ここでは拷問というものが持つ歴史的な意味というものを少し考えてみたいと 思います。
Index:
1.
拷問の正当性
2.拷問の残虐性の理由
3.公開の処刑の効果

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1.拷問の正当性
 さて、まず拷問の正当性というものを考えてみましょう。つまり、拷問という ものが必要なのか不要なのか、許されるものなのか許されないものなのか、少し 立ち止まって考えてみよう、ということです。
 話の舞台を現代、特に日本に限定した場合、話は簡単で『不当』です。必要悪に すらなりえません。これは日本に限ったことではなく、いわゆる先進国といわれる 国々全てでいえるでしょう。
 では、そもそも拷問というのは正当性を持たない悪しき存在なのでしょうか?  そうだ、といってしまうのは簡単ですが、実際にはそれ程話は単純ではありません。 『必要は発明の母』といいますが、必要なしに生み出される技術というものは基本的に 存在しませんし、ましてやそれが発達することはありません。少なくとも時代と舞台を 変えれば拷問は立派にその『正当性』を主張できるのです。
 では、拷問が『正当』である時代と舞台とは一体どこでしょうか。それを考える 前にまず、そもそも拷問とは一体何なのかを考える必要があります。とりあえず 手元にある辞書で「拷問」を引いてみましょう。
  拷問  -する[「拷」は刑具で打つ意][取り 調べの必要上自供を得る目的で]罪状を認めない容疑者にひどい肉体的苦痛を与え、 極限状態まで追い詰めて問いただすこと(『新明解国語辞典』第四版より)
 つまり、拷問というのは本来罪人を取り調べる過程で行われる、事件解決のための 手段なのです。事件を解決する、すなわち犯人を捕らえるためには証拠が必要です。 現在であれば様々な科学捜査によって集められた物証が証拠として使われ、容疑者 本人の自白は証拠にはなりません。では、古代ではどうだったのでしょうか。
 最も古い裁判は、いわゆる神明裁判です。これは祭政一致時代ならではという 方法で、誰が犯人なのかを神(自然)に対して問うというものです。以下に代表的な 神明裁判の方法を幾つか上げます。
 少し考えれば分かるように、これらは全て『科学的な』証拠を集めるものでは ありません。しかし、なんら科学的な知識を持たない古代の人々にとってこれらの 手段は犯罪を解決する唯一にして絶対の方法だったのです。
 さて、時代が下ってくるに従い、これらの『偶然に頼る』判定法ではない、 もっと確実な犯人の識別法が考えられました。つまり、罪を犯した本人の口から 自分が犯人であるという証言を引き出す事です。なにしろ、本人が罪を認めて いるのですから話は簡単です。神にお伺いを立てる必要すらありません。
 そう、拷問というのは本来『確かな物証を集めることが(物理的に)不可能な 時代に、偶然性に頼る事なく』犯人を見つけるための手段であり、技術だったのです。
 しかし、現在では十分な捜査によって犯人の自白なしでも犯行を立証できる だけの証拠を集められるようになりました。今、神明裁判によって犯人をつき止め ようとする人は居ないでしょう。何故ならそれはもう、過去の遺物となったもの だからです。拷問もそれと同じで、本来ならばもう、過去の遺物となっていても おかしくないはずの存在なのです。
 偶然による神明裁判から、物証を集めることによって犯行を立証していく現在の 裁判へ、その過渡期に用いられた『必要悪』としての存在、それが拷問だといえます。
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2.拷問の残虐性
 ところで、拷問の多くは現在の我々の感覚からすると残虐すぎるほど犠牲者に 対して多大な苦痛を与えます。当時の人間にも想像力というものはあったはずですし、 これ程の苦痛を与える拷問を加えることに躊躇することはなかったのでしょうか?
 これは一概には答えられない質問です。当時の拷問吏にもいろいろな性格の 者がいたでしょうし、一口に中世といってもかなり長い時代に渡っているからです。 しかし、大雑把にいってしまえば、彼らにとって拷問を加えられる人間というのは 『自分と同じ』人間ではなかったのだ、ということができます。
 まず、西洋に目を向けてみましょう。西洋の拷問の歴史を考える上で切り離せない のがキリスト教です。というよりも、中世から近代にかけての西洋史を語る上で キリスト教に触れないでいるのは恐らく不可能でしょう。
 キリスト教の世界に於いて(非常に大雑把な言い方をしてしまえば)『罪を犯した 者=悪魔の誘惑に負けた者』となります。
 これが「人狼」です。これは即ち、悪魔の獣に取り憑かれたもの、つまりは 『人間ではないもの』のことです。西洋(特にドイツ地方)に於いては森は生活圏 であると同時に異世界でもありました。森に住む狼たちは現実的な被害をもたらす 獣であると同時に、夜の世界に住む不気味な存在でもありました。やがてはそれが 『悪魔の使い』としてのイメージになり、犯罪を犯したものはこの狼に取り付かれた 存在、即ち「人狼」だとされたのです。
 人狼は人間ではもはやありません。獣、それも神に敵対する悪魔の使いです。 それに対して拷問を加えることになんら良心の呵責を覚える必要はないのです。
 しかし、人間には『魂』があります(現実にあるかどうかではなく、当時の人は 少なくともそう信じていました)。その魂は死後冥界に赴き、最後の審判の時を 待ちます。では、人狼となってしまったものの魂はどうなるのでしょうか。
 当時の人々の考えでは、自らの罪を認める、つまり自白することで狼に取り憑かれた 人の魂は解放されるとされていました。即ち、拷問を加えて罪を自白させるという 行為は、『悪魔によって汚された魂を救う』行為に他ならないのです。キリスト教の 考えではこの世で生きる時間よりも死後の世界で過ごす時間のほうが圧倒的に長く、 それゆえに神のいうことに従って『善い』生き方をしなければならない、とされます。 さもなければ最後の審判の後で地獄へと魂が投げ落とされ、未来永劫苦しむことに なるのですから。
 つまり、拷問を加えるのは『善意』であり『拷問を受ける犯罪者のため』なのです。 今一時の苦痛など、死後に訪れる永劫の苦痛に比べれば何でもないのですから。 魔女狩りに於いて魔女とされた人が火炙りにされるのも、『炎による浄化』を 目的としているからです(ちなみに、火炙りの場合は煙が空に上ることで風の、 灰を川に流すことで水の力もそれぞれ借り、火と風と水という三つの力によって 徹底的に魂を浄化しようとしています)。決して無意味な苦痛を与えるのが 目的ではありません。
 この様に、西洋に於ける拷問というのは、『悪魔の誘惑に負け、魂を汚されて しまった人間の魂を救い、浄化させる』事を目的としていました。そうである以上、 どんなに残虐な拷問もしょせんは一瞬の苦痛に過ぎません。繰り返しになりますが、 罪を自白せずに死んでいった人間の魂は地獄に落ち、未来永劫の苦痛を受けなければ ならないのです。
 さて、視線を東洋に移してみましょう。東洋に於いては西洋のキリスト教に該当 するような強力な宗教というものはありませんでした。仏教には地獄がありますが、 この地獄自体が魂の浄化を目的としているため、拷問の目的を西洋のように宗教に 結び付けるのは難しそうです。
 ここで注目したいのは、東洋に於いては『階級』というものが大きな力を持って いたということです。インドのカースト制や日本の士農工商などが有名ですが、 それ以外にも『身分』ということを非常に気にしていたようです。
 そして、犯罪を犯したものはこの身分制度のピラミッドから一気にずりおちます。 西洋に於いて犯罪者は『悪魔の誘惑に負けてしまった人間』でしたが、東洋に 於いては『罪を犯したことにより、人間以下の階級に落ちてしまった存在』なのだと いうことができるでしょう。言葉を変えれば人間以下のもの、人間ではないもの に犯罪者の身分は変わってしまうのです。
 即ち、拷問吏にとって犯罪者は『自分と同じ人間』ではもはやありません。 同情したり共感したりできるのはあくまでも相手が自分と同じレベルにいるからです。 極端な話をすれば動物と同じ、何をしようが良心は痛まない、ということです。
 どちらにしても、犯罪を犯した人間というのは『普通の人間』とは違う存在へと 変化していました。それが拷問に於いてあそこまで苛烈になれた理由だったのです。
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3.公開の処刑の効果
 やはり洋の東西を問わず、公開の処刑というものは行われていました。しかし、 拷問を行う精神的な背景が違うせいもあってか、その持つ効果は違ってきていたよう です。
 まず東洋に於いては、公開の処刑というのは見せしめであり、犯罪を未然に防止する 効果を期待されていました。基本的に東洋に於いては思想的な背景が拷問にないため か、純粋に何か別の目的を達成するための手段としての側面(というか、本来の 意味)が重視されているようです。
 それに対して西洋に於いては、多分に『儀式』としての側面を持っていました。 でも書きましたが、犯罪者というのは悪魔に取り憑かれた 人間であり、拷問・処刑というのはその魂を浄化するために必要な儀式であったの です。例にあげた火炙りや、車刑(手足の骨を打ち砕き、車輪の上に乗せて死ぬまで 太陽にさらしておく処刑法。太陽(=神)への捧げ物とする)などがその代表で しょう。また、絞首刑でも風化し、腐りおちてしまうまでそのまま吊しておくのが 一般的だったようです。
 また、犯罪者というのは共同体を乱す異分子でもあります。まだ自然の驚異が 身近だった時代では共同体を作り助け合って生きていくことが必要不可欠でした。 その共同体が乱されるというのは、即命の危険へとつながった時代だったのです。 それゆえに公開の処刑は、共同体の秩序が回復されたことを示す『儀式』でも ありました。
 このため、処刑場に引き立てられて行く罪人に対して石などを投げたり 罵ったりすることはごく当たり前のことでした。罪人は直接誰かに不利益を与えた だけではなく、悪魔に憑かれた背信者であり、共同体の秩序を乱すことによって 間接的に自分にも危険を及ぼしているのですから。
 また、この共同体というものの役割は大きく、現在ではあまり刑罰と考えられない ようないわゆる『さらし刑』も存在しました。これはその人間が罪を犯したことを その共同体に属する人々に知らせるためのもので、命こそ奪われないものの社会 敵には抹殺されたも同然となることも珍しくはなかったようです。
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