私があてもないきままな旅を続けるうちにその街に辿りついたのは、もう秋もだいぶ深まった時期だった。河に面したこの街で運良く水責め椅子を使っているところを見ることが出来たので、ここにその様子を記しておくことにする。
 水責め椅子というのは、みなさんも御存知のように、ある程度大きな河沿いの街であればたいていの街に設置されているものだ。もっとも、それが実際に使われているところを目撃することは意外と少ない。まぁ、それは私が旅から旅へと動きまわっているせいなのかもしれないが。
 ともあれ、噂に聞いたことはあったものの、実際にそれが使われているところを見るのは初めてであった私は、妙にワクワクしていたことを今でも憶えている。

「ちょっと、何すんだい! あたしが一体なにをしたっていうのさ!」
 両腕を左右から男に掴まれた大柄な女が大声を上げて暴れる。まったく、慎しみというものに欠けることこのうえない。聞けば、亭主の稼ぎが少ないと言っては口汚なく罵しり、果ては手を上げることもあったというから呆れたものだ。
 なおも喚き続ける女を、水責め椅子に座らせて手足、そして胴体を皮のベルトで固定する。一口に水責め椅子と言っても何種類かあるが、この街で使われているのは梃の原理を応用したもっともスタンダードなものらしい。
 女を固定した椅子とは反対側の棒の部分を二人の屈強な男が掴んだ。支柱は地面に開けられた穴にささっているだけだから、そのままかれらが横へと棒をひっぱると回転し、椅子が河の上へとつきだされる。
「亭主の稼ぎが悪いのを怒って何がいけないっていうのさ! そんなの・・・がぼっ」
 女が抗議の声を上げている最中に男たちが手を離した。椅子と女自身の重みによって勢いよく椅子が河の流れの中へと沈み込む。河の水は澄んでいて、椅子に縛られたままもがいている女の姿はよく見えた。
 ごぼごぼと水面を女の吐く息が泡立てる。その泡が少なくなってきたところで、男たちが再び棒を掴み、ぐいっと押し下げた。水面を割って椅子が出てくる。ぐっしょりと濡れた髪を顔に張りつけ、女が大きく喘いだ。
「げほげほっ。あ、あんたらねぇ、こんなことしてただで済むと思ってんのかい!? 憶えときなよ、あとでたっぷりと・・・うわっ!?」
 不自由な態勢から首をねじって見物人を怒鳴りつけた女が、悲鳴とともに水面下へと沈む。喋っている途中で水に沈んだわけだから、当然息はつづかない。苦しげに表情を歪め、椅子に固定された身体を波うたせる。
「ひゅー、ひゅー・・・。い、いいかげんに・・・しないと・・・承知しないよ!」
 再び椅子がひきあげられ、ぐったりと首をおりながらも女の口からは罵しりしかでてこない。頭を冷やすというが、全身をもう大分冷たくなった河の水で冷やされているにもかかわらずちっとも反省の色が見えてこないというのは、ある意味たいしたものかもしれない。
「あたしが、何か悪いことをしたっていうのかい? 殺しも盗みもしちゃぁいないんだよ」
「妻として家にあっては主人の言うことを聞かず、隣人として近所の人間と付きあえば口汚なく罵しり、口論をふきかけるばかり。そのような女はこの水責め椅子で従順な心を植えつけるべしとのおふれが出ておる」
 街の長らしき初老の男が、まぁ厳かといえなくもない口調でそう言う。ふんと鼻を鳴らし、女がそっぽを向いた。
「冗談じゃないよ。何でそんなことされなきゃ」
 いけないんだ、と、言葉を続けようとした矢先に水の中へと沈められて女が目を白黒させる。今回は今までと比べても水に漬けられている時間が長い。泡が止り、女のもがく動きが鈍くなってくる。ざばっと音を立てて椅子が引き上げられたとき、半分以上女は失神しているようだった。椅子がいったん陸地の方へと戻される。
 男の一人がぐったりしている女の腹の辺りを押して水を吐かせる。げぇげぇと苦しげに身体を波うたせながら女が水を吐き、何度も咳こんだ。
「う、あ・・・。ち、ちくしょう・・・」
 まだ焦点のいまひとつ定まっていない視線をさまよわせると、女が呻くようにそう呟いた。肩をすくめて男が反対の棒へと戻り、再び椅子を河の上まで移動させる。さすがに女の瞳に怯えの色が浮かんでいるが、同時にまだふてぶてしさも消えていない。
 四度、椅子が水に沈む。藻のように広がった女の髪がゆらゆらと河の流れに揺らめいた。今度は懸命に息を止めているようだが、もちろんそんなことをしても意味はない。人間は水の中で無限に息を止めていられるようには出来ていないのだ。
 ごぼっと大きな気泡が女の口から漏れる。同時に、椅子の肘掛の部分をぎゅうっと女が握りしめた。何とか拘束から逃れようと身体を震わせるが、四肢と胴体を締めつける皮のベルトはびくともしない。苦悶の表情を浮かべて女が水中で頭を振る。
 水からひきあげられ、貪るように女が空気を吸う。軽く男たちが椅子を下げると、ひいぃっという甲高い悲鳴が彼女の口から漏れた。
「も、もう許しておくれよ・・・。反省する、反省するからさ・・・」
 死にそうに青い顔でそう哀願する女に、初老の男がゆっくりと頷く。
「では、次で最後とする」
「ちょ、ちょっと、待っておくれよ! 反省するって・・・ひゃあああっ」
 悲痛な悲鳴と共に椅子が河へと沈んだ。半狂乱になって暴れるが、もちろん、拘束された身では意味はない。激しく昇る気泡で水面が波立ち、女の姿が覆い隠される。しばらくの時をおいて椅子が引きあげられた時にはぐったりとうなだれ、半死人も同然のありさまだった。
 支柱が回転し、椅子が地面の上に下される。ぐったりとしている女のいましめがとかれ、どさっと地面の上へと転がされた。
「さぁ、主人に今までの無礼を詫びるがいい。そして、二度とあんな無礼は働かないと誓うのだ」
 見物人の列のなかから一人の男をひっぱってくると長がそう言う。顔に絆創膏を貼ってあるのは、この女に殴られでもしたのだろうか。よろよろと身を起した女が男へと土下座する。
「も、もう二度とあのような真似はいたしません・・・どうか、おゆるしください、げほっ」
「同じようなことがあれば、再びこの椅子にお前を座らせる。いいな?」
 長の言葉に、女は怯えきった表情で何度も頷いた。

 さて、その街で一泊した私は、翌朝には河を渡る船の上にいた。河といっても大小あるが、この河は向こう岸まで一時間弱といったところだ。船には私と同じように旅をしているという人間も何人も乗り込んでいる。彼らに一緒にカードでもどうかと誘われたが、私はその手の遊びにはとんと弱い。丁重に断わり、私は舷縁からぼんやりと河の流れを眺めていた。
 と、なにやら船尾の方が騒がしい。ちょっとした好奇心に駆られて私は船尾へと向った。
「てめえ、密航しようたぁいい度胸じゃねぇか!」
 髭面の船員が、まだ幼さの残る少年の腕を掴んでそう怒鳴りつける。泣きそうな表情を浮かべて少年が謝った。
「ご、ごめんなさい。お金がなくて・・・でも、どうしても向こうに渡らなくちゃいけない理由があって、それで、つい・・・」
「つい、じゃねぇんだよ! こっちにこい! 密航した奴がどんな目にあうのか、教えてやる!」
 少年の腕を掴んだまま、船員がずんずんと船の最後尾まで歩いていく。半ばひきずられるようにして少年がそれについていった。何か面白そうなものが見られそうなので、私もこっそりとその後についていく。
 船尾につんであった縄で、船員が少年の手首を二本まとめて縛りあげる。よっぽどきつく縛りあげられたのか、少年の目には涙が浮かんでいた。縄の反対側を柱にしっかりと結びつけると、数度体重をかけて結び目を確かめる。
「よーし、これでいいだろ」
「あ、あの、まさか・・・」
 少年が、怯えた表情で船員に問いかける。にたっと嗤うと船員が頷いた。
「船の上は、金を払って乗ったお客さんのもんだ。だから、金を払ってねぇお前を乗せとくわけにはいかねぇ。そいつは分かるな?
 だが、船に縄を結んで、ひっぱってってもらおうってんなら話は別さ。運が悪けりゃ溺れ死んじまうがな。ま、頑張れよ」
「お、お願いします。皿洗いでも掃除でもなんでもしますから! だから、許して・・・ああっ」
 体格が違いすぎる上に、両腕をまとめて縛られていては抵抗のしようもない。ひょいっと抱えあげられ、少年の身体が舷縁を越えて放り出される。悲痛な悲鳴とともに波立つ河の中へと少年が落ちていった。
「ふぅ、やれやれ。・・・あ、お客さん。へへっ、変なところを見られちゃいましたねぇ」
 ぱんぱんっと手を払った船員が、振り返ってそう言う。ややばつの悪い思いをしつつ私は彼へと話かけた。
「いくら密航者とはいえ、あんなことをして構わんのかね?」
「なあに、かまいませんや。ちゃんと御上にも認めてもらってますからね。あ、そうそう、お客さん。あいつをひっぱりあげるのはお客さんの自由ですけど、そうしたらお客さんにあいつの分の金も払ってもらうことになりやすから、そのおつもりで」
「ああ、分かった。・・・ここで、彼の様子を見ていてもかまわないかな?」
「へ? そりゃ、かまいませんがね。物好きですなぁ、お客さんも」
 少し呆れたような表情を浮かべて船員が肩をすくめる。彼といれちがいになるような形で私は舷縁に身体をあずけると河を眺めた。
「ごぼっ、ああ、助けて、ぶっ、ください! お願い・・・ああっ」
 両手をぴんと前にのばした状態で、少年が船に曳かれている。船が掻き分ける波にもまれ、浮いたり沈んだり忙がしい。顔が水面上にある間に懸命に訴えているが、残念ながら、この場にいるのは私だけだ。そして、彼にとっては不幸なことに、私には彼を助ける気は少しもないのだ。むしろ、彼がもがき、苦しむ様を克明に記憶したい、と、そういう欲求だけがある。
「うぶっ、ごぼごぼごぼごぼごぼごぼ・・・」
 まともに波を顔に受け、少年が沈んでいく。苦悶に身をよじりながら必死になって水面に顔を出した彼を、船の起す波が頭から飲み込み、水中へと押し戻してしまう。それでも諦めずに水面に顔を出し、僅かな時間を惜しむように少年が息をする。
 季節は、秋。河の水はもう、泳ぐには冷たくなっている。体温を奪われ、手足の感覚が徐々になくなっていっているはずだが、健気にも少年に諦める様子はない。少し感動を憶えつつも私はじいっと少年を観察していた。
 昨日の水責め椅子とはちがって、これではまともに息のできる時間がほとんどない。空気と水と、半々か下手をすれば水の方を多く飲み込みかねない苛酷な状況で、少年が苦悶に表情を歪めている。
「だれ、か・・・げぶ。助け・・・ぶはっ、ううぅ・・・」
 これでは、向こう岸につくまでは到底もつまい。そんなことをぼんやりと思いつつ、私はそれを眺めていた。
「うぅ、げほっ、げほっ」
 激しく咳こみながら、少年がよつんばいになって水を吐きだす。感心したような表情を浮かべて船員が肩をすくめた。
「へぇ、まさかもっちまうとはねぇ。たいしたもんだ」
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ。こ、これで、もう、自由です、よね?」
 ぐったりとしながらも、少年が船員にそう問いかける。僅かに唇のはしを歪めて船員はうなずいた。
「ああ。どこへなりと好きな所にいっちまいな」
 船員の言葉に、安心したのかそのまま前のめりに少年がつっぷした。意識を失なっている。
 船員と私は顔を見合わせ、もう一度肩をすくめた。
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All writen by 香月