ジルハとエミリーの受難


「うぅっ、くっ、あ……あ、頭が……割れる……」
 自分に与えられた個室のベットの上で丸まり、頭を両腕で抱え込んだミルキー・ローレックが満面に油汗を浮かべて呻く。頭蓋骨の内側で恐竜が走りまわっているような、激しい頭痛。内側から頭が破裂してしまうのではないかと思うほどの激痛に苛まれ、荒い息を吐きながらミルキーがベットの上で苦しんでいる。
「く、薬……薬を……」
 ぶるぶると激しく震える右腕がベットサイドの小さなテーブルに伸び、小瓶を取りあげると中に半分ほど入っていた白い錠剤をザラッと直接口の中に放り込む。十錠以上は確実に口の中に入った錠剤を噛み砕き、嚥下するとミルキーははぁっと大きく息を吐いた。急速に弱まっていく頭痛に安堵を覚えながら、脳裏に一人の女の顔を思い浮かべると彼女はギリッと奥歯を噛み締めた。
「チェルシー姉様……。あなたが居る限り、私の苦痛は消えはしない……!」
 たった一人の肉親、姉であるチェルシーへと憎悪のこもった口調でそう呼びかけるミルキー。公司カンパニー師兵スーペイでありながら、生命の巫女を奪い逃走した裏切り者、チェルシー・ローレック。彼女を捕らえない限り、自分には安息の時は訪れないのだと、そう、宣告された時の絶望感を、どう表現すればいいのだろう? 裏切り者の一族として向けられた白眼視と拒絶。能力者ではなかった両親は、責任を問われて処刑された。能力者であった自分だけは生命を救われたものの、同じ『重力』の属性を持つ能力者でありながら、自分と姉との間の実力差は絶望的なほど大きかった。その差を埋めるために使用した増幅薬の副作用が、今自分のことを苛んでいる。
「両親も、友達も、何もかもをあなたは私から奪った……! 許さない……!」
 ぎりっと奥歯を噛み締めながら、ミルキーが呟く。一度は地上世界で姉を捕らえたものの、生命の巫女の居場所を自白させる前に逃亡された。その事を叱責され、謹慎して居る間に彼女の上司であり、公司の実質的な支配者でもある白龍パイロンが地上世界に赴いて生命の巫女を捕らえてきてしまった。白龍は生命の巫女の身柄の確保を最優先とし、チェルシーのことを捕らえようとはしなかった。だからミルキーとしては、せめて自分の手で姉を捕らえ、僅かなりとも名誉挽回をしたいと願っているのだが、今のところその機会を与えられてはいなかったのだ。
 薬の効果によってだいぶ頭痛の収まった頭を軽く振り、ミルキーがベットの上に座り直す。無視しようと思えば出来る程度ではあるが、心臓が脈打つたびにズキンズキンとこめかみの辺りに不快な痛みが走る。薬の副作用で起きる頭痛は服用の回数を重ねるたびに強くなり、決して消えてはくれない。指でこめかみの辺りを揉みほぐすようにしながら顔をしかめたミルキーの耳に、ピピピッという金属音が届いた。壁のスクリーンに視線を向け、そこに白龍からの呼び出しがあったことを告げる文章を見いだしてミルキーは勢いよくベットから飛び降りた。停滞していた事態が、動き出すのを感じながら。

「チェルシー・ローレックが地下世界ここへやってきたそうだ。私の部下と遭遇戦になり、彼らを撃破後、再びいずこかへと姿をくらましたらしい。だが、地下世界のどこかに潜伏しているのは確かだろう」
 部屋へとやってきたミルキーに向かい、前置きもなしに白龍がそう告げる。内容自体は、ミルキーが予想していた通りのものだ。小さく頷き、ミルキーは彼へと問いかけた。
「あの女を探し出し、捕らえよと?」
「うむ。一応、手がかりはある。公司の衛兵が二人、彼女に味方したそうだ。彼女の行き先や今後の予定を聞かされて居る可能性は高い。既に拘束済みだから、まずはその尋問から始めるのだな。
 ミルキー・ローレック。お前の忠誠を見せてもらおう」
「はっ。裏切り者に荷担したとなれば、その衛兵たちも公司への反逆者ということ……。罪には罪の酬いを、悪には悪の酬いを」
 自分の言葉に深々と一礼して応じるミルキーを、僅かに目を細めて白龍は見やった。どこか狂気じみた笑いを口元にひらめかせながらミルキーが退室していくのを眺め、小さく口を動かす。
「影、いるな?」
「はい、白龍様」
 姿無き声に向かい、白龍が淡々とした口調で言葉を続ける。
「見ての通り、少々薬を使い過ぎたようだ。そう遠くないうちに壊れるだろうが、監視を怠るな」
「はい……」
 自らの直属の師兵へと指示を与えた白龍は、目を閉じると薄く口元に笑いを浮かべた。

「ジルハーツ・ミセット、ならびに、エミリア・ルナリーフ。公司に対する反逆の容疑でこれより取り調べを行う。私は、ミルキー。公司の師兵で、あなたたちの生殺与奪の全権を与えられているということを忘れないように」
 薄ぐらい尋問室に連れ込まれた二人の衛兵、ジルハとエミリーに向かってミルキーがそう宣告する。ジルハは壁から生えた鎖によって手足を拘束されており、彼女と向かい合うような感じでエミリーは天井から伸びた鎖に両手首をくわえこまれていた。鎖には余裕があり、吊るされているわけではないが二人とも不安の表情を浮かべている。二人の顔を視界の両端において、ミルキーは僅かに値踏みするような表情を作った。
 壁に拘束されたジルハは、かなり小柄な身体つきをしたショートカットの活発そうな印象を与える女だ。一方、部屋の中央で万歳をするように両手を鎖で引き上げられているエミリーの方はというと、ロングヘアのおっとりとした感じの女である。ミルキーの嗜好からすれば、責め甲斐があるのは気の強そうなジルハの方か。すっと自分の方へと視線を移動させたミルキーへと、ジルハが不安そうな表情のまま口を開いた。
「反逆って……どういうこと!? 私たちは何も……」
 抗議の声を上げる彼女の前へと無言のままつかつかと歩みより、ミルキーが右拳を振るう。頬を殴り飛ばされ、その勢いに顔を背けたジルハの腹へと、更にミルキーが拳を深々と埋め込んだ。かはっと大きく息を吐き出し、苦悶に身悶えるジルハへとミルキーが冷ややかな声をかける。
「口を開くことを許可した覚えはないわよ。あなたたちは、私の質問に正直に答えればいいの。
 あなたたちは、公司に反逆し、生命の巫女を誘拐したチェルシー・ローレックと接触したわね?」
「げほっ、うっ、うぅ……。ローレック様は、ルリ様の願いを叶えるために……ぐふっ」
 腹を殴られて咳き込み、涙をにじませながら口を開くジルハの胸へと、ミルキーが拳を放つ。衝撃が乳房と肋骨を突き抜け、肺を直撃した。口から空気の塊を吐き出し、目を見開いて苦悶するジルハの前髪を掴んでミルキーが冷ややかな声をかける。
「質問にだけ答えなさい。痛い目にあいたいというんなら別だけど。
 チェルシー・ローレックと接触したわね?」
「ええ、会ったわ。けど、それがなんだっての……がふっ」
 涙をにじませながら、自分のことを見返してくるジルハの腹へと再び拳を叩き込み、ミルキーが薄く笑う。
「そう、チェルシー姉様に会ったのね、あなた。姉様はこれからどこに行くといってたの?」
「ね、姉様……? あなた、もしかしてローレック様の妹、なの……あうっ」
 ミルキーの言葉に僅かに目を見開いたジルハの頬をはり飛ばし、ミルキーが彼女の前髪を掴む左手に力を込める。強く髪を引っ張られ、ジルハが苦痛の呻きを漏らした。
「あの女のせいで、私は辛酸を舐めたわ。裏切り者の妹としてね。だから、私が姉様を殺すの。さ、姉様はどこにいるの? 答えなさい」
「だ、誰が、教えるもんですかっ。ローレック様を殺すなんて、絶対にやらせない……ぐふっ、うぅっ、おえぇっ」
 ジルハの叫びに、ミルキーが無造作に拳を振るう。腹を突き上げるように殴られ、たまらずにジルハが嘔吐した。彼女の口からあふれる吐瀉物を軽く身をひいて避け、ミルキーが薄く笑った。思った通り、ジルハは気が強い楽しそうな獲物のようだ。直接責めてももちろん楽しめるだろうが、こういうタイプの人間が目の前で別の人間を責められた時にどんな反応を示すか、ミルキーはそこに興味を覚えた。
「うふふっ、あなたは随分と強情みたいね。いいわ、それじゃ、彼女の方に聞くことにするから」
「けほっ、ま、待って! エミリーは、関係ないわ! 彼女は何も知らないんだから!」
「そう? でも、あなたみたいな人には、自分が痛めつけられるよりも他の人間が痛めつけられるところを見せられる方が辛いんじゃない? だったら、無意味じゃないわね」
 そう言いながら部屋の中央で拘束されているエミリーの背後へとゆっくりとミルキーが回り込む。右手で短い電気鞭を腰の後ろから引き抜くと、スイッチを入れないままエミリーの背後から顎の下へと電気鞭を押し当て、自分の方へと顔を向けさせる。
「さて、彼女はああ言ったけど、本当に何も知らないのかしら? 知ってることを全部話せば、痛い目に会わなくて済むけど?」
「……何も、話すつもりはありません。あの人が言ってたように、公司の実態は私たちが考えていたのとは違った……だったら、従うつもりはありません」
 声を震わせながら、エミリーがそう答える。ふぅん、と、小さく声を上げると、ミルキーはいったん電気鞭をエミリーの顎の下から離し、スイッチを入れて彼女の背中へと振り降ろした。
「きゃああああああああぁっ!」
「エミリー!」
 全身に走った衝撃と痛みに身体をのけぞらせ、悲鳴を上げるエミリー。壁に拘束された身体を精一杯に前へと伸ばしてジルハが彼女の名前を呼ぶ。うふふっと笑いながら、ミルキーが第二撃をエミリーの背中へと放った。
「ひいいいいいいいいぃっ!」
「やめてっ! 彼女は本当に何も知らない! ローレック様の行き先を知ってるのは私だけよっ!」
「彼女を助けたいなら、素直にチェルシー姉様の居場所を教えることです。私だって、やりたくてやってるわけじゃありませんから。私が本当に責めたいのは、チェルシー姉様だけですもの」
 再び上がったエミリーの悲痛な声に、ジルハが懸命に叫ぶ。彼女の叫びににっこりと微笑みを浮かべてそう応じると、ミルキーはジルハの返答も待たずに電気鞭を振るった。服の上から尻を叩かれたエミリーが、悲鳴を上げて身体を硬直させる。がくがくと膝が震え、立っていられずに鎖によって吊り下げられるような体勢になって喘ぐエミリーへと、更に容赦なくミルキーが電気鞭を振るった。
「きゃあああああああああああぁっ!」
「うふふっ、どう? 全身の神経を、電気が走りぬけるでしょう? 今は一番出力を低くしてあるけど、最強にしたら一打ちでショック死するわ。神経をズタズタに引き裂かれ、全身から血を吹き出して、激痛に苦しみ悶えながら狂い死ぬの。ふふっ、うふふっ」
「あ……あ……や、やめて……」
 全身を貫いた電気ショックの影響か、うまく動かない舌を懸命に動かしてエミリーが恐怖の声を上げる。ふふふっと楽しげに笑うとミルキーはスイッチを切った電気鞭の先端でつうっとエミリーの背筋を撫でた。びくっと身体を震わせ、電気鞭から逃れようと身をよじるエミリーへとミルキーが笑いかけた。
「冗談よ。最強レベルはチェルシー姉様のために取っておくつもりだから。あなたなんかに使いはしないわ。もったいないもの。
 チェルシー姉様を捕らえたら、まずは両手両足の腱を切って逃げられないようにするでしょ。それから両手両足の爪を一枚ずつ剥がしてあげるの。姉様は強情だから、きっとそれぐらいじゃ泣き言なんて言わないでしょうけどね。それから、ゆっくりと時間をかけてこの電気鞭を使ってあげるわ。最初は低レベルで始めて、少しずつ威力を上げていくの。最初は悲鳴を上げながらも憎まれ口を叩くのよ、きっと、チェルシー姉様のことだから。最初の一日ぐらいは、もしかしたらそれで終わっちゃうかもしれないわね。
 でも、何日も何日も繰り返すうちに、憎まれ口が出なくなるわ。苦痛を噛み殺そうと、懸命に歯を食い縛って、でも電気鞭を受けるたびに堪えきれずに絶叫する、そんなことをしばらくは繰り返すでしょうね。全身に油汗を浮かべて、息を荒らげて、電気鞭を受けるたびに身体をくねらせるの。うふふっ、チェルシー姉様のことだから、きっと素敵なダンスを踊ってくれるわ。あなたみたいにすぐ泣きわめくような意気地無しじゃないものね、姉様は」
 自分の想像に陶酔するような表情を浮かべて、うっとりとミルキーがそう呟く。呟きながら再びスイッチを入れられた電気鞭が無造作に振るわれ、背中を打たれてエミリーが絶叫を上げた。がちゃがちゃと鎖を鳴らして身悶えるエミリーの姿に、うふふっと低く笑ってミルキーがうっとりとしたまま言葉を続ける。
「そのうち、電気鞭を見ただけで身体が震えるようになるわ。苦痛に怯えて、恐怖に表情を引きつらせて、あのチェルシー姉様が哀願の声を上げるようになるのよ。そこで私は言うの、『お許しください、ミルキー様』、そう言ったら許してあげるって。もちろん、チェルシー姉様がそんなこと言う筈ないわ。屈辱と怒りに唇を震わせて、拒絶するの。あの人らしく、きっぱりとね。
 だから私は、強情なチェルシー姉様にもっと電気鞭を上げるの。電気鞭は、苦痛は凄いけど肌を傷つけたりはしないわ。奇麗な身体のまま、チェルシー姉様は身体と心をぼろぼろにされていくのよ。この段階には、一週間か、二週間か、もしかしたらもっと掛かるかもしれないわね。でもいいの、その分私の楽しみが長くなるんだから。
 ふふっ、そしてね、強情なチェルシー姉様も、際限なく続く苦痛の前についに屈服する。屈辱に顔を青ざめさせて、声を震わせながら、私に許しを乞うわ。私の靴を舐めろと言えば、いったんは拒絶する。でも、鞭を受けて泣き叫び、ついには私の靴を舐めてしまうのよ。あの誇り高いチェルシー姉様が、私の靴を舐めるの。
 うふふっ、そうなったら、最後の仕上げよ。裸に剥いて床に転がしたチェルシー姉様のお尻の穴に、この電気鞭をねじ込んであげるの。恐怖と苦痛に泣き叫ぶチェルシー姉様の声を聞きながら、私は最強にした電気鞭のスイッチを入れるのよ。目茶苦茶な絶叫を上げて床から跳ね上がり、全身から血を吹き出させてチェルシー姉様はのたうちまわる……神経をズタズタにされて、意識を全部激痛に支配されて、自分の血の海の中でのたうちまわりながら激痛に狂い死ぬの。青黒く変色した舌を口から飛び出させ、血の泡を吹きながら、わけの分からない絶叫を上げてのたうちまわり、泣き! 叫び! 目を大きく見開いて悶死するのよ!! うふふふふっ、あはははははっ!! ねぇ、凄く素敵な光景だとは思わない!?」
 自分の想像を言葉にすることで興奮したのか、次第にミルキーの台詞がヒステリックに高まっていき、最後は哄笑混じりの叫びになる。叫びと共に振るわれた電気鞭にエミリーが絶叫を上げ、激しく鎖を鳴らしながら苦悶に身を震わせた。唇を震わせながら黙り込んでいたジルハが、耐えかねたように叫ぶ。
「やめてっ! 話すから……!」
「駄目っ! 先輩っ、話しちゃ、駄目っ!」
 ジルハの叫びに、ミルキーが反応するより早くエミリーが叫ぶ。えっと小さく声を上げたジルハへと、エミリーが苦痛に歪んだ表情で懸命に語りかけた。
「話しちゃ、駄目。私にも意地があるわ。正しいのは、公司じゃなくてローレック様たちの方。だったら、私は公司の飼犬として生きるよりローレック様の味方として死ぬ方を選ぶわ」
「エミリー……うんっ! 分かった。ローレック様を売るような真似、出来ないよねっ」
「あらあら、勇ましいことですね。けれど……」
 二人の間に交わされる会話を耳にしたことで一時の狂操から解放されたのか、穏やかな表情に戻ってくすくすと笑いながらミルキーがエミリーの胸へとスイッチを切った電気鞭を押し当てた。両胸の膨らみの先端を、横に繋ぐような感じだ。薄く笑いながらカチッカチッとスイッチを入れては切るということを繰り返す。びくんっ、びくんっと身体を跳ねさせながら切れ切れの悲鳴をエミリーが上げた。本来は長く尾を引く筈の悲鳴が、次の悲鳴と重なって弾け、結果として切れ切れになるのだ。
「アギッ! ヒギャッ! ギャゥッ! ヒギャッ! アギャッ! ギイィッ!」
「いつまで、強情が張れるかしら? ……あらあら、顔を背けちゃ駄目よ。自分たちで選んだ道なんだから、ちゃんと見ないと駄目じゃない」
 カチッ、カチッとリズミカルにスイッチを入れたり切ったりを繰り返しながら、ミルキーがジルハの方へと視線を向けてからかうようにそう言う。断続的な通電に、半ば白目を剥きかけながらエミリーが悲鳴を上げつづける。自分が責められているかのように表情を歪めながら、ジルハが視線をエミリーへと向けた。
「ヒャガッ! ギイッ! ギャッ! アッ! ガッ! ッ! ッ! ッ!」
「エ、エミリー……! やめてっ! もう、気を失ってるじゃない!」
 悲鳴を途切れさせ、スイッチを入れられるたびにビクンッ、ビクンッと身体を震わせるエミリーの姿にジルハが思わず叫ぶ。電気ショックを与えられれば、意識がなくとも身体は動く。今の彼女は、その状態だった。既に失神した身体が、通電のショックで跳ねているに過ぎない。
「あら、本当ですね。気がつきませんでした」
 ジルハの叫びに、軽く苦笑を浮かべてミルキーが電気鞭をエミリーの身体から離す。鎖に吊るされて前のめりになり、失神しているエミリーへとミルキーはバケツの水をばしゃっと浴びせかけた。全身ずぶ濡れになり、ぽたぽたと髪から水滴を滴らせながら小さく呻いてエミリーがうっすらと目を開く。
「うっ……あぁ」
「またこれを使ってもいいんですけど、私まで感電するのも馬鹿らしいですし……」
 弱々しく呻くエミリーを見やって小さくそう呟くと、ミルキーは別のバケツへと視線を向けた。僅かに彼女が目を細めると、ふわふわっとバケツの中から水の塊が宙に浮かび上がる。球体になって浮かび上がった水の塊が、ミルキーの視線の移動に伴ってうなだれているエミリーの顔のすぐ前まで移動した。
「ローレック様と同じ、『重力』の能力……?」
「姉妹ですもの、同じ能力を持ってても不思議じゃないでしょう? ふふっ、さ、溺れてもらいましょうか」
 ジルハの呆然としたような呟きに、笑いながら答えるとミルキーが視線を動かした。がっくりとうなだれて喘いでいたエミリーの頭を、すっぽりと水の球体が包み込む。
「がぼっ!? ごぼごぼごぼごぼごぼ……」
 びくんと身体をのけぞらせ、水から顔を出そうと懸命にエミリーが首を振り立てる。しかしその動きに合わせるように水の塊も移動する。動きはそれほど早くないが、エミリーの口と鼻とを常に水の中に置いておくには充分だ。エミリーの口から吐き出される気泡が水の球の中を上昇し、ばしゃばしゃっと飛沫を散らした。激しく頭を振るせいで濡れた髪が広がり、周囲へと水しぶきを飛び散らせる。
「ご、ぼ……ぼ」
 肺の中の空気を全て吐き出してしまったエミリーが、水中で目を見開いてぱくぱくと口を開け閉めする。ぶるぶるっと全身が痙攣し、がくっと首が折れた。ミルキーが笑いながら視線を動かし、水の球をエミリーの顔から外すと失神した彼女のもとに歩みより、腹を蹴りつける。
「げぼっ! げほげほげほっ。はぁ……はぁ……はぁ」
「頑張って、水を飲むことですね。これを全部飲めば、とりあえず溺れ死ぬ危険はなくなりますよ」
 腹を蹴られ、水を吐きながら激しく咳き込むエミリーへと、ミルキーが笑いながらそう告げる。弱々しく顔を上げたエミリーの頭を、再び水の球が包み込んだ。ごくっ、ごくっとエミリーの喉が動いて顔を包み込む水を飲み始めるが、バケツ一杯分の水を一息に飲み干せる筈もない。顔が苦悶に歪み、ごぼっと気泡が彼女の口から吐き出されたかと思うと、彼女は水中から顔を出そうと懸命に頭を振り立て始めた。
「ごぼごぼごぼっ、ごぼっ、ごぼぉっ」
「無駄ですよ。全部飲まなければ、逃げられません」
 苦悶するエミリーの姿を楽しげな笑いを浮かべて見守りながら、ミルキーがそう言う。息が尽き、ぶるぶると全身を痙攣させるエミリーの姿から思わずジルハは目を反らした。それに気付いたミルキーがつかつかとジルハの元へと歩みより、顎を掴んで強引にエミリーの方へと視線を向けさせる。
「うふふっ。チェルシー姉様の居場所を教えてくれれば、彼女がこれ以上苦しまずに済みますよ。別に、無理にとは言いませんけど、言う気になったなら早く言ってくださいね。
 あらあら、また気絶してしまいましたか?」
 ジルハの顔を覗き込むようにして笑うミルキー。最後の言葉は、ちらりとエミリーの方に視線を向けて呟いた台詞だ。彼女が軽く手を動かすと、水の球がエミリーの顔から離れる。ジルハの元を離れたミルキーがどすっとエミリーの腹を蹴りつけ、水を吐かせた。けほっ、けほっと咳き込む彼女の濡れた前髪を掴んであおむかせると、にこにこと微笑みを浮かべながらミルキーはエミリーへと問いかけた。
「どうです? まだ、水を飲み足りないですか? うふふっ」
「けほっ、けほっ……あ、あなたに、ローレック様を殺させはしない……!」
 びしょぬれになった顔を苦しげにしかめながら、強い口調でそう言うエミリー。彼女の前髪から手を離して、ミルキーがひょいっと肩をすくめた。
「強情ですのね」
「あぐっ! う、あ……ぐぶうっ! がっ、は……おぐっ!」
 力なく、鎖に吊り下げられているエミリーの胸や腹へとミルキーがにこにこと笑いながら蹴りや拳を放つ。サンドバック状態になって鎖を鳴らしながらよろめくエミリーの口から漏れる苦鳴を聞きながら、ミルキーの浮かべる微笑みが次第に狂気じみたものへと変わっていった。
「チェルシー姉様も! 強情! でしたけど!」
「ぐはっ! あ、あ……げぶっ! げっ、ほっ……がっ!」
 胸を蹴られた瞬間、肋骨にひびでも入ったのか脳天までとんでもない激痛が突きぬけた。痛みに叫び声をあげる間もなく、鳩尾の辺りを突き上げるように拳が放たれる。その拳に腹を打たれた瞬間ふわっと身体が宙に浮き、内臓がひっくり返りそうな感覚と共に嘔吐感が込み上げた。頭を下げ、口から胃液を吐き出した途端に今度は頬にフック気味の拳が放たれる。首の骨が折れるのではないかと思うほどの衝撃を受けて顔が横を向き、血と胃液と唾とが混じった液体と共に折れた奥歯が口から勢いよく飛び出して床の上で数度跳ねた。
「うふふふふっ! あははははっ! あはははははははははっ!」
「ふぐっ。は、が……がふっ! げほっ、げぶうぅっ! ごぼ……」
 哄笑と共にミルキーが狂ったような勢いで続け様に拳と蹴りとを繰り出す。狙いは胸や腹が中心だが、顔にも数発は確実に拳が叩き込まれた筈だ。鎖で吊るされたエミリーの身体が為すすべもなく乱打を浴び、揺れる。殴られた頬が青黒く膨れ上がり、鼻血や折れた歯からの出血で顔の下半分を赤く染め、弱々しい呻きをエミリーが漏らす。何十発目の拳を腹に受けた時、ごぼっと濁った色あいの血の塊がエミリーの口からあふれた。顔を背け、唇を噛み締めながらエミリーが暴行を受けるのを横目で見つめていたジルハが、流石にたまらずに叫ぶ。黒く濁った吐血……それは、内臓を損傷した証拠だ。
「やめてっ! それ以上やったら、本当に死んじゃう!」
「あら、話すぐらいなら死んだ方がましなんじゃなかったかしら? うふふっ、それとも、チェルシー姉様の居場所を教える気になったの? 私が本当に責めたいのは、チェルシー姉様ですもの。あなたたちが素直にしゃべってくれるなら、これ以上面倒なことはしないで済むわ」
 先程までの哄笑を一瞬で収め、穏やかな微笑みを浮かべてミルキーがジルハの方を振り返る。そ、それは、と、逡巡するようなそぶりを見せるジルハへと、口から血をあふれさせながら弱々しくエミリーが顔を上げて呼びかける。
「だ、め……先、輩」
「黙りなさいっ!」
 柳眉を逆立てて叫びざまに、ミルキーが振り返りながらの裏拳を放つ。ガッと拳が口元へとまともに叩き込まれ、折れ砕けた前歯が数本、口からこぼれてばらばらっと床に散らばった。殴られた衝撃のせいか痛みのためか、顔をのけぞらせてくぐもった叫びを漏らすエミリーの腹へと、ミルキーは更に蹴りを叩き込んだ。身体をくの字に折り、口から呻きと共に血の塊を吐き出して、エミリーが気絶する。
「エミリー!」
「チェルシー姉様の居場所を知ってるのは、あなたの方だったわよね? しゃべるなら、早めにした方がいいわよ。彼女が死んだところで、私は痛くも痒くもないんですものね」
 友人の無残な姿に、血を吐くような叫びを上げるジルハ。彼女の方へと微笑みを向けて、ミルキーがそう言う。唇を震わせるジルハの表情を楽しむように鑑賞していたミルキーが、ふと何かを思いついたような表情を浮かべた。
「うふふっ、あはっ、いいことを思いついたわ。ふふふふふっ」
「な、なに……!? 今度は、何をするつもりなの……?」
 楽しげに笑うミルキーの姿に、ジルハが不安そうな表情を浮かべる。さっきから、正気と狂気との境界線をいったりきたりしているようなミルキーの言動は、次に何をしでかすか分からないという恐怖に繋がる。声を震わせたジルハの言葉には答えようとはせず、ミルキーは拷問部屋の扉を開けて廊下に控えていた陰兵たちを室内に呼びいれた。四人の陰兵たちが壁に拘束されたジルハのもとに歩みより、彼女の手足をそれぞれ抱え込むようにしてから鎖を外す。反射的に逃れようとジルハは身をよじったが、手足をそれぞれ抱え込まれては逃げようもない。ふふっ、ふふふっと楽しげに笑いながらミルキーは気絶したエミリーの両手首を鎖から解放した。どさっと床の上に倒れ込んだ彼女の顔へと、宙を漂ったままの水の球の重力制御を切ってばしゃっと水を浴びせる。弱々しく呻いて意識を取り戻したエミリーが起き上がろうとするが、散々暴行を受けた後だけに手足に力が入らず、立ち上がれない。何十発も拳を打ち込まれた肋骨には無数の亀裂が走り、内臓も傷ついているのだ。
 全身を覆う苦痛に呻きながらも何とか立ち上がろうともがいているエミリーのすぐ側へと、引きずられるようにしてジルハが連れてこられる。今までエミリーの手首をくわえこんでいた鎖に、今度はジルハの手首が捕らえられた。鎖が少し引き上げられ、かかとが浮いて爪先だけで立つような体勢になる。バランスが悪く、ともすればよろめきそうになるのだが、ジルハの足元にはエミリーが転がったままだ。肩幅に足を開いてエミリーの胴体をまたぐような格好になっているから、迂闊によろめけばエミリーの身体を踏みつけることになる。懸命にバランスを取ろうとするジルハへと、楽しそうに笑いながらミルキーが声をかけた。
「うふふっ、あなたの体重がどれくらいかは知らないけど、十倍の重力をかけてあげる。50kgとしても、0.5tになるのよ。そんな体重で踏まれたら、骨が砕けちゃうわよね。ふふっ、大切なお友達を踏まないように、気をつけてね?」
「あ……うああっ」
 ミルキーの宣告と同時に、ずしっと身体に強烈な重みが掛かるのをジルハは感じて悲鳴を上げた。爪先立ちになった足がぶるぶると震える。肘や肩が引き抜かれそうに激しく痛む。歯を食い縛り、懸命に悲鳴を噛み殺そうとするジルハの姿を笑いながら眺め、ミルキーが壁にかけられていたイバラ鞭を手に取った。
「あらあら、随分と苦しそうね。そんな無理な体勢じゃ当然だけど。ふふふっ、大切なお友達に、踏み台になってもらったらどう? きちんと足をふんばれれば、あなたはそんなに苦しくない筈だけど」
「そ、そんなこと、出来る筈ないでしょっ。くううっ」
「せ、先輩、いいから……私のこと、踏んでもいいから……!」
 ミルキーの言葉に、懸命に叫び返すジルハ。両腕で何とか身体を引きずろうと悪戦苦闘しつつ、エミリーがジルハに呼びかける。懸命に力を込めているのだが、まったくといっていいほど腕に力が入らない。ふるふると首を横に振るジルハへと、口元に笑みを浮かべてミルキーがイバラ鞭を振るった。
「きゃあああああああああぁっ! あっ、あぐっ」
 イバラ鞭の一撃に、ばっと胸元が斜めに裂けて血が飛び散る。痛みによろめき、危うくエミリーのことを踏みつけそうになったジルハが強引に身体をひねって足の踏み位置を変えた。そのかいあってエミリーを踏みつけることは回避したものの、無理な動きのせいで両肘と肩とに激痛が走り、口から苦痛の声があふれる。
「うふふふっ、あははははっ。麗しい友情ね。けど……!」
「きゃああああああああぁっ! あっ、ああぁっ」
 笑い声と共にミルキーがイバラ鞭を振るう。服もろとも皮膚と肉とが引き裂かれ、鮮血が飛び散る。激痛にのけぞった拍子にバランスが崩れ、よろめく。再び身体をひねってエミリーを踏むことは避けたものの、先程よりも強い痛みが肘と肩を襲った。はっ、はっ、と、短く息を吐いて懸命に苦痛に耐えようとするジルハへと、ミルキーが第三撃を放つ。胴体部分を襲った前の二回とは異なり、今回はぐるんとジルハの右太股に刺の生えた鞭が巻きついた。
「ギャアアアアアアアアアアァッ!」
 ぶすぶすぶすっと太股の肉に突き刺さった刺が、ミルキーのぐいっと鞭を引く動作によって肉を切り裂く。太股からぶしゅうっと鮮血を吹き出させ、ジルハが絶叫を上げた。右足に力が入らなくなり、よろけた体勢を立て直せない。ととと、と、たたらを踏んだジルハの左足が、エミリーの左腕に乗った。ばきっと乾いた音と共に骨が砕け、エミリーが目を見開いて絶叫する。
「アガアァッ!」
「エミリー! ごめんっ、ごめんねっ」
「だ、大丈夫、気にしないで……」
「うふふっ、泣かせる話ね。どう? まだ続けて欲しい? あなたは自分の痛みに耐えられるかもしれないけど、このまま続けると、あなたに踏み潰されて彼女が死ぬことになるわね」
 ミルキーが床で鞭を鳴らしてそう問いかける。ぎりっと奥歯を噛み締めたジルハが、力なくうなだれた。
「……分かったわ。私の負けよ。全部、話すわ」
「先輩っ!」
「ローレック様は、こんな奴に負けたりしない。そうでしょ? エミリー。
 でも、ここであなたを見殺しにしたりしたら、ローレック様に怒られるもの」
 力なく呟くジルハの頬を涙が伝う。何かを言いかけ、唇を微かに震わせたエミリーが言葉の代わりに血の塊を吐き出してがっくりと首を折った。一瞬顔を青ざめさせたジルハだが、微かにとはいえ確かに彼女の背中が上下してるのを確認して安堵の息をつく。僅かに唇を歪めたミルキーが、ジルハのことをにらみつけた。
「ちょっと気になる言い方だけど、まぁ、許してあげるわ。それで、チェルシー姉様はどこ?」
「その前に、彼女の手当をして。話すのはそれからよ」
「……対等に、要求できる立場だとでも思ってるの?」
「彼女の手当が先よ! 手当をしてくれないんなら、舌を噛みきって死ぬわ! そうしたら、あなたはローレック様の居場所を知ることが出来なくなる! それでもいいの!?」
 不快そうに前髪を掻き上げるミルキーへと、未だに重力をかけられたまま爪先立ちを強いられるきつい体勢のままでジルハがそう叫ぶ。その叫びにぱちぱちと数度瞬きし、くすくすとミルキーが笑い始めた。
「うふふっ、気が強いわね。嫌いじゃないわよ、そういうの。いいわ、彼女の手当はしてあげる」
 笑いながらそう言うと、ミルキーは扉を開けて陰兵たちに指示を出した。部屋に入ってきた陰兵たちの手によって気を失ったエミリーの身体がずるずるとジルハの足元から引きずり出され、ほうっと安堵の息をついたジルハが爪先立ちの体勢から足を閉じて普通に立つ体勢へと姿勢を変えた。もちろん、この体勢でも身体にかかる重力のせいで膝が震えるが、さっきまでよりはずいぶんと楽になる。
「さ、これでいいでしょ? チェルシー姉様の居場所を話してもらいましょうか」
「……ええ」
 ぎゅっと唇を噛み締め、悔しそうにうつむいたジルハが地下世界の中でも最下層に近い場所を口にする。地名ではなく、ナンバーで呼ばれるような辺境の地だ。ふぅん、と、気のない表情で頷くと、ミルキーはエミリーの搬出に加わらなかった陰兵の一人に視線を向けた。
「私は、そこに行ってみるわ。あなたは彼女から他の情報が引き出せないか、試してみて。どうせ素直に白状するとも思えないから、自白剤を使いなさい。出来れば、生かしておいてね。チェルシー姉様の目の前で彼女をいたぶってやるのも面白そうだから。まぁ、死んじゃったらしょうがないけど」
 ミルキーの言葉に、陰兵が無言で頷く。一方、同じくその言葉を聞いたジルハが恐怖に唇を震わせた。元々、肉体的にも精神的にも犠牲者を傷つけない自白剤などというものは存在しないが、地下世界の自白剤は地上で使用されているものよりも粗悪なものが多い。発狂、ショック死を引き起こす可能性は極めて高く、逆に自白を得られる可能性は低いという、自白剤という名にふさわしくない物が大半を占めるのだ。公司の中枢近くで使用される物なら少しはましだろうが、そもそもミルキーが場所を聞き出すのに自白剤ではなく拷問という手段を選んだ事自体が、信頼性の低さを証明している。
「あら、怖いの? ふふふっ、素直に知ってることをしゃべれば無理に自白剤を使う必要なんてないわ。そう、例えばその場所でチェルシー姉様が何をする予定なのか、とか、あなたたち以外にもチェルシー姉様に味方する裏切り者はいるのか、とか、そういう事をしゃべってくれればいいだけの話よ。
 私は、チェルシー姉様を捕らえられればそれでいいけど、一応、公司の一員としては確認しておく必要があることだものね」
「し、知らないわ……ローレック様からは、何も聞かされていないもの」
 声を震わせ、ミルキーから視線を反らすジルハ。ふふっと小さく笑うとミルキーは部屋を後にした。残された陰兵が麻酔薬をジルハにかがせ、ぐったりとなったジルハの身体を鎖から解放して別の部屋へと運んでいく。

「う……あ……ううぅ」
 目を見開き、弱々しい呻きを漏らしながらジルハが喘ぐ。意識を失っている間に拘束衣を着せられ、コンクリートがむき出しの小さな部屋へと彼女は運ばれていた。古ぼけた机と椅子だけが置かれた、殺風景な尋問室へと。
 室内にいるのは、全部で四人。ジルハ以外の三人はすべて陰兵だ。両脇から身体を二人の陰兵の腕で支えられ、椅子に座らされたジルハが苦しげに喘いでいる。拘束衣の左腕の部分が丸く切り取られており、縛られて浮き出した血管へと既に二本の自白剤が注射されていた。頭の中で蛇がのたくっているようなおぞましい感覚と共に、意識が朦朧としてくる。心の内側から何もかもを話してしまいたいという、強迫観念にも似た強い衝動が沸き上がり、沈黙を続けようとする精神の防壁をむしばんでいく。懸命に衝動に耐えつつ、首を振り立てるジルハへと、三人目の陰兵、尋問係の男が既に何度も繰り返した問いを再び発した。
「お前たちの仲間は、他に誰が居る? これから、何をするつもりなんだ?」
「あ……う。い、言いたく、ない……ううっ」
 陰兵の問いかけに、満面に油汗を浮かべ、喘ぎながらジルハが小さく首を横に振る。男に対して拒絶の言葉を発しようとしたにもかかわらず、口を開けた瞬間に何もかもをしゃべりたいという強い衝動が沸き上がり、危うく自分たちに--ひいては、チェルシーに--協力してくれている人間の名前を叫びそうになってしまう。全精神力を振り絞り、拒絶の言葉を呟くとジルハは血がにじむほど強く唇を噛み締めた。ちっと小さく舌打ちをすると、陰兵がぐいっとジルハの前髪を掴む。
「おい、俺はお前を『出来れば』生かしておくように言われてるんだ。三本目から後は、いつ死んでもおかしくないんだぞ? 俺が出来るようにしてくれよ、なぁ」
 強く髪を引かれる痛みを、むしろ心の中で荒れ狂う衝動から意識を反らす役に立つものとして感謝しつつ、ジルハは唇を噛み締めたまま小さく首を横に振った。
「強情な奴だな。発狂しても自業自得だぞ?」
 ぽたぽたと顔から汗の玉を机の上へと滴らせつつ、呻くジルハへと呆れたようにそう言うと、陰兵は三本目の自白剤を手に取った。空気が入らないように少し針の先端から薬液を出し、浮き出したジルハの血管へと針を刺し込む。ゆっくりとシリンダーが押され、薬液がジルハの血管へと注入された。
「う、あっ、ああああぁっ! あああああああぁっ!」
 ビクンッと顔をのけぞらせ、ジルハが叫び声を上げる。大きく見開かれた目の中心で瞳孔が開き、ぼんやりと霞が掛かった。がくがくがくっと身体を細かく痙攣させるジルハへと、空になった注射器を机の上に置いた陰兵が陰気な笑いを浮かべて問いかける。
「仲間の名前は? これから、何をしようとしてるんだ?」
「あ……う、あぁ……い、生命の、巫女……助ける……あくううぅっ」
 苦しげに呻きながら、途切れ途切れにジルハが口を開く。自分が自白しようとしていることに気付いて、糸のように細くなった最後の理性を懸命に繋ぎとめ、再び唇を噛み締める。だが、男の低い声が耳に届いた瞬間、質問に答えたい、しゃべりたいという衝動が理性を圧倒した。
「生命の巫女を助ける? 生命の巫女は、公司で保護している。それを奪い、危険な目にあわせようとしているのはチェルシー・ローレックやお前たちだろうが」
「公司は……ううぅ……ロンを、よみがえらせ……地上に、復讐……生命の、巫女……利用……だから、私たち、は……うああぁっ」
 衝動にかられてうわごとのようにしゃべる自分の姿に、消えかけていた理性が気付いて僅かに力を取り戻す。無理矢理叫び声を上げて自分をふるいたたせると、再びジルハは唇を強く噛んだ。口の中に血の味が広がり、ぬらぬらとした感触が顎を伝う。尋問役の陰兵がジルハの前髪を掴んで自分の方へと顔を向けさせた。
「龍だと? あんな、反公司の勢力が行っている戯言を、公司の衛兵たるお前までもが信じているのか。ふん、くだらん。
 まぁ、いい。で? そんな戯言を信じて公司に反旗を翻そうと考えている奴は、お前たちの他には誰が居るんだ?」
「……」
「答えろっ!」
 陰兵の恫喝の声に、強く唇を噛み締めたままジルハは僅かに首を横に振った。既に唇を噛み破るという段階を越えて、噛み千切るといった方が近い状態になっている。ちっと舌打ちをして陰兵が同じ問いを繰り返すが、唇を噛み締めたまま首を振るだけでジルハは答えようとはしない。更に数度、同じことが繰り返されると、陰兵もいいかげんに業をにやしたのか四本目の自白剤の注射器に手を伸ばした。
「あっ、がっ、はっ! うあああっ、うあっ、うあアアあぁっ、アあアあァッ」
 四本目の自白剤を注射されたジルハが激しく頭を振りながら音程の狂った叫びを上げる。びくっびくっと身体を震わせるジルハへと、陰兵は再び仲間の名前を言うように促した。
「仲間が居るんだろう? 誰がお前たちに協力しているんだ?」
「あ…アあ…ウあゥ…。な、仲間……? い、うぅ、いる……ぅわ」
 呻き声に混じってうわごとのようにそう言うジルハの頬を、陰兵が殴りつける。
「仲間がいるのは分かっている! 仲間の名前を聞いているんだ!」
「名前……ナまエ……ウアAアaッ! はっ……ぎっ。ローレック、様。エミ……ぎいいぃっ。あ……ナマ、エ……なカま……居る、公司……中にも……あああぁっ」
 毛細血管を破裂させ、血走った目を大きく見開いたままジルハが頭を振り立て、身をよじる。不安定に高くなったり低くなったりするうわごとのような呟きと錯乱した叫びとを無秩序に吐き出しながら、ジルハが血の混じった唾を机の上に飛ばした。びくんっ、びくんっと、拘束衣を着せられたジルハの身体が椅子の上で跳ね、彼女の肩や腕を押さえ込む陰兵たちが懸命に力を込めて彼女の動きを封じようとする。
「ローレック様、は……あうううっ……公司から……く、あっ……生命の、巫女を、連れ出せと……おっしゃった。あうっ、ううっ、駄目、話すわけには……ああぁっ、だから、仲間を、募って、巫女を、助ける……」
 うわごとのように、ジルハが言葉を垂れ流す。ぼそり、と、陰兵が問いを発し、ジルハの垂れ流す情報の中身を自分が知りたい内容へと誘導しようとする。
「その、仲間は誰だ?」
「あ、う、駄目、駄目よ……はナセない……アアァッ、うっ、うううっ」
 話したいという衝動と懸命に戦いながら、ジルハが呻き、身をよじり、叫ぶ。血の混じった涙を頬に伝わせながら、身悶えるジルハのことを三対の視線が冷徹に見つめている。
「ヤメテ、止めてやめてヤメテ……! ああっ、ローレック様……! ううっ、うあっ、あくうっ」
「仲間の名前は?」
「ああう……し、シエ……ダめぇっ、言えない! ああっ、ぐ、あ……シャ、シャル……うあアああっ」
 誰かの名前を口にしようとして思いとどまり、苦痛の叫びを上げるジルハ。汗が全身をびっしょりと濡らし、半ば噛みきられた唇のかけらが皮一枚で繋がってぶらぶらと揺れる。耳や鼻から、つうっと血があふれて滴った。
「シエ? シャル? きちんと話さないと、その苦しみは消えないぞ」
「シ、し……じらな……いえな……あうううっ。シエ……だ、駄目、よ……シャル……あぐぐぐぐっ」
 名前を口にしかけはするものの、寸前で踏みとどまり、苦痛の声を上げるジルハをいらだったように陰兵が見つめる。しばらくは様子をうかがうように名前を問いかけることを繰り返すが、ジルハの反応は変わらない。ギリッと奥歯を噛み締めると、陰兵が五本目の自白剤の注射器を手に取った。
「五本目だ。死にたくなければ、仲間の名前を言え」
「あっ、ああうっ、うあ……ローレック様……! 殺し、なさい……ああっ」
「強情な奴だな」
 四本もの自白剤を打たれて、それでもなおも強情を張るジルハの姿に反感をそそられたのか、陰兵が五本目の自白剤をジルハに注射した。びくんっと、大きく頭をのけぞらせ、ジルハが絶叫を上げた。
「あアあぁアあアァアアあァあaあAアアアああaAあaあアぁああaあアあAぁAアァあっ!!!」
 ジルハの叫びと共に彼女の耳と鼻から血がほとばしる。激しく身をよじったジルハに、彼女を押さえつけていた二人の陰兵が振り払われた。錯乱が筋力を全解放しているのだ。二人の陰兵の腕を振り払ったジルハが勢いよく上体を倒し、自らの額を机の表面へと打ちつけた。ガッという鈍い音と共に額の皮が破け、鮮血が飛び散る。更に上体を起こして額を机に打ちつけようとするジルハのことを、三人の陰兵が飛びかかって押さえつけた。三人がかりで身体を押さえこまれながら、錯乱した目茶苦茶な絶叫を放ち、ジルハが拘束衣を引き千切らんばかりの怪力を発揮して身をよじる。
「あひゃうあギあaひゃううあGあアァひゃはUうあアアァああうゥがGAガァアアッ!!」
 錯乱したジルハの叫びが、突然断ち切られたようにとだえる。同時に、大きな身体の動きも止まった。充血して真っ赤になった目を見開き、血の涙を流しながら、おこりにかかったかのようにがたがたと全身を激しく震わせる。絶叫する形に開かれた口から、叫びの代わりに血の混じった泡がぶくぶくと際限なくあふれ、拘束衣の胸元へと滴った。
 一分近く血泡を吹きつづけると、ジルハの身体からやはり唐突に力が抜ける。陰兵たちが手を離すと、力を失ったジルハの身体が机の上に倒れ込む。かっと目を見開いたまま、半開きになった口から血の混じったよだれを垂れ流している彼女のことを少し薄気味悪そうに陰兵たちは見つめた。
「死んだか……?」
「いや、息はしている。頭の中身は知らんがな……」
 ひくっ、ひくっと身体を痙攣させているジルハのことを眺めながら、陰気な言葉を陰兵たちは交わした……。
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