「嫌な雨ですこと……」
 僅かに簾を持ち上げ、外を眺めながら衿華はそう呟いた。部屋の隅で着物を 繕っていた霞が肩をすくめる。
「こんな日はお客さんが少ないから楽よねー。あーあ、あたしも早く花魁みたいに 旦那衆のご贔屓がもらえるようになりたいなー」
「……別に、それで幸せになれるわけではないのですけれど、ね」
「前から疑問だったんだけどさ、花魁といい武蔵といい、どうして身請けして もらわないわけ? この仕事が好きって訳じゃあないんでしょう?」
 本当に不思議そうに首をかしげて霞がそう問い掛ける。寂しげな笑いを浮かべて 衿華が俯いた。
「誰かを本気で好きになってしまったから、ですわ。霞ちゃんも、そのうち分かる時が 来るかも知れませんわね。そういう日がこないほうが、幸せですけれども」
「わっかんないなー。別にあたし、武蔵のこと好きでも何でもないけどさ、あんなに しょっちゅう責められてて、よく平気よねー。ホント、尊敬しちゃうわ」
 霞の言葉に、衿華は僅かに肩をすくめただけで答えなかった。
「げほっ、げほげほっ」
 激しく咳き込みながら、武蔵が水を吐き出す。たっぷりと水を吸った彼女の髪を 乱暴に掴み、榊屋の女将は武蔵の頭を左右に揺さぶった。
「まったく、強情な娘だねぇ。小次郎の若旦那の身請け話を受けたくないってだけなら、 まだいいよ? 衿華みたいに身請けは断ってもちゃんと仕事はする娘もいるんだから。
 なのにあんたときたら……身請けは嫌、仕事も嫌じゃお話にもなりゃしない」
 腹立だしげにそう吐き捨てる女将。水車の側面に大の字に張り付けられた武蔵が焦点のぼやけかけた瞳で女将の顔を見上げた。
 この部屋は中央部が掘り下げられ、そこに水を満たしてある。しっかりと固定された 水車の下四分の一、武蔵の膝から下ぐらいまでは水に漬かっていた。武蔵が張り付けに されているのとは反対の側面にはクランクが取り付けてあり、自由に回転させられる ようになっている。
「はん……あたしゃ、あんな小娘と違って安売りはしない主義なのさ」
「口の減らない娘だね! おやり!」
 女将の言葉と同時に、大男が水車を回転させる。ぐんっと勢いよく武蔵の身体が 上下反転し、水の中に頭が沈んだ。覚悟を決めて息を止めていたせいもあり、水面に 浮かぶ気泡は以外と少ない。
 ぐるんと勢いを落とす事なく水車が回転し、武蔵の頭が上に出る。はぁ、と、息を つく武蔵。彼女が次の息を吸い込むのとほぼ同時ぐらいに再び頭が水に沈んだ。 少し水を飲んだのか、びくっと身体が震える。
「げ、ほっ」
 水から頭が上がり、武蔵が咳き込む。頭が水に沈んでいる時間は一周のうちの 四分の一もないが、回転のせいで頭がぼうっとしてしまい、タイミングを計れない。 更に咳き込んでしまえば本人の意思とは関係なく息をせざるをえないから、ますます 水を飲むことになる。
「ごぶっ、ちょ……ごほっ、げほっ」
 徐々に水車の回転が早くなってくる。単純に水に漬ける、引き上げるを小刻みに 繰り返されるのも相当に辛いものだが、これは更に回転によって三半器官を責められる。 意識が朦朧としているところで水に頭を漬けられると口と鼻の双方から水が入ってくる。 半分溺れるような状態となって武蔵が激しく身体をくねらせた。
「げぼっ、げぶ、ぶ、ご、ぼっ、ごほっ」
 息を吸う代わりに水を飲み、吐き出すという空しい行為を繰り返す武蔵。 彼女の顔が辛うじて水面から出る位置で一旦大男が水車を止めた。
「ふん。少しは懲りたかい?」
「げほげほげほっ。う……うぅ……」
 激しく咳き込み、虚ろな視線をさ迷わせる武蔵。ふんと鼻を鳴らして女将が 武蔵の腹の辺りを殴り付けた。丁度息を吸おうとしていた瞬間に腹を殴られ、 苦悶に武蔵が身体を波打たせる。
「う、げ……げほっ」
「気分はどうだい?」
「げほっ。ふ、ふん。この程度どうって……ごぼっ!?」
 憎まれ口を叩こうとした途端、ぐるんと水車が回転し、武蔵の頭が水中に沈む。 不意をつかれてまともに水を飲んだのか、ごぼごぼと気泡が派手に上がってきた。
 しばらく武蔵が水中で苦悶するのを眺め、気泡が少なくなった頃を見計らって 女将が片手を上げた。大男が水車を回し、武蔵の顔が水から出てくる。
「ごほっ、げほっ。あ、あたしを殺……!?」
 目に涙を滲ませながら--といっても、すでにびしょ濡れで判然とはしないが-- 抗議の声を上げる武蔵。だが、その言葉が終わらないうちに再び水車が回転し、 武蔵の頭が水に沈む。
 今回は、先程迄よりも随分と回転速度が遅い。顔が空中にある間に貪るように 息を吸う武蔵のことを女将は冷ややかに見つめた。本人が必死になって息を吸って いるつもりでも、乱れた呼吸ではたかが知れている。むしろ浅く呼吸をしておいた 方が楽なのだが、いつ水に沈められるか分からないような状態でそんなことを考える 余裕などあるはずもなかった。
「はぁ、はぁ、ぶぐぁっ」
 女将の予想通り、大きく息を吸い込んだ途端に水に沈められ、武蔵が苦悶の声を上げる。 彼女の口から漏れる悲鳴が、ごぼごぼと気泡に変わって水面を揺らした。
 当然の事ながら、水車の回転速度が遅ければ遅いほど、犠牲者の頭が水中にある 時間も長くなる。予め覚悟を決め、静かに息を止めていれば耐えられない長さではないが、 回転によって意識の集中を妨げられてはそれは不可能だ。
「げはっ、ごぼっ、うぇ……」
 水面から顔を覗かせた武蔵が、水を吐きながら声とも息ともつかない音を漏らす。
「ふん。まだまだ夜は長いんだからね。いい加減、楽になっちまいなよ」
「だ、誰、が……」
 ひゅーひゅーと喉を鳴らしながら、それでも気丈に武蔵が顔を上げ、女将のことを睨む。 軽く肩をすくめると女将はぱんっと平手を武蔵の頬にみまった。
「泣いて謝っても許してやらないからね。続けなっ」
 女将の言葉に、大男が無言で頷く。水車の回転速度が、早くなったり遅くなったり、 不規則に変化をしはじめた。これでは頭が水に沈むタイミングを計ることなど 到底不可能だし、それ以前に頭が不規則に揺すられて吐き気をもよおしてくる。 まして、彼女はこの責めを受ける前に食事を済ませたばかりだ。
「う、うげえええぇぇ」
 数十回水車が回転したところで、顔面蒼白になった武蔵が溜まらずに水と共に胃の 中身を吐き出した。酸えた臭いを放ちながら、吐瀉物が水の中に落ちる。
「げ、げぇ、げぇ、ぶぐぅ!?」
 武蔵が嘔吐している間も、大男は手を止めていない。ぐるんと視界が反転し、 自分の吐き出したモノが漂っている水の中へと武蔵の頭が沈んだ。
「ごぼっ、ごぼごぼごぼごぼごぼ……」
 水と一緒に自分が吐き出したものを吸い込み、武蔵が身体を震わせる。単純に 水が気管に入ってくるだけでも相当な苦痛だが、未消化の固形物が気管へと入り 込めば苦痛はその比ではない。必死になって咳をし、吐き出そうとするが、水中で そんなことをすれば当然耐え難い苦しみに襲われることになる。
「うげぇ、げふっ、げ、げぇ……お、お願、い……もう……」
 がっくりと首を折り、武蔵がついに哀願の声を漏らす。髪といい顔といい服といい、 べっとりとゲロにまみれた無残な姿だ。ふんと鼻を鳴らすと女将は大男へと顎をしゃくった。 無表情に大男が水車を回し、再び武蔵の上半身が水へと沈む。
 ごぼごぼと、気泡が上がる。ビクビクと痙攣するように水車に固定された足が震えた。 更に半回転し、頭が上、足が下という姿勢に武蔵が戻った時、黄色い液体が彼女の 足を伝って水の中へと流れ込んだ。
「漏らしたのかい。小娘じゃあるまいし、みっともないねぇ。
 ま、自分のゲロと小便の混ざった水をたっぷりと飲むがいいさ。 しばらくあんたにゃ水を飲ませちゃやらないからね」
 意地の悪い笑みを浮かべて女将がそう言う。抗議の声を上げようとした武蔵の 頭がまた水に沈み、再び水を飲まされる羽目になる。
 結局、水車の回転が止まったのは、それから更に数十回転してからだった。 ぐったりとした武蔵の顎に手を掛け、女将が低く笑う。
「今日はこの辺で勘弁しといてあげるよ。ま、ゆっくりと頭を冷やして反省する ことだね」
 大男が半ば意識を失っている武蔵を水車から解放し、後ろ手に縛り上げる。 更に足首と膝の辺りで足を縛ると、ごろんと芋虫のようにむき出しの地面の上に転がす。
「二日もしたら、見にきたげるよ。なぁに、二日ぐらいなら食わなくても死にゃあ しない。水ならそこにたっぷりあるしね」
 楽しそうに笑うと、女将は膨らんだ武蔵の腹を踏み付けた。
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