薔薇の騎士の受難

「何故だ……何故、この私がこんな目に会わねばならんのだ!?」
 そう叫んでみても、現実は何も変わらない。舌打ちしつつ緊急脱出ボタンにマシュマーは拳を叩きつけた。小爆発をくりかえす機体から脱出ポットでもあるコクピット・ブロックが射出される。
「ハマーン様、申し訳ございません。このマシュマー、またお役に立てませんでした……」
 胸の薔薇に触れつつ、マシュマーがそう呟く。それとほとんど同時に機体が大きく爆発し、その衝撃でポットが激しくゆすぶられた。ぎりっと奥歯を噛み締めてその衝撃に耐えるマシュマーの目が、不意に大きく見開かれる。急速に接近してくるMS--ZZガンダムの姿がスクリーンに映ったからだ。
「な、何!?」
 かわそうにも、脱出ポットの機動性はないに等しい。がしっとZZの両手がポットを掴み取った。そのまま、自分の膝の辺りにポットを叩きつける。
「ぐ、ぐわぁっ」
 いくらショックアブソーバーに守られてはいても、この衝撃はきつい。二度、三度と同じ事を繰り返され、たまらずにマシュマーは意識を失った。

「よう、マシュマー。お目覚めかい?」
 不機嫌そうな少年の声が耳に飛びこんでくる。はっと顔を上げようとした途端、全身に鈍い痛みが走ってマシュマーは声もなく呻いた。骨折とまではいかなくても、あちこちの骨にひびぐらいははいっているのかもしれない。
「き、貴様……」
 彼らが今いるのは、どこか倉庫のような部屋だった。薄暗い部屋の、支柱の部分に後ろ手に縛りつけられているらしい。
「リィナはどこだ? どこにやった!?」
 押し殺した声の中に殺気すら漂わせてジュドーがそう問いかける。だが、いくら凄まれたところでマシュマーに心当たりなどない。
「知らんな。大体、この扱いは何だ!? 誇り高き騎士を辱めるなど、言語道断! 捕虜の虐待を禁止した南極条約も知らんのか!?」
「ジオンが言うことかよっ!」
 ジュドーが足をはねあげる。口の辺りをまともに蹴られ、マシュマーの口元から血が滴った。
「先にリィナをさらったのはおまえたちのほうだろうが!」
 ジュドーの蹴りが、マシュマーの脇腹にめり込む。ぐっと息を詰まらせて前屈みになった彼の前髪を掴むとジュドーは強引にマシュマーを仰向かせた。
「人の妹をさらうのが、ジオンのやり方なのかよ!?」
「ハマーン様がそのような愚劣なことを命じられるはずがない! 貴様、ハマーン様を侮辱する気か!?」
 そう反論しつつ、マシュマーがジュドーの足を払う。激昂していたせいかまともに足払いを食らってジュドーが転倒した。
「てめぇ……」
 低い声で唸りながら、何故か部屋の片隅にあったハンマーをジュドーが手に取る。ぶんっと風を裂いてハンマーがマシュマーの足へと振りおろされた。
「ぐああああああっ!?」
 膝と足首のちょうど中間の辺りで、マシュマーの右足が奇妙な方向に曲がっている。ふうふうと興奮のためか大きく肩を上下させながら、ジュドーはマシュマーの顔を睨みつけた。
「リィナの居場所を言えよ。お前が知らないってんなら、ハマーンに直接聞く。だから、ハマーンの居場所でもいいぜ」
「ぐぐぐ……貴様の妹など知らんし、ましてやハマーン様の居場所を貴様に教えることなど出来るか!」
 へし折られた足の痛みのせいか油汗を浮かべながら、マシュマーがそう言い放つ。無言のまま、ジュドーがハンマーを振り上げた。
「捕虜の虐待は条約違反だと……ぐああああっ」
 今度は、左足の膝へとハンマーが振りおろされた。骨の砕ける音がして、右足同様左足も変な方向に折れ曲がってしまう。
「誘拐も立派な犯罪だろうが。いいかげんにしろよな。ほら、とっととハマーンの居場所を言えよ」
「ぐっ……あ。き、貴様のような奴を、ハマーン様の元に行かせるわけにはいかんのだ」
「強情な奴だな」
 どすっと、マシュマーの腹に蹴りを叩きこむとジュドーはふと悪戯を思いついたような表情を浮かべた。マシュマーの胸に差された薔薇へと手を伸ばす。
「こ、こら、ちょっと待て貴様! その薔薇は、ハマーン様よりいただいた大事な……!」
「ふぅん、やっぱり大切なものなんだ。じゃ、こんなことしちゃったりして」
 ジュドーが薔薇の花びらを一枚、指でつまむ。うわああああっと絶望に満ちた悲鳴をマシュマーが上げた。拘束された不自由な身体を懸命にゆする。
「やめろ! その薔薇に手を触れるな!」
「なら、リィナの居場所、教えてくれるか?」
「だ、だから、貴様の妹など知らんのだ。本当だ。信じてくれ」
 今までの強気な態度はどこへやら、滑稽なほどの低姿勢になってマシュマーが哀願する。唇をへの字に曲げながらジュドーがマシュマーのことを睨んだ。
「じゃ、ま、それは信じてやるよ。けど、ハマーンの居場所を知らない、だなんて事は言うなよ?」
「う……そ、それは……」
「ハマーンはどこに居るんだ!? 言わなきゃ、こいつをバラバラにするぞ!」
 ぐっとジュドーが手に力を込める。マシュマーの表情がこれ以上ないというぐらいの苦悩に歪む。
「うわああああああっ、た、頼む。それだけは勘弁してくれ。そ、そうだ、私が責任を持ってお前の妹は捜す。捜して、絶対にここに送り届ける。な、そういう取り引きをしようじゃないか」
「信じられるかよ、そんな台詞がっ。いいから、とっととハマーンの居場所を言っちゃえよ」
「だ、駄目だ、私にはハマーン様を裏切ることなど……」
「そうかい。ならっ」
 ぶちいっと薔薇の花びらをジュドーが一枚引き千切る。大きく目を見開いてマシュマーが絶叫した。
「あああああああああっ。ハマーン様の薔薇がっ!」
「別に俺は、ハマーンが素直にリィナを返してくれればそれでいいんだ。あいつが妙なごねかたをしなけりゃ、手荒な事をするつもりはないんだぜ?」
「う、ぐ、し、しかし……」
「分からないおっさんだな! なら、気が変わるまで続けるだけだぜ?」
「うわあああああっ、やめろっ、やめてくれぇっ」
 更に数枚の花びらがジュドーの手によって引き千切られ、血を吐かんばかりの絶叫をマシュマーが上げる。身をよじるたびに、砕かれた両足に激痛が走っているはずなのだが、肉体的な痛みよりも精神的な痛みの方がよっぽど彼にとっては辛いらしい。
「ほらほら、早く白状しちゃいなよ。大切な薔薇なんだろう?」
「うわっ、こらっ、やめろっ。ああああっ、ハマーン様、お許しを……」
 既に花びらの半数以上が引き千切られ、見るも無残な姿になった薔薇を、ジュドーがぽいっと足元に投げ捨てる。目を血走らせて身を乗り出すマシュマーに見せつけるように、ジュドーがゆっくりと右足を上げた。
「これが最後の忠告だぜ? 踏み潰されたくなけりゃ、ハマーンの居場所を白状しな」
「うぐぐぐぐ……駄目だ。ハマーン様を裏切ることなど、私には出来ん」
「あ、そっ」
 意外なほどあっさりと頷くと、ジュドーが薔薇を踏み潰す。コーティングされた薔薇が、ぐしゃりと砕けた。わなわなと全身を震わせ、殺意の篭ったまなざしを向けてくるマシュマーを正面からジュドーが睨み返す。ぐりぐりと彼が薔薇を踏みにじると、つうっとマシュマーの唇から血が滴った。あまりにも強く唇を噛んだために、歯で食い破ってしまったらしい。
「貴様……許さん、許さんぞっ! ハマーン様の薔薇を踏みにじった酬いを必ず与えてやる!」
「吠えるんじゃないよ、おじさん。自分の立場、分かってんの?」
 ぞっとするような笑みを浮かべて、ジュドーが倉庫に詰まれていたボンベを一つ持ってくる。ちょうど、消火器を大きくしたような感じで、ホースとバルブが上に付いている。
「さて、問題です。こいつの中身は一体なんでしょう?」
「ま、待てっ。一体何を……」
 マシュマーの言葉を皆まで聞かず、ホースの先端をマシュマーの足に向けるとジュドーがバルブをひねる。しゅうううっと白煙をあげながら水のようなものがマシュマーの両足の膝からから下へと振り注いだ。
「ぐ、ぐわあああああっ!?」
「正解は、液体窒素でした♪」
 バルブを閉じながら、妙に楽しそうにジュドーがそう言う。ぴしぴしと軋んだ音を立てながら、床とマシュマーの両足が白く凍りついていた。
「あ、がっ、はっ。わ、私の足がぁ~?」
「あはははは。どんな感じだい? 足が凍りついた感想は。話によると、一瞬で麻痺するから痛みはほとんど感じないそうだけど」
「う、ぐぅ……」
 額に油汗を浮かべてマシュマーが呻く。ジュドーの言葉通り、膝から下は完全に麻痺していて、何も感じない。だが、膝から上は強烈な冷気のためか痛いとも熱いともつかない感覚に包まれている。それに、自分の両膝から下が急に無くなったような感じがして、えもいわれぬ恐怖感がある。
「マイナス200度だか何だかまで冷やすと、大抵のものは目茶苦茶脆くなるらしいんだよな。こいつでぶったたいたら、どうなると思う? パリーンって、砕けちゃうとは思わないか?」
 さっき投げ捨てたハンマーを手に取り、ジュドーがそう言う。だらだらと油汗を流すマシュマー。
「ちゃんと治療すれば、その状態からでも完全に回復するらしいぜ? だけど、砕けちまったら治療のしようがないよな。車椅子の騎士っていうの、しまらないと思うけど、どうする?」
「ぐ、か、勝手にしろっ。私は、ハマーン様を裏切ることなどできんのだっ」
 そっぽを向きながら、マシュマーがそう怒鳴る。にやにやと笑いながら、ジュドーがゆっくりとハンマーを振り上げる。
「いいのかぁ? ほんとにやるぞぉ」
「くっ……。ぐわああああああああっ」
 ぎゅっと目を閉じたマシュマーが、絶叫を上げる。それが人間の身体の一部だったことが、信じられないほど見事にマシュマーの右膝から下が砕け散った。ぶんと再びジュドーがハンマーを振り上げ、振りおろす。がしゃぁんという澄んだ音とともに、残る左足も砕け散る。
「う、が、あ……ぐうううううっ」
 凍りついた断面から、ちょろちょろと血が流れ出す。白く凍った床に血が触れるとしゅうしゅうと白煙が上がった。心臓の鼓動にタイミングを合わせて、ずきんずきんと痛みがマシュマーの全身を貫いた。既に失われたはずの足が、今でも残っているかのように激しい痛みを伝えてくる。
「どうだい? ちょっとは気が変わったかい?」
「ぐ、だ、誰が、貴様なぞに屈するものか……! 私は、誇り高きハマーン様の騎士なのだ!」
「あ、そっ。なら、このまま、死ぬかい?」
 ハンマーを床に置き、再びボンベのホースを握るとジュドーがそう言う。脅しでもなんでもなく、本気の台詞だ。バルブをひねると、吹きだした液体窒素がマシュマーの腰から下を白く凍りつかせた。
「腰から下が無くなっても、まだ死にはしないよな」
「ぐっ……はっ、はっ、あっ。うぐぅ……」
 苦しげに身体をよじらせるマシュマーを、冷めた表情でジュドーが見つめる。ゆっくりとハンマーを手に取ると、無造作に白く凍りついたマシュマーの腰へと叩きつける。
「ぐあああああっ、あっ、ぐわあああああっ」
 びくびくと身体を震わせ、マシュマーが絶叫を上げる。破砕面が凍りついているせいか、意外なほど出血は少なく、腰から下がなくなったというのに死ぬことは出来ない。
 ジュドーが振りまいた大量の液体窒素のせいで、周囲は吐く息が白くなるほどの冷気に包まれている。だから、腰から上の部分では身を刺すような寒さを感じているのだが、腰から下は逆に燃えるように熱い。既に無くなった部位なのだが、急激な冷凍をされたせいで神経がパニックを起こしているのだ。
「あっ、あっ、あがあぁっ」
「素直になれよ、マシュマー。こんなとこで死んだって、ただの犬死にだぜ?」
「う、ぐくっ。ハ、ハマーン様を守るためだ。だ、断じて、犬死になどではないっ」
「馬鹿だよ、お前は」
 ふっと、呆れたような表情を浮かべるとジュドーが再びマシュマーへと液体窒素を浴びせる。今度は、腹の半ば辺りまでが凍りついた。あまりの激痛に気絶することも悲鳴を上げることも出来ず、無言で苦悶しているマシュマーへと無造作にジュドーがハンマーを振るう。
「ぐあっ……! っ、は、ぁあっ……!」
 切れ切れの悲鳴を漏らし、がくっとマシュマーがうなだれる。腹部は大量の血が流れているせいで、中まで完全には凍りついていなかったらしく、ずるりと内臓が砕かれた部分からあふれだした。ほかほかと湯気を上げているその内臓を、先端が鉤状になった棒でジュドーが引きずり出す。
「うぎゃあっ、ぎゃ、ぐわああああぎぃあっ」
 口の端に白い泡を浮かべ、痛みによって無理矢理覚醒させられたマシュマーが顔を上げる。完全に凍りついた床に触れた途端、内臓がぴしぴしと音を立てながら凍りついていった。
「あぐ、ぐぐぐぅぅ」
「こいつが、最後の質問だ。ハマーンはどこに居る?」
「ぐ、ぅ、た、例え、五体をバラバラにされようと、私は、ハマーン様を裏切ることは、しない、ぞ……」
 目の前が暗くなるほどの激痛に苛まれながらも、切れ切れにマシュマーがそう言い放つ。感心したような表情を浮かべると、ジュドーはマシュマーの頭から液体窒素を浴びせかけた。悲鳴をあげるまもなく、マシュマーの全身が凍りつき、氷の彫像と化す。
「くっそー、ブライトさんに見つかる危険を犯したってのに、リィナの手掛かりはなしかよ」
 苛ただしげにそう呟くと、ジュドーが何度もハンマーを振るってマシュマーの身体を粉々にする。腹立ちをぶつける、と言うのがメインの目的だが、死体を消す、証拠隠滅のためと言うのもある。
 粉々になった元はマシュマーだった物体を袋に詰めると、ジュドーは大きく溜息をついた。
TOPへ