう? 奴を生贄にするなら、私に対して反抗的だった女だけに、楽しみも大きくなることだしな」
 そう言いながらも、領主は楽しそうな視線を水面でもがく男へと向けている。もしも彼が視線をミレニアの方へと向けていれば、滅多なことでは表情を変えないミレニアが、ほんの僅かながら怒りの表情を浮かべていることに気付いただろう。感情を感じさせない口調で、ミレニアが領主へと問い返す。
「クリスさんを殺したのは、私ですが、問題でしたでしょうか?」
「ああ、いや、お前を責めているわけではない、ミレニア。どうせ、そのうち殺す予定だったしな。奴を殺す現場に居あわせることが出来なかったのが、少し残念ではあるが、お前が気にする必要はない。
 ふぅむ、流石に大人の男は耐久力はあるな。まだまだ元気にもがいているではないか」
 ミレニアとの会話より、目の前で繰り広げられている惨劇を見る方に意識を取られているらしい領主に、更にミレニアが声を掛ける。
「殺す、予定だった?」
「有能ではあったが、身のほどをわきまえていなかったからな、あの女は。拷問人など、我々の道具として働くだけの存在。道具なら道具らしく、黙って指示にしたがっておればいいものを、何回となく私に向かって反抗しおった。下賎の身でありながら……」
 領主が不意に言葉を途切れさせた。身を乗り出して、男が生きながら魚の群に食われる姿を楽しんでいた彼の背中を、ミレニアがトンっと軽く突いたのだ。バランスを立て直す間もなく、豪華な服を着た領主の身体が水へと落ちる。男に群がっていた魚たちの約半数が、新たに落ちて来た獲物へと襲いかかった。魚にとっては、相手の性別や年齢、地位など何の関係もない。あっというまに領主の全身に魚が群がった。豪華な服は多少は魚たちの食事の邪魔になったようだが、すぐに裾や袖などから魚たちが入り込み、肉へとかじりつく。
「ぐわっ、ぐわわわっ。ミ、ミレニア!?」
「クリスさんの悪口は、許しません。例え、貴方であっても」
 静かな口調で、ミレニアが領主を見下ろしながらそう言う。ばしゃばしゃと激しく水音を立ててもがきながら、領主がミレニアへと向かって叫んだ。
「わ、悪かった! 二度とあんな事は言わん。だから、助けてくれっ。ぎゃあああっ」
「……ロープを、取ってきますね。それまで、貴方が生きていられるとは、思えませんけれど」
 ゆっくりとそう呟き、ミレニアがきびすを返す。背後で悲痛な悲鳴が上がったが、ミレニアは何の表情も浮かべない。地下室の扉を閉め、鍵を掛けると、ミレニアは無言のまま階段を登っていった。

「ミレニア。領主様は、また地下か?」
 一階の廊下を歩くミレニアへと、正面から歩いて来たバルボアがそう問いかけた。足を止めたミレニアの方に歩みよりつつ、バルボアが言葉を続ける。
「新しい鉱脈の報告が届いているんだが」
「……それは、私がうかがいます。あの人は、もう居ませんから」
「な、んだと……!?」
「あの人は死にました。ですから、私が後を継ぎます。あの人には、子供が居ませんでしたから」
 淡々とした口調でミレニアがそう告げる。一瞬、呆然とした表情を浮かべて立ちすくんだバルボアが、不意に表情に怒りの色を浮かべた。
「貴様が……殺したのか!?」
「ええ」
「貴様!!」
 バルボアの問いに、ごまかそうともせず素直に頷くミレニア。激昂したバルボアが拳を固めてミレニアへと踊りかかる。身をかわそうともせずにじっと立っているミレニアの頬へとまともにバルボアの拳が叩き込まれ、吹き飛ばされるような格好でミレニアの身体が廊下の壁へと叩きつけられた。ずるずるとその場へと崩れ落ちようとするミレニアの腹へと、更にバルボアの蹴りがめりこんだ。衝撃で身体をくの字に折るミレニアの、前屈みになった頭を掴んでバルボアが引きずり起こし、にらみつける。殴られた左頬を赤く腫らしながら、依然としてミレニアは無表情だった。
「私を殺しても、あの人は生きかえりませんよ」
「きっ……貴様は!!」
 淡々とした口調でそう言われ、目を血走らせたバルボアが両手をミレニアの首に掛けた。壁へと押しつけるようにしながら、ミレニアの首を締め上げる。背中を壁に押しつけられたままミレニアの身体が持ち上がり、足が床から離れた。
「う、ぐ……」
 喉を締められ、身体を持ち上げられたミレニアの唇から、小さな声が漏れる。だが、宙に浮いた足をばたつかせることもなく、首に掛けられたバルボアの手を振りほどこうと腕を上げるでもなく、ミレニアはだらんと手足を弛緩させている。表情も、いつもと同じ無表情で、静かに自分の首を締め上げるバルボアのことを見つめているだけだ。その反応に、バルボアの手に更に力がこもった。半ばは怒りのため、そして半ばは、恐怖のためだ。
 呼吸を止められ、ミレニアの身体が細かく痙攣する。まったく抵抗しようとしない相手に、バルボアの手が思わず僅かに緩んだ、その時。
「きゃあああああ--っ!」
 メイドの上げた悲鳴と、手にしていた水差しを落とす音が響いた。はっとそちらに視線を向けたバルボアの耳に、小さなミレニアの呟きが届く。
「また、賭けに勝ってしまいましたか……」
「何……ぐうっ!?」
 視線をミレニアに戻しかけたバルボアが、呻く。左の脇に、灼熱感が走った。視線をそちらに向けると、ミレニアの右手が何時の間にか針のように細い刃を持つナイフを握っており、そのナイフが何かの冗談のように深々と自分の左脇に突き刺さっていた。
「ぐっ、ごふっ」
 叫び声を上げようとしたバルボアの口から、鮮血の塊が飛び出す。既に力の入らなくなった彼の手から逃れていたミレニアの顔に、真っ赤な血の塊が当たってびちゃっと弾けた。それを拭おうともせず、ミレニアが更に深くナイフを突き刺した。
「クリスさんに、教わったんです。脇の下は筋肉が薄いから、私みたいな力のない人間でも簡単に貫けるって。後は、肋骨の間を通せば心臓までほんの短い距離ですし、仮に心臓まで届かなくても肺を傷つけられるから、簡単に人は殺せるんですよ」
 既に目の焦点を失い、自分へと倒れかかってくるバルボアへと向けて、ミレニアは淡々とした口調でそう告げた。彼の巨体に押し倒されるような格好で、自分も廊下に倒れ込みながら。
「お、奥様……!?」
「すいませんけど、引っ張り出してもらえますか?」
 目の前で人が死ぬのを見て、その場へとへたり込んでしまった若いメイドへと、血に染まった右腕を差しのべてミレニアがそう言う。しかし、まだ若いメイドは、ひっと息を飲むとそのまま目を回してしまった。右手を自分の額に当て、ミレニアは小さく呟いた。
「しかたありませんね……。そのうち、誰かが通りかかるでしょう」
 死体にのしかかられているという、自分の状況を気にもとめずにミレニアは意識を別のことへと向けた。バルボアには確か、妻と娘が居たはずだ。まだ娘は幼く、いくらかの貯えがあったとしても彼を失った一家がこれから楽に暮らしていけるとは思えない。
「一度、あって話をしないといけませんね」
 そう呟くと、ミレニアは静かに目を閉じた。

 それから、数時間後。ミレニアは自室でバルボアの妻と向き合っていた。まだ五歳になったばかりだという幼い娘の手を引き、蒼白になってバルボアの妻は唇を震わせている。椅子ではなく、ベットに腰かけたままミレニアは静かに彼女の顔を見つめた。三十代前半の、なかなかの美人だ。領主の好みに合いそうな女でもある。彼女が今まで生きてこられたのは領主がバルボアには一応の遠慮をした結果なのか、それともバルボアの方で領主の耳に妻のことが届かないように苦心した結果なのか、それはもう確かめようがなくなっている。だが、ミレニアにはそれはどうでもいいことだった。
「アミットさん、でしたね。あなたの夫、バルボアは死にました。私を殺そうとしたので、やむをえず殺したんです」
 無表情にそう告げるミレニア。右手で口を覆い、アミットは目を見開いた。がたがたがたと、おこりにかかったように全身を震わせる。状況をよく飲み込めていないらしい幼い娘が、きょとんと母親の顔を見上げた。
「母さま、どうしたの?」
「レ、レイチェル……お父様が、お亡くなりになったのよ」
「父さまが……?」
 震える声で告げる母親の顔を、きょとんとした顔で見上げたまま幼女が首を傾げる。彼女の年齢では、死というものを想像するのは難しいだろう。アミットが更に口を開くより早く、ミレニアが静かな声で言葉を続ける。
「それで、あなたがたの処遇ですが……」
「お願いです! 私は……私はどうなってもかまいませんっ。ですが、ですが娘だけは……娘の生命だけは、どうぞお助けください」
 その場へとひざまずき、幼い娘を抱き抱えながらアミットがそう叫ぶ。無表情に彼女の顔を見つめ、しばらく沈黙するミレニア。一度瞬きをすると、ゆっくりとミレニアが立ち上がった。
「あなたの生命で、娘の生命を買いたい、ということですか?」
「は、はい……。夫の罪が重大なことは存じております。ですが、どうか御慈悲を! まだ娘は幼く、夫の罪を背負って死ぬのは哀れすぎます。どうか、どうか私の生命だけで……!」
「……どれだけの、苦痛を味わうとしても?」
「覚悟は、できています。お願いですっ、私はどのような殺され方をしようと恨みに思いません。ですから、ですから、どうか娘だけは……!」
 娘を抱き抱えたまま、泣き崩れるアミット。無表情に彼女のことを見下ろすと、ミレニアは扉の方へと足を進めた。
「ついてきてください。あなたの覚悟が本物であれば、娘さんの生命は助かるでしょう」
「は、はいっ!」
 ほっとしたような表情を浮かべる母親のことを、きょとんと幼女は見上げていた。

 ミレニアが選んだのは、部屋の中央に鉄板のある部屋だった。以前に使った時は、十分に熱せられた鉄板の上で犠牲者に踊りを踊らせた、最後はそのまま焼き殺してしまった。鉄板の下に石炭と済みを用意し、火を点すとミレニアがゆっくりとアミットの方を振り返る。
「服を、脱いでください」
「は、はい……」
 ミレニアの言葉に、おずおずとアミットが服に手をかけ、脱いでいく。着痩せするたちなのか、意外と胸は豊かだ。肌にも張りがあり、三十を過ぎているとはちょっと思えない見事な肉体である。
「鉄板の上に、上がってください。死ぬまで、鉄板から降りずにいられたら、あなたの望み通り、娘さんの生命は助けてあげます。けれど、熱さに耐えきれずに鉄板から降りてしまったら、あなたの代わりに娘さんが焼き殺されることになります」
「し、縛らないんですか……?」
「あなたが自由に動けなければ、意味がありませんから。
 死にたくなければ、鉄板の上から降りてください。そうすれば、あなたの生命は助けてあげます。自分が死んで娘を助けるか、娘を殺して自分が助かるか、好きな方を選んでください」
 無表情に、淡々と、ミレニアが残酷なルールを告げる。一瞬絶句したアミットだが、小さく首を振ると唇を噛み締めて鉄板の上へと登った。下から加熱されているとはいえ、まだその熱さは耐えがたいほどではない。夏の海岸の焼けた砂、ぐらいか。
「くっ、うっ、う」
 噛み締めた唇から小さな呻きを漏らし、アミットは鉄板の中央まで進み出た。じりじりと足の裏を焼く熱さに、僅かにためらった後、意を決してその場へと膝をつく。膝に感じる熱さに思わずびくんと顔をのけぞらせつつ、アミットはびっしょりと汗をかいた身体を鉄板の上に横たえた。
「うっ、くうっ、くあっ、あっ、つい……くうぅっっ」
 うつぶせに鉄板の上に寝転び、アミットが噛み締めた唇から苦痛の声を漏らす。どんどんと高温になっていく鉄板と密着した肌が引きつるような痛みを放ち始めた。身体を伝った汗が鉄板の上に滴り、湯気を上げ始める。懸命に声を噛み殺しているのだが、激しさを増す苦痛の前に徐々に彼女の口から悲鳴が漏れ始めた。
「くううぅっ、うくっ、ぐぐぐぐぐっ、あああっ。ふっ、ふっ、ふっ、うああああーーっ!」
 背中を反りかえらせ、顔をのけぞらせてアミットが悲鳴を上げる。べりっ、べりっと、鉄板に焦げついた肌が彼女の身体から剥がれ、血を滴らせた。飛び散った汗や血は、鉄板に触れるとたちまち沸騰を始める。じゅうじゅうという、肉の焼ける音が響き始めた。苦痛から逃れようと反射的に動きかける身体を意志の力で何とかねじ伏せ、身体の前面を鉄板に押しつけて焼きつづけるアミット。 身体に押し潰された乳房から、脂が溶けて鉄板の上へと広がる。激しい苦痛に髪を振り乱し、叫び声をあげながら、アミットは懸命に苦痛と戦っていた。
「あぐっ、ぐぐああぁっ、熱いっ、ああっ、熱いぃっ。ぎゃっ、あっ、ごろ、じでっ、熱いっ、ああああ--っ」
「片面だけだと、時間が掛かるんですよね」
 小さく呟き、鉄の熊手を使ってミレニアはアミットの身体をひっくりかえした。無事だった背中側が、熱せられた鉄板に触れる。
「ぎゃああああああ--っ!! ぎゃっ、ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃっ! ひぎゃっ、ひぎゃああああっ!」
 びくんびくんと、激しく身体を鉄板の上で跳ねまわらせるアミット。美しい張りを保っていた肌は、今では無残に焼け焦げるか剥がれるかしてしまっている。苦痛が意志で我慢できる限界を越えたのか、アミットは肉の焼ける臭いを漂わせつつ、鉄板の上を転がりまわっていた。後ろ手に縛られ、目隠しをされた幼女が、耳に届く母親の声に不安そうな表情を浮かべて周囲を見回した。
「母さま……? こわい、こわいよぉ……」
「あぎっ、ぎぎぎっ、じぬ、じんじゃううぅぅっ! ひぎゃっ、助け、助けてっ、ぎゃああああああーーっ!」
 娘の呟きも耳に入らず、ごろごろと鉄板の上を転がりまわるアミット。やがて、その身体が鉄板の縁から転がり落ちた。冷たい石畳の上をごろごろっと更に数度転がり、ひくひくと全身を痙攣させながらそれでも懸命に腕を上へと伸ばす。足元に転がってきたアミットを無表情に見下ろし、ミレニアが呟いた。
「まだ、生きていますか……?」
「あ……た、す、け……て……」
 転がりまわるうちに顔面も焼かれたのか、焼けただれた無残な状態になっている。膨れ上がった唇を僅かに動かして哀願の声を上げるアミットから、ミレニアは幼女の方へと視線を動かした。
「約束でしたね。生きているうちに鉄板から降りたら、娘の方を焼き殺す、というのが」
「! や、やめ、て……」
「約束ですから」
 緩慢な動きで自分の足首を掴もうとするアミットへとあっさりと背を向け、ミレニアは幼女の方へと歩みよった。膝を曲げ、胸に密着させるような形で細い鎖を使って幼女のことを縛ると、壁際に置かれていた瓶の中から油を柄杓で汲み上げて幼女に頭から浴びせる。ぬるぬるとした油を頭からかけられて、幼女が驚きの声をあげるがミレニアの動きは止まらない。更に数度同じ事をくり返してすっかり幼女の全身を油まみれにしてしまうと、ミレニアは少し離れた場所から松明を放り投げた。放物線を描いた松明が幼女の折り曲げられた膝の辺りにぽとりと落ち、たちまちのうちに引火して幼女の全身を炎が包み込む。
「ぎゃあああああああああああ----っ!!」
「レイ、チェル……!」
 炎の塊となった幼女の上げる絶叫。全身に火傷を負い、ほとんど息絶えながら娘の名を呼ぶアミットの声。二つの悲痛な声を聞きながら、ミレニアは静かにその場にたたずんでいた。勢いよく燃え上がった炎は消えるのも早く、さほどの時間をかけずに鎮火する。後に残ったのは、黒焦げになった幼女の丸焼きだ。炭化した死骸に一瞥を向けると、無表情にミレニアはアミットの方へと視線を動かした。
「それじゃ、手当を……って、もう、死んでしまいましたか?」
「……」
「そう、ですか。残念でしたね」
 小さく首を振ると、ミレニアはその部屋を後にした……。
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