しばらくの間、私の旅は平穏そのものだった。普通の旅人であれば喜ぶべきことなのだろうが、私の場合は平穏無事といった場合特に町で見るべき物がなかったということを意味する。手記として書き記すほどの珍しい拷問や処刑もみれず、鬱々とした日々を送っていたのだ。
 そんな、退屈な日々が終わりを告げたのは、深い森のすぐ側にあるある小さな町を訪れた時のことだった。

 従者の少年が、小さく息を飲んで私の服の袖を引っ張った。何事かと視線を巡らせた私は、木々に吊るされた人の死体を認めて思わず足を止めてしまった。
 逆さまに吊るされた死体の数は全部で五個。衣服はぼろぼろになり、獣に食われでもしたのかあちこちの肉がなくなっていて骨が露出している。眼球をくり貫かれたうつろな目が、私たちの方を向いていた。
「これは、一体……?」
 少年が震えながら私に問いかける。軽く首を傾げ考え込むと、私は少年に答えてやった。
「おそらくは、絞首刑か何かになった罪人を吊るしてあったのだろうな。狼などの森の獣がその肉を食らったのだろう」
「むごいことを……葬ってやればよいでしょうに」
「何、罪人の死体は腐り落ちるまでさらしておくものだ。獣に食われた死体など、そう珍しいものでもあるまい」
 顔をしかめている少年の肩を軽く叩くと、私は町へと続く道を歩き出した。だが、少年はその場に立ちどまったまま動こうとはしない。苦笑を浮かべて振り返った私の耳に、甲高い女の悲鳴が飛び込んできた。
「いやーーっ、誰かっ、誰か助けてぇっ。きゃああああっ」
 その悲鳴は少年の耳にも届いていたのか、弾かれたようにして少年が走り出す。慌てて私もその後を追った。盗賊のたぐいに旅人が襲われたのか、と、そう思ったのだ。こんな昼ひなたから獣が人を襲うとも考えにくい。
「……っ!?」
 がさがさと、茂みをかき分けて走っていた少年が突然息を飲んで立ちどまる。それに追いついた私も、少年が見たものを見て絶句してしまった。
 大木の周囲を、厳重な柵が囲っている。大木の枝からは十代半ば過ぎの少女が両足首を一まとめに縛られ、逆さまに吊るされていた。吊るすと言っても高さは低く、頭上に伸ばされ、両手首を縛られた両手の指が地面につくかどうか、と言った程度だ。大木を囲むように二つの晒し台が設置されており、それらには一組の男女が首と両手で拘束されている。年齢からすると、吊るされた少女の両親ぐらいか。
「きゃああーーっ、嫌っ、助けてぇっ」
 悲鳴を上げて少女が身体をくねらせる。ジャンプした一頭の狼が、その鋭い牙で少女の服の胸元の辺りを噛み破った。白い肌があらわになり、牙で傷つけられたのか赤い血の糸がそこを伝う。
 そう、囲みの中には数頭の狼が放たれていた。囲みの周囲は、町の人間らしき人々に囲まれている。少年がはっと我に返ったように近くに居た青年をつかまえて食ってかかった。
「ちょっと、何をやってるんです!?」
「あん? 何だぁ? お前は」
「ひどいじゃないですか、あんなことして! 殺されちゃいますよ!?」
 不審げな青年の言葉にかまわずに、少年がそう叫ぶ。私は苦笑を浮かべながら二人の間に割って入った。
「すいません、連れのものが失礼を。旅のものですが……このような処刑は、この町ではよく?」
「ん? あ、ああ。森の獣への供物さ。何しろ、こんな森の側だからね」
「イヤァーーーっ」
 少女の上げる悲鳴が高く響く。おっと小さく声を上げて青年がそちらに視線を向けた。憤然としている従者の肩を押さえて少し下がらせる。
「この町にはこの町のやり方がある。口出しをするのは止めなさい」
「で、でも……! あんなの、ひどいですよ!」
「事情を知らない人間が口を出してはいけない。もしかしたら、彼女たちは何人も人を殺した極悪人かもしれないのだよ?」
 私の言葉に、少年が押し黙る。頭では納得できても、感情が納得しないのだろう。まぁ、彼ぐらいの年頃では無理もないことだが。
 少年が沈黙したので、私は改めて柵の中へと視線を向けた。狼が再び大地を蹴り、少女の衣服をその鋭い牙で噛み裂いていた。既に服と言うよりはぼろ布といった方がふさわしくなった残骸を身体にまとわりつかせ、少女が恐怖の悲鳴を上げている。
 よく訓練されているな、と言うのが、私の感想だった。自然の狼であれば、服を噛み裂くようなまねはするまい。犠牲者の喉笛を噛み破り、肉や内臓を貪り食うはずだ。少なくとも、私の知る限りでは野生の動物という奴は獲物を無意味に嬲ったりはしない。
「ぎゃーーっ」
 少女が悲鳴を上げて首をのけぞらせた。狼の一頭が彼女の腕に噛みついたのだ。後ろ足で立つような感じで細い二の腕にかぶりつき、頭を左右に振って肉を食い千切る。ほとぼしった鮮血が地面を濡らす。痛みと恐怖に大きく目を見開き、少女が悲鳴を上げつづける。
「うわっ、やめろっ、やめてくれぇっ」
「嫌っ、来ないでっ、助けてぇっ」
 晒し台に拘束された男女の口から、悲鳴が上がった。中腰になり、身動きできない二人の元へとゆっくりとした動作で狼たちが近づいていく。それぞれに二頭ずつ、少女を嬲っている一頭を加えると、全部で五頭の狼たちが柵の中には放たれていた。
「ぐわあぁぁっ」「きゃあああっ」「ひっ、ぎゃああああっ」
 三人の口から、それぞれに悲鳴があがる。晒し台に拘束された男女は左右の足を狼に噛まれ、がたがたと晒し台を揺らして叫び声を上げている。吊るされた少女は、飛びあがった狼の牙で右胸を噛み裂かれ、更にはその爪で腹をざっくりと裂かれていた。腹の傷はそれほど深くないようだが、悲鳴を上げた拍子に内臓が飛び出し、だらりと足れ下がっている。胸と腹から拭き出す血で、少女の顔が斑に染まった。ひっひっひっと切れ切れに息を吐き、目から大粒の涙を流している。
「酷い……」
 少年が、そう呟いて顔を背けた。私の場合は、内臓を抜き取るような拷問、あるいは処刑をかつて何度か見たことがあったせいで比較的冷静だったが、それでも思わず顔を背けたくなったのは事実だ。
「ぐわっ、うぐわぁっ、があああああっ」
「やだ、やだやだやだ、ぎゃあああああああっ」
 晒し台の方でも、狼たちが犠牲者の腹を裂き、内臓を食らい始めたらしい。男女の上げる悲痛な絶叫が響き渡った。元々肉食獣が第一に狙う部位は内臓である。だから、狼たちが内臓を狙うのは不思議ではないのだが、生きたまま内臓を引きずり出され、食らわれる方はたまったものではないだろう。
「嫌ぁっ、痛いっ、やめてっ、許してぇっ。きゃああああっ」
 吊られた少女の方は、晒し台の男女に比べてもう少し不幸だったらしい。吊られているせいで腹は高い位置にあり、狼はなかなか内臓にありつけないのだ。それにいらだっているのかどうかは分からないが、腕や顔に幾度となく爪と牙が振るわれ、少女の口から悲鳴をあふれさせている。
 いつのまにか、晒し台の男女は静かになっていた。既に絶命しているのか、それとも痛みで気絶しているだけなのかは判然とはしないが、どちらにしてもあの出血と傷では助かるまい。晒し台の方へと向かっていた四頭の狼たちが少女の周りを取り囲むように戻ってくる。
「ひっ……」
 少女が息を飲んだ。その身体が、不意にどさりと音を立てて地面に落ちる。不覚にも気付かなかったが、彼女を吊るした縄の反対の端はどうやら柵の外の樹に結ばれていたらしい。誰かがそれを切って少女を降ろしたのだろう。
「い、嫌っ、助けてっ、嫌ああっ」
 降ろされたといっても、両足首は相変わらず縛られたままだ。両手首も縛られているから、身体を曲げたり伸ばしたりして尺取り虫のようにしか進めない。それでも何とか逃れようというのか、懸命に少女が地面の上を這いずっている。
 しばらく、狼たちはその姿を眺めていたが、今まで彼女を嬲っていた狼が一声鳴くといっせいに少女へと襲いかかった。
「きゃああああっ、きゃああっ、嫌ぁっ」
 腕や足、尻といった辺りの肉を食い千切られ、血まみれになって少女が絶叫を上げる。苦痛に身体を震わせ、少しでも逃れようというのか懸命に地面の上を這いずっている。彼女の身体から流れ出す血が、地面の上に赤い筋となって残る。
 一思いにとどめを刺そうとはせず、狼たちが思い思いの場所の肉を食い千切り、咀嚼する。引きつった悲鳴をあげ、身体のあちこちで白い骨を露出させながら懸命に少女が這いずり、森の悪魔たちから逃れようとしている。だが、もちろんそれは不可能だ。
 狼の一匹が少女の腕に噛みつき、後ろに跳ねる。ごろんと仰向けになった少女の上に残りの狼たちが飛びのって動きを封じた。鋭い爪と牙で少女の肌を引き裂き、鮮血と悲鳴を絞り出す。
「嫌っ、やめてぇっ、食べないでっ。ぎゃあああああっ」
 乳房を食い千切り、腹を爪で裂く。内臓を爪で引きずり出され、びくんびくんと少女が身体を震わせた。自らの血の海の中に沈み込み、ひっきりなしに絶叫を上げつづける。
「あぎっ、あぎぎ、ぎぎぐぅっ。ぎゃあああっ、ぎゃあああああっ」
 狼たちが引き裂かれた腹の傷口に顔を突っ込み、内臓を食らい始めた。びくびくっと数度手足を痙攣させ、ついに少女の瞳から光が消える。少女の悲鳴がとだえ、狼たちの食事の音だけが奇妙に大きく響いた。
 狼たちが少女の元を離れ、柵の方へと近づく。さっと側に居た町の人間が柵の扉を開けると、弾丸のようなすばやさで狼たちは森の中へと走り去っていった。残された町の人々は、ある者は柵の解体を始め、またある者は血まみれの三つの死体をずるずると森の奥へと引きずっていく。
「あの死体は、どうするんです?」
 私は、側に居た青年を捕まえてそう問いかけた。面倒そうにひらひらと手を振ると、青年が肩をすくめながら答える。
「森の王様の食べ残しは、他の動物たちの餌さ。適当な樹を選んで縛りつけとくんだよ」
「ほぅ、なるほど。ところで、彼女たちは一体どんな罪を犯したのですかな?」
「罪? ま、確かに罪人は動物の裁きに任せるのがこの町の流儀だがね。王様への捧げ物に罪人は使えないさ。くじで選ばれたんだよ、あの一家が」
 そう言ってもう一度軽く肩をすくめると、青年は柵を解体する人間たちの輪に入っていった。彼の説明にぶるぶると拳を震わせている従者の少年の肩を私は軽く叩いた。
「そう怒るな。旅人が町の流儀に口を出してはいかんと、何度も教えたはずだぞ?」
「え、ええ……でも、罪もない人があんな目にあうなんて……!」
「この町にはこの町の事情があるのだろう。おそらく、定期的に生け贄を差し出すことによって町全体の被害を減らそうというのだろうな。もっと大きな街であればともかく、小さな町にとって獣の害は無視できない深刻な問題なのだから、犠牲を最小限にするためには必要なことかもしれん」
 そう言う私ですら完全に納得した訳ではない。少年は不満そうな表情で町の人たちのことを見つめていた。
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