3月16日 晴

 今、私は一人でこの日記を書いています。ミミちゃんも、クリスさんも、もう居ません。一人には慣れていると自分では思っていたので、あの二人が居なくなるのがこんなにも辛いことだとは思ってもみませんでした。
 どうして、こんなことになってしまったのか……私が望んでいたのは、こんなことじゃ、なかったはずなのに。どうして……?

「クリス、さん……?」
 領主と共に夕食を取り、部屋へと戻ってきたミレニアが小さく首を傾げる。荷物をまとめ、旅装束に身を包んだクリスがきつい視線を彼女へと向けた。
「何を、してるんです……?」
「見て分からないの? この屋敷を、出てくつもりなのよ。もういいかげん、我慢の限界だわ」
 吐き捨てるような口調でそう言いながら、クリスが床の上から荷物を持ち上げ、肩に担ぐ。一回瞬きをすると、ミレニアが視線を床に落とした。
「領主様のやることを、あなたが気に入らないのは分かります。けれど……」
「領主? 確かにそれも理由の一つだけど、一番大きな理由はあなたよ。これ以上、あなたにつきあいたくないの。そこ、どいてくれる?」
 ためらうようなミレニアの言葉を遮り、厳しい口調でクリスがそう言う。はっと顔を上げたミレニアを、押しのけるようにしてクリスは廊下へと出た。彼女の肩を慌ててミレニアが掴むが、邪険に払いのけられる。ぎゅっと唇を噛んだミレニアが、視線を廊下の先、丁度こちらへと歩いてきた二人のメイドたちへと向けた。向こうでもミレニアに気付いたのか、動揺したように足を止めている。
「彼女を捕まえて!」
 ミレニアの口から、珍しく叫びが放たれた。小さく舌打ちをしてクリスが走り出す。突然の事態に二人のメイドたちが対応できず、立ちすくむ。その間をクリスが駆け抜ける寸前、ミレニアが今度はいつもと同じく感情を感じさせない静かな口調で命じた。
「捕まえて。命令です」
「くうぅっ」
 狭い廊下で、回避するスペースはほとんどない。それに、クリス自身、他人と比べて卓越した体術を身に付けているわけでもない。ミレニアの命令に弾かれるように飛びかかってきた二人のメイドに、床の上に押し倒され、捕まってしまう。
「残念です、クリスさん。さっきの言葉、取り消していただけませんか? 私も、あなたに酷いことはしたくありませんから」
 ゆっくりと、床の上に押しつけられたクリスの前に歩み寄ってミレニアがそう問いかける。無表情に自分のことを見下ろしているミレニアの顔をにらみつけ、ふんっとクリスが鼻を鳴らした。
「これ以上あなたの狂気に付き合うぐらいなら、殺された方がましよ」
「……そう、ですか。しかた、ないですね」
 床の上に放り出されたクリスの荷物の中から、ミレニアが小さな瓶を取り出す。中に満たされた液体を自分の服の袖にしみ込ませると、ミレニアは袖でクリスの口と鼻とを覆った。麻酔薬を嗅がされたクリスが僅かに目を見開き、身体を硬直させた。袖で覆われた口が何か言いたげに動くが、声にならないうちに強烈な睡魔に襲われ、クリスはそのまま眠りに落ちた。
「彼女を地下室に運んでください」
「は、はい……」
 互いに顔を見合わせ、震えながらメイドたちが眠ったクリスの身体を抱え上げる。足元にじゃれついてくるミミへと視線を向け、ミレニアは小さく溜め息をついた。

「う、うん……」
「目が、覚めましたか?」
 頭の芯に重い感覚を覚えながら、クリスがうっすらとまぶたを開ける。ミレニアの、いつもと変わらない淡々とした言葉に、クリスが唇を噛む。気が付けば全裸に剥かれ、天井の滑車で吊るされていた。両腕は万歳をするようにまとめて手首で縛られ、両足で床の上に置かれた見慣れた器具、ロバの胴体を挟み込んでいる体勢だ。今は股間とロバの背との間に隙間が有るから痛みは感じていないが、逃れようのない状況なのは確かだ。
「さっきも聞きましたけど、考え直しては貰えませんか? クリスさんに酷いことは、したくありませんから……」
「笑わせないで。この状態で、酷いことはしたくない? 心にもないことを言ってないで、さっさと始めたらどうなのよ」
 ミレニアの言葉に、クリスが不貞腐れたような開きなおったような、そんな口調で応じる。ふいっと視線を反らすと、ミレニアは壁のハンドルを回した。ゆっくりとクリスの身体が下がり、鋭角に尖ったロバの背が彼女の股間へと食い込む。ぎゅっと唇を噛み締め、きつく目を閉じて苦痛の声を押し殺すクリス。
「痛い、ですか……?」
 ゆっくりとクリスの側に近づき、細かく痙攣している太股に触れながらミレニアが問いかける。ぎりっと奥歯を一度強く噛み締めると、クリスはミレニアの顔へとぺっと唾を吐きかけた。頬の辺りに当たった唾を拭おうともせず、ミレニアがクリスの顔を見上げる。
「クリスさんも、拷問人ですから、知ってますよね。拷問に掛けられた罪人が選べるのは、屈服するか死ぬかの二つに一つです。だから……」
「死ぬのが嫌なら、あなたに服従しろっていうの!?」
 淡々としたミレニアの言葉に、クリスが叫ぶ。叫んだことで股間に激痛が走ったのか、くうぅっと苦しげな呻きを漏らすクリスのことを、ミレニアは無表情に見つめている。
「今まで通りに、してくれればいいんです。出ていく、などとは言わずに」
「嫌よ! もう、あなたとは付き合いたくないの。こんな生活続けるぐらいなら、死んだ方がましだわ」
「……このぐらいじゃ、気を変えてはくれませんか」
 ロバの側面を血が伝い始めるのを見ながら、ミレニアがそう呟く。壁の棚へと歩み寄り、壷と短剣を手に戻ってくるとミレニアは再びクリスの顔を見上げた。
「この間、聞いたんですよね。少しずつ、身体の肉を削ぎ取っていく処刑があるって。長い時間を掛けて、苦しみながら死んで行くそうですけど……クリスさん、そんな死に方、したいですか?」
「あなた好みのやり方ね。血を好み、人を嬲って喜ぶような人間ですものね、あなたは」
 苦痛のために額に油汗を浮かべながら、クリスが無理に笑いを作る。小さく首を振ると、ミレニアは壷を足元に置いた。刀身が波うつ短剣を、クリスに見せつけるようにかざす。
「これ、クリスナイフって言うんだそうです。儀礼用のものらしいんですけど、名前が気に行ったんで領主様に頼んで作ってもらったんですよね。波うった刃が傷をえぐるから、普通の剣よりもずっと苦痛は大きくなるって、そういう話なんですけど」
「ふ、ふぅん、そう」
 冷たい汗が背中を伝うのを感じながら、クリスがそう応じる。確かに、ミレニアが手にしている短剣は凶悪そうだ。視線を波うつ刃に落として僅かに沈黙すると、ミレニアはもう一度小さく首を振った。
「クリスさんに、プレゼントするつもりだったんですけど、皮肉なものですね。本当に、思い直してはくれませんか?」
「しつこいわね。殺すなら、さっさと殺しなさいよ!」
「……気が変わったら、いつでも言ってくださいね。すぐに、止めますから」
 クリスの叫びに、そう呟くとミレニアは壷に左手を差し込み、中に入っていた何枚もの木片の一つを取り出す。そこに書かれた文字に目を落とし、ぽいっとミレニアは木片を壷の中に放り込んだ。
「まずは、左足だそうです」
「うっ、うぐ、ぐっうぅっ」
 ミレニアが手にしたクリスナイフがクリスの左の太股に突き立てられる。激痛にびくんっと首をのけぞらすクリス。ぎりっぎりっとゆっくりとミレニアの手が動き、四角くクリスの太股の肉を切り取った。大きさも深さもそれほどではないが、波うつ刀身にえぐられ、傷口はぐちゃぐちゃになっている。唇をきつく噛み締め、懸命に悲鳴を殺しているクリスへと視線を向けるミレニア。
「痛い……ですよね?」
 淡々とした口調で問われ、ぎっと険悪な視線をクリスがミレニアへと向ける。その、殺気すらこもった視線を無表情に受けとめると、ミレニアは再びかがみ込んで壷から木片を取り出した。書かれた文字を読み取り、壷の中に木片を戻す。
「今度は、右腕です」
 そう言いながら、ミレニアが台の上に登り、クリスの右腕の肉をクリスナイフで浅く削ぎ落とす。ぐぐぐぐぐっと、噛み殺しきれない苦鳴を漏らすクリス。全身にはびっしょりと汗が浮かび、二つの傷からあふれた血が身体の上を伝い落ちていく。ロバによって責め立てられている股間も、鋭い痛みと共に血を流していた。
「右耳、ですね。……大丈夫、髪で隠れますから」
「お尻、です。……まだ、意地を張るんですか?」
「左胸……? それじゃ、ちょっとだけ、切りますね」
 台から降りては壷の中から木片を掴み出し、再び台に登ってそこに書かれた部位を切り取る、という行為をミレニアが淡々とくりかえす。最初は憎まれ口を叩いていたクリスだが、段々その余裕がなくなってきたのか口数が少なくなり、ぎゅっと唇を噛み締めて懸命に痛みに耐えていた。傷は決して大きくないのだが、えぐられたような形になっているせいかずきんずきんと激しい痛みを伝えてくる。
「うっ、く、う……。ぐ、うぅっ」
 全身を真っ赤に染め、クリスが苦痛に喘ぐ。無表情に彼女の顔を見上げ、ミレニアが軽く首をかしげた。
「まだ、足りませんか……?」
「ざ、残念ね。わ、私が、泣きわめいて慈悲を乞うの、期待してたんでしょ? あ、あなたの、思い通りになんか、なってあげないわ」
「別に、クリスさんを痛め付けたいわけじゃ、ないんですけど……」
 小さく呟いて首を振ると、ミレニアはまた壷の中から木片を取り出した。一応はかき混ぜているのだが、引いたのはまたも左足だ。
「また、左足……今度は、ふくらはぎにしますね。あんまり大きく切り取ると、歩けなくなっちゃうから、ちょっとだけ」
「ぐっ、ぐぐぐうぅっ」
 浅く、削ぎ取るように左のふくらはぎの肉が切り取られる。使っているのが刃の波うったクリスナイフだから、削ぎ取った傷口も滑らかにはならない。びくびくっと、ロバの上で身体を震わせ、噛み殺しきれない悲鳴をあげるクリス。その口元から、つうっと血が滴った。
「唇、破れちゃいましたか? それとも、舌を、噛んだんですか?」
「そ、そうね。あなたを悔しがらせることができるなら、舌を噛んで死ぬのもいいかもね」
 びっしょりとかいた油汗と、根本から切り取られた右耳からの流血で顔をまだらに染めたクリスが、半分やけになったような笑いを漏らす。軽く首をかしげて、ミレニアが独り言のように呟いた。
「自殺した人は、天国には行けないんですよね。ずっと、煉獄で苦しむって。私も、きっと煉獄に落ちるでしょうから、ずっと一緒にいられますね、そうなったら」
 ほんの僅かに唇を綻ばせてそう呟くと、ミレニアが再び壷から木片を取り出す。ふっふっふっと、切れ切れの息を吐くクリスの身体に、再び刃が突き立てられた。身をよじり、懸命に悲鳴を噛み殺すクリスの裸身を、更に鮮血が彩っていく。何度も、何度もそんなことが繰り返された。
「あ……。右目、引いちゃい、ました。クリスさん、どうします? 漬れた目は、二度と元には戻りませんよ?」
 十数枚目の木片を引いたミレニアが、そう呟く。既に全身のほとんどを朱に染めたクリスが、苦痛に喘ぎながらもまだ強い意志を失ってはいない視線をミレニアに向けた。
「いつまで、そんな茶番、続けるつもりよ。最初から、私を助ける気なんか、ないくせに……! 喜ばせておいてから絶望のどん底に突き落とす。悪魔の常套手段よね」
「……悪魔、ですか」
 ふっと口元に笑みを浮かべると、ミレニアが台の上に登る。左手でクリスの顔を掴むと、親指と人差し指とでまぶたを押し開き、ゆっくりと右手の短剣を彼女の眼球へと近づけていった。覚悟は決めてあるのか、微かに唇を震わせながらもクリスはじっと近づいてくる切っ先を見つめている。
「ア、アアアーーッ!」
 つぷり、と、切っ先が眼球に突き刺さり、クリスの口から悲鳴があふれ出す。ぐりっと一回えぐると、ミレニアはいったん腕を引いた。左手で押さえていたまぶたを離し、閉ざされた右目を縦に縫うようにもう一度刃を振るう。流石に堪えきれず、顔を振って悲鳴を上げるクリス。
「クリスさんまで、そんなことを言うんですか……?」
 無表情に戻り、独り言のようにミレニアがそう呟く。と、今まで床の上にうずくまっていたミミが不意にごほごほっと咳込んだ。ふっと視線を動かしたミレニアに見つめられながら、大きく身体を震わせて更に数度ミミが咳込む。べちゃっと、ドス黒い血の塊が石の床の上に吐き出された。
「ミミちゃん……?」
 台から降り、ミミの元へとミレニアが歩み寄る。ごろんと横になり、腹を大きく波打たせながら更に血を吐くミミ。床に膝をつき、ミレニアはミミの頭を抱え上げた。ごふっ、ごふっと咳込みながらミミがミレニアの服へと黒い血を吐く。涙のにじんだミミの目がきょろきょろと動き、やがてミレニアの顔に止まる。
「や、やだっ、来ないで……!」
「え……?」
 いつも犬のような鳴き声を上げていたミミがはっきりとした言葉をしゃべった事、そして、その内容が明確な拒絶だったことにミレニアが虚を突かれたように小さく声を上げる。切断された手足を突っ張り、ミレニアの膝の上からごろんと転がり落ちると咳込みながらなおも血を吐くミミ。しかし、ミレニアが手を伸ばすとばしっと腕を振って振り払う。
「ミミを、殺すんでしょっ!? やだっ、来ないでっ、人殺しっ!」
「ミミ、ちゃん……」
「お母さん……痛いよ……苦しいよ……助けて……」
 うわごとのようにミミがそう呟き、身体を震わせる。微かに腕が上がり、かくんと床に落ちるとそのまま動かなくなった。じっと動かなくなったミミの事を見つめているミレニアの耳に、クリスの小さな笑い声が届く。
「クリスさん?」
「おかしくなってたのが、死ぬまぎわの最後の瞬間に、正気に戻ったみたいね。当然でしょ? あなたの事を好きになる人なんて、いるはず、ないものね」
 苦痛に喘ぎながらも、クリスが痛烈な台詞を放つ。無表情に彼女の顔を見つめ返すと、ゆっくりとミレニアは立ち上がった。無言のままでクリスの元へと歩み寄り、台に登って視線の高さをそろえる。
「……あなたも、私の事、嫌いなんですか?」
「当然でしょ!? 今更、何を言ってるの……あぐぁっ」
 クリスの言葉が、途中で悲鳴に変わる。ミレニアが右手の短剣をクリスの左の乳房に突き立てたのだ。既に横の辺りを少しえぐられていた乳房を、鋸でも使うように歯を動かしながら今度は根元から切り離していく。
「あっ、ぎっ、あぁっ。ぎぎっ、ひっ、ぎゃああぁっ」
「拷問人のクリスさんでも、自分が拷問されれば悲鳴を上げるんですね」
 半分ほど乳房を切り裂き、ミレニアがそう呟く。激痛に喘ぐばかりで答えられない彼女の頬へと左手を伸ばし、そこを伝う鮮血をつうっと拭って口元に運ぶ。更に、血まみれのクリスに身体を擦り寄せるようにして短剣を握ったままの右手の指でクリスの乳房の傷をぐりぐりとえぐる。
「あぎゃっ、ぎゃっ、ぎひぃっ。あガっ、ご、殺し、なさいよっ。早くっ」
「殺しませんよ。うふふっ、だって、ミミちゃんは死んでしまいましたもの。せめて、クリスさんにはずっと私の側に居て欲しいんですから。
 ね、ほら、痛いでしょう? 魔女狩りで捕らえられた人は、どうあがいても死ぬしかありませんけど、クリスさんは一言『ずっとここにいる』って言うだけで生命が助かるんですよ? ね、誓ってくださいよ、クリスさん。そう言って欲しいからこそ、わざわざこんな非道なまねもしてるんですから」
 ふふっ、うふふっと、珍しく声に出して笑いながら、ミレニアが容赦なくクリスの乳房の傷をえぐる。半分切れ込みが入った状態の乳房をいじられ、びくんびくんと身体を痙攣させてクリスが悲鳴を上げた。
「イヤッ、嫌よっ! あなたに従うぐらいなら、死んだ方がましだって……ギイイィッ!」
「強情ですね、クリスさん。でも、あなただって知ってるでしょう? 最初は強情を張っていた人間も、拷問が進むにつれて無様に泣きわめき、やがては許しを乞う事になるって。今までに、何人もそんな人間を見てきてるんですから、あなたは」
 どこか酔ったような口調でそう言いながら、ミレニアがゆっくりとクリスの乳房を引き千切っていく。さして力のないミレニアではあるが、半分切れ込みが入った乳房はその程度の力にも耐えられない。ゆっくりとではあるが、徐々に、確実に裂けていく。
「ギギギギギッ、ギイィッ! アガッ、ガッ、ギャアアアアァッ!」
 激痛に大きく目を見開き、激しく首を振り立てるクリス。ついに、べりっと乳房が引き剥がされた。がっくりとうなだれ、半開きの口からよだれを滴らすクリスの前髪を掴んで強引にあおむかせると、ミレニアが声を立てて笑う。
「取れちゃいましたね」
「ひ、ぎ……殺し、なさいよ……」
 激痛に朦朧としながらも、クリスがそう呟く。右手に握った乳房だった塊をべちゃりと床に落とし、つうっとクリスの唇を指でなぞるミレニア。
「うふふっ、さすがはクリスさん。まだ、強情が張れるんですね」
「あっがっ。ぐ、うぅっ。くあっ」
 無残な左胸の傷に爪を立て、クリスの口から悲鳴をあふれさせながらミレニアが小さく笑う。
「こんな事になるなら、領主様もお呼びするべきでしたね。クリスさんを、見せ物にはしたくないから呼ばなかったんですけれど」
 くすくすと笑いながらそう呟くと、ミレニアが台から降りて壷の中から木片を取り出す。
「今度は、左腕ですか。さ、クリスさん。続けますよ。早く、気を変えてくださいね」
「う、あ、ああああーーっ!」
 左腕の肉を削がれる、クリスの悲痛な悲鳴が響き渡る。床の上に肉片が落ち、べちゃっと湿った音を立てた。床の上に、血溜りが広がる。
 左腕の肉を削ぎ取ったミレニアが、くすくすと笑いながら次の木片を壷の中から取り出した……。

「ふふっ、うふふふふっ。あははははっ」
 どこか乾いた笑いを漏らしながら、ミレニアが背中を石壁に預ける。そのまま笑いながらずるずるとその場にへたりこむようにして座り込むと、ミレニアは血まみれの左手で自分の顔を押さえた。からん、と、音を立てて彼女の右手からナイフが床の上に落ちる。
「本当に、強情なんですから……。私が、やりたくてこんなこと、したって思ってたんですか? 領主様があなたを手放すはずがないんですよ。逃げようとすれば殺される。だから、せっかく、痛い目にあわされたからしかたないって、あなたが思えるようにしてあげたのに」
 ぽとり、と、服の上に透明なしずくが落ちる。ぎゅっと、左手で自分の前髪を掴みながらミレニアが肩を揺らす。
「私のこと、嫌いでも、軽蔑してもかまわなかったのに……生きていて、欲しかったのに」
 ミレニアの呟きに、答えるものはない。床の上に転がったミミは既に冷たくなっているし、ロバの上のクリスも、全身をズタズタにされて息絶えている。顔に濃く苦悶の色を刻み込んだクリスの姿は、無残としかいいようのない状態だ。あちこちの傷から内臓がはみ出し、頬の肉も切り取られて歯茎が露出している。両胸もなくなり、腕や足も所々で骨が露出していた。
 しばらく、顔を覆ってうなだれていたミレニアが、ゆっくりと立ち上がった。その時にはもう、いつもと同じ無表情に戻っている。べったりと血に濡れた顔の中で、頬の辺りに僅かに奇麗になっている部分があるのが彼女が泣いていた唯一の形跡だ。
「これで、また、一人ですね……」
 小さくそう呟くと、振り返ることなくミレニアはその場を後にした……。
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