外伝/有栖川シン


「いっ、いやっ、許してっ、私もう全部喋ったよ、ねぇ、もう許してよっ」
 金属製のベットの上に全裸で拘束された少女が表情を引きつらせながら哀願の叫びを上げている。僕はちらりと彼女のほうに視線を向けると、さてどうしたものかと僅かに悩んだ。別に彼女に自分の立場を教えてやる必要はないしまたもしも教えたところで何かが変わるわけでもないから無意味なことだけれど、それでも一応は教えてやるべきかな、と。もっとも僕は基本的に人付き合いが苦手でその理由の大半を占める口下手さを考えると上手く説明できる自信はない。だから僕はとりあえずは彼女の言葉を耳から締め出して装置のセッティングを確認する作業に集中する。もっともそれはいつものようにやっている作業だから半分上の空でやったところで間違えはしないのだけれど。
「では、始めましょうか」
 一通りのセッティングの確認を終えて全て問題ないことを確かめると僕は視線を彼女のほうに戻した。別に彼女と会話する必要はないしその意志もないのだけれど、それでも無言のまま始めるのもなんだからと一応一声かけてから僕は装置のスイッチを入れる。低い駆動音とともにベットの上下の端から生えたアームが動く。手足を上下に強く引かれ、身体を引き伸ばされていく少女が悲鳴を上げ、ますます大きく哀願の声を上げる。
「いやっ、やめてっ、やめてよっ、私はもう全部喋った! 本当よ、ねぇっ、もうやめてっ、許してぇっ!」
 彼女は僕が尋問のためにこういうことをやっていると思っているようだしそれは無理のないことだけれど、別に僕は彼女を尋問しているわけではないしそもそも僕は一介の技師であってインスペクターではないのだからそんな権限はない。彼女の勘違いを訂正するべきかなとも思いつつ僕はとりあえず目の前の操作卓に指を走らせる。ただの動作チェックにそれほど神経質になることはないし、第一今やってるこれは結構前から使われてる機械のメンテナンス終了後のチェックだから半分形式的なもので実のところ最初のセッティングさえしてしまえば後は全部機械任せにしておいても問題はない。だから僕がここにいなければならない必然性はほとんどないのだけれど、それでも僕の知っている限り技師のほとんどは機械のチェックのさいにその場にいるらしい。僕の場合は万が一の事態を常に想定してしまうせいなのだけれど他の人間も同じことを考えているのかどうかは僕は知らないし実のところ興味もない。コーポの特に中枢近くに位置する人間は普通の感覚からすると性格が歪んでいるものらしいから拷問を楽しんでいるのかもしれないけれどそれはまぁその人の勝手だし僕には関わりのないことだから。
「あっ、ああっ、痛いっ、お願いっ、許してっ。知ってることはもうないのっ、お願いっ、信じてよっ! あああっ!」
 ぎり、ぎりっと身体を引き伸ばされていく少女の悲鳴。モニターに表示させた各種の情報を眺めつつ僕は少し困る。彼女は名前は忘れてしまったけれどどこか小さなレジスタンスの一員だったらしくてつい先日まで尋問を受けていたのだそうだ。その件には僕は一切関わっていないので具体的に彼女が何をされたのかとか彼女の所属していた組織がどうなったのかとかは知らない。もちろん素材用として登録されているのだから彼女が自白させられたのは確かだろうしその組織ももうこの世にないのだろうけど、彼女の様子を見るとまだ彼女はそのことを知らないらしくてさてではどう説明しようかというさっき感じた問題に再び僕の思考は戻ってしまう。もちろん僕にそれを説明しなければならない理由はないしまたしたところで彼女にとって何かメリットがあるわけではないというのは重々承知しているのだけれど。いやそもそも状況を説明したところでメリットどころか彼女に絶望を与えるだけだからむしろしないほうが彼女のためではないかとも思う。僕は別に--やっていることはさておき--彼女を苦しめたいわけではないので。
「ああっ、痛いっ、いやああああぁっ! やめてやめてやめてっ、何を話せばいいの!? 何でも喋るからっ、もうやめてぇっ!」
 悲鳴を上げて身体をのたうたせる少女の希望には添ってあげられない。別に僕は彼女から何かを聞きたいわけじゃなくて、機械がきちんと動くかどうかのテストに彼女の身体を使っているだけなのでテストが終了する前に彼女を解放したのでは意味がない。とはいえそれをそのまま告げるのも可哀想な気がするから結局僕は何もいえずにこちらに向けて大きく足を開くような格好で身体をのたうたせる少女のことを眺めていることしか出来ない。もっともそういう多分一般的には扇情的だと判断される動きを見ていても別に僕は何とも思わないからやっぱり僕にはどこか足りない部品があるんだろうなとぼんやり思う。悪い癖だと自分でも思うのだけれど僕の思考は取り止めがなくてすぐに現実から離れて無意味な方向に向かってしまう。だからよく人から真剣味が足りないといわれるのだけれど自分でもどうしようもなくそうなってしまうのであって意図的にやっていることではないので仕方がない。まぁそこで仕方がないで済ませてしまうのが問題なのだろうとは自分でも思うのだけれど。
「ああっ、あっ、あっ、あああっ! 千切れるっ、千切れちゃうぅっ!」
 手足をピンと引き伸ばされた少女が一際大きな悲鳴を上げて僕の思考を現実に引き戻す。大袈裟だな、と、僕はモニターに視線を落として僅かに苦笑した。別に彼女を裸にしているのは僕の趣味というわけでなく、天井のカメラで彼女の筋肉の動きを精密に観測してそこに掛かる負荷の値を求めるためだ。もちろん筋肉がどの程度の負荷に耐えられるかは個人差も大きいけれど彼女の場合は一番標準的な人工筋肉を使っているから耐久力の情報は充分にある。モニターに表示されている負荷率はまだ五割のラインに届くかどうかといったでこのぐらいなら測定誤差を考慮しても全く千切れる心配はない。
「この程度で千切れはしません。安心してください」
「あっ、あああっ、いやっ、ああっ、きゃあああああああああぁっ! 千切れちゃうっ、千切れちゃうよぉっ! もうやめてっ、許してぇっ!」
 だからそのことを僕は彼女に告げてみたのだけれど彼女は相変わらず悲鳴を上げて身体をのたうたせるばかり。現実問題としてこういう不規則な身体の動きが僕たちのように計算を基本に行動する人間には怖い。じっとしていれば均等に負荷が掛かって耐えられるのに下手に動いたせいで偏りが出来て千切れるということもある。だから出来ればじっとしているのが一番安全なのだけれど、とそう思って僕は内心で苦笑した。よっぽど特別強化されたサイボーグでもない限り人間には必ず痛覚があるものだし、痛みを感じればそれから逃れようと無意識に身体が動いてしまうのは仕方がない。大体そういう事前に計算で予測不能なデータを取るためにわざわざ生きた人間を使うのであって単に機械が動くかどうかのチェックだけなら人形でも使えばいい。
 まあそれに彼女の場合はレジスタンスの一員として行動していたわけだから当然身体にもいろいろ手を加えている。その一環として痛覚の抑制処置をしていたと仮定して更にここで尋問を受けるさいにその処置を無効化されたとすれば今まで鈍くしていた痛覚は比較として鋭敏になってしまうもので、だから客観的に見れば問題のない負荷でも彼女にとっては本当に腕や足を引き千切られてしまいそうな激痛に感じられているのかもしれない。もっと僕は彼女の尋問には関与していないから僕の考えが正しいかどうかは分からないのだけれども。
「ヒギイイイイィッ、死ぬっ、死んじゃうっ、やめてっ、もうやめてぇっ! ヒギャアアアアアアアアァゥ!」
 少女の絶叫にまだ死なれると困るなと僕はぼんやり考える。尋問が終わって処刑が確定した人間の一部は素材用としてストックされるのだけれどそれを使わせてもらうためには申請が必要でこれが結構煩わしい。だから大抵の技師は一緒に仕事をするインスペクターから直接流してもらうのだけれど僕の場合そのルートは持っていない。一応は二級技師ということで三級だった頃と比べると機械のチェック用の素材を回してもらいやすくはなっているのだけれど、それでも面倒なことには変わりがないからできれば彼女にはまだ役に立ってもらいたいところだ。
 この辺の思考を客観的に検証すると、僕はまるで血も涙もない人間のように見えてしまう。もっともそれは結構事実をついていると自分でも思うのであまり文句も言えない。本当は他人に興味をあまり持てないでいるせいで自然と他人の生死や不幸にも無頓着になってしまうというだけのことなのだけど。
 悲鳴を上げながら身体をのたうたせ、懸命に哀願する少女を眺めつつ僕はコンソールを操作する。別に僕がわざわざ操作するまでもなく放っておいても事前のプログラミング通り機械は動くのだけれど。ともあれ僕の打ち込んだ指令にしたがって今まで単純に引っ張るだけだったアームの動きに回転が加わり、少女の手足が雑巾でも絞るかのように捻られる。
「ヒギャアアアアアアアアァッ!? 腕っ、足っ、千切れッ、ウギャアアアアアアアアアァッ!」
 大きく目を見開いて口から唾を飛ばしながら少女が激しく身悶える。モニターに表示されている筋肉の負荷が一気に跳ねあがるのを横目で確認しつつ、僕は同時に表示されているアームへの負荷のほうに意識を向ける。基本的に充分な耐久力を持たせてはあるのだから気にする必要はないとはいえ、万が一ということもありえるしそもそもその辺りの確認をするのが今回の主目的だからこれは当然だ。もっとも激痛に絶叫する少女の姿を目にし声を聞きながらこういう客観的な数値だけにしか意識が向かないというのは自分でもどこか少し変だとは思う。変だなと思いつつそれを治さなければとは思わないしましてやどうすれば治せるかと考えない辺りもやっぱり変わっていると思う。そこで変わってると思いつつも、と思考がループに陥った僕が客観的にみればぼんやりとしている間にも機械は忠実に指令に従い少女の手足を引き伸ばしつつ捻り上げていく。
「やめっ、やめてっ、千切れるっ、千切れちゃうっ! 喋るからっ、何でも喋るからっ! もうやめてっ、ギャアアアアアアアアアアァッ!!」
 加速度的に激しくなる痛み--なのだろうとその痛みを実際に味わったことのない僕には想像することしか出来ないのだけれどおそらく間違ってはいないと思う--にぼろぼろと涙をこぼしながら少女が身悶え絶叫を上げる。その声にとりあえず意識が現実に戻り思考のループから抜け出した僕はこういう姿を目にしたときどういう反応を示すのが普通なのかなとふと思いついてしまい再び僅かに考えこむ。もっとも今回の思考は比較的あっさり答えにたどり着いたのだけれど。いわゆる普通の人間なら同情するのだろうしコーポの人間の場合は薄笑いを浮かべながら彼女の苦悶を楽しむのだろうという面白みのない結論。くだらないなと心の中で呟きつつ僕の場合は特にこれといった感想が浮かぶこともなく、意識の大半を画面に表示される各種のデータに向けたままぼんやりと眺めているだけだ。
 そういえばさっきから薄い陰毛に覆われた少女の股間が僕の視線に曝されているのだけれどそれを見ても特に僕は何も思わない。元々僕は異性に対する関心が薄いらしいのだけれどそう言えば昔姉さんにそのことを話したら真顔で『そのことは他人には言うなよ、誤解されるから』と忠告されたことを思い出して僕は軽く苦笑する。別に僕は女性に興味がないからといって男に興味があるわけでもないのだけれど。
「ギイイイイイィッ、ギャッ、ウギャアアアアアアアアァッ!! やめてっ、もうやめてぇっ!!」
 肘と膝の関節を破壊された少女の絶叫に取り留めのない思考に向かっていた僕の意識が戻ってくる。泣き喚きながら哀願の声と絶叫とを交互に上げて身悶える少女。僕は小さく首を振るとコンソールのキーを叩き、一旦機械を止める。このまま手足を引き千切ることももちろん出来るのだけれどそれをやってしまうとかなりの確率で彼女は壊れてしまう。今日はもう一つチェックしておきたい機械があるのでそれはちょっと問題だなと僕は思う。別に今日じゅうにチェックを済ませなければならないというわけでもないしどうしても必要なら別の素材用の人間を貰ってくることも出来なくはないだろうけど。その場合は僕の立場だと無理が効かないのであの男に口を利いてもらわなければならないので出来れば避けたい。僕は別にあの男を嫌っているわけではないけれど借りを作るのは好ましくないし。
「あ……あ、が……ううう」
 激痛に半分気絶したような状態になっている少女の身体をアームから外して背負う。華奢な身体の割には結構ボリュームのある胸が僕の背中にあたるけど別に嬉しくはない。どさりと頑丈な金属製の椅子に彼女の身体を落として手足をベルトで固定する。砕かれた肘や膝が痛むのか表情を歪めて身じろぎするが大した障害にはならない。傍らに置かれた電気ショック用の機械から先端に針のついたコードを引っ張り出してぶすりと少女の身体に突き刺す。
「ひっ、あっ、痛いっ、あっ、ああっ!」
 白い肌を針が突き破りぷっくりと血が盛り上がる。身体に針を突き刺される痛みに少女がびくっ、びくっと身体を痙攣させて悲鳴を上げる。もっともその程度の動きで針が折れるほどやわではないのは知っているから僕は気にしないで次の針を手に取った。
「お願い、もう、やめて……私、もう、何も隠してなんかないよぉ」
 ぼろぼろと涙をこぼしながら少女が哀願の声を上げるけれど僕はそれを無視して作業を進める。針が肌に近づくたびに引きつった悲鳴を上げて少女がみをよじるので狙った通りの場所に針を突き立てるのに少々手間取るのが煩わしいといえば煩わしいのだけれど、生きた人間を相手にしている以上はこの程度のことは仕方ない。
「では、始めましょうか」
 二十本以上ある針を全て少女の身体に突き立て終えた僕が機械の元に歩み寄ってそう告げると、少女が顔を真っ青にして激しく首を振った。
「いやっ、いやっ、やめてっ、何をする気っ!? お願いッ、もうやめてっ! 私はもう何も隠してない! 全部喋ったの! お願いっ、信じてっ!」
 悲痛な哀願の叫びにも僕の心は何も感じない。こういうところが壊れているなと自分でも思うのだけれど。苦痛に悶える少女の姿に興奮するでもなく無論同情するでもなく、僕は機械のスイッチを入れた。
「ヒギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァッ!!?」
 少女が絶叫を上げて身体を強張らせ小刻みに痙攣する。電気ショックといっても電圧や出力自体はそれほど高くないのでまず死ぬことはない。もっとも針によって神経を貫かれそこに直接電気を流されるのだから痛みは非常に大きい。小刻みに身体を震わせながら肺の中の空気を全て吐き出してしまったのか声にならない悲鳴をあげ続ける少女の姿と傍らのモニターに表示される各種のデータを等分に見やりつつ僕はまたぼんやりと自分の思考にふける。
 僕が最近組んでいるインスペクターは一級の東城。無能な人間が一級になれるはずもないのだから実力自体は折り紙付きの優秀な男なのだけれど性格のほうはかなり悪い。僕は別にそうは思わないのだけれど少なくとも周りの評価はそうなっているし僕の判断と周りの人間の評価とどちらが信頼に値するかといえば間違いなく後者だからおそらく彼の性格は悪いのだろう。そのせいで僕が彼と組むことになったときには周りの人間にずいぶん同情されたものだけれど、僕のほうも人のことをいえるほどまともな人間ではないのでお互い様ではないかと思う。ああいう男の相手をするのは大変だろうと言われもしたけれど僕みたいな人間を使うほうも大変じゃないかな、と。少なくともあの男ならこういう状態で何も感じないということはないだろうし。
 ぼんやりと物思いに耽りながらも頭のどこかはきちんと機能しているらしく僕の手が勝手に動いて機械のスイッチを切る。自分の動きに一旦意識を現実に引き戻して画面を確認すると少女の状態を示すグラフがイエローゾーンに突入していた。軽く苦笑を浮かべてグラフがセーフゾーンに戻るのを僕は待つ。
「ひっ、が……うああ……はぐううぅ……」
 全身にびっしょりと汗を浮かべて項垂れる少女の姿にまるで水死体だなとどうでもいいことを僕は思う。彼女の全身の筋肉が電気ショックの名残で不規則にぴくぴくと痙攣しているのを見つつ、彼女がこのまま死んでしまったら僕はどうするのだろうかとぼんやりと考える。報告書を書いて新しい素材の手配、彼女の死体の処分……しかしそれでも僕は何も感じないのだろうな、少なくとも彼女に悪いことをしたとか可哀想だとかそういう感情を抱くとは考えにくいしもちろんそれを喜んだり楽しんだりすることもないのだろうな、とそう思う。
「た、助けて……シン……」
 うわごとのように彼女が呟いた名前に一瞬僕のことを呼ばれたような錯覚を覚えて僕は苦笑する。彼女が僕のことを知っているはずもないのだから彼女の恋人か何かの名前なのだろう。世の中には同姓同名の人間などいくらでもいるだろうし偶然ではあるけれど大した意味はない。グラフがセーフゾーンに戻っているのを確認して僕は再び機械のスイッチを入れる。
「ウギャアアアアアアアアアアアアァァッ!! ……ッ! ……ァッ!」
 うなだれていた少女の頭が弾かれたように跳ねあがり、絶叫を上げて身体を震わせる。ひとしきり叫ぶと後は声にならない悲鳴を上げて身体を痙攣させるだけになるのだけれどその辺りがあの男がこの責めをやらなかった理由かなと再び僕の思考は取り留めのない方向に向かう。あの男はもっともらしいことを言っていたけれど結局のところ派手に絶叫したりのたうったりするような拷問を好む性格をしているからこの機械のように効果はあるけど見た目は地味なのは趣味じゃないのかも知れない。僕には他人が苦しむのを見て楽しむと言う感覚はどうしても理解できないのだけれどまぁそれは別にこのことに限ったことではないので結局のところ僕の人格に欠落している部分が多いといういつもの結論にたどり着くつまらない疑問でしかない。
「う、あ、あ……助け、て……シン……う、うう……シン……助け……」
 グラフがイエローゾーンに入ったところで機械のスイッチを切り少女を電気ショックから解放する。がっくりと項垂れたまま少女がうわごとのように呟く声を聞きつつ僕はぼんやりと別のことを考えながらグラフが元に戻るまでの時間を過ごす。
 東城という男が何を考えているのかは実のところ僕にはよく分からない。もっともそれは彼に限ったことではなくて僕には他人の考えていることなど何も分かりはしない。所詮は他人の考えていることなど分かるはずがないとも思うのだけれどそれを口にすると怒られるか呆れられるかのどちらかなので口にしたりはしない。大抵は呆れられるばかりで怒ったのは姉さんと昔ほんの一時期だけ付き合っていた彼女だけだけど。
 彼女は今でもコーポの技術者として同じ職場にいるのだけれどめったに顔を合わせることはない。別に殊更避けているわけではなくてもともと技術者同士横の連携というのはあまりなくて意識して他人と付き合おうとしない限り一人で動けるからだ。僕は元々他人と関わるのが苦手だし面倒でもあるので親しい友人などと呼べるほどの人間はいないけれどそれで特に不自由したこともない。彼女は僕とは対照的に社交的な性格をしていて友達も多かったらしいけど彼女の友人と僕との接点は彼女だけで僕が彼女と別れてからはもちろん付き合いがなくなっているから今どうしているのかまでは知らない。
「ギヤアアアアアアアアアアアアアアアアアァッ!!」
 グラフがセーフゾーンに戻ったのを確認してスイッチを入れる。弾かれたように絶叫を上げる少女。別段彼女と僕が昔ほんの一時期だけ付き合っていた相手とが似ているわけではないのだけれどそう言えば彼女も年より若くというか幼く見られるタイプでそのことを気にしていたっけなと脈絡もなく思い出して僕の思考がその頃に向かう。
 僕たちが出会ったのは僕がまだ三級だった頃で彼女にいたっては技師としての資格を取ったばかりの頃だったと思う。もちろん僕はこんな性格だから付き合いたいと言い出したのは彼女のほうなのだけれどそれはお互いほとんど何も相手の事を知らない時期のことだった。まぁ付き合いたいと言い出した以上彼女は僕のことをそれなりによく知っていた--あるいはよく知っているつもりだったのだろうと思うけれど僕のほうはほとんど彼女のことを何も知らなかった。何しろ彼女に付き合ってほしいといわれたとき『どこへ?』と聞き返してしまったぐらいだから。彼女はそれを冗談と解釈したらしく笑いながら訂正してきたのだけれど僕のほうはといえば彼女の名前は何だったかなと思ったぐらいだからもちろん完全な不意打ちだった。
 結局僕たちが付き合うことになったのは特にそれを拒否する理由も思いつかなかっただけにすぎなくて、そういう態度はずいぶんひどいというか無責任だと自分でも思うけれどそれでも彼女には充分だったらしい。少なくとも彼女の口から付き合い始めた頃はとても楽しかったというような台詞を聞いたことがあるからこれは僕の想像ではなくておそらく事実なのではないかと思う。もっとも僕のほうは特に何かをした記憶も楽しかった記憶も残っていないのだけれど。
「ヒギャッ、ギャアアアアアアアアアアァッ!!」
 少女が再び悲鳴を上げたので僕は無意識のうちにスイッチを切り、グラフがセーフゾーンに戻ってくるのを待ってから再びスイッチを入れるという手順を繰り返していたことに気づいた。そういう自分の行動に微かに驚きを覚えつつも僕の思考は相変わらずとりとめもなく巡っている。
 彼女と僕とが別れたのは僕の性格を考えればまぁ当然の帰結という奴で彼女の側には何の非もない。もっとも別れ話になったときの彼女の台詞には興奮していたせいか自己矛盾が入っていたので不当に非難されたと主張することも出来なくもないのだけれど。彼女に『あなたは私の気持ちを少しも分かってくれない』と言われた時僕は『元々、人の気持ちなんて理解できるはずがないんですよ。他人なんですから』とかいう風に答えたと思う。正確には覚えていないから一字一句この通りだったとは断言しないけれどまぁ大体そんな意味のことを。僕の言葉に彼女はぼろぼろと涙を流しながら更に理解する努力もしていないくせにとか何とか、多分そんな意味合いのことをまくし立てられたのだと思うけれど実のところ覚えているのは彼女から放たれる強い怒りと悲しみの感情ばかりで台詞そのものはよく覚えていない。彼女も興奮していたから論理が通っていたとはいえないし。
 実際のところ僕も自分がそういう他人と分かり合う努力を全くしていないことは認めているからその辺りの彼女の指摘や怒りは正当なものだと思う。けれど最後に『あなたのことが分からない。もう別れましょう』というのはちょっとおかしいのではないかと思う。結局のところ彼女も僕のことを理解していなかったわけでだったら僕が彼女のことを理解できなかったのと立場は変わらない。お互い様。僕も君を理解できなかったけど君も僕を理解できなかったんだね。しょうがないよね、他人なんだから。
「あ、ぎ、あ……うあ……助けて……シン、じゃう……」
 また無意識にスイッチを切ったらしくがっくりと項垂れて弱々しく呻く少女の声が僕の耳に届く。何だ、と僕は小さく苦笑した。単に死んじゃうといいたかったのが掠れてシンと聞こえただけ。僕のつまらない勘違い。
 あと何回繰り返したらこの少女は死ぬのだろうかとぼんやり考える。機械のチェックという目的からすればもうこれ以上繰り返す必要もないのだけれど僕はなぜか再び機械のスイッチを入れた。
「ウギャアアアアアアアアアアアアアアアアァァッ!!」
 弾かれたように身体を跳ねさせ絶叫する少女。口の端に泡が浮かび全身が小刻みに痙攣する。まだイエローゾーンにあったグラフがレッドゾーンにまで跳ねあがる。
「ヒガッ、はっ、はっ、はっ……」
 スイッチを切る。電流から解放された少女が大きく肩を上下させて荒い息を吐く。僕は小さく首を振ると少女の身体に突き立てた電極針を引き抜いていった。こびりついた血が焼け焦げた針。針を引き抜かれる度に身体を震わせ小さな悲鳴を上げる少女。今日のテストはもう終わったので彼女はまた保管庫に戻される。僕はもうこの少女を素材としてテストを行う気がしなくなっていたので予約は入れない。多分別の技師のテストに使われることになるのだろう。そこで彼女が死ぬのかまた生き延びるのかは僕には分からないしもう興味もない。僕の人生の軌跡に一瞬だけ交わった少女。名前も知らない。明日になれば、いやこの部屋を出ればもう無関係になる存在。
 もしも彼女が死んだとしたらそれは何か僕にとって意味をもつのだろうかとぼんやり考える。他人ではない特別な存在に変わるのだろうかと。さっきスイッチを入れたのはそれを確かめたかったのかもしれないなと思いつつでは彼女が死ななくて残念だったのかと問い掛ければ答えは否。彼女が死んだところで僕にとって特別な存在とはならなかっただろうと、そう確信している僕がいる。
 僕と他人の軌跡が交わることで僕は何も得ないし何も失わない。僕の中にはそういう他人と関わるための何かが欠けているから。もしも例外がいるとすれば、それは……。
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