そう言えば、今日は、私がこのお屋敷にくる前からいた側室の人が、私を訪ねてきました。奇麗な宝石がたくさん付いた高価そうなネックレスを頂いたんですけど……正直、困っています。最近ではどういうわけかそういうプレゼントを持ってくる人って多くて、そろそろ宝石箱が一杯なんですよね。確かに宝石は奇麗だとは思いますけど、そんなに積極的に欲しいというわけでもありませんし。
 もっとも、だからといって受け取らないのも失礼ですから、きちんとお礼を言って受け取りはしましたけど、ただでさえ感情を見せるのが苦手な私のことですから、きっと何の興味も引かれなかったような顔をしていたんだと思います。相手の人が、明らかに落胆の色を浮かべていましたから。落胆以外にも、恐怖とか怯えとかが混じっていたような気もするんですけど、それはきっと私の考えすぎですね。嘘でもいいから、ああいう時にはちゃんと喜んでみせるべきなんでしょうけど……本当に、不器用な自分のことが嫌になります。
  ああ、でも、あれは何のつもりだったんでしょうか? お話をしている時、うっかり自分の靴に飲んでいたジュースをこぼしてしまったんですけど……。慌ててハンカチを取りだそうとする相手の人に、ハンカチなんか使わなくてもいいですよって言ったら、彼女、凄くびっくりしたような表情を浮かべて。その後、いきなり椅子から降りて床の上にひざまずくと、私の靴を舌で舐め始めたんです。突然のことで反応できないでいると、何かの遊びだと勘違いしたのかミミちゃんまで反対の靴を舐め始めてしまって……。あれには本当に驚かされました。本当に、何のつもりだったんでしょうね?
(ミレニアの日記より抜粋)

 あまり上等とは言えない、質素な造りの部屋で二人の女性が向かいあっている。一人は、金糸で縫い取りの為された絹のドレスをまとった二十代半ばほどの女性、もう一人は所々が黒ずんだメイド服を身に付けた十代半ばの少女である。常識的に考えれば、貴婦人と使用人、といったところだろう。
 だが--粗末などこででも売ってそうなものとはいえ--椅子に腰掛けているのはメイド服の少女の方であり、無表情に自分のことを見つめている少女のことを、立ったまま緊張にこわばった笑みを浮かべて見返しているのはドレス姿の女性の方だ。それが、二人の身分の上下を端的に示していた。
 椅子の側にはベットが置かれており、そこには一人の少女が眠っている。同じ部屋で呼吸をするのも汚らわしい下賎な拷問人の少女だ。更にはメイド姿の少女の左手には紐が握られており、その紐は床の上でうずくまっている十歳そこそこの幼女の首輪へと繋がれている。拷問人と寝起きを共にし、幼女の手足を切断して犬のように飼うという神経が女性には信じられない。
「何か、御用ですか?」
 そっけない、感情を感じさせない口調でメイド姿の少女--ミレニアがそう問いかける。はっ、はいっと少々声を裏返らせて女性がその問いに応じた。
「奥方様に、これを差し上げようと思いまして……どうか、お収めください」
 精緻な彫刻の為された金の台座の中央に大振りのサファイアをあしらい、その周囲に小振りのダイヤを散らしたいかにも高価そうなネックレスを差し出し、女性が震える声でそう言う。ちらりと視線を女性の手の中で蝋燭の明かりを反射してきらめいているネックレスへと向け、ミレニアが小さく溜め息をつく。感嘆したというよりは、やれやれ、とでもいいたげな気のない溜め息だ。表情を引きつらせる女性へと向け、すっとミレニアが右手をさしだした。
「わざわざ、どうも」
「はっ、はいっ。ありがとうございますっ」
 受け取ったネックレスを傍らのテーブルの上に無造作に転がすと、同じテーブルの上に置かれていたグラスを手に取り、ミレニアがジュースを注ぐ。緊張したように立っている女性へとちらりと視線を向けると、ミレニアは部屋の隅に置かれていたもう一脚の椅子を視線で差し示した。
「座ったら、どうです?」
「は、はい……。し、失礼します」
 どこかぎくしゃくとした動作で壁際から椅子を持ってくると、女性が腰をおろす。決して上等とはいえない椅子が、ぎしっと軋んだ音を立てた。
「……高価な、ものなんですか?」
「えっ!? は、はいっ、もちろんです。領主様より頂いたものですが、私のような者が持つよりは奥方様が身に付けられるべきものかと思いまして……」
「そう、ですか……」
 唐突なミレニアの問いに、一瞬意表を突かれたように声を上げた女性が、慌ててそう説明する。明らかに追従するような響きを込めた女性の台詞を、聞き流すようにしながらミレニアが視線を再びテーブルの上のネックレスへと向けた。その拍子にグラスが傾き、中に満たされていたジュースがこぼれて彼女の靴を濡らした。
「あら」
 小さく声を上げ、僅かに靴を上げるミレニア。自分の方へと上げられた靴を見て、慌てて女性がドレスを探ってハンカチを取りだそうとする。
「い、今、お拭きしますね」
「いえ、ハンカチは、いりません」
 淡々とした口調でミレニアが女性の言葉と動きを遮る。えっと顔を上げた女性は、正面から無表情にミレニアに見つめられ、身体を震わせた。相変わらず床から少し浮かされたままのミレニアの靴と顔との間を交互にせわしなく数度視線を往復させ、女性が唇を震わせる。錯覚かもしれないが、促すようにミレニアの足が更に軽く浮かされたような気がした。
「わ、分かりました……」
 椅子から立ちあがり、床にひざまずくと女性はミレニアのジュースで濡れた靴を手で包み込んだ。屈辱に唇をわなわなと震わせながら、ゆっくりと靴へと顔を近づけていく。唇が靴に触れる寸前まで近づいたところで彼女はちらりとミレニアの顔を見上げたが、彼女は相変わらず無表情に自分のことを見下ろしているだけだ。
 ぎゅっと、一度強く下唇を噛み締めると、女性は口を開いて舌を突き出した。小刻みに身体を震わせながら、年下の少女の靴へと舌を這わせる。ざらりとした感触に、ひどい屈辱感と嘔吐感を覚えながら、彼女は丹念に靴を濡らすジュースを舌で舐め取り始めた。
(私が……っ、私が、こんな小娘の靴を……っ)
 目の前が暗くなるほどの屈辱を感じながらも、女性は舌を動かし、ミレニアの靴を舐めつづけた。彼女の機嫌を損ねたが故に何人もの人間が惨殺されたという噂だ。今も、(長く使われていなかった)地下牢には彼女の機嫌を損ねた人間が幽閉され、拷問を受けているという。自分がそんな目にあうのは絶対に嫌だった。
「くぅん? きゃはっ」
 子犬のような声を上げ、四つんばいの幼女が女性の舐めているのとは反対の靴に顔を近づける。楽しそうにぺろぺろと靴を舐め始めた幼女のことを忌ま忌ましげに横目で見やり、女性はちらりと視線を上げた。相変わらず何の表情も浮かべずにいるミレニアの顔を見て、ぞくっと背筋に寒気が走る。慌てて視線を下げると、女性は前にも増す勢いでミレニアの靴へと舌を這わせた。犬同然の扱いをされている幼女と同じ行為をしているということに、ひどい屈辱を感じていたのはついさっきまでの話だ。ミレニアの顔を見た瞬間に心の奥底から恐怖が沸きあがってきて、屈辱感をあっさりと塗り潰してしまった。
 それは、明らかに自分とは異質なものに対する恐怖。もしも自分が彼女と同じことを誰かにさせたとすれば、きっと自分は楽しげな笑いを口元に浮かべるだろう。自分だけではない。おそらく、どんな人間でもそうするはずだ。なのに……なのに、目の前の少女は笑うどころか何の表情も浮かべてはいない。
 どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。客観的にはそれほど長い時間ではなかったはずだが、女性の主観としては相当に長く感じられた時間が過ぎた頃になって、ベットに寝かされていた拷問人の少女がんっと小さく声を上げる。そちらへとミレニアが視線を向け、同時に浮かせていた足を降ろした。手を踏まれそうになった女性が慌てて手を引っ込め、顔を上げる。
「あ……な、長々と、お邪魔いたしました。この辺で、失礼させてもらってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
 恐る恐るといった感じで問いかけた女性へと、視線を向けることもせずにそっけなくミレニアが応じる。無視されたも同然の対応に怒るよりも先に、彼女の視線が向けられなかったことにほっとしつつ女性が立ちあがる。床にひざまずいたせいで乱れたドレスの裾を直す間も惜しむように、頭を下げると逃げるように女性は部屋から出ていった……。
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