キッドの受難


「あつつつつ……」
 ずきずきと不快な痛みの残る頭を振り、黒羽快斗--怪盗キッドは眉をしかめた。ぼんやりと薄ぐらい、物置を思わせる部屋だ。どうやら後ろ手に縛られ、柱に縛りつけられているらしい。ご丁寧に足首もしっかりと縛ってあった。
「お目覚めかい?」
 からかうような男の声が背後からかけられた。首を捻っても声の主は視界には入ってこない。唇の端を歪め、キッドが小さく笑う。
「へっ。気分は最悪だがね」
「それはそれは。何、君がわれわれから奪った例の宝石--クリムゾン・ハートさえ素直に返してくれれば、こちらとしても手荒なまねはしないで済むんだが、な」
「ふーん、なるほど。オメーも『パンドラ』を狙う連中の一人、ってわけか。残念だったな、あれは外れさ。俺にかまってないで、さっさと次のビック・ジュエルを探したほうがいーんじゃねぇか?」
 キッドの言葉に、相手が僅かに沈黙する。かっかっかと小気味のいい靴音を立ててキッドの前に回り込んできたのは、全身黒ずくめの細身の男だった。眼光が鋭い。
「ほぅ。外れねぇ。そう言われて、はいそうですかと信じるとでも思ったか?」
「人の忠告は聞いとくもんだぜ、おっさん」
「いい度胸だな」
 にやりと唇を歪めた黒服が、足をはねあげる。爪先に鉄板でも仕込んでもいるのか、異様に重い蹴りがキッドの腹に突き刺さった。正確にみぞおちを蹴られ、キッドが前のめりになって激しく咳込む。
「うげっ。げほっ、げほ」
「素直に白状した方が身のためだぞ? 人の忠告は、聞いとくもんなんだろう?」
「げほ。……はっ、オメーみたいな乱暴な奴に教えてやる気はねーよ」
 痛みのためか額に汗を浮かべながらキッドがそう言って不敵に笑う。軽く肩をすくめると黒服は側にあった机の方に歩み寄った。机の上から一本の注射器を手に取る。
「自白剤、か?」
「俺には効かない、とでも言いたそうだな。だが、こいつは自白剤なんかじゃない。もっといいものさ」
 目の奥に楽しそうな光を宿らせて黒服がそう言う。内心、焦りまくりながらもキッドは笑みを浮かべてみせた。
「へぇ。だが、どっちにしても時間の無駄だぜ。何しろ、もう俺の手元にはクリムゾン・ハートはないんだからな」
(まじーな。青子にやるんじゃなかったぜ、こうなるんだったら)
「そう言われて、はいそうですかと信じるとでも思うか、と、さっきも言ったはずだがな」
 そう言いながら、黒服がキッドの首筋に針を突きたてる。縛られたこの体勢では逃れようもない。冷たい液体が体内に入り込んでくる感触に鳥肌が立つ。
「こいつは元々、スパイ用に開発させた薬でな。五感を鋭敏にする働きが有る。もっとも、鋭敏になりすぎちまって実用には耐えないって代物なんだがね」
 クックっクと楽しげに笑いながら黒服がそう言う。ぞわぞわと肌が粟立つような感覚にキッドは身を震わせた。ロープで縛られた手首がずきずきと痛み始める。
「うちの開発部は最近不調でね。毒薬を作らせたはずが、どういうわけか子供に変える薬になったってのもあったっけな。だが、ま、こいつはそういう失敗作の中でも役に立つ方でね」
 そう言いながら黒服がもう一度机の方に戻る。彼が手に取ったものを見てキッドが苦笑を浮かべた。
「おいおい、SMプレイでも始める気か? あいにく、俺はそっちの趣味はないぜ」
「そいつは残念だな」
 キッドの軽口に、同じように軽口で答えて黒服が鞭を振るう。鞭、といっても、普通拷問で使うような長い一本鞭ではなく、キッドが口にしたようにSMプレイで使うような何本もの短い鞭を束ねたものだ。本来、このタイプの鞭で打たれても大して痛くはないのだが……。
「う、うあああっ!?」
 軽い動作で振り上げられた鞭が、服の上からキッドの胸を打つ。大したことはない、とたかをくくっていたキッドの口から悲鳴が漏れた。肉を裂き、骨にまで達したのではないかと思うほどの激痛が全身を駆けめぐる。
「うっ、くっ……」
「どうだ? 効いただろう?」
 痛みに思わず俯いたキッドの前髪を掴み、あおむかせながら黒服がそう言う。掴まれた前髪の辺りに激痛が走り、キッドの口から悲鳴が漏れた。ポロポロと涙がこぼれる。
「痛覚を数十倍に高めてあるんだ、そりゃ、痛いよなぁ。どうだ? 素直に白状する気になったか?」
「う、うるせー……」
「ほぅ、まだそんな口がきけるのか。大したもんだな」
 にやにや笑いながら黒服がキッドの前髪から手を離し、再び鞭を振り上げる。びくっと身体をすくませ、目を閉じたキッドの太股の辺りを鞭が打ちすえた。押さえきれない悲鳴が上がり、キッドが大きく身体をのけぞらせる。
「う、うああっ。あああああっ」
 その拍子にごつんと柱に後頭部をぶつけ、ちかちかと目の前に火花が散る。後頭部を巨大なハンマーで殴られたような痛みに縛られた不自由な身体を波打たせるキッド。暴れたために手首を縛るロープが肌をこすり、更なる激痛を産む。
 痛みが痛みを呼ぶ、激痛の連鎖反応。
 断末魔のような絶叫を上げつつのたうっているキッドへと、薄笑いを浮かべながら黒服が鞭を振るう。ぱしぃという軽い音とは裏腹の激痛が、幾重にもこだましながらキッドの頭の中を駆けめぐった。
「あっ、ぎ、はっ……つっ、う、ああっ」
 大きく目を見開き、数度痙攣してからキッドの首ががくっと折れる。唇の端を歪めて黒服が机の上に鞭を放り投げた。

「う、く……」
 全身の痛みに呻きつつキッドが目を開ける。裸電球の光が目を刺す。硬いベットの上に、大の字に縛りつけられているらしい。手首や足首に食い込む縄が鈍い痛みを伝えてきた。
「さて、気分はどうだい?」
「へっ。悪くはないぜ。テメーもご苦労だな」
「何、そうでもないさ。趣味と実益を兼ねてって所でな」
 薄く笑いながら黒服がテーブルの上から蝋燭を取り上げる。片手で器用にキッドの服のボタンを外しながらつうっと指先で肌の上を撫でる。
「意外とやわいな」
「や、やめろよ、オイ!」
「素直に宝石のありかを白状してくれるんなら、やめてやるさ。俺だって、趣味を仕事より優先するほど馬鹿じゃない」
「だから、あれはもう俺の手元にはねーって言ってるだろ!?」
「やれやれだな……」
 軽く肩をすくめて黒服がキッドの胸の上へで蝋燭を傾ける。熱蝋が肌へと滴り落ちた瞬間、びくんとキッドの身体が跳ねた。
「ウァッ」
「まだ薬の効き目は切れてないからな。こんなSMもどきでも結構効くだろ?」
「くっ……」
 黒服の言葉に、キッドが唇を噛み締める。本来なら、楽勝で耐えられるはずの熱さのはずなのに、情けなくも悲鳴が押さえられない。
 ぽたぽたっと真紅の熱蝋がキッドの肌の上へと滴る。その度に悲鳴が上がり、身体が跳ねる。
「うあっ。う、くっ。あああっ」
「んー、いい声だ。さぁて、どこまでもつかな?」
 黒服が左手でキッドの服をはだけながら蝋を垂らす位置を胸元から腹の方へと移していく。荒い息のせいで激しく上下する腹へと真紅が滴った。悲鳴を上げて暴れても、この体勢では逃れようもない。
「う、や、やめて、くれっ。あああっ」
「同じことを何度も言わせるなよ。宝石のありかさえ白状すれば止めるって言ってるだろ?」
 かちゃかちゃと、キッドのベルトを外しながら黒服が笑う。普段人の手に触れられることなどない箇所に熱蝋が滴った。絶叫と共にキッドが身体を激しく波打たせた。がたがたとベットが揺れる。
「あ、がっ、はっ、ああああああああああっ」
 くるんとキッドの目が反転する。白目を向いて失神したキッドの頬を黒服が叩く。が、完全に意識を失っているのか反応はない。
 やり過ぎたか、と、言いたげに頬を掻くと黒服は軽く肩をすくめた。
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