拷問人の憂鬱


 目の前で、逆さまに吊るされた女の身体がゆらゆらと揺れている。両足首に巻かれたロープはそれぞれ別の方向へと彼女の足を引っ張っており、彼女の足を無惨に割り広げている。こちらに向けた女の背中には、幾重にも赤い鞭の跡が刻みこまれていた。だらんと力なく垂れ下がった女の両手の指は指締め器できつく締め上げられており、更に爪と肉との間に突き入れられた針には血の球が光っている。
「汝、魔女であることを認めるか?」
 重々しいというよりは、もったいぶった男の声。この教会の司祭。今行われている魔女裁判の審問官だ。
 逆さに吊られた女が、首を左右に振ってくぐもった呻きを漏らす。女の口にはギャグが嵌めこまれているから、しゃべることは出来ない。ふんっと小さく司祭が鼻を鳴らし、俺の方に視線を向けた。
「鞭を」
 司祭の言葉に俺は無言で頷く。元より俺には発言権など与えられていない。ただ命令に従い、拷問を行う。それが拷問人の家系に生まれた俺の勤めだ。
 手になじんだ鞭を振り上げ、振り下ろす。風を切る音、そして、肉を打つ鈍い音。女の身体が跳ね、くぐもった呻きが漏れる。仮面の下でぎりっと奥歯を噛み締め、俺は更に鞭を振るう。女の背中に更に赤い跡が刻みこまれ、くぐもった悲鳴が女の口から溢れる。
 この女は魔女だ、人間ではない。自分へとそう言い聞かせながら、俺は鞭を振るう。割開かれた女の股間へと鞭が飛び、敏感な急所を強かに打ち据える。ギャグによって塞がれた女の口から、くぐもった絶叫。幾重にも鞭の跡を刻まれた背中が反り返る。
「魔女であることを、認めよ」
 司祭の言葉に、女が激しく首を左右に振る。司祭が舌打ちを漏らし、俺の方に非難の視線を向ける。責めが生ぬるい、とでも言いたいのか。内心、むっとするものを覚えるが、拷問人の仮面のおかげでそれは向こうに伝わらない。鳥を象ったこの仮面。自分が人間ではないのだと、そう告げられているようで嫌な気分を味合わされることも多いが、少なくとも、表情を隠す役には立ってくれる。
「焼きゴテを」
 仮面の下で俺は顔をしかめる。だが、命令には逆らえない。しぶしぶながら焼きゴテを手に取り、女の尻へと押し付ける。
 肉の焼ける音と臭い、うっすらと上がる白煙。女の口から漏れる絶叫。視界の隅に映る、司祭の薄笑い。女がどれほどの苦痛を味わっているのか、あの男は少しでも考えることをしないのか。拷問人は人間ではない。魔女も人間ではない。人間ではないものが人間ではないものを痛めつけているのだから、自分には関係のないことなのだとでも、思っているのか。
 更に数ヶ所に焼きゴテを押し当て、俺は手を止めた。司祭の方に視線を向ける。
「どうした、続けよ」
 無造作な司祭の言葉に、俺は無言のまま首を横に振って見せた。むっとしたように、司祭が俺のことを睨みつける。
「まだ、この程度で死にはすまい」
 ぐったりとした女を見やり、俺は再度首を振る。確かに、彼女の耐えられる限界まではまだ余裕がある。更に責めを続けたところで、死にはしないだろう。だが……。
「ふん、怖気づいたか。まぁ、いい。今日の審問はここまでとする」
 動こうとしない俺へと侮蔑混じりの視線を投げかけて、司祭がそう言う。軽く頭を下げると、俺は女の身体を床へと下ろした。指を締め上げる指締め器を外し、針を抜く。ぐったりと手足を投げ出し、抵抗する気力も体力も失った女の口からギャグを外す。
「悪魔は、あなたたちのほうよ……」
 恨みと憎しみのこもった、女の声。俺は無言のまま薬を取り出し、女の傷へと塗りこむ。本来ならまだ続くはずの拷問を中断させた俺に対して、酷い言葉だと思わないでもないが、俺は無言を保った。
「私は、魔女なんかじゃない。どうして、信じてくれないの」
 呻くような囁くような、掠れた声。俺は仮面の下で唇を噛む。だが、かけるべき言葉は俺にはなかった。

「よう、サウル。ご苦労だったな」
 酒場の親父が、俺へと言葉をかけてくる。町から外れた場所にある、拷問人専用の酒場。仕事を終えた後は、酒でも飲まなければやっていられない。いくら、相手は罪人、人間ではないのだと言い聞かせたところで、苦痛に泣き叫ぶ姿を見るのは嫌な気分だ。
「いつものを」
「ああ。……そういや、聞いたか? エレンの奴、領主様のお屋敷に行くことにしたんだとよ」
 カウンターに座り、無愛想に注文を告げる俺。小さく頷きながら、親父が僅かに声を潜めて意外なことを俺に告げた。
「領主様の? 何故?」
「さあ、ね。こんな寂れた町で暮らすのが、嫌にでもなったんじゃないか? しかし、無茶なことを考える奴だ。領主様に気に入られればいいが、下手をすれば自分が拷問死するはめになるってぇのに」
 親父が軽く肩をすくめるのを、俺は半ば上の空で見ていた。

 ロバの上で、女が苦しげな呻き声を上げる。全身にびっしょりと脂汗を浮かべ、豊満な裸身をくねらせる。微かに口元に笑みを浮かべながら、司祭が女へと問い掛けた。
「魔女であることを認めるか?」
「わ、たしはっ、魔女じゃ、ない……」
 女の答えに、司祭が俺のほうに視線を移す。無言の指示を受け、俺はロバに手をかけ、揺さぶった。
 女の口から溢れる、搾り出すような絶叫。鋭い木馬の背が女の股間に食い込み、血を滴らせる。全身から汗の玉を飛ばし、髪を振り乱して女が身悶える。
「魔女であることを、認めよ」
 司祭の言葉に、女が絶叫を上げながら首を左右に振る。聞く者の心に刺さる、悲痛な叫び。身を引き裂かれんばかりの激痛に、苦しみもがくまだ若い女。まだこれから長い人生を楽しむことが出来たはずなのに、無惨にもその未来を閉ざされようとしている女。苦痛と絶望、そして憎悪に満ちた叫びが俺の心に刺さる。
「石を追加せよ」
 司祭の言葉に、俺は奥歯を噛み締める。だが、逆らう権利は俺にはない。仮面の下で表情を歪め、俺は女の足に更に石を吊るす。
 石造りの拷問部屋に、女の絶叫が響き渡る。引き裂かれた股間から溢れる血が、ロバの胴を赤く染め、床の上にも滴る。こぼれおちんばかりに目を見開き、苦痛の叫びを上げる女。
「まだ、認めないのか?」
「ちがっ、うっ、私はっ……あ、悪魔は、あなたたち、の、方……」
 女の言葉に、司祭が眉をしかめ、俺に更なる責めを要求する。仕方なく、俺は再度ロバの胴体を揺さぶった。耳を塞ぎたくなるような絶叫。苦痛に女の身体が震え、身悶える彼女の身体から汗の球が飛び散る。
 彼女に苦痛を与えているのは、間違いなく俺だ。俺がロバの胴を揺さぶるたびに、女の口からは苦痛に満ちた叫びが溢れる。
(こいつは、人間じゃない……魔女だ。俺は、人間を痛めつけているわけじゃない)
 女の悲鳴を聞きながら、俺は自分にそう言い聞かせる。自分でも欺瞞だと思いつつ。と、司祭が薄笑いを浮かべつつ視線で女の足に吊られた石を指し示す。踏め、ということか。
 表情を歪めつつ、俺は司祭の指示に従う。拷問人である以上、従わないわけにはいかない。女の両足首から伸びたロープ、その二本のロープにまとめて縛り付けられた石に足をかけ、踏みこむ。
 女の絶叫。俺の視線の高さにある女の股間から、血が吹き出す。苦痛に歪んだ形相で俺のことを女が睨みつけ、悪魔と罵る。ぎりっと奥歯を噛み締めながら更に強く石を踏みつけると、女の口から溢れる絶叫がその大きさを増し、不意に途切れた。
「気絶しおったか。おい、水を掛けろ」
 がっくりとうなだれた女を見やりつつ、司祭が無造作にそう言う。俺は無言のまま首を左右に振った。甘い、といわれるだろうが、ささやかな人間としての良心の抵抗だ。
「死んでもかまわん。続けよ」
 しかし、司祭は無造作にそう言う。そう言われると、俺の立場としてはそれ以上の抵抗は出来ない。拷問人が拷問の中断を進言--まぁ、口に出して言うわけではないから厳密には進言ではないが--するのは、相手を殺す危険があるからだ。責め殺してもかまわないといわれれば、これ以上やれば殺してしまうから、という理由での中断は出来なくなる。
「う、うあぁ……」
 桶の水を浴びせられた女が、不明瞭な呻きを漏らして弱々しく瞼を開く。内心で彼女に謝りつつ、俺はロバの胴を揺さぶった。かっと目を見開き、女が絶叫を上げる。
「魔女であることを、認めよ」
 司祭の言葉を掻き消すように響く、女の絶叫。彼女が味わっているのがどれほどの激痛か、簡単に想像できる悲痛な叫び。心に突き刺さる悲鳴を聞きながら、俺は拷問を続ける。
「酷い、酷過ぎる……あなたたちには、人の心というものがないの!?」
 ロバに乗せられ、鞭で打たれる女。びっしょりと全身に水でもかぶったかのように汗を浮かばせ、苦痛に身悶えながら女が叫ぶ。誰が好き好んで、こんな行為を行うものか、と、そう叫びたくなる衝動を懸命に押さえつつ、俺は鞭を振るう。白い肌に刻まれる、新たな鞭痕。女の悲鳴。ロバの軋む音。
「焼きゴテも用いよ」
 無造作に司祭がそう言う。責め殺せ、とでも言いたいのか、そう叫びたくなる衝動に俺は駆られた。すでにロバでの責めはかなりの長時間に渡り、鞭まで加えられた女の体力の消耗はかなりのものだ。ここで更に焼きゴテまで用いて責めを続行すれば、冗談抜きで生命に関わる。
 とはいえ、司祭は既に死んでもかまわないと明言している。ということは、魔女であるとの自白を引き出せればそれでよし、引き出せないのであれば責め殺す、そう司祭は考えていることになる。彼女の審問はもうかなりの長期に渡っているから、これ以上日数を掛けたくないというのが司祭の本音なのだろう。建前としては、魔女の疑いを掛けられたとしても、拷問に耐え切れば魔女ではないと認定される、ということになっているが、実際にはまずそんなことは起きない。
「どうした? 責めを続けよ」
 司祭の言葉に俺は奥歯を噛み締める。逆らうことは許されない、そう分かっていても、感情は納得しない。だが、いくら納得できない命令であっても、俺が拷問人として生まれてしまった以上、従うしかない。
 焼きゴテを押し当てられた女が絶叫を放ち、ロバの上で身体をくねらせる。激しい身体の動きがロバの背に食い込んだ股間を更に引き裂き、苦痛を倍増させる。憎悪に満ちた女の視線が俺の心に突き刺さる。それを振り払おうと、俺はなおも女の身体に焼きゴテを押し当てた。
 ……どれくらいの時間がたったのか。女の口から虚ろな笑いが漏れる。瞳からは焦点が消え、ぼんやりと視線が宙をさ迷う。ふん、と、司祭が不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「発狂したか。素直に魔女であることを認めればよいものを」
 吐き捨てるようにそう言うと、司祭が俺に背を向ける。ひらひらと手を振りながら、
「始末しておけ」
 と、そう無造作に言い置いて部屋から出て行く。血がにじむほど強く唇を噛み締め、俺は女の身体をロバから下ろした。虚ろに笑いつづける女を床の上に転がし、馬乗りになる。
 女の断末魔は、ごく短かった。ぱっくりと裂かれた喉から血を吹き出させ、女の身体が痙攣する。温もりを失い、ただの物体と化した女を見下ろし、俺は壁に拳を叩きつけた。服を濡らす血の温かさが、妙に気持ち悪かった。

「サウル? どうしたの、こんなところに呼び出したりして……」
 町外れの丘の上。怪訝そうな表情を浮かべてエレンが小首を傾げる。既に夕暮れ時も過ぎ、ここから見下ろす町も暗い闇の中に沈んでいる。さほど豊かではないこの町では、日が暮れた後も町が明かりで照らされているという状況は滅多に起こらない。
「領主様のところへ、行くんだって?」
「あ~……うん。申請してる。通るかどうかは、分からないけど」
 少しばつが悪そうな笑みを浮かべ、エレンが俺の横に腰を下ろす。拷問人は、町の外れにまとまって住む。そして、拷問人は拷問人としか結婚できないから、俺とエレンは将来結婚するかもしれない幼馴染という関係だった。恋人というほど親しくもないが、ただの友達というほど遠くもない関係。
「何故、だ?」
「うん……。ちょっと、疲れちゃったから」
 俺の素っ気無い問いに、寂しげな笑いを浮かべてエレンがそう呟く。自分の手を見つめるようにしながら、彼女はぽつぽつと話し始めた。
「悲鳴が、ね、耳に残るの。眠っていても、たくさんの人の悲鳴が聞こえて、ゆっくり眠れない。両手が、真っ赤に染まって、何度洗っても綺麗にならないの」
「それは……」
「うん、私が弱いだけ。けど、駄目ね。平気になろうと頑張ったけど、どうしても平気になれない。私に拷問されて、苦しむ人たちの顔が、目に焼き付いて消えない。何度も死のうと思ったわ」
 寂しげな笑いを浮かべたまま、エレンが視線を遠くに向ける。
「けど、ね、ただ単に自分の生命を断って、それで終わりにしちゃっていいのかなぁ、って、そうも思うの。今まで私が人に与えてきた分の苦痛を、私も受けなきゃいけない。そうじゃなきゃ、償いには、ならない。楽に死ぬことなんて、許されない」
「俺たちは、拷問人だ。拷問をするのが、役目だ」
「私には、そうは割りきれない。仕事だからしょうがない、何度もそう思おうとしたけど、駄目だった。
 最初は、ね、この町でもいいと思った。けど、この町の拷問人はみんな私の知り合いだから。私のわがままで、よく知っている相手を拷問に掛けさせるような非道な真似は、したくないわ。
 だから、ね、私は、領主様のところに行くの。そして私は、わざとあの人の機嫌を損ねる。残酷な領主様は、きっと、私に多くの苦痛と恐怖を与えてくれるわ。想像もつかないような苦痛の果ての死を、ね」
 どこか、うっとりとするような口調で、エレンがそう言う。俺は言葉に詰まった。
「エレン、お前……」
「自分でも、馬鹿なことを考えてるって、思うよ。けど、もう、決めたの」
 ふふっと、小さく笑って、エレンが立ち上がる。ちりん、と、澄んだ音を立てる鈴。仮面と並ぶ、拷問人の証。腰に吊るした鈴を掌の上で転がし、エレンがもう一度笑う。
「サウル、あなたは、私みたいには、ならないでね」
 エレンの言葉に、俺は何も答えられなかった。去っていくエレンを呼び止めることも出来ず、俺はただぼんやりと考える。彼女の心は、自分の行為に耐えられずに壊れてしまったのだろう。いつかは、俺も、彼女と同じようになるのかも知れない、と……。
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