瞳の受難


「あの家、か……」
 双眼鏡から目を離し、独り言のように瞳はそう呟いた。彼女が双眼鏡で見ていたのは人里離れた山の中、鬱蒼と茂る森に囲まれた別荘だ。
「本当に瞳ねえだけで行くの? あたしも付いてった方がいいんじゃない?」
 どことなく不安そうな表情で愛がそう問いかける。くすっと笑うと瞳は肩をすくめてみせた。
「平気よ。あんたは泪姉さんと一緒に後方待機。何度も打ち合わせはしたでしょう?」
「う、ん……」
「瞳。センサーに触れるものは何もないわ。情報通り、あの別荘は今無人みたいね」
 器材を操作していた長女、泪がそう瞳に声をかけた。小さく頷いて、瞳がぽんと妹の肩を叩く。
「無人の別荘の家探しなんて、私一人で充分よ」
「気を付けてね……なんか、嫌な予感がするんだ」
「あら、不吉なこといわないでよ。ま、そりゃ、無人だからって防犯装置の一つや二つは仕掛けてあるでしょうけど、そんな物に引っ掛かる私じゃないわ」
 意図的に軽い口調でそう言いながら、瞳は泪へと視線を向けた。愛には秘密にしてあるが、今回の仕事は少しきな臭い。本来なら、三人がかりで捜索した方が効率がいいにもかかわらず、瞳一人が前面に出ることになったのはそのせいだ。万が一が起きた時、残った人間がフォロー出来るように。
「……気を付けて」
「ん。じゃ、行ってくる」
 明るくそう答えると、瞳はハングライダーで夜空へと飛び出していった。

「防犯装置が、ない……?」
 何事もなく別荘の庭へと着地した瞳が、近くの窓を調べて眉をひそめた。鍵は確かにかかっているが、警報などの防犯設備は設置されていないようだ。微かに嫌な予感を覚えながらも、瞳は手慣れた手順で窓を破り、するりと別荘内に侵入した。
 足音もなく、瞳が廊下を進む。事前に入手した図面は、当然頭に叩きこんである。目的地を一直線に目指す彼女の足どりに淀みはない。無人の別荘に明かりなどついていないが、夜目の効く彼女にとっては窓から差し込む月明かりだけで充分だ。
「ここ、か……」
 やがて、目的地の扉に辿りついた瞳がそうひとりごちた。扉に耳を当て、室内の気配を探る。物音は何も聞こえず、人の気配もない。軽くノブに手をかけると、鍵すらかかっていなかった。首筋の毛がざわざわと逆立つような感覚を覚えながら、一度大きく深呼吸をする。
 微かな音を立ててノブが回り、扉が開く。そうっと室内を覗きこむ瞳。その視線が、すぐに目的のものを捉えた。壁に掛けられ、窓から差しこむ月明かりに闇の中に浮かび上がった一枚の絵。彼女たちの父が残した、かけがいのない絵だ。優しく微笑みを浮かべた、家族の肖像画。
「父さん……」
 思わずあふれそうになった涙を拭い、瞳が壁の絵へと駆け寄る。と、その時。
 ガラガラガラッ。
 耳ざわりな響きを立てて、一勢に窓にシャッターが降りる。はっと身構えた瞳の背後でバタンと音を立てて扉が閉まった。月明かりが遮られ、真の闇に閉ざされたのはほんの一瞬。天井の照明に光が宿り、同時に天井がぱかっと開いて三つの影が室内へと飛び降りてくる。
「くっ……罠!?」
 飛び降りてきた三つの影は、全員がプロレスラー並みの巨体だ。黒い全身タイツのようなものを身に付け、顔もやはり黒の覆面で覆われている。タイツごしにも、はっきりと分かるほど筋肉が発達した大男たちに囲まれ、瞳の頬につうっと汗が伝った。
 無造作に、大男たちが瞳へと向かって間合いを詰める。体格差は絶望的なほどで、組みつかれたりしたらまず脱出は不可能だ。緊張の表情で腰の後ろに手を回し、瞳が何かを放り投げた。
 彼女が目を閉じ、更に腕で目を庇うのと同時に、すさまじい閃光が室内を白く染め上げた。閃光手榴弾と呼ばれる、暴動鎮圧などに使われる武器だ。閃光によって相手の戦闘力をごく短時間だけだが失わせることが出来る。どんなに身体を鍛えていても、これを防ぐことは出来ない、のだが……。
 閃光の影響など少しも感じさせず、大男たちは前進を続ける。僅かに動揺しつつ、先頭の大男の繰り出したどちらかといえばスローな攻撃をかわし、瞳は鋭い蹴りを相手の股間めがけて放った。
「つうっ……!?」
 だが。痛みの声を上げたのは蹴られた大男ではなく、蹴った瞳の方だった。金属でも蹴りつけたかのような衝撃に、右足に痺れが走る。そのせいで一瞬反応が遅れ、瞳は大男の第二撃をかわしそこなってしまった。それでも辛うじて腕でブロックをしたのだが。
「きゃあっ」
 信じられないことに、瞳の身体が数歩分吹き飛ばされる。受けた腕に激しい痛みが走り、うまく動かせない。骨にひびぐらいは入ったのかもしれない。
 痛みに呻きながら、戦うことを諦めて瞳は大男たちの包囲網を突破しようと試みる。先頭の大男はパワーはあるようだが動きは鈍い。伸ばされる腕をかいくぐり、瞳は扉へと走った。だが、その前に二人目の大男がすばやく回りこむ。こちらは、一人目とは対照的に人間離れしたすばやさだ。
「くっ」
 呻きながら、瞳は相手の顔へと催涙スプレーを吹きつけた。僅かでもひるめば、横を擦りぬけられる。そう判断しての行動だったのだが、まるで気にした様子もなく大男が腕を伸ばし瞳の肩を掴んだ。もう一方の腕で瞳の腕を掴み、柔道で言う一本背負いの形で彼女の身体を床へと叩きつける。
「ぐふっ、ぅあっ」
 床に叩きつけられ、肺の中の空気を吐き出して瞳が呻く。全身に走った衝撃で息が詰まり、床にのびたままとっさには身動きが取れない。その彼女の両足首を、一人目の男がそれぞれの手で掴んだ。万力で締めつけられているかのような痛みが走り、瞳の顔が苦痛に歪む。
「き、きゃああああああっ」
 瞳の口から悲鳴が上がった。常識を完全に無視して、大男は軽く反動を付けただけで瞳の身体を持ち上げ、放り投げたのだ。野球のバットでも振るような感じで。なすすべもなく宙を舞った瞳の身体が壁へと叩きつけられ、そのままずるずると滑り落ちる。
「う、あっ、くっ……」
 全身の骨がバラバラになったかのような衝撃に、意識が朦朧としてくる。それでもよろよろと立ち上がった瞳に、三人目の大男が掴みかかってきた。一人目よりはすばやいが、二人目よりは遅い。普段の瞳であればまず確実にかわせるスピードなのだが、足元もおぼつかない今の状態では避けられない。あっという間に掴まり、床の上へと引きずり倒される。
 うつぶせになった瞳の背中に馬のりになり、大男が両手を彼女の顎の下に差しこんで弓のように引き絞る。プロレスで言うキャメルクラッチの形だが、力が尋常ではない。瞳の身体が柔らかいせいで90度近くにまで引き絞られてもまだ耐えられているが、普通の人間であれば確実に背骨が折れるのではないかというぐらいの力だ。
「あああああああああっ」
 瞳の口から悲鳴が漏れた。ミシミシと背骨が軋む。ゆっくりと歩み寄った一人目が、無造作に瞳の胸元を蹴り上げた。
「うぐぅっ!」
 肺の中の空気がすべて押し出され、苦鳴になる。涙を流し、もがく瞳。三人目が手を離し、瞳から離れた。どさりと床の上に転がって懸命に空気を貪る瞳の身体を二人目が抱え上げる。
「や、やめ……きゃああっ」
 パワーボムと呼ばれるプロレス技。背中から床に叩きつけられ、苦痛に瞳が身体をのけぞらせる。床の上を転がりまわる瞳の身体を二人目と三人目が両腕を抱き抱えるようにして引きずり起こす。げほげほと咳込む瞳の腹に、一人目が容赦のない拳を叩きこんだ。身体を折ろうとする瞳の腹に、立て続けに二発、三発と拳を放つ。内臓が破裂するのではないかと思うほどの衝撃に、瞳の口から胃液が吐き出された。彼女の身体から力が抜け、まぶたが閉ざされる。
 互いに顔を見合わせると、大男たちは気絶した瞳の身体を抱え上げた。

「う……あ」
「お目覚めかね?」
「……っ!?」
 全身に走る鈍い痛みに小さく呻いた瞳が、嘲けるような男の声に反応してばっと顔を上げる。気が付けば、彼女は万歳をするように両手を上に伸ばし、爪先が辛うじて床に付くかどうかという高さで鎖によって天井から吊るされていた。
「手荒な招待になってすまなかったね。だが、こうでもしないと君たちを掴まえることは出来そうもなかったのでな」
 パイプから紫煙をくゆらしながら、初老の域に達しかけた男がそう言う。外見は穏やかそうな紳士に見えるが、その瞳の奥に不穏な光が宿っていることに瞳は気付いた。精一杯の気力を振り絞って笑顔を作る。
「あら、私たちに一体何の御用かしら?」
「取り引きさ。君たちが今までに奪った全ての美術品を私に渡して欲しい。そうすれば、君は五体満足のまま仲間の元へと返してあげよう」
 薄く笑って、男がそう言う。彼の背後に、自分を捕らえた大男たちが無言で控えているのを見やり、瞳が小さく溜息をつく。
「つまり、私は人質、って訳?」
「人質でもあり、案内人でもある。何しろ、キャッツの正体は私の情報網をもってしても不明だからね。連絡のとりようがない。まぁ、キャッツの狙う美術品の傾向は分かっていたから、それを利用してこうゆう罠を張ることは出来たわけだが」
「……美術品の隠し場所を教えろ、って訳か。で、嫌だって言ったら、どうするの? ま、大体予想はつくけど」
 軽い口調で、笑みすら浮かべてそう言い放つ瞳。だが、その言葉とは裏腹に、全身にはびっしょりと汗が浮かんでいる。声に震えがでなかったのは、奇跡に近い。
「まぁ、月並みな台詞で申しわけないが、君の身体に聞くことになるな。君のような美しいお嬢さんを痛めつけるのは私の本意ではないが、意地を張るというのならばしかたがない」
「本当に月並みな台詞ね。二流の悪役なんてそんなもんでしょうけど。残念だけど、その取り引きには応じられないわ。あなたにとってはただの美術品に過ぎないんでしょうけど、私たちにとってはあれはそれ以上の価値があるものなの。私も、仲間も、それを譲る気はないわ」
「くっくっく、なるほどなるほど。しかし、困りましたね。私も、あれらには並み並みならぬ興味があるんですよ。交渉は決裂、となると、実力行使をさせていただくがよろしいですかな?」
 楽しげに笑いながら、男がそう瞳に問いかけた。ごくりと唾を飲みこみながら、辛うじて瞳が笑みを浮かべる。
「よろしくはないけど、嫌だと言っても聞く気はないんでしょ? 好きにしたら?」
「では、お言葉に甘えるとしましょう。あまり意地を張らない方がいいとは、思いますがね」

「く、うぅっ。あっ、ああっ。きゃあああっ」
 ビシッ、バシッっという、鞭の音と瞳の上げる悲鳴が交互に室内の空気を震わせる。三人の大男が瞳の周囲を取り囲み、容赦ない鞭の連打を浴びせかけている。
 彼らが手にしているのは、俗に一本鞭と呼ばれる革製の鞭だ。刺などは付けられていないごく変哲もない鞭なのだが、振るう男たちの力が尋常ではない。一鞭ごとに瞳の身体を覆うレオタードが裂け、血の滴る肌が露になっていく。
「ひいっ、あっ、うああっ。きゃああっ、いやぁっ」
 鎖を鳴らし、爪先立ちでよろよろとよろけながら瞳が悲鳴を上げる。嵐のように、と、形容したくなるほどの勢いで浴びせられる鞭の連打に、本人の意思によらず踊っているかのように身体をくねらせている。血にまみれたレオタードが、ぼろぼろになって床に散らばる。
 鞭の連打が止むと、がっくりと瞳がうなだれた。鎖に吊られた身体が、ゆっくりと回転する。レオタードの残骸だったボロ布が身体にまとわりつき、全身を朱に染めた無残な姿だ。荒い息に、時折苦鳴が混ざる。
「どうだね? そろそろ、素直になりたくなったのではないかね?」
 ふんぞりかえるように椅子で足を組んだ男がそう問いかける。のろのろと顔を上げた瞳がふんと鼻を鳴らした。
「笑わせて、くれるわね……この程度で、しゃべると思ってるの?」
「ふぅむ。なかなか強情だな。しかたない、αー1」
 男の言葉に、大男の一人が瞳へと手を伸ばした。その手首ががくんと折れ、金属の部品が顔を覗かせる。はっと瞳が息を飲んだ。
「ロボット……!?」
「別に、驚くこともあるまい? 軍事用のロボットの開発など、どの国でもやっておるさ。こいつらはまだ試作品だがね」
 僅かに自慢するように男がそう言う。大男--いや、大男の姿をしたロボット、というべきか--の手首から、電極がせり上がった。無造作に、その電極が瞳の肌へと押し当てられる。
「きゃああああああああああああっ」
 全身を貫く電気ショックに、瞳が髪を振り乱して絶叫を上げる。びくびくと全身が痙攣し、激しく鎖を鳴らしながら彼女は踊り狂った。電極が肌から離れると、力尽きたように全身を弛緩させて瞳が喘ぐ。
「あ……あ……はぁ、はぁ……う、わああああああああああっ」
 背後に回りこんだロボットの電極が、今度は瞳の背に押し当てられ、彼女に絶叫を上げさせる。全身がバラバラになってしまうのではないかと思うほどの激痛が走り、視界が白く染まる。
「あっ、あっ、あっ、イヤアアアアアアアアアッ」
 ひときわ大きな悲鳴を上げ、瞳がぴんと身体を強張らせた。そのままがっくりとうなだれ、失神する。鎖に吊られてゆらゆらと揺れる彼女の足を、別のロボットが抱え上げた。足を覆うレオタードを無造作に破り取り、白い素足を露出させる。
 二体目が抱えこんだ瞳の足の指へと三体目が歩み寄り、左手で掴む。右手の人差し指をぴんと伸ばすと、黒いタイツを突き破って細い針が飛び出した。その針を、無造作に瞳の親指の爪と肉の間に突きいれる。
「ひっ!?」
 鋭い痛みに無理矢理覚醒させられた瞳が小さな悲鳴を上げた。三体目の指先から延びた針は、正確には針ではなく極細のドリルだった。ぎゅうるるるるっと微かな音を立ててドリルが回転を始める。
「ぎゃああっ、ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃああああああっ」
 爪と肉の間に、針を突き刺されるだけでも充分に痛い。また、ドリルを普通に腕や足に使ってもとんでもない激痛を味合わせることが出来る。なのに、今、瞳は極細のドリルで爪の下の肉をかきむしられているのだ。今までに味わったことのない激痛に、普段の彼女からは想像も出来ない、獣のような濁った悲鳴を上げて瞳が身体をのたうたせる。
 肉との繋がりを断たれた親指の爪が、ドリルの溝によって散々にかきむしられた肉からあふれた血だまりの中に湿った音と共に落ちる。涙で顔をべちょべちょに濡らし、引きつった呼吸をくりかえす瞳。そんな彼女へと、男がくすくすと笑いながら問いかける。
「さて、素直に私の質問に答えてくれる気にはなりましたかな?」
「う、あ……こ、殺し、なさい……」
「ふぅむ、まだ、足りませんか」
 男が顎に手を当てる。血にまみれた極細ドリルが、瞳の人差し指の爪へと向けられた。
「嫌ぁっ、あっ、あっ、ぎゃあああああっ。ぎいいいいいいっ」
 再び繰り返される、激痛と絶叫。男と瞳の間に同じ会話が繰り返され、ドリルが中指へと向かう。
「ぎゃあああああっ、あぎっ、ぎ、ぎゃああああっ」
「殺してっ、あああああっ。お願いっ、殺してぇ!」
「グギィッ、ぎっ、ぎぎぎ、ぎゃああああっ。もうやめてぇっ」
 中指、薬指、更には小指。順々に足の爪を剥がされていく瞳。足指の先から血が滴り、心臓が脈打つたびにずきずきと激しい痛みを伝えてくる。特に爪の小さな小指は、無残にえぐられた肉の間から白い骨が露出している。
「やめてさしあげてもよろしいんですよ。私の質問に、君が素直に答えてくれさえすれば、ね」
「そ、それは……」
「αー1、彼女が素直になれるよう、手助けして上げなさい」
 自分の言葉に、言い淀む瞳の姿に薄く笑みを浮かべながら、男がそう命じる。瞳の背中に、電極が押し当てられた。
「ぐぎゃああっ、グギャッ、ギャギヒィィィッ……! ……ィッ! ィギィッ!! ……!!!」
 がくがくと激しく身体を痙攣させ、大きく目を見開いて瞳が絶叫を上げる。電極が離れると、全身から白い煙を漂わせて瞳の身体がゆっくりと回転した。紫色に変色した舌が、半開きになった唇からだらりと垂れている。僅かに眉をしかめると、男が椅子から立ち上がって瞳の元に歩みよった。
「ちっ……。心臓が止まったか。まぁ、いい。この死体を使って、他の連中をおびき出すとしよう」
 舌打ちと共にそう言うと、男は瞳の死体へと背を向けた……。
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