八重文乃


 頭上から、真夏の太陽が容赦のない熱気を地上へと送り込んでくる。今年の夏は、ここ数年例のなかった猛暑らしい。水不足の危機が叫ばれ、プールを閉鎖する学校があいつぐなか、ここ聖ルシフェル学園では高等部用、大学部用の二つのプールに加えて生徒会専用のプールにも水が満たされていた。その生徒会専用プールのプールサイドで、恒例の生徒会親善合宿が開催されようとしている。
 合宿、と、いっても、堅苦しいものではない。滅多に全員が顔をそろえることのない闇の生徒会の面々が、たまには親睦を深めるのも良かろう、という程度の動機で開催される遊びのようなものだ。
「それは、分かったんですけど……どうして私がそれに参加してるんでしょうか?」
 朝、問答無用でベットから叩き起こされ、何の説明もなしにここまで連れてこられた如月葉月が怪訝そうなのと不安そうなのが半々ぐらいの口調でそう問いかける。あっけらかんとした口調でプールサイドにいくつか設置されているビーチパラソルの下に寝転んだ木崎優子がその問いに応じた。
「だって、あなたは私の玩具だもの。この合宿には、それぞれの委員長がお気に入りを連れてくることになってるのよ。ま、顔見せを兼ねて、ってことでね。
 うーん、それはそうと、あなた、そういう水着って似合わないわねぇ」
 しげしげと全身を眺められ、葉月が頬を染める。彼女が来ているのはいわゆるハイレグビキニという奴だが、身体にめりはりが乏しいせいか確かにあまり似合わない。もっとも、これに着替えて、と、この水着を渡したのは優子自身なのだから、結構勝手な言い草ではある。ちなみに、彼女自身が身に付けているのはごく普通の白いワンピース型の水着だ。
「は~ちゃーん! 気持ちいいよぉ。一緒に泳ごうよぉ」
 プールの中からぶんぶんと元気よく手を振って、赤岩椎名が楽しそうな声を上げる。着ている水着は紺地のスクール水着、しかも『1ねん3くみ あかいわしいな』と書かれたゼッケン付きという念の入りようで、オプションなのか浮き輪まで使っている。どう見ても、高校生には見えない。
「小学生、って言ったら、信じるわね、あれは……。
 泳いできてもいいわよ、葉月。誰かが相手してやんないと、うるさくってしょうがないし」
 苦笑を浮かべながら、優子が軽く追い払うように手を振る。は、はぁ、と、気の抜けた返事をして葉月は立ち上がった。正直、泳ぐのは得意でも好きでもないのだが、逆らうわけにもいかない。
 現在、プールの中やプールサイドで思い思いに動きまわっているのは全部で九人。知っている相手の方が多いが、知らない相手もいる。顔見せ、とか優子は言っていたが、今のところ紹介された覚えはない。
 パラソルの下に座り込み、ぱらぱらと何か分厚い本をめくっている男が風紀委員長の土門凶児で、椎名をここに連れてきたのが彼だ。プールに来てるのに、何故か水着ではなく、よれよれのTシャツの上に白衣を羽織った普段と変わらない姿をしている。
 別のパラソルの下に座ってにこにこと笑いながら周囲を眺めている女が保健委員長の白井絵夢。彼女が身に付けているのは、水着と呼ぶのが少しはばかられるようなもので、Vの字型の布といった方が正確かもしれない。辛うじて秘所の辺りと乳首は隠れているものの、ほとんど全裸と変わらない格好だ。
 プールの中で、さっきからひたすらに泳ぎつづけている二人の女のうち、片方は葉月も知っている相手で、体育委員長の相馬美咲という。一緒に泳いでいる女生徒は知らない相手だが、おそらくは美咲の『お気に入り』なのだろう。二人とも、身体にぴったりとフィットした競泳用の水着というのはらしいかもしれない。
 残りの二人は、どちらも知らない相手だった。眼鏡を掛けた神経質そうな制服姿の女生徒はビーチチェアの上に腰を降ろして面白くもなさそうにかきごおりを口に運んでいる。彼女がどこかの委員長で、その側をちょろちょろと動きまわっているビキニ姿の女の子が彼女の『お気に入り』なのだろう、と、葉月は思った。ちょうど彼女の視線が二人に向けられたタイミングでビキニ少女が何かを口にし、相手の機嫌を損ねたのかげしっと蹴りつけられていた。
「あやや、相変わらずだねぇ、むっちゃんとれーこさん」
 プールサイドで軽い準備運動を終え、ぱしゃぱしゃと身体に手でプールの水をかけている葉月の視線を追ったのか、二人の方に自分も視線を向けた椎名がそう呟く。くるっとほとんど身体ごと回転して葉月の方に向き直ると、椎名が首を傾げた。
「あ。は~ちゃん、あの二人のこと、知ってたっけ?」
「ううん、知らない」
「そっか。
 今蹴られたのが五十嵐玲子いがらしれいこさん、三年生の放送委員長だよ。で、蹴ったのがむっちゃん--亜岬睦月あざきむつきっていって、二年生でれーこさんのお気に入り」
「そ、そうなの?」
「なんかねー、人前だといっつもあんな感じなんだよ、あの二人。人前ではわざと自分のこといじめさせといて、人の見てないところで十倍返しするのがれーこさんの趣味なんだってさ」
「そ、そう、なんだ……」
 よく分からない理屈だが、深く考えるのも避けた方がよさそうだと判断し、葉月が曖昧な答えを返す。ちらりと再び二人の方に視線を向けると、平手打ちを頬に受けたビキニ少女がプールサイドにへたり込む場面だった。じろりと眼鏡ごしに険悪な視線を向けられ、慌てて葉月が視線を逸らす。
「んー……でも、は~ちゃんって生徒会のこと、本当に知らないよねぇ? まぁ、今日はみんなを紹介してもらえると思うけどぉ、そういうんじゃ、来年委員長になった時困っちゃうよぉ? 図書委員長ってぇ、執行部の会計も兼ねるんだしねぇ」
「え? ええ!?」
「でもでもぉ、心配しなくてもいいよぉ、は~ちゃん。しぃちゃんとえっちゃんでちゃんと教えてあげるからぁ」
 無邪気な笑い声を上げる椎名のことを、呆然と葉月が見つめる。彼女が何か言おうと口を開きかけた時、椎名は既に視線を葉月から外している。ちょうど彼女の視線が向いたプールの入り口から、三人の水着姿の女の子たちが姿を現すところだった。
「美化のかおりさんとふ~ちゃんだね。三人目は……しぃちゃんも知らない人だなぁ。ねーねー、ふ~ちゃぁん。その人、だあれ?」
 椎名の声に、全員(ただし、泳ぎに没頭してる二人は除く)の視線が新しくやってきた三人へと向けられる。勢いよく頭を下げたショートカットの女生徒が、堅苦しい口調で答えた。
「おっす。流通委員長、神宮寺亜虎じんぐうじあとら先輩の代理として参りました、深山恵子みやまけいこっス。よろしくお願いするっス」
「代理~?」
 パラソルの下から出てきた優子が、呆れたように呟く。彼女に向かって頭を下げ、恵子が応じる。
「先輩は、水遊びには興味はない、と……」
「彼女とは途中で会ったんだけどね、神宮寺は雲隠れしちゃったみたいなのよ。しょうがないわよね、協調性ってものがかけらもない男ですもの」
 こちらも、髪を短く切りそろえ、競泳用水着に身体を包んだ美化委員長、那智香織なちかおりが苦笑を浮かべながら肩をすくめる。かなりの巨乳の持ち主らしく、身体にぴったりとした競泳水着の胸元は真空パックされたような感じで突き出していた。苦笑する彼女に同じく苦笑を返しつつ、優子が肩をすくめた。
「ま、あいつに協調性がないのは今更言うまでもないことだけどね。えっと、恵子だっけ? あなたが神宮寺の代理、なのよね?」
「おっす」
「そっ。じゃ、脱いで」
「おっす。……って、え? ぬ、脱ぐんでありますか!?」
 あっさりとした優子の命令に、反射的に頷いてしまった恵子が動揺の声を上げた。うふふっと、葉月に対しても時折見せる猫っぽい意地の悪い笑みを浮かべて、優子が頷く。
「代理人は脱ぐのが決まりですもの。恥ずかしがることはないでしょ? 女の子ばっかりなんだし、あんな裸同然の格好してる人も居るんですものね」
「お、おっす……」
 絵夢の方に視線を向けながらの優子の命令に、ためらいながら恵子が頷いた。黙々と本を読んでいる凶児の方をちらちらと横目で見やりながら、ぎこちなく水着を脱ぎ、裸身をあらわにする。両手で胸と股間とを覆って恥ずかしそうにうつむく恵子と、笑ってそれを眺めている優子とを等分に見やり、香織が呆れたような表情を浮かべる。
「ぬ、脱いだっス」
「じゃ、次はかきごおり買ってきて」
 流石に恥ずかしそうにしている恵子へと、瞳を輝かせながら優子が次の命令を下す。ぎょっと目を見開き、恵子が声を震わせた。
「こ、この格好で……?」
「あらあら、私の言うことが聞けないのかしら?
 そうそう、急いで買ってきてね。購買へは、校庭を突っ切ると早いでしょ」
「お、おっす……買ってくるっス」
 笑いながら僅かに目を細めた優子の言葉に、がっくりと肩を落として恵子が頷く。ぎゅっと唇を噛み締めて去っていく恵子の後ろ姿を見送りながら、香織が呆れたような声を優子にかけた。
「相変わらず、ねちねちといじめるの好きねぇ。別に彼女は神宮寺のお気に入りってわけでもないでしょうに。適当に選ばれた代理人相手に、あんなことしなくてもいいと思うけど」
「趣味だもの。別に問題はないでしょ? 彼女をどうしようと。それとも、あなたの方で何かやりたいこと、あったの? だったら……」
「そういうわけじゃないけどね。そうそう、ほとんどの人はこの子とは初対面よね? 一年の加賀野美冬かがのみふゆよ。ほら、挨拶なさい」
 優子の言葉に軽く肩をすくめ、自分の背後に隠れるようにしている長髪の少女を前に押しやるようにしながら香織がそう言う。気の強そうな容貌とは裏腹に、はにかむような表情で前に押しやられた少女が軽く頭を下げた。
「よろしく……」
 か細い声でそう言って、再び香織の背後に隠れるように移動する美冬。苦笑を浮かべて香織が軽く優子へと頭を下げた。
「ごめんなさいね。ひとみしりが激しくって、この子」
「別にいいけど、加賀野?」
「そっ。あそこで泳いでる美夏みなつの妹よ」
「姉妹そろって、ねぇ。別に珍しくは……あるか。普通は、同じ委員会に所属して引き継ぐものね、姉妹の場合って」
 軽く首をかしげながら優子がそう呟く。この学校では委員長は前任者の任命制だから、自分の妹や弟が居ればそちらに引き継がせるのが一般的だ。現保健委員長の白井絵夢がそうだったし、現飼育委員長の雪野浜名ゆきのはまなも二歳年下の妹、沙智さちを次期委員長候補としている。
 優子の呟きに、苦笑を浮かべながら口を開きかけた香織が、はっと表情をこわばらせて頭を下げた。パラソルの下に居た絵夢や凶児、玲子と言った他の委員長たちも立ち上がって頭を下げる。慌てて振り返り、優子もプールに姿を現した生徒会長、新城へと頭を下げた。気付くのが一番遅れたプールの中の美咲も慌ててプールサイドに上がって頭を下げる。
「堅苦しい挨拶は、いいよ。みんな、そろってるのかな?」
 にこやかな笑みを浮かべつつ、片手を軽く上げて礼を受けながら新城がそう言う。彼の横には副会長の八重文乃やえあやのがうつむきながら並び、少し遅れて飼育委員の二人--雪野浜名と沙智の姉妹が付き従っている。
「神宮寺が雲隠れしていますけれど、他は全員そろっていますわ、新城様」
「あはは、彼らしいね。ところで、途中で泣きそうな顔した裸の女の子とすれ違ったけど、彼女は?」
 他の委員長たちを代表して答えた優子に、明るい笑いを向けると新城が軽く首を傾げる。ややばつの悪そうな表情を浮かべて優子が頭を下げた。
「神宮寺の代理人と言うことで……本人に代わり、罰を受けてもらおうかと」
「ふぅん。そこまでする必要があるとも思えないけど、まぁ、いいや。
 全員がそろってるんなら、自己紹介を始めようか」
 軽く首を傾げたまま、どうでもよさそうな口調で呟くと、新城が軽く肩をすくめる。彼の言葉に、パラソルの下にいったん全員が集まった。
(い、いっぺんに、こんなに出てこられても、覚えきれない……)
 次々と名前や所属を告げていく委員会の面々に、葉月が内心悲鳴を上げる。彼女を更に困惑させるのは、他の委員会の面々、特に委員長たちの『お気に入り』として連れてこられたらしい女生徒たちの態度だった。自己紹介を終え、一礼した後で必ずといっていいほどちらっとこちらに視線を向けてくるのだ。必ずしも敵意や悪意というほどのものではないが、好意とも言いきれない。好奇心、というのが一番近いだろうか。
(私が、こんな所にいるのは場違いだってこと……?)
 葉月は、子供の頃から注目を集めるのが好きではない。目立たないように、いつも心がけてきたおとなしい子供だった。それが注目を浴びてしまって、真っ赤に顔を染めてうつむいている。
「さて、それじゃ、自己紹介も終わったところで恒例のゲームを始めようか。文乃」
 新城の呼びかけに、びくっと身体を震わせて文乃が顔を上げた。比較的ショートヘアばかりの中、保健委員長の絵夢と並んで長く髪を伸ばしている。上品そうな容貌に、恐怖とあきらめが入り混じって浮かんでいた。
「はい……」
 掠れた声で頷き、文乃が両腕を背中に回す。彼女の背後に進み出た飼育委員長の浜名が、がちゃんと音を立てて文乃の両手首に手錠をはめた。
「自分で、行きます。離してください」
 手錠をはめた後、自分の肩に手をかけた浜名へと文乃が唇を震わせながらそう言う。くすっと笑いを浮かべると浜名は軽く肩をすくめた。前髪を片方だけ伸ばして左目の辺りを覆っているのだが、髪で隠された左目の周囲に、引きつったような火傷の跡らしきものがある。それほど、目立つものではないが。
ちなみに、妹の沙智の方は姉とは反対に右目の辺りを伸ばした前髪で覆っている。
 後ろ手に手錠をはめられた文乃がプールの方へと足を進め、いったん目を閉じてからプールに飛び込む。完全に頭まで水の中に沈み込み、プールの底を蹴って浮き上がった彼女が頭を大きく振って水を飛ばした。もちろん、腕を拘束された状態では浮きつづけることは出来ず、すぐに再び水の中に彼女の頭が沈んでしまう。
「お、溺れちゃうんじゃ……?」
「絵夢が何とかするでしょ、そうなったら」
 プールの底を蹴って頭を水の上にあげては息を吸い、すぐに沈んでいくということを繰り返す文乃の姿を見やり、葉月が不安そうな声を上げる。軽く肩をすくめてあっさりと優子がその呟きに応じ、視線を僅かに動かした。美咲と、彼女のお気に入りらしい美夏の二人がプールに飛び込む。
「ごぼぉっ!」
 水の上に顔を出した文乃の頭を、二人が掴んで水の中に沈める。ほとんど息を吸えないまま水の中に沈められた文乃がもがくが、両腕は拘束されているし、二対一だ。抵抗も出来ずにプールの底に顔を押しつけられてしまう。身体をくねらせ、足をばたつかせてもがく文乃の身体を水中で運び、プールの真ん中の辺りまで移動させると、二人は文乃の髪を掴んで浮上した。
「ごほっ、げほげほげほっ。うっ、うう……あぶっ!?」
 髪を掴まれ、水面上に顔を引きずり上げられるような格好になった文乃が、涙をにじませながら咳き込み、呻く。その頭がぐいっと水の中へと沈められ、更に二人の足で踏みつけられるような形でプールの底の方へと追いやられた。ごぼごぼと口から気泡を吐き出し、水中で文乃が身悶える。苦しさを懸命に堪え、体勢を立て直してプールの底を足で蹴って浮かび上がろうとするのだが、二人の手や足がその度に文乃の頭を水底へと押し戻してしまう。
「あんまりやり過ぎないでよ、美咲」
「わーってるよ。それとな、こっちに当てんじゃねーぞ?」
 苦笑混じりの優子の呼びかけに、叫び返しながら美咲が視線を新城の方へと向けた。小さく頷いて新城が優子の方へと視線を向ける。
「最初は、優子が行くかい?」
「いえ、この子に」
 新城の言葉に、優子が軽く葉月の肩を押しやりながらそう答える。ええっと小さく声を上げた葉月に、にこにこと無邪気な笑いを浮かべた椎名がはいっとドッジボールを差し出した。
「頑張ってねぇ~、は~ちゃん」
「あ、あの、頑張るって、何を……?」
「あ、言ってなかったっけ? そうねぇ、ドッジボールとモグラ叩きを混ぜたようなゲームよ。水の上に顔を出した彼女にボールをぶつければいいの。どこに当たったかでポイントが決まってるんだけど、まぁ、顔面が一番高得点だから、そこを狙うことだけ考えればいいわ」
 状況が掴めずに戸惑いの声を上げる葉月へと、あっけらかんとした口調で優子がそう説明する。一瞬絶句した葉月が、弱々しく首を左右に振った。
「そんな……そんなこと、私……」
「私に恥をかかせるつもり? それとも、的になる方がいいのかしら?」
 すっと目を細めた優子の言葉に、葉月が泣きそうな表情を浮かべる。水の上に顔を出し、ぷはあっと大きく息を吐いた文乃の頭を水の中に沈めながら美咲が声を張り上げた。
「おお~い、始めないのかよ。日が暮れちまうぞ」
「ほら、やりなさい。みんなを待たせるのも悪いでしょ?」
「は、はい……」
 重ねて命じられ、葉月が唇を震わせながらボールを受け取る。ぎゅっと目を閉じ、泣きそうな表情で葉月はボールを投げた。
「ぷはっ……ぐっ」
 水の上に顔を出し、息をついだ文乃の肩の辺りに、葉月の投げたボールが当たる。ぽーんと高く跳ね上がったボールを伸び上がりながら受けとめ、美咲が投げ返した。肩にボールを受け、バランスを崩して水の中に沈み込んだ文乃の後を追って美夏が水に潜り、髪を掴んで体勢を立て直させる。水の中に倒れ込んだ拍子に息を吐き出してしまった文乃が再度の息つぎを求めてもがくが、美夏は彼女の肩を押さえてそれを許さない。文乃の顔が苦悶に歪む。
「肩、か。まぁ、外さなかっただけまし、かな……」
 美咲の投げ返してきたボールを受け取り、そう呟くと優子が軽くボールを掲げてみせる。それを確認した美咲が水中の美夏に合図をし、美夏が小さく頷いて文乃の肩から手を離して浮上した。押さえつけられた体勢から解放された文乃が懸命にプールの底を蹴り、空気を求めて浮上する。
「ぷはぁっ。はっ、あ……あぐっ!」
 大きく息を吐き、僅かに吸う。そこに優子の投げたボールが飛んできて、こめかみの辺りに直撃した。一瞬目の前が暗くなり、文乃の身体が水の中に沈み込む。ばしゃばしゃと泳いで跳ねかえったボールを拾い、美咲がプールサイドへと投げ返した。
「んっとぉ、は~ちゃんたちは3点かぁ。じゃ、次、しぃちゃんが投げるよぉ」
「あ~、ちょいまち。お子様にはサービスだ」
 ぶんぶんと左手を振りながら嬉しそうに叫ぶ椎名へと苦笑混じりの声をかけ、美咲が美夏に合図する。水の中で体勢を崩してもがいている文乃の髪を掴んで引きずり上げた美夏が、美咲と共に文乃の腕を掴んで身体を持ち上げた。
「いいぜ、きなよ」
「うんっ! いっくよぉ~~」
 元気なかけ声と共に椎名がボールを投げる。へろへろっと飛んだボールが、腕を掴まれて水面に身体を引き上げられた文乃の胸に当たり、ビキニタイプのブラをずらして形のいい乳房をあらわにする。ぐっと呻いて身体をそらせた文乃から二人の手が離れ、倒れ込むように文乃の身体が水に沈んだ。苦笑を浮かべながら美咲がボールを拾い、投げ返す。
「胸も、2点でしたか。さて……」
 投げ返されたボールを受け取った凶児が、どうでもよさそうな口調で呟く。水底に沈み、そこを蹴って浮上してくる文乃。凶児が、無造作にボールから手を離し、バウンドしたボールを蹴りつけた。勢いよく飛んだボールが、ちょうど水面に顔を出したばかりの文乃の顔面を直撃する。
「顔面は、4点。合わせて6点ですか。まぁまぁですね」
「って、ちょっと、蹴るのは反則じゃないの?」
「別に、禁止はされてなかったと思いますが」
 顔面に直撃を受け、鼻血を流しながら沈んでいく文乃の方には目もくれず、優子が凶児に抗議する。しれっとそう返して肩をすくめると、凶児は投げ返されてきたボールを受け取って絵夢へと手渡した。ボールを受け取った絵夢が軽く小首を傾げる。
「わたくしの場合は、二回投げるんですか?」
「あ……そっか。一人できてるんだったっけ。どっちでもいいわよ。二回投げて合計でも、一回投げて二倍でも」
「それじゃ、二倍で行きますね」
 そう言って、絵夢が無造作にボールを投げる。水面に顔を出し、濡れた髪を振り乱して大きく息をついだ文乃の側頭部にボールが当たり、小さな悲鳴を漏らして文乃の身体が沈んでいく。ごぼごぼと気泡を吐きながら水中で身をくねらせる文乃。水面に顔を出してもすぐにボールをぶつけられ、ろくに空気を吸う暇がない。本人としてはすぐにでもプールの底を蹴って浮かび上がりたいところなのだろうが、美咲がボールを回収し、プールサイドへと投げ返して次の人間がボールを投げる準備をするまでの間は、美夏がそれを許さない。ある時は上から頭や肩を蹴られて水底へと沈められ、ある時は潜ってきた美夏に髪を掴まれて浮上を阻止される。
 空気を求めて、懸命に浮かび上がろうとする文乃とそれを妨害する美夏。文乃は両腕を背中で拘束されていて使えず、息継ぎも満足に出来ない。対して美夏の方は両腕も自由だし呼吸も自由、ついでにいえば彼女は水泳部で水の中での動きには慣れている。あらゆる条件が文乃には不利だった。
「頑張って、睦月ちゃん」
「うるさい。気が散るから、黙ってて」
 一方、プールサイドの方では、放送委員長・玲子の激励を受けた睦月が不機嫌そうな表情でそう応じていた。しゅるしゅると手の中でボールを回転させながら、水中で苦悶する文乃のことをじっとにらみつけている。しゅんっとうなだれた玲子が美咲の方へと小さく手を振り、美咲の合図を受けた美夏が掴んでいた文乃の髪を手放す。いいかげん、窒息寸前になっていた文乃が顔を真っ赤にしてプールの底を蹴り、足をばたつかせて勢いよく水面に浮上した。そこへ、狙いすましたように睦月がボールを投げつけ、顔面に直撃を食らった文乃が悲鳴を上げながら沈み込む。
「うわっ、すごいっ」
「ふん……くだらない遊びだこと」
 感嘆の声を上げる玲子に、つまらなさそうに呟いて眼鏡に手をやる睦月。美咲が投げ返してきたボールを受け取り、玲子が真剣な表情になってプールの中央近くを見据える。プールの底近くまで沈み、必死に底を蹴って浮かび上がってきた文乃へと玲子がボールを投げつけた。しかし、狙いを外してボールは文乃からかなり離れたところに飛んでいき、ばしゃんとむなしく水しぶきを上げる。ボールの直撃を免れた文乃が水面から懸命に顔を出して息を吸う姿を見やりながら、あれ? と、玲子が口元に手を当てた。
「外れ、ちゃった……?」
「下手くそ」
 ぼそっと呟いた睦月が、玲子の腰の辺りを蹴り飛ばす。悲鳴を上げてプールに蹴り落とされた玲子が派手な水しぶきをあげ、ふんっと鼻を鳴らした睦月が不機嫌そうな表情でプールに背を向けた。
「過激ねぇ。後が怖いんじゃない?」
「いいんですよ、別に。……まぁ、ここまでやっちゃうと、二・三日はベットの中で過ごすことになるでしょうけど」
 苦笑を浮かべながらの優子の言葉に、振りかえりもせずにそう応じて睦月がビーチチェアに腰を降ろす。あ、そう、と、気の抜けたような返事を返した優子が、美咲の投げ返してきたボールを受け取って一同を見回した。
「放送が4点、と。次は?」
「……わたしが」
 自己紹介の時以外は無言を守っていた飼育委員の一年生、沙智がすっと手を差し述べてボールを受け取る。目にかかる前髪をわずらわしげに掻き上げると、彼女は水面近くで浮き沈みしている文乃へと視線を向けた。美夏がいったんもぐって足を引っ張り、文乃を水中に沈める。水の中に引きずり込まれ、ごぼごぼと気泡を吐き出した文乃が、懸命に底を蹴って勢いよく水面に状態を浮かび上がらせた。タイミングを図って沙智が投じたボールが完全に水着のはだけた胸の辺りに当たり、悲鳴と共に文乃が水の中に沈む。胸にボールが当たったせいで息が詰まり、肺の中に空気のほとんどはいっていない状態で文乃の身体が沈んでいく。すぐさま底を蹴り、浮き上がろうとする文乃の髪を美夏が掴み、大量の水を飲みながら水中で文乃が激しく身体をくねらせた。
「とりあえず、顔に当てても6点、か。同点首位にしかならないわけね」
 投げ返されたボールを受け取り、ぼやくように呟くと浜名が無造作に振りかぶる。半分溺れかけながら、懸命に水面に顔を出した文乃の顔面をボールが襲う。くぐもった悲鳴を漏らし、水の中に沈んでいく文乃のことを軽く唇を歪めて見やると、浜名が軽く肩をすくめた。
「ま、こんなものか」
「きっちり当てたわねぇ。参ったな、私、これ苦手なんだけどな。ま、とりあえず、美冬からね」
 美咲の投げ返してきたボールを受け取り、苦笑を浮かべながら香織がボールを美冬に渡した。はい、と、頷いてボールを受け取り、美冬が振りかぶる。小さな掛け声と共に投じられたボールは、しかし、文乃ではなく側に居た美夏の後頭部を直撃した。ざぶんと水にもぐって沈み込んだ美夏を引っ張り上げた美咲が、険のある視線をプールサイドに向ける。
「おいおい、わざと狙ったんじゃないだろーな? おまえら、仲が悪いらしいけど」
「偶然、です」
「本当だろうな?」
 どすっと、すぐ側に浮かぶ文乃の腹の辺りを蹴りつけ、水中に沈めながら美咲が更に険悪な表情で問いかける。ふいっと顔を背けて自分の背中に隠れた美冬のことをかばうように両腕を広げ、香織がとりなすような笑みを浮かべた。
「まあまあ。ここは、私に免じて許してやってよ。ね?」
「先輩、アタシ、気にしてませんから……」
 小さく頭を振りながら、美夏もそうとりなし、ちっと舌打ちをして美咲がボールを投げ返す。
「今回だけだからな、おおめに見るのは」
「分かってるわよ。……ところで、美咲。彼女、浮かんでこないんだけど? 今の蹴り、まともに鳩尾にはいったみたいねぇ」
「あ? おっと」
 水底に沈んでぐったりとしている文乃の身体を、潜った美咲が引っ張り上げる。美夏に彼女の身体を支えさせ、どすっと背中に喝を入れる。げほげほげほっと水を吐きながら文乃が咳き込み、弱々しく呻いて目を開いた。意識を取り戻した彼女の顔をぐいっと水の中に押し沈めると、美咲は大きく手を振った。
「オッケー。いいぜ」
「ちょっと、二人とも離れててね。私はコントロールにあんまり自信がないから」
 窒息して意識を失い、意識を覚醒させられた途端に再び水に沈められて文乃が半狂乱になってもがく。無我夢中でプールの底を蹴り、水面へと顔を出した瞬間に香織が投げたボールが頭に当たり、ほんの僅かに息を吸っただけで文乃は再び水中に押し戻された。
「一回戦は2点、か。まぁ、まだ逆転は可能よね」
「あら、うちだって、まだ負けたわけじゃないわ」
 肩をすくめた香織に向かい、投げ返されてきたボールを受け取った優子が笑いを返す。はい、と、当然のような顔でボールを差し出された葉月が目を丸くした。
「え? ま、まだ、続けるんですか?」
「そりゃそうよ。三回の合計得点で競うんですもの。うちはあなたのせいで一回戦は3点スタートなんだから、気合入れてよね」
 にっこり、というよりは、にやりという方が近い笑いを浮かべて優子がそう言う。泣きそうな表情を浮かべて、葉月はボールを受け取った。

 結局、優勝したのは6投中顔面4回、失神ポイント2回を稼いだ飼育委員の雪野浜名、沙智ペア。準優勝は顔面3、失神2の放送委員、五十嵐玲子、亜崎睦月ペアとなった。MVPは、パートナー玲子の外れ、肩、外れという絶不調(余談ながら、玲子は三回ともプールに蹴り落とされた)にもかかわらず三連続で顔面を決め、うち二回は失神させて準優勝に導いた亜崎睦月に決定した。
 最下位は、図書委員。顔面直撃0という結果ではやむを得ないだろう。その結果に怒った優子が葉月にどんな『お仕置き』をしたのかは知られていないが、全三日の合宿の二日目、三日目に葉月の姿がなかったのは確かである……。
(二日目の『的当て』は的に流通委員長代理の深山恵子を起用して行われたが、彼女は失神0という記録を出して周りを湧かせた。優勝は飼育委員、最下位は睦月を欠いた放送委員であった)
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