私がその街を訪れたのは、もう春も半ばを過ぎた頃だった。以前はそれなりに頻繁に訪れていた街では有るものの、ここ一年ほどは南の方に足を伸ばしていたために随分と久しぶりの訪問である。
 一年という時間の流れは、案外馬鹿に出来ない。私がその街を訪れた時、以前親しくしていた領主一家は失脚、牢に繋がれていた。幸いというべきか、教会の司教は以前と変わらず、戸惑う私に一夜の宿の便宜を図ってくれた。
 彼から聞いた話に寄れば、領主の失脚は民からの税の着服が原因らしい。もっとも、領主自身はそれを否定しており、今は自白を得るための取り調べ中だという。私の、取り調べを見学させてもらいたいという申し出に、司教は最初は渋っていたものの、最終的には首を縦に振ってくれた。これは、その時の記録である。

 どこの街でも、拷問に使う部屋というのは陰鬱な雰囲気を漂わせているものだ。この街でもその例外ではなく、壁に掛けられた松明の乏しい明かりがあちこちに拷問具の不気味な影を落としている。
「う……うううぅっ」
 低く、押し殺したような呻き声が響く。45度の角度に傾けられたはしごにかつての領主が掛けられていた。はしごの上の方に両腕を固定し、上下にスライドするようになった横木に両足首を縛りつける。もちろん、両手は万歳の形ではなく、吊りし責めと同じように腰の後ろでそろえた状態だ。今はもうだいぶ横木は引き下げられており、後ろに捻られた両腕と胴体がほとんど一直線にはしごにくっついている。
 よく、後ろ手に捻り上げればすぐに骨折してしまうのではないか、という者が居るが、ゆっくりと時間を掛けて捻り上げていけば骨折はしない。意外と人間の身体というものは柔軟で頑丈なものなのだ。もちろん、だからといって苦痛の度合が低いわけではなく、むしろ不自然な状況であるだけにその痛みは甚だしいと聞いている。
「税の着服を行い、私腹を肥やしたこと、認めるか?」
「わ、わたしはっ……そのようなことは、していないっ」
 苦しげに腹を波打たせ、領収がそう、答える。軽くかぶりを振ると司教は拷問吏たちに合図を送った。更に一段、横木が引き下げられる。ミシミシと骨が軋み、領主の額に大粒の汗が浮かぶ。
「ぐ……ぐうぅ」
「蝋燭を……いや、夫人をここへ」
 はしご責めでの定番である蝋燭による脇あぶり。それを指示しようとして、ふと思いついたように司教が別のことを命じる。領主の表情が歪んだ。
「ま、待てっ……妻は、関係ないっ」
「関係が有るかどうかは、こちらが決めることだ」
 領主の訴えを、司教が無情に拒絶する。ややあって拷問吏二人に両腕を抱えられて領主夫人が連れてこられた。以前と変わらぬ美しさだが、心なしかやつれているようにも見える。
「は、離しなさいっ、無礼者!」
 拷問吏に触れられているのがよほど嫌なのか、顔を真っ赤にして夫人がそう叫ぶ。領主の正面にまで連れてこれられた彼女の服へと拷問吏の一人が手を掛けた。上等な薄手の衣服が、びりびりびりっと派手な音を立てて破り取られる。恥辱と恐怖の入り混じった甲高い悲鳴が夫人の口から漏れる。
「い、いやあっ、やめて、許してっ。アアッ……」
 服の残骸を、拷問吏の一人が事務的に取り除く。白い肌をあらわにし、がっくりと首を追ってすすり泣く夫人。顔を背けようとした領主の顎を別の拷問吏が掴み、夫人の方へと向ける。
「税の着服、認めるか?」
「冤罪だっ……わたしの財産が目当てなのだろう!?」
「……鞭を」
 司教の言葉に応じて、拷問吏が壁に掛けられていた皮鞭を手に取る。刺などはついていない、ごく普通の鞭だ。それでも、鞭で打たれた経験などない夫人にとっては恐怖の対象らしく、はっきりとその表情がこわばる。
「ひ、ひいいいぃっ。や、やめてっ。お願いだからっ」
 拷問吏の一人が、夫人をはがいじめにする。屈強な拷問吏を振るほどくような力が、夫人に有るはずもない。それでも懸命にもがいてはいるが、まったくの無駄だ。ぱしっと、夫人の足元で拷問吏が鞭を鳴らす。がくがくと震える夫人の乳房を、鞭がしたたかに打ち据えた。
「ひいいいいいいっ」
 夫人が大きく頭をのけぞらせ、悲鳴を上げる。柔らかい肌の上に、くっきりと一条の赤い跡が刻みこまれていた。無言のまま、更に二度、三度と鞭が振るわれる。
「ひいいっ、ひいっ、ひいいいいっ」
 その度に、情けないほど甲高い悲鳴を上げて夫人が身悶える。鞭打ちも、拷問として行う際はそれこそ肌が裂け、血が飛び散る過酷ものだが、今行われているのはむしろ見せしめの時などにやるような『軽い』鞭打ちだ。それでも、上流階級で生まれ育った夫人にとっては十分以上に効いている。
「着服の事実を認めるか?」
「駄目だっ……冤罪であろうと、認めれば縛り首にされるぞっ」
 司教の言葉に、頷きかけた夫人を領主が叱咤する。はっと怯えたような表情を浮かべて夫人が夫と司教の顔を交互に見つめた。
「し、縛り、首……?」
「そ、そう、だ……ぐうううっ」
 言葉の途中で、横木を更に引き下げられ、領主が苦悶の呻き声を上げる。夫人の表情がますますこわばるが、それでも認めるという言葉は出てこない。軽く溜息を付くと司教が拷問吏に合図を送った。
 今まで鞭を手にしていた拷問吏が、壁に鞭を戻すと別の器具を手に取る。手に握るようになった台座から、鋭い湾曲した鉄の爪が三本延びた器具、俗に猫の爪と呼ばれるものだ。
「い、いやっ、な、何をするつもりなの、やめて、やめてったらっ」
 ゆっくりと自分に近づいてくる拷問吏に、恐怖に満ちた視線を夫人が向ける。軽く息を吐くと司教が拷問吏に声を掛けた。
「まずは、使い方を説明してやった方が良かろう」
「はい」
 頷き、拷問吏が今度は領主の方に歩み寄る。苦痛に耐えている領主の胸へとその爪の先端を押し当てると、ゆっくりと拷問吏が手を下に降ろした。肌が裂け、三本の血の跡が刻みこまれる。
「う、ぐうううっ」
 びっしょりと汗を浮かべ、領主が呻く。拷問吏が手を離した時には、胸元から下腹部まで真紅の線が三本、はっきりと刻み込まれていた。その間隔は、指二本ほどか。
 今度は、その三本の傷のうち真ん中の線へと横から爪の先端を刺し込む。ずぶずぶと傷にめり込んだ爪の先端が、左端の傷の中から顔を覗かせた。歯を食い縛り、懸命に声を押し殺している領主。拷問吏が僅かに爪を手前に引っ張ると、肉と皮が裂けた。ぺろりとめくれたその皮の先端を左手でつまむと、一気に下へと引き剥がす。ベリベリベリと、生皮を裂く音が小さく響いた。
「う、ぐっ、ぐぐぐぐぐっ、ぐああああっ」
 領主の口から、悲鳴が漏れる。辛そうに夫人が顔を背けた。顔全体にびっしょりと汗を浮かべた領主がぜいぜいと荒い息を吐く。
 無表情に、拷問吏が再び領主の胸に刻まれた傷へと爪の先端を刺し込んだ。苦悶の表情を浮かべる領主の胸の皮と肉が再び引き剥がされた。胸元から下腹部まで、掌ほどの幅で真っ赤な肉が顔を覗かせる。
 あらわになった肉へと、拷問吏が容赦なく塩を擦り込んだ。断末魔を思わせる絶叫を上げて領主が身体を震わせた。半開きになった口からはよだれがあふれ、瞳からは焦点が消えかける。
「う、ぐぅ……」
「さて、次はあなたの番ですな」
 穏やかとも言える表情と口調で司教がそう夫人へと呼びかける。恐怖のためかこぼれ落ちんばかりに目を見開いて、夫人がいやいやをするように首を左右に振る。
「や、やめてっ。お願いだから……っ」
「では、税の着服、認めていただけますかな? こちらとしても、余計な手間は省きたい」
 司教の言葉に合わせるように、拷問吏が領主の血で濡れた猫の爪を夫人の顔の前に付きつける。甲高い悲鳴を上げて、がくがくと何度も夫人が頷いた。
「は、はいっ。認めます、認めますから、酷いこと、しないでぇっ」
 泣きながら懇願する夫人に、無表情に司教は頷いた。

 あいにくと、私たちは翌日には街をたってしまったので、領主夫妻の処刑の現場は見ていない。風の噂によると、彼らは三日の間晒し台に掛けられ、その後で絞首刑になったということである。。
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All writen by 香月