追難の鬼(節分)


「何すんだよ、離せよ、離せってば!」
 薄汚れた少女が両腕を屈強な男に掴まれて暴れている。髪はぼさぼさ、服もボロ布といった方がよさそうな代物で、栄養不足のせいか痩せ細っている。容貌自体は悪くないから、きちんとした身なりをして栄養の有るものを食べさせてやればそれなりの美少女になるかもしれないが。
「ふむ、この者か。まあ、よかろう。準備を始めよ」
 扇で顔の下半分を覆った貴族風の男が、汚らわしいものを見るような目つきで少女を見やると事もなげにそう命じる。男の言葉に彼の背後に控えていた下男がのっそりと前に出た。
「な、なんだよ、おい、やめろよ、何する気なんだよ!?」
 怯えた表情を浮かべて暴れる少女の前髪をがしっと掴み、下男が短刀を抜く。ひっと息を飲んだ少女の右目にぶすっと短刀が突き立てられた。
「ギャアアアアァッ!?」
 右目で弾けた激痛に悲鳴を上げる少女。半面を血で染めて呻く少女の左耳を下男がつまみ、無造作に切り落とす。更なる悲鳴を上げ、身体をのたうたせる少女。
「あ、あたいの目、あたいの耳っ! い、イヤアアアアアアァッ!」
「うるさいのぉ。さっさと済ませよ。麿は宮中に出仕せねばならぬゆえ、あとは任せるぞよ」
 わずらわしそうにそう告げると主人が苦痛に身悶える少女に背を向ける。下男たちは身悶える少女の身体を地面に押さえ込むと、薪割りに使う斧を持ち出してきた。
「わ、わわっ!? な、何すんだよっ! やめろっ、あたいは何にも悪いことなんかしてないぞっ! や、やめろってば、やめ、ギャアアアアアアアァッ!!」
 身体を地面に押さえ込まれ、何とか逃れようと半狂乱になってもがく少女の右腕を斧がばっさりと切り落とす。目を見開き、身体を弓なりにのけぞらせて絶叫を上げる少女のことを乱暴に引き起こすと、下男たちは引きずるようにして彼女を都の大通りへと連れ出した。
「さあ、皆の衆。今年の鬼はこの娘ぞ。見ての通りの隻眼隻腕、さあさ、災いをもたらす鬼を都より追放しようぞ!」
 大通りに集まっていた人々へと下男の一人がそう大声で呼ばわる。状況を掴めずに傷の痛みに震えている少女が背中を突き飛ばされ、大通りの中央へと追い出される。
「鬼よ、去ね!」
 群衆の中から叫びが上がり、ひゅんと風を切って石が飛んでくる。がつっと石が少女の肩に当たり、鈍い痛みが広がる。
「ま、待ってよ、あたいは鬼なんかじゃ……きゃあっ!」
「鬼よ、去ね!」「災いよ、消えよ!」
 抗議の声を上げようとする少女へと、更に群衆から石が投じられる。がっ、がっと肩や身体に石が当たり、鈍い痛みが広がる。恐怖の表情を浮かべて群衆に背を向け、逃げ出す少女。しかし腕一本切り落とされた痛みと出血、片目をえぐられたことによる距離間の消失などの悪条件が重なり、足がもつれそうになる。
「皆の衆、鬼が逃げるぞ! さあさ、もっと石を。災いのもとを打ち殺すのだ!」
 下男が群衆をあおる。ひゅんひゅんと石が飛び、少女の身体に降り注ぐ。
「ギャッ。や、やめてっ、あたいは、あぐっ。きゃあっ!」
 握り拳大の石が、少女の身体へと降り注ぐ。しかも丸い石ばかりではなく、中には鋭く尖った石も混ざっている。あちこちの肌が破れ、血まみれになって逃げ惑う少女。容赦なく降り注ぐ石が彼女の身体を傷つけ、体力を奪う。止血もされないままの腕の傷からは鮮血があふれ出し、更に彼女の命の火を弱めていく。
「やめて、許して、お願い……きゃあっ、あうっ、ぎゃんっ」
 足をもつれさせ、倒れ込む少女。身をひねり、群衆の方に顔を向けて哀願の声を上げる彼女の身体へと更なる投石が襲いかかる。額に当たった石が肌を破り、胸や腹に当たった石が息を詰まらせ、更に尖った石が残った目に直撃して彼女から光を奪う。
「やめて、死にたくない、あたいは、鬼なんかじゃ、あぐううぅ……」
 這いずって逃げようとする少女の身体に石が降り注ぐ。無数の投石によってあちこちの肌が破れ、肉が漬れ、無残な姿になった少女。石に彼女の身体が埋もれ、そこからつきだした腕や足がぴくぴくと痙攣する。ぱたんとその腕が力なく落ちたのを確認し、下男が声を張り上げた。
「ようし、皆の衆。鬼は死んだぞ! 追難の儀式はこれで終わりじゃ!」
 ざわめきながら群衆が引き上げていく。下男たちが石の小山を崩し、気絶した少女を引っ張り出すと馬の鞍に縄で繋いだ。下男が馬を走らせ、ぼろ屑のようになった少女の身体を引きずっていく。痛みに意識を取り戻したらしい少女が弱々しい呻きを上げるが、馬を走らせる下男の耳にすら届かない。
 投石によってぼろぼろになり、更に馬で都の中を引きずりまわされた少女がいつ息絶えたのか、それを知るものは居ない。そもそも、気にするものも居なかったが……。
(追難の鬼)
 平安時代に行われていた厄払いの儀式。浮浪者や身体障害者などを災いを運ぶ『鬼』に見立て、石を以って追うことで厄を払うというもの。節分の原形とも言われる。
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