移植


 こぽこぽと、小さな音を立てて培養槽の中を気泡が昇っていく。コンソールの前に立ち、厳しい表情でキーを叩いていた有栖川樹璃の横へと、にやにやと笑いを浮かべながら東城が並んだ。
「設定は、済みましたかい? 樹璃先生」
「ああ……」
 不機嫌そうに樹璃が頷く。失った肉体を取り戻すために本人の身体から取った組織を元に急速培養する技術は、もう随分前に確立したものだ。もっとも、現在では生身よりも性能のいい機械に置き替えてしまうことも多く、一般人向けに低価格での再生手術を行う時以外はあまり使われていない。
 本来なら、微妙な調整のために一週間程度の時間をかけて培養するが、調整をしないのならば培養にかかる時間を大幅に短縮、ものの数時間で組織を作ることも出来る。ただし、それをした場合、移植後にかなり高い確率で拒絶反応を起こすから、理論としては可能、というだけで実際にそんな短期培養が行われることはない。いや、なかった、というべきか。
 レジスタンスの一人、マヤ。彼女の身体を元に、今から樹璃はその短期培養を行おうとしているのだ。再生部位は、乳房。マヤから情報を引き出すために行われた拷問の際に損傷したのを再生するのが目的だ。もっとも、その移植自体が拷問の一部として行われるのだから、医師としてのプライドを大きく樹璃が傷つけられたのは間違いない。
「でね、樹璃先生。ちょっと相談があるんですがね、こんなことは可能ですかい?」
「……! 貴様という奴は……!」
 耳うちされた東城の言葉に、思わず樹璃が拳を震わせる。彼女の怒りに軽く肩をすくめると、東城は小さく笑った。
「その様子じゃ、出来るらしいですな。じゃ、それでお願いしますよ」
「無意味なことをするな。私は、そういうやり方は好まん」
「あんたの趣味は聞いてない。あんたは、俺の『命令』に従ってくれればそれでいい」
 怒りに声を震わせ、押し出すような口調で応じる樹璃に、そっけなく東城が答える。くっと小さく呻き、樹璃が僅かに唇を震わせた。だが、樹璃の立場は一介の医師であり、東城の命令を拒否することは出来ない。何しろ相手はコーポ全体でも八人しかいない一級インスペクターの一人。捜査・逮捕権に加え、司法権をも持つ超エリートなのだ。その権限は極めて大きく、最高機関である元老院の指令を拒否することが出来るどころか、場合によってはそのメンバーを相手に逮捕、尋問を行うことすら許される。
「サディストが……」
 精一杯の抵抗として小さく吐き捨てるようにそう呟くと、樹璃はコンソールを操作し、新たな設定を打ち込んだ。くくっと、低く笑って東城は楽しそうに樹璃の横顔を見つめていた。

「うっ……」
 小さく呻いてマヤが身じろぎした。一体どれくらいの間意識を失っていたのか。石抱き責めによって受けた激痛を思い出すだけで、全身が震える。足の骨が砕け、胸が漬れるあの痛み……もしもう一度あれをやられたら、今度こそ自分は泣き叫びながら全てを話してしまうかもしれない。恐怖を伴った想像を強引に振り払い、マヤは自分が置かれた状況を把握しようと懸命に努めた。
 手術台を思わせる台の上に、台の字に手足を広げて拘束されている。手首と足首、肘と膝、肩と太股の付け根。十二ヶ所にベルトが巻かれ、きつく締め上げられていた。おかげで、首を振る以外の動作はほとんど出来ない。当然ながら全裸だ。
「く、うぅ……」
 骨を砕かれた両脛と、無残なまでにぐちゃぐちゃに漬れた胸から激痛が走り、マヤが額に汗を浮かべて苦痛の呻きを上げた。その声が合図であったかのごとく、天井のライトが強い光を放った。強い光に目を射られてマヤが表情を歪める。
 本人は冷静なつもりでいても、やはり度重なる拷問で集中力が低下しているのか、彼女は一つのおかしな事に気付いてはいない。彼女の両目は、既に潰されていて視力を失っているはずなのに、周りがはっきりと見えているという事実に。
 銀の髪と銀の瞳、透き通るように白い肌と、全体的に色素に乏しい印象のあった彼女。その両目に、毒々しい赤い色がはめ込まれていた。瞳と白目の区別の無い、血が凝固したような毒々しい真紅の目が……。
「よぉう、マヤちゃん。お待たせ。準備は出来たぜ」
 にやにやと笑いながら、手術台に歩み寄ってきた東城がマヤの顔を覗き込むようにしながら そう言う。ふいっと顔を背ける彼女の顎に手をかけ、強引に自分の方へと向き直らせるとにっと東城が笑った。
「そう嫌うなよ。別に拷問しようってんじゃない。石抱きはちょっとダメージがでかかったみたいだからな、治療してやろうってんだよ」
「恩着せがましいことを言わないで! 私が死ぬと困るから、でしょう!?」
 叫んだ拍子にずきんと全身に激痛が走り、くうぅっと呻くマヤ。その様子を楽しそうに眺めながら、東城が軽く肩をすくめた。
「ま、否定はしないがね。せっかくのオモチャだ、すぐに壊しちまったらもったいないだろう?」
「この……変態っ!」
 なえそうになる気力を奮い立たせようと、マヤがことさらに大声を上げる。もっとも、叫ぶたびに胸や足の激痛に呻く羽目になるし、そんな彼女の姿を眺めて東城が楽しんでいるのだから、あまり得策とは言えないが。
「結構、結構。元気なのはいいことだよ、マヤちゃん。安心しな、怪我したところは奇麗に治してやるから。とりあえず、今日はここだ」
「ひぎゃああぁっ!?」
 笑いながら東城が半ば千切れかけたマヤの無残に漬れた乳房をわしづかみにする。ぶしゅ、にゅるっと血と脂肪とが裂けた皮膚から絞り出され、マヤが絶叫を上げて首をのけぞらせた。くくくと低く笑いながら、東城が血と脂がこびりついた右手をマヤの砕かれた脛の方へと移動させる。
「こっちは、またの機会にでもな……いっぺんにやると、マヤちゃんには耐えられないだろうしねぇ」
「ぎいいいぃっ! 痛いっ、痛いぃっ!」
 砕かれた脛を握り締められ、マヤが濁った悲鳴を上げながら激しく首を左右に振る。白い腹が大きく波打ち、全身にびっしょりと脂汗が浮かんだ。嬲るような笑みを浮かべた東城が、右手でマヤの脛を握り締めたまま左手の人差し指で潰された彼女の右目に触れる。
「こっちはもう、治してあるがね……」
「あぎっ!」
 痛みに敏感なそれをまぶたの上からつぷり、と、東城の指が押し潰しかねない強さで押す。痛みのあまりこぼれた涙の色も、眼球と同じ毒々しい真紅。血の涙を流しているような姿になってマヤが身体を震わせた。東城の言葉によって自分の目が治療されている事に気付いたものの、それに対して何かを言う余裕はない。
「全部、機械化せずに生身で治してやるよ。感謝して欲しいねぇ」
「うっ、ううあ……」
 苦痛にマヤが身をよじる。不機嫌そうな表情を浮かべて樹璃が東城の肩に手をかけ、マヤの側から引き剥がした。
「邪魔だ。どいてろ」
「おやおや、樹璃先生は御機嫌斜めなようで。はいはい、おとなしくしていましょう」
 おどけたように肩をすくめ、東城が後ろに下がる。ふんと不機嫌そうに鼻を鳴らすと、樹璃は苦痛に身体を震わせているマヤのことを見下ろした。
「悪いが、手術は麻酔なしで行う。……素直に仲間のことをしゃべれば、麻酔をかけてやってもいいとあいつは言っているが、どうする?」
「や、やっぱり、拷問なんじゃない……好きにすれば!? 仲間を売るつもりは、ないわ!」
「そう、か……やはりな。
 実は、もう一つ、言いにくいことがあるんだが……」
 苦痛に身体を震わせながら、気丈にも叫んだマヤの姿に、樹璃が溜め息をついて軽く頭を振る。歯切れの悪い彼女の言葉にマヤが一瞬不安そうな表情を浮かべた。樹璃の横で床が開き、下から台がせり上がってくる。その台に置かれた二つの培養カプセル、正確にはその中身を見て小さくマヤが声を上げた。
「そ、それ、は……」
「今からお前に移植するものだ。お前の身体の組織を元に急速培養したもので、機械部品は一切使っていない。もっとも、感謝する気にはなれないだろうが……」
 苦渋に満ちた表情で樹璃がそう告げる。小さく唇を震わせ、マヤは培養カプセルの中身を凝視していた。
 大小二つのカプセルの中には、それぞれぶにょぶにょとした肉塊が浮かんでいる。東城の台詞から推測するまでもなく、乳房だというのは分かった。ただし、普通の大きさと形ではない。
 小さ目のカプセルの中に浮かんだ乳房は、サイズ的にはマヤ本来の持ち物と互角か一回り小さいぐらいだろう。ただ、柔らかな皮膚の表面からはでたらめにいくつもの乳首が飛び出しているという、異様な形をしている。乳首の周囲を取り囲む乳輪も大きく、ぷくっと乳房から盛り上がるような感じをしているから、乳房の表面から更に小さな乳房が飛び出しているような印象さえあった。
 大き目のカプセルの中に浮かんでいる方は、半球状ではなく、細長い形をしていた。太さ自体も普通の乳房と比べれば楽に二回りか三回りは太いのだが、それでも細長い形に見えるほど長く引き伸ばされた形をしている。マヤの胸に根元を当てれば、だらんと垂れ下がった先端は腰の辺りまで来るのではないだろうか。
 二つの、それぞれに異様な形をした乳房を目の当たりにして、マヤが激しく首を左右に振って泣きわめく。自分の身体にあんな代物が付いた姿は、想像するだけでも酷い恐怖と嫌悪感を伴った。
「イヤアアアアァッ、イヤッ、イヤアァッ、やめてっ、そんなものを付けられたくないっ!!」
「おやおや、せっかく作ってあげたのに、マヤちゃんはわがままだなぁ。
 ま、仲間のことを話してくれるなら、普通の奇麗な身体にしてあげるがね」
 悲鳴を上げるマヤへと、からかうような嬲るような独特の口調で東城がそう告げる。びくっと身体を震わせ、マヤが視線を彼の方へと向けた。
「そ、それは……」
「どうする? 話すかい?」
「っ! い、嫌よ……話す気は、ないわ」
 ためらいを含んだ口調ながら、マヤが東城の言葉を拒絶する。ひょいっと軽く肩をすくめただけで、特に落胆の様子も見せずに東城は椅子に腰を降ろした。
「ま、気が変わったらいつでも言ってくれや。樹璃先生、始めましょうか」
「…………分かった」
 やや長い沈黙を挟んでそう言うと、気が進まないような表情で樹璃がメスを手に取った。小さく頭を振ると、ぐちゃぐちゃに漬れているマヤの右の乳房を左手で掴む。
「あぎぃっ! ぎっ、ひ、い、痛い……! や、だ……ぎゃあああああああぁっ!!」
 漬れた乳房を掴まれ、上へと引っ張られる。その痛みに悲鳴を上げ、身をよじるマヤ。乳房の付け根にメスが当てられ、胴体から乳房を切り離し始めると悲鳴が絶叫へと変わった。
 マヤの絶叫を聞いて樹璃が眉をしかめた。だが、彼女の振るうメスは容赦なく乳房へと食い込み、切り離していく。乳房を切り落とされる激痛に、目と口とを精一杯に見開き、マヤが絶叫を上げつづける。ビクンビクンと身体が跳ね、その動きがかえって傷を深く、痛みを激しいものにしていた。
「ヒギャアアアアアアアッ! アギッ、ギッ、ギャアアアアアアアァッ! イヤアアアアッ、ヒッ、ヒイイイイィィッ! ヒギャッ、ヒッ、ガッ、アグアアアアアアアアアァッ!!」
 ずぶずぶと、メスが柔らかい乳房に食い込み、引き裂く。右の乳房が完全に切り取られる頃には、絶叫を上げつづけたマヤは既に気息奄々の状態になっていた。ひっ、ひぃっ、と、掠れた声を漏らし、弱々しく首を振る。しかし、これでもまだ半分でしかないのだ。左の乳房を切り取る作業がまだ残っている。いや、その後で培養された乳房を縫合する作業もあるのだから、まだ四分の一、というところか。乳房を切り落とされ、無残な断面を見せているマヤの胸の傷へと樹璃が透明なジェルを薄く塗布し、出血を押さえる。
「先は長いぜ、マヤちゃん。今からそんな調子で、最後まで持つのかなぁ?」
「ひ、あ……こ、殺し、て……お願い……もう、殺して……!」
 からかうような東城の言葉に、マヤの口から弱々しい哀願の声が漏れる。くくくっと低く笑い、東城は肩をすくめた。
「仲間のことを話せば、な」
「うっ……それは……。駄目……話すわけには、いかない」
「意地を張っても、損をするだけだと思うがねぇ。ま、樹璃先生、本人もああ言ってることだし、続行しましょうか」
 弱々しくマヤが拒絶の言葉を口にする。嬲るような口調でそう言いながら東城が肩をすくめ、樹璃が無言のまま培養カプセルから乳房を取り出した。普通サイズでいくつもの乳首を持った方だが、ハリに乏しいのか、彼女の手の中で取り出された肉塊はぐにゃりと歪み、ふるふると震えている。
 肉塊を手にしたまま、樹璃が視線を天井に向けると、するするっと先端にクリップが付いたコードが何本も天井から降りてきた。手にした肉塊から付き出した突起--乳首をクリップで挟んで乳房を吊るす。自らの重みで引き伸ばされ、だらんと垂れ下がった乳房から培養液がぽたぽたとマヤの身体に滴った。吊るされた肉塊の醜悪さに表情をこわばらせ、イヤイヤをするように首を左右に振るマヤ。
「い、嫌……やめて……」
「話すか?」
 彼女の唇からこぼれた呟きに、そっけなく樹璃がそう問いかける。唇を震わせ、マヤが少し大きく首を左右に振った。目をつぶり、覚悟を決めたかのように唇を噛み締める。
 小さく溜め息をついて、樹璃が白衣のポケットから小さな箱を取り出した。ぱちんと箱を開き、中から髪の毛ほどの細い針を摘まみ上げる。一見針だけのようだが、ちゃんと糸も通されていた。ただ、ミクロン単位の糸だから常人の視覚では捉えられないというだけの話だ。
 一度目を閉じ、意識を集中するように息を吸って吐くと樹璃がすっとまぶたを上げた。瞳の表面に、無数の細かい文字が流れる。樹璃が機械化しているのは、腕と五感、特に視覚だ。機械に置きかえられた目と腕により、神経を視認し、縫いあわせるという超精密作業をこなすことが出来るのだ。
 更に左手の握った拳から人差し指だけを伸ばし、その指先から髪の毛ほどの太さの針を二本飛び出させる。樹璃は、その二本の針をピンセットのように動かしてマヤの胸の断面の肉から一本の神経の先端を露出させた。神経に加えられた刺激に一瞬びくっとマヤが身体を震わせ、掠れた声を上げる。
「あ……あ……ギャウアァッ!!」
 胸の切断面に近づいてくる樹璃の手を、震えながら見つめていたマヤが、針が切断面に突き立った瞬間濁った絶叫を上げて首をのけぞらせた。ギシッ、ギシッと身体を拘束するベルトが軋んだ音を立てる。神経を直接刺激され、とんでもない激痛が弾けた。
「ギヒイイィッ! ヒッ、ヒッ、ヒッ……ヒギャアァッ!!」
 樹璃の手が吊るされた肉塊の断面に伸び、断面の神経の一つを縫って再びマヤの胸の方へと戻ってくる。ずるずると神経の中を糸が通っていく激痛に泣きわめき、大きく目を見開いて掠れた息を吐いていたマヤだが、二針目が胸に通された瞬間、再び弾けた激痛に身体をビクンビクンと跳ねさせて絶叫を上げた。
「じ、じんじゃう……やべて……ギッ、ギギギギィッ!」
「まだまだ始まったばかりだぜ、マヤちゃん。ま、ギブアップするなら早い方がいいとは思うがね」
 ビクンビクンと身体を跳ねさせ、苦痛の叫びを上げるマヤへと東城が笑いながらそう呼びかける。無言のまま、樹璃は吊るされた肉塊の神経に針を通し、神経を糸で刺激してマヤに悲鳴を上げさせながら三針目を彼女の胸へと突き立てた。
「アガァッ!! ガッ、ハッ!」
 あまりの激痛に、絶叫することも出来ずにマヤが短く息を吐いて身体を震わせる。少しでも痛みを紛らわそうとしているのか、激しく首を左右に振り、手を開いたり握ったりを繰り返すマヤの姿を痛ましそうに樹璃が見つめた。
「縫合のために、薬で神経を活性化させてあるからな……痛みも、その分激しい筈だ。素直に、話してはくれないか?」
「い、や……アググググ」
 激痛に翻弄される精神を懸命に集中させ、拒絶の言葉を何とか紡ぎ出す。苦痛に歯を食い縛り、呻くマヤの姿に小さく頭を振ると樹璃はすいっと腕を動かした。吊るされた肉塊の神経を経由して戻ってきた針が、マヤの胸へと突き立てられる。
「ギャッ!! あ、あぐぅ……」
 びくん、と、身体を震わせたマヤから悲鳴が漏れかけ、途中でぶつっと途切れる。絶叫する形に開いた口から押し出された息が掠れた呻きとなり、がくっと顔を横に向けてマヤは失神した。僅かに眉をひそめ、樹璃が腕を動かして肉塊の神経へと糸を通す。左手の指先から出した二本の針で気絶したマヤの胸から神経を摘まみ出すと、樹璃はそこへと針を突き立てた。
「ヒギャウゥッ!? アッ、ヒッ、ヒアァッ」
 失神から、激痛によって無理矢理覚醒させられたマヤが身体を震わせて喘ぐ。樹璃が腕を動かすと、既に縫われた神経が引っ張られ、新たに縫われた神経の中を糸がずるずると通りぬけていく。その激痛に、ビクンビクンと身体を震わせ、髪を振り乱して途切れ途切れの悲鳴をマヤは上げた。絶叫したくても、激痛のあまり全身の筋肉が痙攣し、長い叫びを放つことが出来ないのだ。犠牲者の上げる悲鳴というものは、加害者を楽しませる効果を持つと同時に、痛みから意識を逸らす働きをして犠牲者を僅かなりとも助ける効果も持つ。マヤも加えられた激痛から何とか逃れようと懸命に身体をよじり、悲鳴を上げることで気を紛らわそうとしているのだが、拘束された身体は大して動かず、悲鳴も激痛によって寸断され、かえって意識を痛みに向かわせてしまっている。
「ヒガッ、アッ、ギィッ! ギッ、ガッ、ハ、ウビャッ!!」
 針が神経を貫く激痛、糸が針によって作られた神経の穴を通りぬけていく激痛。強さとしては前者が、長さとしては後者がそれぞれ大きいが、二つの痛みは互いに途切れることも弱まることもなく続き、マヤの精神を容赦なく消耗させていく。失神から痛みによって覚醒させられてから三回針が彼女の胸の傷と吊るされた肉塊の間を往復した時、再びマヤは意識を失った。半開きになった口からとめどなくよだれを垂れ流し、ひくひくと全身を痙攣させる。
 しかし、マヤには長く失神し、痛みから逃れる自由はなかった。失神し、全身を痙攣させているマヤの胸と肉塊との間を針が往復する、さして長くもない時間。彼女が失神していられたのは、たったそれだけの時間でしかない。神経を針で貫かれる激痛に失神から叩き起こされたマヤが、再び途切れ途切れの、悲鳴とも息が押し出される音ともつかない声を上げ、全身をビクンビクンと震わせ始める。
「アッ、アガッ、ギ、アッ、ヒャィッ!! ギャッ、ウッ、アッ、アヒッ、ヒッ、ヒイッ、ギ、ギギッ、ギャウァッ!!」
 ぎゅっと眉をしかめ、樹璃がひたすらにマヤの胸と吊るされた肉塊との間で針を往復させる。針が移動している間は途切れ途切れの悲痛な叫びを、そして胸の傷からほじくり出され、露出した神経に針を突き刺される時には激痛のあまりぶつっと途切れる絶叫を、それぞれ上げながらマヤが身体を震わせ、首を激しく振り立てる。全身にびっしょりと油汗が浮かび、台の上に滴って人型のシミを作った。
 大体、針が三往復するたびに激痛のあまり意識を失い、次の一往復の激痛によって無理矢理意識を覚醒させられる。そんなサイクルが延々と繰り返された。胸の中央近くから始まった縫合処置は、螺旋状に外側へと針が突き立てられる位置を変えていく。神経の位置によって痛みが変わるわけではないが、一針縫われるたびに以前に縫われた全ての神経にも刺激が加わり、激痛を発するのだから痛みは時間と共に強くなる一方だ。
 ゆっくりと時計が時を刻む。三十分が過ぎた頃には、針はその突き立てられる位置をぐるぐると変えながら円形の傷の半径のおよそ三分の一程度の位置に有った。神経を一本一本縫っていくという作業を考えればこれは驚異的とも言える早さだが、マヤの側から見れば三十分間に渡って激痛によって失神し、激痛によって無理矢理覚醒させられるというサイクルを繰り返したにもかかわらずまだ三分の一、だ。もっとも、開始から十分も立たないうちにマヤの時間感覚は麻痺しきっているのだが。
 途切れ途切れの絶叫を上げ、身体を痙攣させること更に三十分。針は全体の三分の二程度の位置まで到達した。ただし、マヤの方の消耗も激しい。この頃になると、意識を取り戻してから針が二往復しただけで再び失神することが多くなってきたのだ。同時に、一往復では覚醒しきらず、失神から目覚めるのに二往復かかるということも、起こるようになってくる。また、小刻みな痙攣は激しくなる一方なのに、神経に針を突き刺された時の大きく身体を跳ねさせる動きは次第に小さくなっている。いったん目を閉じ、手を止めた樹璃が小さく頭を振ると東城の方に視線を向けた。
「麻酔無しでは、やはり体力の消耗が大きい。元々、度重なる拷問で身体はぼろぼろになっているわけだしな。このままだと、最悪、死ぬぞ?」
「そこを殺さないのが、樹璃先生の腕の見せどころ、でしょ? ま、麻酔薬以外なら何を使ってもらってもかまいませんから、何とかもたせてくださいよ」
「賛成できん。栄養剤だの精神安定剤だの、そういった小手先の処置をするより、素直に麻酔をかけるのが最善手だ」
 東城の軽口めかした言葉に、樹璃が厳しい表情で首を左右に振る。すっと、東城が僅かに目を細めて危険な光を瞳にひらめかせた。
「あんたの意見は、聞いてない」
「くっ……」
 静かな東城の台詞に、樹璃が小さく呻いて唇を噛み締める。なおも動こうとしない彼女の姿に、軽く肩をすくめると東城がポケットから小型の通信機を取り出した。彼の指が通信機のスイッチをオンにしようとするのを、樹璃が慌てて叫んで止める。
「待てっ! 分かった、善処する……」
「素直で結構」
 どうでもよさそうな口調でそう呟き、東城がスイッチを入れないままの通信機をポケットに滑り込ませた。唇をぎゅっと噛み締めたまま、樹璃が無針注射器にアンプルをセットし、ひくひくと痙攣しているマヤの首筋に当てる。しゅっと軽い音と共に薬剤がマヤの身体に注入されると、ぼんやりとしていたマヤの瞳に僅かながらに光が戻った。
「あ……あぁ……わ、私、は……」
「もう、お前は充分に頑張っただろう? ここで屈服しても、誰もお前を責めやしない。素直に話して、楽になったらどうだ?」
「い、や……話さ、ない……何、も……話さ、ない」
 弱々しく首を振り、呻くと呟くとの中間ぐらいの声でマヤがそう言う。ふうぅっと溜め息を吐くと、樹璃は再び神経の縫合作業に取りかかった。マヤの口から悲鳴があふれ、ビクンビクンと身体が跳ねる。
「イッ、ギャッ、イギャイッ、ギャッ、ヒッ、ヒアァッ!」
 大きく目を見開き、激痛のあまり途切れがちになる絶叫を放つマヤ。更に三十分の時が過ぎ、合計で一時間半かけて神経の縫合が終わるまでそれは続いた。
「ヒッ……ヒ、イィ……う、ぁ……」
 びくっびくっと時折身体を痙攣させながら、顔を横に倒したマヤが掠れた呻きを漏らす。左手で吊るされた肉塊を掴み、右手で乳首を挟んでいたクリップをすべて外すと、樹璃は僅かにためらうような視線をマヤへと向けた。口からよだれを垂れ流し、うつろな視線を宙にさまよわせているマヤ。ふっと短く息を吐くと、樹璃は右手で針を掴んでぐいっと引っ張った。全ての神経を貫通した糸が、引っ張られる。
「ヒギャウジャギャヴァギャギャガヤガビギャバヤビャギベ!!!」
 意味を為さない、絶叫というよりは咆哮を上げてマヤが目をこぼれんばかりに見開き、身体を弓なりに反らせて激しく痙攣させる。激痛のあまり口や胸の筋肉が勝手に動き、押し出された息がでたらめに動く口に当たって意味不明の叫びとなっているのだ。肺の中の空気全てを絞り出しても痛みは止まず、かといって痙攣する胸では息を吸うことも出来ず、無言でぱくぱくとマヤが口を開け閉めする。
 右手を動かし、肉塊とマヤとを繋ぐ糸を引っ張る樹璃。引っ張られるのに合わせて左手を下げていくと、一本の糸で全ての神経を繋がれた二つの肉の断面がやがてぴったりと密着した。赤い筋になった接触面へと樹璃が更に針を走らせ、縫合していく。麻酔無しの縫合に、神経を縫われる痛みとは比べものにもならないほど弱いものの、紛れもない激痛が走ってマヤが身体を震わせた。
「アギィ……ヒンギャウゥ……アベベェ……イギャイィ……」
 不明瞭な呻きをマヤが発した。死んじゃう、やめて、痛い、と、そう言いたいのかもしれないが、既にまともに舌が回っていない。
「ふわぁ~あ、やぁっと半分終わったか。やれやれ。で、マヤちゃん、どうかな? 素直に、しゃべる気には、なってくれたかなぁ?」
 わざとらしいあくびをしてみせながら、東城がそう問いかけた。弱々しく、僅かにマヤが首を横に振る。唇が僅かに震えるが、不明瞭な上に小さな声なので何を言っているのかは良く分からない。もっとも、首を横に振っている以上は、意思は明らかかもしれないが。少なくとも、東城はそう判断したようだ。
「まったく、賞賛に値するねぇ、マヤちゃんの頑固さは。
 ま、いいや。樹璃先生、薬でちょっと回復してやってから、反対側にいきましょうや」
「……その前に、三十分ほど休憩させてもらえないか? 彼女の回復もそうだが、私も少々疲れた」
「おやおや、樹璃先生らしくもない。この程度の手術で疲れるようなお人じゃ、ないでしょうに」
「神経の縫合は、気を使う。繋ぎ損ねると、いろいろと問題が有るからな」
 左手の指で目の間を揉みほぐすような動作をしながら、樹璃がそう応じる。彼女の意図が、自分の休憩にかこつけて少しでもマヤを休ませてやりたい、という辺りにあると察しをつけながら、東城は軽く肩をすくめた。
「別に、繋ぎ損なったところでどうって事はないでしょう。どうせ、すぐに腐っていくんですから」
「く、くひゃる……?」
「あれぇ? 言ってなかったけ、マヤちゃん。そいつは促成培養の粗悪品でねぇ。くっつけた後しばらくすると、腐っちゃうんだよ。どろどろっと肌が溶け、肉にウジが湧きながら腐っていくのさ。ま、そうなったら切り落として、また新しい胸をつけてあげるから心配しなくてもいいぜ。そうだな、次は、数も増やしてあげようか? 牛みたく、四つとか六つの乳房をこう縦に並べてみるってのも、面白い眺めになるとは思わないかい?」
 残酷な意図を持って、東城がそう言う。彼が意図したように、マヤの瞳にはっきりとした恐怖と、そして僅かながら絶望の色が浮かんだ。拘束された身体を震わせ、マヤが悲痛な呻きを上げる。
「ひやあぁっ……やめて、そんなの、イヤァッ」
「ま、マヤちゃん次第だねぇ、そいつは。素直に俺の言うことを聞いてくれるんなら、やめてやるさ」
「それも、駄目ぇっ。話さない、話さないわっ。殺してっ、殺してよぉっ」
 拘束された身体をのたうたせ、何とか逃れようともがくような動きをマヤが見せる。瞳からポロポロと涙がこぼれ、舌を噛みきろうとしたのか顎に力がこもった。もっとも、軟質ゴムの入歯になった彼女には、舌を噛みきることは不可能だが。
「殺さないさ。まだ、ね。楽になりたきゃ、全部話すことだ。
 さて、樹璃先生。ちゃっちゃと済ませちまいましょ。多少の失敗は、この際問題ないでしょ」
「くっ……分かった」
 唇を噛み締め、東城の言葉に樹璃がそう応じる。肉の筒のような乳房がカプセルから取り出され、吊るされた。身体をのたうたせるマヤの左の乳房に樹璃の手が掛かり、メスで切り離す作業を開始する。マヤが上げる途切れ途切れの絶叫が再び響き始めた。

 ……二時間近くをかけて、縫合処置を受ける間、マヤが自白を拒みつづけることが出来たのは奇跡と呼ぶにふさわしいだろう。神の加護ではなく、おそらくは悪魔の悪意が引き起こした奇跡だっただろうが……。
 しかし、マヤの精神力は、確実に限界に近づいていた……。
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