「あ-あ、地下室ってどうしてこう陰気なんだろう……」
 両手に盆を持ち、霞が溜め息をつく。かなり急な階段を蝋燭の炎を頼りに降りていくのは結構怖い。
「武蔵もねぇ、いい加減素直になればいいのにねー。ま、別に本人だけが酷い目に遭うって言うんなら構わないんだけどさぁ、何で私が御飯運ばされなきゃなんないのよ」
 ぶちぶちと文句を言いながら霞が階段を降りる。木戸の前で足を止め、戸を叩きかけて彼女はふと動きを止めた。
「え? 笑い、声……?」
 木戸はそれ程厚いものではないし、立て付けもいいとはいいがたいから向こうの声が聞こえてくること自体は珍しくない。榊屋の女郎としては最年少で、まだ客をとっていない霞は誰かが責めにかけられている時にはたいてい食事を運ばされる。もっともこれは女将の方針でもあって、見習いのうちから責めを見せておくことで反抗心を削ごうという狙いがあるらしい。
 だから、悲鳴を聞かされたことは何度もあるし、最近は武蔵のお陰でそれにも慣れっこになりつつあるのだが、流石に笑い声が聞こえてきたのは初めてだ。
「えー……と」
 ちょっと困ったような表情を浮かべながら、それでもぼんやりしているわけにもいかずに霞が戸を叩く。大して待つまでもなく木戸が開き、いつもの男が無言で霞から盆を受け取る。普段ならそれで終りなのだが、今日に限っては女将が去りかけた霞を呼び止める。
「ああ、霞。丁度いいからあんたも参加してきな」
「え!? あ、あたしも、ですか!?」
「何すっとんきょうな声だしてんだい。ほら、こっちに来な」
 女将が手招きする。逆らうわけにもいかずに霞は戸を潜った。
 腰の高さほどの台に武蔵が座らされている。台から垂直に立った板に背中をつけ、両腕を万歳をするように上に伸ばす形だ。全身にびっしょりと汗を浮かべ、はぁはぁと荒い息を吐いてはいるが、少なくとも目に見える怪我は負っていないようだ。
「ほら」
 女将が自分の持っていた羽箒を霞に手渡す。受け取ったもののきょとんとした表情を浮かべている霞の背をパンっと女将が叩いた。
「あんたは足の裏をおやり。私は脇をくすぐるからさ」
「え、えーと、くすぐれば、いいんですか?」
「こんなもんで叩いたって仕方ないだろう?」
 少し呆れたような表情になって女将がそう言う。まぁ、それはそうだ。
「くすぐる、ねぇ……」
 釈然としない表情のまま霞が足のほうに回る。さっき戸の外にまで笑い声が響いてきた理由は分かったものの、くすぐると責めると言う二つの単語はどうしても上手く頭の中で結び付いてくれない。
「ま、いっかー。悲鳴を上げられるよりは数段ましだもんねー。それじゃ、こちょこちょこちょ……」
「あは、あはははは、やめ、やめて、あたし、あはは、そこ、弱い……あはははは」
 足の裏を霞に羽箒でくすぐられ、武蔵が拘束された不自由な身体をよじって笑い転げる。軽く肩をすくめると女将も棚からもう一本の羽箒を取り出し、武蔵の横に回る。
「さーて、それじゃ私も仲間にいれてもらおうかねぇ」
「や、やめてよ、あはははははは。駄目、死んじゃう、あはははははは」
 上半身は裸に剥かれているから、当然ながら脇も露出している。個人差はあるだろうが、武蔵は特にくすぐられるのが苦手なタイプらしい。涙を浮かべてけたたましい笑い声をあげている。
「や、やめてってば、ははは、だ、きゃはははははは、駄目だって……」
「あは、おもしろーい。そーれ、こちょこちょこちょ」
 調子に乗って霞が足の裏をくすぐり続ける。武蔵が足の指を開いたり閉じたりするのに合わせ、足の指の辺りにまで羽箒を這わせる。
「ひゃは、あはははは、ひぃ、あははははは、きゃははははは」
 髪を振り乱し、半狂乱になって武蔵が笑い転げる。汗で全身が光り、うっすらと紅潮している様はどことなく色っぽい。霞が手を動かす速度を速めたのとは対照的に、女将の方はゆったりとした動きで、だが執拗に武蔵の脇をくすぐり続けている。
「ひぃ……ひぃ……あは……きゃはははは………ひゃ、はははは……あははははは」
 武蔵の腹が痙攣するようにピクピクと波立つ。笑い声をあげている時は当然ながら息を吐き出しているわけだが、足の裏と脇をくすぐり、強制的に笑わせ続けていれば息を吸う間はほとんどない。水に漬けたり首を締めたりするのとは少し違うが、これも立派な窒息系の責めである。
 しかし、責めを受けている武蔵は笑い転げている。本人は楽しくて笑っているわけでは決してないが、責めている側--特にこの責めの苦しさを知らない霞--にはその苦しさが伝わりにくい。
「やめて……あはは……死んじゃう……きゃはは、あはははは……ひゃははは」
 微かに吸える息も笑いと共にすぐに吐き出さなければならない苦しさ。加えて、笑うというのは案外体力を消耗する。特に痙攣するように動き続けている腹筋に掛かる負担は並大抵ではない。酷使された腹筋がズキズキと痛む。
「こちょこちょこちょ……」
「きゃははははは、あは、あはははは、ははは」
「耳の後ろとかも面白いかもねぇ」
「やめて、あはははは、そこ、駄目っ、あははははは」
 乱れた髪を頬にはりつけ、武蔵が狂ったように頭を振る。縄で縛られた手首足首が擦れて血を滲ませていた。懸命に笑いを噛み殺そうとギュッと血が出るほど唇を噛み締めるが、ほとんど何の効果もあげられない。
「ひっ……はっ……ひゃはは……ひぃっ」
 笑いというより、無理に口から空気を吐き出しているといったほうが近い声をあげて武蔵が身体を震わせる。吸う息と吐く息がぶつかりあって咳に変わる。
「げほっ、あはは、やめて……あはははは……ひゃはははは」
「こんなもんかね。霞、ちょっと止めな」
「はーい」
 がっくりと首を折って貪るように空気を吸う武蔵の前髪を掴み、強引に仰向かせると 女将がにぃっと笑う。
「どーだい? 気分は」
「はぁ、はぁ、はぁ。別に、どうってことないわよ、この程度」
「ふん。元気だけはあるようだね。その分なら、もうちょっと続けても大丈夫そうだねぇ」
 意地の悪い笑みとともにそういうと、女将が霞に視線を向ける。
「それじゃ、霞。もうちょっと付きあってもらおうかね」
「あ、はい」
 女将の言葉に逆らうわけにはいかないし、責められてるのが武蔵では逆らう理由もない。これが衿華ならまた話は違うだろうが。
「さーて、武蔵。覚悟はいいかしらぁ?」
「ば、馬鹿、あんたね、仮にも先輩にむかって・・・きゃはははははははっ」
「こちょこちょこちょ・・・あはは、ほんとに苦手なんだ」
「だ、駄目だってば、あはははは、あは、はは、あははははははははは」
 ひくひくと腹を波うたせて武蔵が笑いころげる。後ろで様子を見ていた男が女将のめくばせを受けて反対側へと回り、同じようにして羽箒で脇をくすぐりはじめた。女将も加わり、両脇と足の裏を同時にくすぐられる格好になる。
「ひゃははははは、あひゃ、はははは、きゃは、く、苦し、あはははは」
 涙さえ浮かべて笑い転げる武蔵。だが、くすぐりの手は止まらない。
「やめ、やめて、あはははは、駄目、かははは、本当に、死んじゃう、あははははは、はっ、はっ、ひぃ」
 声が掠れる。声が哀願の色を帯びてくる。みもだえする動きが、だんだんと痙攣するようになってくる。
「ひぃ、ひゃははは、はっ、はっ、・・・は、は、は」
「あれ?」
 急に反応をなくした武蔵を、けげんそうに霞が見上げた。がっくりと首を折り、意識を失なっている。
「うそ・・・気絶しちゃった?」
「やれやれ、だらしないねぇ。ま、いいさ。霞、あんたは部屋に戻ってな」
 肩をすくめた女将の言葉に、はーいと元気よく霞は答えた。
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