お銀の受難

「よくぞここまでの厳しい訓練を耐えぬいたな、お銀」
 齢百を超えているのではないかと思えるほど、深いしわを顔全体に深く刻み込んだ老婆が穏やかな口調でそう言う。彼女の前に正座した女がはい、と、緊張した口調で頷いた。
「お主の技、既に里に並ぶものはおるまい。お主はくの一として、最高といっても過言でないほどの素質を持ち、厳しい修行によってそれを開花させてきた」
 淡々とした口調でそう言うと、老婆がしわの奥に隠された目をお銀に向ける。
「しかし、くの一は本来戦いを任務とするものではない。情報を集め、時には敵を撹乱する、後方支援をその主任務とする。それゆえ、いかに優れたくの一であろうと、敵に囚われる可能性は非常に高い。
 そして、敵に囚われ、責めを受けた時に主の情報をもらすようでは、何の役にもたたん。それは、分かるな?」
「はい。承知しています」
 小さく頷き、お銀が老婆の顔を見つめ返す。うむ、と、頷くと老婆は視線を扉の方へと向けた。
「隣の部屋で、最後の試練をお主に与える。この試練に見事耐えぬけば、お主は御老公様直属のくの一として働くことになろう」
「御老公様の……!?」
 老婆の言葉に、お銀が僅かに驚愕の声をもらした。御老公様、すなわち、先の副将軍水戸光圀だ。
「責任は重大。御老公様のために働くとなれば、万に一つの失敗も許されん。それゆえ、この試練は非常に厳しいものになろう。耐えきれぬ時は、死ぬ時と思うがよい」
「は、はいっ」
 思わず上ずった声を出したお銀へと小さく頷いてみせ、老婆が立ちあがる。足音もなく扉へと歩み寄る老婆の後に続きながら、ぎゅっとお銀は唇を噛み締めた。

 お銀の予想に反して、隣室はがらんとしていた。唯一目を引くのは、中央近くに置かれた一枚の板だ。人が手足を伸ばして楽に横たわれるだけの大きさがあり、四隅には金属の輪が埋め込まれている。
「服を脱ぎ、その上に横たわるのじゃ」
 老婆が、そう指示を与える。するりと衣服を脱ぎ捨て、お銀は板の上に横たわった。豊かな乳房は、それを支える筋肉がよく鍛えられているせいもあってか仰向けになってもさほどつぶれず、つんと天井を向いている。
 老婆が縄を取り出し、お銀の両手首、両足首へと巻き付けていく。見た目はごく普通の結び目だが、当然忍びの一族に伝わる特殊な縛り方だ。縄抜けの訓練をつんだお銀であっても、抜けるのは容易ではない。それぞれの縄の端を板の金具に結び、老婆はお銀を板の上に拘束した。板の周りに並べられた燭台の上で蝋燭の炎が揺れ、お銀の身体の上に微妙な陰影をつける。
「これより、お主の身体に百八の針を埋め込む。並みの人間であれば狂うまでに必要な針は片手の指で事足りる。また、訓練をつんだ忍びでもあっても三十を数えずして半数は痛みに狂い死にするといわれる地獄針じゃ。見事、耐えて見せよ、お銀」
「はいっ」
 老婆の声に異様な力がこもり、つられるようにお銀が半ば叫ぶように答える。老婆が竹の筒に差された長さ一尺ほどもある針を一本取って右手に握り、左手の掌をすべすべとしたお銀の腹へと当てる。慎重に針の先端を肌に当てると、ずぶっと老婆がお銀の腹へと針を埋め込んだ。
「!」
 懸命に悲鳴を噛み殺し、お銀がびくんと身体を震わせる。経穴に正確に打ち込まれた針は、尋常ではない激痛を生んだ。その痛みは、片腕を切り落とされても呻き声さえ漏らさないといわれるほどの忍びが、悲鳴を噛み殺せただけでも奇跡に近いというほどのものだ。一瞬でお銀の滑らかな肌の上にいくつもの汗の玉が浮かび、蝋燭の明かりを反射してぬらぬらと光る。
 無言のまま、老婆が竹筒から二本目の針を取り出す。はっはっと切れ切れの息を吐くお銀の腹へと、二本目の針が打ち込まれた。
「! うああああああっ!!」
 びくんと腰を跳ね上げ、お銀が絶叫を上げる。細い針が突き立てられた傷からは、血の一滴も流れ出てはいない。そんな、かすり傷ともいえないような小さな傷を二つ作られただけで、全身がばらばらになったのではないかと錯覚するほどの激痛が脳裏で炸裂している。
 すうっと、老婆の左手がお銀の肌の上を滑り、左太股へと移動する。竹筒から取り出された三本目の針が、お銀の左太股へと押し当てられた。ちくっとした痛みに、血がにじむほど強く下唇を噛んでお銀が襲ってくるであろう激痛に身構える。
「っ! ぅっ!! ぁっ!!」
 ずぶっと針が太股に突き刺さり、お銀が髪を振り乱して身悶える。懸命に噛み殺そうとしているのだが、それでも押さえ切れない微かな悲鳴が唇から漏れた。
 無言のまま、老婆が腰を上げ、位置を変える。右の太股に老婆の掌の感触を感じてお銀が大きく目を見開いた。首をねじ曲げ、天井に向いていた視線を自分の身体へと向ける。
「どうじゃ? 誰に雇われたか、吐く気になったか?」
 お銀の視線を感じた老婆が、そう問いかける。ぎゅっと目をつぶり、お銀は唇を噛み締めた。尋問に対しては徹底して沈黙で答えるべし、と、そう教えられている。迂闊な発言は、思わぬ情報を敵に与えてしまう可能性が有るからだ。
「吐かぬか。愚かな。どんな剛のものとてこの責めには耐えきれぬ。口を割るか、それとも発狂するか。お主が選べる道はこの二つのみじゃ」
 淡々とした口調でそう言いながら、老婆が四本目の針をお銀の太股へと打ち込む。悲鳴を噛み殺そうと、懸命に食い縛った歯が唇を噛み破り、つうっと鮮血が筋を引いた。頭をのけぞらせ、お銀が細かく身体を震えさせる。
(た、ただの針じゃ、ない……! 毒……!?)
 痛みのみで塗り潰されそうになる意識を懸命につなぎとめ、お銀がそう思考する。点穴の知識は教えられているが、それだけではこの尋常ではない痛みは説明できない。痛覚を鋭敏にする種類の毒が、針の先に塗られていると考える方が妥当だ。
(あ、後、百と四本……!!)
 歯を食い縛り、ともすれば漏れそうに鳴る悲鳴を噛み殺してお銀が懸命に思考に集中する。思考することを放棄すれば、老婆の言うとおり発狂か自白か、どちらかの道をたどることになる。
 つうっと、老婆の指がお銀の肌の上を滑る。太股から腹、胸を経て右腕へと。はっはっと切れ切れの息を吐きながら、お銀は次の衝撃に備えて身体を硬くした。
「う、うああああああっ、うあっ、あああああああっ」
 針が打ち込まれ、お銀が絶叫を上げる。大きく見開かれた目からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。普通の拷問の痛みは、まず最初に激痛がきてその後はその余韻だけが残るものだ。だが、この責めではしばらくの間、純粋な痛みが走りつづける。しかも、前に打たれた針の痛みは新たな針を打たれるたびによみがえり、最初と変わらぬ激痛を感じさせる。
「そのまま、狂うか? それとも、死ぬか?」
 つうと老婆の指が鎖骨のラインに沿って滑り、左腕に移る。針が老婆の手の中で不気味に光り、すうっとお銀の左腕の肉の中へと打ち込まれた。
「ひぎっ、ぎゃあああああああっ!」
 断末魔を思わせる絶叫。縄で縛られた手足を目茶苦茶に動かし、髪を振り乱してお銀がのたうつ。針が打ち込まれた部分からは血の一滴も流れ出てはおらず、外傷などないに等しいというのに、厳しい修練をつみ重ねてきたくの一が一般人のように悲鳴をあげ、苦悶の踊りを見せている。
「どうした? まだ、十にも達せぬうちに降参か?」
「う、ぐっ……あっ。だ、誰がっ」
「ふ、ん。その強がり、いつまで続くかな?」
 次の針を手に取り、老婆が僅かに目を細めた。

「ぎゃあああああああああっ。ぎっ、ぎぃっ。うぎゃああああああああああっ」
 分厚い倉の壁ごしに、凄絶な絶叫が響く。倉の中で何が行われているのか、既に知っているはずの里の者たちが、思わずそちらに視線を向けてしまうほど悲痛な叫びだ。
「あっ、あっ、あああああああっ。ぐぎゃあああああああっ」
 僅かな静寂を挟み、長く尾を引く絶叫がこだまする。里長である老婆とお銀が倉にこもってから、既に丸一日が過ぎようとしている。最初はしんとしていたのだが、半日ほど過ぎた頃から時折絶叫が漏れ始め、今ではほぼ途切れることのない絶叫が響きつづけている。
「ひっ、ひいいいいいっ。ぎゃあああああああっ」
 腹の辺りにおよそ十本、両腕両足にそれぞれ三本、更に両胸のふくらみと首との境目の辺りにも一本ずつの針を打ち込まれ、お銀は断末魔の絶叫にも似た悲鳴を放ちつづけている。今は室内に老婆の姿はなく、変わりにまだ年若い三人の娘が彼女の周囲を取り囲んでいる。
「うっ、うううっ、うああああああああっ!」
 娘の一人が真っ赤におこった炭を火箸で挟み、お銀の腹に刺さる針の頭に載せる。針を伝った熱気が神経節を刺激し、激痛を生む。歯を食い縛り、何とか悲鳴を殺そうという努力は瞬く間に破れ、お銀の口から再び絶叫が放たれる。
「ひぎっ、ひぎぃっ。やめっ、ぎぃやあああああああっ。ひぎゃああああっ」
 ぴーん、ぴーんと、二人の娘が人差し指でお銀の胸元に突き刺さった針の頭を弾く。その度に電流を流されたかのように身体をびくびくと震わせ、お銀が絶叫する。なまじ強い意志力がある故に、失神する事も出来ずに激痛を味わいつづけている。
 がたん、と、音を立てて部屋の扉が開く。はっとしたように、今までお銀を嬲っていた娘たちが扉の方へと向き直り、平伏した。仮眠を終えた老婆が、再び戻ってきたのだ。
「どうじゃ? 吐く気にはなったか?」
 ゆっくりとお銀の側へと歩みより、老婆がそう問いかける。大量の涙をにじませた瞳を老婆の方へと向け、お銀が無言でかぶりを振る。
「ふむ、そうか。では、続けるまでじゃな」
 無造作にそう言うと、老婆が二本の針を竹筒から抜く。びくびくと身体を痙攣させるお銀の左胸を左手で押し上げ、ふくらみの根元へと一本目の針を打ち込む。
「--っ! --っ!!」
 大きく口を開け、声に鳴らない悲鳴をお銀が上げる。ピンと硬直したお銀の右胸を同じように左手で押し上げると、老婆は一見無造作に針を打ち込んだ。
「--ぁっ! ぐぎゃあああああああっ!」
 凄絶な悲鳴、いや、咆哮を上げてお銀が身体を弓なりにのけぞらせる。胸を丸ごとむしり取られたかのような錯覚を覚えるほどの激痛が走り、一瞬遅れて今までに刺された全ての針から痛みが共鳴して全身を貫く。油汗でぬめぬめと光る裸身をのたうたせ、お銀が絶叫を放つ。
 老婆が竹筒から更に二本の針を引きぬいた。三人の娘たちが手を伸ばし、のたうつお銀の身体を押さえつける。左手の人差し指と中指で乳首を挟むような形で老婆がお銀の右胸を押さえ、乳首の先端へと針を当てた。
「吐くか? 誰に頼まれ、何を探っていた? 言わねば、死ぬより辛い目にあうことになるぞ?」
「がっ、あぁっ。ひ、一思いにっ、殺しなよっ」
 痛みにもうろうとなりかける意識を懸命に手繰り寄せ、お銀がそう叫ぶ。もっとも、本人が思っているほどまともな言葉はしゃべれず、実際の叫びは不明瞭で意味の取りづらいものではあったが。
 ともあれ、お銀の意思は伝わった。無言で老婆が乳首へと針を沈める。まなじりが裂けんばかりに大きく目を見開き、お銀が絶叫を放った。普通に、単独で乳首に打ち込まれる針とは比較するのも愚かなほどの痛み。既に打ち込まれた針が相互に影響しあい、痛みを何倍にも増幅していく。
「そのまま、死ぬか? 女。素直に吐けば、楽になれるのじゃぞ?」
 老婆の声が、ひどく遠くから聞こえる。精神力を総動員して、お銀は首を横に振った。大きく目を見開いているはずなのに、視界が真っ白になっていて何も見えない。痛み以外の感覚が全て喪失し、身体の中には純粋な痛みだけが詰まっているような感覚すら覚える。
 痛みだけに塗り潰された意識を、更なる痛みが切り裂いた。また、身体のどこかに針が打ち込まれたらしい、と、辛うじてそれだけ思考する。それが一体どこなのか、考える余裕もなく悲痛な悲鳴を喉からあふれさせ、身体をのたうたせる。
「炭を」
 お銀の両乳首に針を打ち込んだ老婆が静かにそう命じる。娘たちが火箸で挟んだ炭を二本の針の頭に押し付けた。口から泡を飛ばし、お銀が激しく頭を振る。その口から漏れるのは普段からは想像も出来ない濁った絶叫だ。
 すっと炭が離れ、四対の視線がのたうちつづけるお銀へと注がれる。激しかった動きが徐々に緩やかになり、数度びくびくっと身体を痙攣させると悲鳴がとだえた。失神したか、と、娘たちが顔を見あわせる中、老婆はじっとお銀へと視線を注いでいる。
「う、あっ。かはぁっ」
 お銀が大きく息を吐き出し、ごくりと唾を飲み込む。見開かれていたまぶたが閉じ、少しの間を置いて再び開かれる。視線がふらふらとさまよい、老婆の顔で止まった。
「ふむ、まだ意識がはっきりとしておるのか。たいしたものじゃな、お銀よ」
「く、うぅ……」
 未だ、全身を激痛が駆け巡っている。その痛みに呻きを漏らしながらも、お銀はしっかりと老婆の目を見返した。小さく頷いて、老婆が竹筒から次の針を抜き出す。
「安心するのはまだ早い。まだ、針はいくらでも残っておるのじゃからな」
 そう告げ、次のツボへと老婆は針を突き立てた。しばらく訪れていた静寂が、再びお銀の絶叫によって破られる。

「ひっ、ぎいいいぃっ! ぎっ、ぎゃああああああああっ!」
「うあっ、あっ、あっ、ああああああ---っ!!」
「ひいいいいいいぃっ! ひっ、ひぎゃああああああ---っ!」
 夜風に乗って、悲痛な悲鳴が響く。三日目の朝を迎え、昼が過ぎ、夜になってもまだ、途切れ途切れの絶叫が倉の壁越しに響いている。責める側の老婆や助手の娘達は交代で睡眠や食事を取っているが、責められているお銀は時折口に水を注がれる以外は食物も与えられず、一睡も出来ずに激痛に責め苛まれている。三日三晩に及ぶ責めに体力は限界に近づき、既に何度か失神しているが、その度に水を顔に浴びせられ、強引に意識を覚醒させられている。
「ぐうううぅっ。うっ、うううっ、うぐぅっ! うぐぐぐぐっ」
 既に打ち込まれた針の数は八十を越え、腹から胸にかけてびっしりと針鼠のように針が立っている。今はその針の群の頭の上に炭火が載せられ、真っ赤におこって針に熱を伝えていた。体力の尽きかけたお銀には胴体を押さえる娘達を跳ね飛ばす力はもうない。動きを封じられ、しかも針が密集しているせいで軽く火箸で押さえつけているだけでも炭火は安定している。ジリジリと体内を焼かれていく感覚に、お銀がくぐもった呻きを漏らしつづけている。
「こ、殺し、なさいっ。うぐっ、うぎゃああああああっ」
 精一杯の努力で娘達をにらみつけ、言葉を放つお銀。無言で娘の一人がお銀の右腕に刺さった針の一つを指で弾く。ピィィンッと針が震え、激痛にお銀が首をのけぞらせた。弾かれた針だけでなく、共振を起こした他の何本かの針も震え、お銀の全身を電流のような衝撃が走りぬける。
「ぎっ、ぎひいいいいいぃっ。ひぎっ、ひぎゃあああああああっ」
 びりびりと、全身を激痛の波が貫く。身体がばらばらになり、四散したのではないかと思うほどの痛みが、寄せては返す波のように何度も身体の中を走りまわる。
 長く尾を引く悲鳴をあげ、ぴんと身体を硬直させる。びくびくっと身体が痙攣し、ぐったりと脱力してすすり泣く。頭を激しく振り、泣きわめきながら全身をのたうたせる。いつ果てるともない、苦悶の踊りを踊りつづけるお銀。あげつづけた絶叫のせいで声はしゃがれ、泡で口の周りを汚しながらかっと目を見開いている。全身に針を突き立てられた様は、まるで地獄の亡者だ。
 戻ってきた老婆が、竹筒から抜いた針をお銀の股間、敏感な肉の芽へと突き刺す。普通であればそれこそ涙を流して絶叫する痛みが走ったはずだが、ぐぅっと小さく呻いただけでお銀は大きな反応を見せない。どれほど感覚が鋭敏な器官であろうと、直接神経に刺激を与えるのと比べればその痛みはたいしたことはないのだ。
 老婆のめくばせを受け、娘達が竹筒から針を抜いてお銀の足へと回る。ちぢこまった足の指を押し広げ、娘達は足の爪と肉の間に針を刺し込んだ。その度にびくっと身体を震わせ、小さな呻きを漏らすものの、絶叫することも苦痛に身体を動かすこともせずにお銀はただ荒い息を吐いている。
 敏感な肉芽を針で貫き、爪に針を刺し込む。普通に行われる拷問としてはかなり苦痛が強い部類に入る責めを受けながら、お銀はむしろ休息の時を迎えていた。少しでも気を抜けば叫び出してしまいそうな激痛に全身が満たされてはいるが、新たに加えられた痛みはひどく遠く、鈍いものに過ぎなかった。
 目を閉じ、僅かながらも呼吸を整えるお銀。足の爪に針を刺し終えた娘達が、ぎゅっと握られたお銀の拳をほどき、手の指の爪へと針を突き立て始める。ぴくっ、ぴくっと針が刺さるたびに身体を震わせるが、お銀の顔に浮かぶ表情はむしろ安らかだ。普通であれば充分拷問と呼べる爪への針刺しも、散々神経への直接刺激を受けつづけた身では児戯に等しい。
「ふ、う……」
 吐息を吐き出し、お銀が目を開ける。全身はあいもかわらず痛みだけで満たされているが、爪や肉芽に与えられた新たな痛みはほとんど感じていない。ちらりとお銀の視線が横に動き、竹筒に刺された針の本数を目で数える。後、三本だ。
 一見無造作に老婆が針を取り、お銀の肌に突き刺す。肉芽や乳首、あるいは爪といったいかにも痛そうな部分ではなく、素人目にはごく変哲もない肌へと。けれど、その、常識的にはたいして痛くないはずの部分に打ち込まれた針に、娘達の手によって手足の爪に針を打ち込まれても平然としていたお銀が大きく目を見開いて絶叫を上げる。
「あがっ、がががっ、ぐぎゃああああああっ」
 一ヶ所で生まれた激痛は瞬く間に全身に広がり、身体のあちこちで新たな激痛が誘爆する。既に、どこが痛いのか、お銀には分からなくなっていた。全身のいたるところで激痛の爆弾が弾け、それが収まる暇もなしに次々と連鎖的に痛みが生まれていく。
「うぎゃあああああっ! ぎゃぎっ! ぎひいいいいぃっ! ひぎっ! ひぎゃっ! うぎゃぎゃぎゃぎゃあああ----っ!!!」
 全身に痛みが波紋のように広がる中、新たな火種が放り込まれる。どこかに、新たな針が打ち込まれたらしい、と、そう認識することすら既に出来ず、お銀はひたすら聞くに耐えない濁った絶叫をあげつづけた。今自分の身体がどうなっているのかも分からない。
 老婆が最後の針を打ち込む。臨席していた娘達が、手で耳を覆うほどの絶叫がお銀の口から上がった。人間の口から出た声とは到底思えない、凄絶な咆哮。文字で表記など出来ない、断末魔の絶叫だ。絶叫に喉が破れたか、血の色をした泡を吹きながら、あまりの激痛故に気絶することも出来ずに延々とお銀が叫びつづける。
「後、半日の辛抱じゃぞ、お銀。もっとも、その半日、お主にとってはこれ間での三日間よりもよほど長く感じられるやもしれんが……」
 老婆が、哀れむような口調でそう呟いた。表記不能の絶叫をあげ、激しく身体をのたうたせているお銀の頭を二人がかりで押さえつけ、娘達がお銀の口に細い竹の筒を噛ませる。誤って舌を噛みきるのを防ぐための処置だ。絶叫を封じられ、くぐもった呻きしか漏らせなくなったお銀を一人残し、老婆と娘達が倉から立ち去る。
「うぐっ、むぐぐぐぐっぐっ、うぐぅぁっ。ふぐっ、ふぐぐっ、むぐぅ--っ!!」
 一人で放置されたことにも気付けず、激痛のみに満たされた世界の中でお銀が絶叫する。何も考えられず、痛み以外は何も感じない。蝋燭も消され、暗黒に閉ざされた倉の中に、地獄の亡者の声のような凄惨な呻き声だけがひたすらに響いていた……。

 水戸光圀の諸国漫遊の旅。それを、影ながら支えたくの一が居たという。が、その経歴は一切の史書に残されていない……。
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