「うーむ、今日は一段と冷えるな」
 ぶるっと身体を震わせ、小太りの男が馬車の窓から外を見やってそうぼやく。既に周囲は夜の闇に包まれており、重く垂れ込めた黒雲が月や星の明かりさえ遮ってしまっている。それ故、明かりとなるのは道の両脇に立ち並ぶ民家の窓から漏れる光ぐらいのものだった。
 と、突然がくんという衝撃と共に馬車が急停止する。危うく椅子から転げ落ちかけた男の身体を、正面に座っていた護衛の女が素早く支えた。
「な、何事だ!?」
 泡を食った声を男があげるが、馬車の御者からの返答はない。眉を寄せた護衛の女が、男を椅子に座りなおさせながら馬車の扉に手をかけた。
「様子を見てまいります。旦那様は、決して馬車からお出にならないように。この馬車は、鉄板が仕込んでありますから、矢を射掛けられても安全ですから」
「う、うむ、頼むぞ、アイラ」
「はい」
 男のことを安心させようというのか、にっこりと笑って頷いてみせると、アイラと呼ばれた女は周囲を警戒しながら馬車の外に足を踏み出した。その、彼女の足が地面につくより早く飛来した矢を、ごく無造作に右手の人差し指と中指とで挟んで受け止める。闇の向こうから、動揺の気配が漏れた。まあ、矢を払い落とす、というのならばまだしも、指で挟んで受け止める、などという芸当は、まず滅多に見られるものではない。
 とんっと地面に足をつけつつ、アイラの右手が翻る。一体いつの間に、どこから抜いたのか、三本の投擲用ナイフが闇を切り裂いて飛んだ。あぐっという押し殺した呻きが、少し離れた家の屋根の上から響き、やや遅れてどさっという重いものが落ちる音が響く。ぐるり、と、周囲を見回し、小さく頷くとアイラは音の響いたほうへと悠然と歩み寄った。
「おや。子供の暗殺者とは珍しい」
 軽く目を見張った彼女のことを、地面の上でうつぶせになった十四、五歳ぐらいの少女が悔しげに表情を歪めて見上げる。何とか立ち上がろうともがいているのだが、手足に力が入らないらしい。
「あのナイフには、麻痺性の毒が塗ってある。まだ動けるとはたいしたものだが、あと少しで、指一本動かせなくなるだろう」
「う、くっ」
「おっと」
 悔しげに表情を歪めた少女の口が僅かに開かれる。だが、彼女が舌を噛み切るより早く、アイラの蹴りが少女の頬を捉えた。うぶっとくぐもった呻きを漏らし、地面の上を転がる少女。その口元からはだらだらと血が流れ、地面の上には数本、折れた歯が飛び散っている。
「舌など噛ません。誰に頼まれて旦那様を狙ったのか、吐いてもらわねばならんからな」
「あがあぁっ!」
 淡々とした口調でそう言いながら、アイラが再び少女の口元を蹴りつける。くぐもった悲鳴と共に血が飛び散り、へし折られた歯が地面に飛ぶ。顔の下半分を真っ赤に染めて地面の上でのたうつ少女の髪を掴んで引きずり起こし、アイラは無造作に彼女に猿轡をかませた。更に、どこからともなく取り出した縄で手際よく縛り上げる。
「う、ううぅ……」
 毒が完全に回ったのか、ぐったりとなった少女のことをアイラが軽々と肩に抱え上げる。そのまま御者台の方へと向かい、予想通りの光景を確認してからアイラは馬車の扉に手をかけた。
「旦那様、暗殺者は捕らえましたが、御者は既に殺されておりました」
「う、うむ、そうか。奴には可哀想なことをしたな。
 それで、その女が、私の生命を狙った暗殺者なのか?」
「はい。背後を調べるために必要かと思い、一応、生け捕りにしてあります」
「そうか、御苦労。では、屋敷に戻ってからじっくりと話を聞くとしよう。アイラ、馬車を屋敷に向かわせてくれ」
「かしこまりました、旦那様」
 恭しく一礼し、少女を肩に抱えあげたまま、アイラが馬車の扉を閉め、御者台へと登る。首を射抜かれ絶命している御者の身体を脇にずらし、縛り上げた少女を自分の身体にもたれかからせるような体勢で座らせると、アイラは手綱をとった。縛り上げられた少女が悔しげに表情を歪めて涙をこぼす。逃げようにも、もはや全身が痺れて指一本動かない。身体をよじることさえ出来ず、少女はこれから自分に訪れる運命を想像しながら馬車に揺られていった。

 男の屋敷の地下室。彼の祖父が作らせたものだという拷問部屋の扉が、およそ三十年ぶりに開かれた。手入れもされずに放置されていた拷問器具の数々は、だいぶ傷んでいるが何とか使えそうだ。男が部屋の中に置かれた拷問器具を嫌そうな表情で見回し、床の上に乱暴に放り出された少女のほうへと視線を向ける。
「さて、出来れば手荒な真似はしたくない。君を雇ったのが誰なのか、それを話してくれれば君の身の安全は保証しよう」
 男の言葉に、縛り上げられたまま床に転がされた少女がふんっと顔を背けた。相変わらず猿轡を噛まされたままだから喋ることは出来ないのだが、例え喋れたとしても質問に答える気がないのは明白だ。やれやれ、と、男が肩をすくめた。
「まあ、素直に喋ってくれるとは、思っていなかったが。しかし、私としても、このまま無罪放免、というわけには行かないのでね。素直に喋ってくれないというのなら、少々痛い目に遭ってもらわねばならんが」
 男の言葉に、少女は顔をそむけたまま横目で睨み返す。ふう、と、溜息をついて、男が傍らに控えるアイラのことを見やる。
「アイラ。その、なんだ、こんな時に使えるような薬はあるかね?」
「申し訳ございません、旦那様。生憎、私の知識の中には、自白剤の類はございません。拷問する際に役に立つような薬、例えば痛覚を高める薬や、気を失えなくする薬などはあるのですが」
「そうか……」
 本気で済まなさそうな表情になって頭を下げるアイラに、落胆の声を上げて男が軽く首を振る。
「やはり、拷問、ということになるか。このような年若い娘を痛めつけるのは、正直気が進まんが……やむをえまいな」
「旦那様。私にお任せくだされば、きちんと自白を引き出してご覧に入れます。何も、気が進まないのであれば、無理に同席する必要はないかと思いますが」
「いや、そうも行くまい。直接手を下すのではないにせよ、私が命じて行わせることだ。その場に居合わせるのは、最低限の義務というものだろう」
 本気で気の進まない表情を浮かべながらも、男がきっぱりとそう言う。何か反論しかけ、それは臣下としての分を越えると判断したのかアイラが黙って頭を下げた。そして、微かに身体を震わせている少女の身体を、無造作に肩に担ぎ上げる。既に毒はだいぶ抜けているのか、少女が身体をもがかせるが、さして大柄でもないアイラは少女の動きを気にした風もなくがっちりと抱え込み、逃さない。
「あまり、手間をかけさせるな。拷問されるのが嫌なら、素直に喋ればいい。喋るのが嫌なら、大人しく拷問を受け入れろ」
 もがく少女にそう声をかけ、アイラが拘束椅子の前に立つ。鉄製の椅子本体はあちこちに錆が浮かび、拘束用の革ベルトもだいぶ傷んでいるが、とりあえずまだ人の力で引きちぎれるほど脆くはなっていないようだ。もっとも、アイラは縛り上げたまま少女を椅子に座らせ、ロープでそのまま椅子にぐるぐる巻きに縛り付けてしまったが。
「さて……まずは、舌を噛まれないようにしないとな」
 いったん少女の口に噛ませた布を取り、左手を少女の口の中へと捩じ込む。口の中に押し込まれた布の塊はそのままに、アイラは左の奥歯の間に小型の万力を捩じ込んだ。少女が口を閉じようと懸命に力を込めるが、まだ麻痺が完全には取れていないのか、それともアイラの力が強すぎるのか、どうしても口を閉じることが出来ない。アイラが万力のねじを回し、間隔を広げると、少女の口が無理矢理更に大きく開かされた。反対側の奥歯側にも同じ万力を捩じ込み、顎が外れそうなほど大きく口を開かせる。
「あ、が、あがあがが……」
 口の中から布の塊は取り出されたものの、左右の奥歯の所に噛まされた万力によって、顎が外れそうなほど大きく口を開けさせられている状態では喋ることは当然出来ない。不明瞭な声を漏らす少女の目の前に、アイラはこれも錆びたペンチをかざして見せた。
「今から、お前の歯を一本一本これで抜いていく。喋りたくなったら、足を二回踏み鳴らせ」
「あ、が……ががっ、がああああああああああぁっ!」
 冷徹なアイラの言葉に続き、少女の口の中へとペンチが入り込む。上の前歯をペンチががっちりと挟み込み、力任せに揺さぶった。その痛みに、椅子にしっかりと縛り付けられた少女が大きく目を見開いて悲鳴を上げる。
「があっ、ぐがっ、があああああああああぁっ!」
 捕らえられた時に歯を蹴り折られているが、あれは一瞬のことだった。ペンチで歯を挟まれ、揺さぶり捻って歯を引き抜かれる痛みは、それとは比較にならない。前髪を指に絡めるようにして掴まれているせいで顔を動かすことも満足に出来ず、椅子に縄で幾重にもぐるぐる巻きにされているから身体もほとんど動かせない。それでも、痛みから逃れようと身体が本能的に動くのを止められないのか、少女が拘束された身体を精一杯のたうたせてもがく。
「ぐがああああああああああぁぁっ!!」
 一際大きな絶叫をあふれさせ、少女が背筋を反り返らせる。血に塗れた歯を床へと投げ捨て、アイラが次の歯へとペンチを向けた。少女の瞳が、救いを求めるようにきょろきょろと宙を彷徨う。だが、もちろん、助けなど来るはずもない。ペンチで歯を挟まれ、揺り動かされる激痛に少女の口から再び悲鳴があふれる。
「あががっ、があぁっ、ぐががががっ、があああああああああああああぁぁっ!!」
 一本目の歯は、恐怖心を煽るためにわざと時間をかけたのか、二本目の歯は意外と短時間で引き抜かれる。絶叫を上げ、びくびくと身体を痙攣させる少女。その姿から思わず、といった感じで男が顔を背ける。一方、アイラは、ごく無造作にペンチで挟んだ歯を床に投げ捨て、次の歯へとペンチを向けた。
「ぐががががっ、あがああああああぁっ、ああっ、がああああああああああぁぁっ!!」
「ぐあああああああああああああぁっ! あああああっ、あああああーーっ、ぐがあああああああああああぁぁっ!!」
「あがあががっ、あがあああああああぁっ、があああっ、ぐががががが……ぐがああああああああああああああああああぁっ!!」
 もしも身体が自由に動くのであれば、転がりまわるほどの激痛に襲われ続ける少女があげるくぐもった悲痛な叫び。しかし、その叫びなど耳に入っていないかのように、機械のような正確さで淡々とアイラが少女の歯をペンチで引き抜いていく。あふれだす血で口の周りを真っ赤に染め、苦痛のあまり失禁したのか服の股間の辺りに黒いしみを作って少女が拘束された身体をのたうたせる。
 そして、床の上に散乱する引き抜かれた歯の数が十を越えた頃、少女に限界が訪れた。引き抜いた歯を捨て、次の歯へとアイラがペンチを向けるのに対し、恐怖と苦痛に大きく見開いた目からぼろぼろと涙を流しつつ、どんどんっと足を踏み鳴らす。ぴたりとペンチを持つ手を止め、アイラが少女の顔を覗き込んだ。
「話す気になったか?」
「はが、あ、あがあ、はがあ……」
 万力でこじ開けられ、真っ赤に染まった口から懸命に声を絞り出しつつ少女がこくこくと頷く。軽く首を傾げ、アイラが半ば独り言のように呟いた。
「子供とはいえ暗殺者ともあろうものが、この程度で口を割るとも思えんが」
「あがっ、あああっ、はがう、はがうあらっ、はがうあらあぁっ」
 アイラの言葉にまだ拷問が続くと思ったのか、恐怖の表情で懸命に少女が叫ぶ。口を大きく開けられたままなうえ、麻酔なしで歯を引き抜かれた痛みに舌が回らず、不明瞭な叫びだったが。
「アイラ。とりあえず、その辺でよい。まずは話を聞き、その裏をとり、それでその者が嘘をついていると分かったら改めて責めを行えばよかろう」
「はい、旦那様」
 どこかほっとした表情で男がアイラに声をかけ、振り向いたアイラが恭しく一礼する。再び少女のほうへと向き直ったアイラが、すっと目を細めて恫喝するような声を出した。
「正直に、全てを話せ。一つでも嘘をつけば、もっと酷い目に遭うことになるからな」
「あ、あが……」
 口元を真っ赤に染め、恐怖の色を濃く瞳に浮かべて少女は何度も頷いた……。