実際、家族が倒れたとかでお屋敷から宝石とかを盗もうとした人も、いたぐらいですから。本人に頼まれたから、しかたなく殺しましたけど……本当は、助けてあげたかったんですけどね。それは、もちろん、連れて帰っても領主様が殺すと決めたらそれまでですし、きっと酷いことをされたでしょうから彼女が楽に死なせてくれと言うのも分かるんですけど。
(ミレニアの日記より抜粋)

 中天に浮かぶ満月の光が、雪に覆われた地上を明るく照らしている。その月光を浴びながら、白い息を吐き、庭の片隅にバルボアが大きな穴を掘っていた。傍らには、かっと目を見開いたままの少女の全裸の死体が転がされている。
「すいません。こんな、夜中なのに」
「仕事だ」
 さくさくと、積もった雪を踏み分ける音と、それに続いた少女の声にバルボアが振り返りもせずに穴を掘りながらそう答える。十分な深さになったと判断したのか、スコップを傍らに置くとバルボアが無造作に少女の死体を抱え上げ、穴の底に放り込んだ。再びスコップを手に取ると、雪と混じって汚れた土をどさどさと放り込んでいく。
「一応、心が痛むのか? お前でも、妹を殺せば」
 穴を埋めながら、バルボアがぼそぼそとそう問いかける。背後に立つ少女、ミレニアが僅かに沈黙した。
「愚問だったか。そんな、人間らしい感情など、あるはずもないか」
「領主様の、命令ですから。しかたありません」
 淡々とした、感情のこもらない口調でミレニアがそう応じる。ふんっと鼻を鳴らすと、バルボアはパンパンっとスコップで叩いて盛り上がった土を固めた。
「領主様の命令なら、肉親であっても容赦なしか。まともじゃないな」
「……出来れば、死んで欲しくは、なかったんですけどね」
 土を盛っただけの簡素な墓へと、進み出たミレニアが花を添える。もう一度鼻を鳴らすと、バルボアはスコップを担いで屋敷の方へと歩き出した。
「今夜は、冷える。さっさと部屋に戻ったらどうだ?」
「ええ。もう少し、したら行きます」
 ミレニアの言葉に、そうか、とだけ答えてバルボアが去っていく。しばらく、その場にじっとたたずんでいたミレニアが、屋敷に戻ろうときびすを返しかけて僅かに眉をひそめた。ちらり、と、視界の隅で人影が動いたような気がしたのだ。
 軽く首を傾げながら、ミレニアがそちらへと足を向ける。満月の光で雪の上に残された足跡を見つけ、ミレニアは僅かに考え込むようなそぶりを見せた。屋敷を囲む壁の一部が崩れ、修繕されずに放っておかれている部分が有るのだが、足跡はそこから外へと向かっていた。街と屋敷の間に広がる森を、一直線に抜けるコースだ。屋敷と街とを結ぶ整備された道はもちろん存在する。ただし、大きく湾曲しているのだが。この足跡の持ち主は、森の中を抜けて一直線に街に向かうつもりらしい。
「メイドの、服だったようだけど……」
 小さくそう呟くと、ミレニアは足跡をたどって歩き始めた。

 森に入ると、満月の光も遮られて乏しくなり、相当に暗い。元々、昼間でも鬱蒼としているのだ。ミレニアは人よりもかなり夜目が効く方だが、それでも少し離れると闇に沈んで何があるやら見当もつかない。ただ、そんな状況でもミレニアの足取りには淀みがなかった。雪を踏み分け、足跡を追っていく。
 さほど行かないうちに、ミレニアが足を止めた。微かな呻き声と、既に嗅ぎ慣れてしまった血の臭いがする。少し様子をうかがうように足を止めていたミレニアだが、軽く頭をふると声のする方へと足を進めた。
「大丈夫、ですか?」
 雪の上に倒れ込んでいる少女の姿を認め、ミレニアがそう問いかける。丁度、頭上の木々の間が大きく開いており、満月の光が強く差し込んでいた。丸く切り取られたように明るくなった雪の上に、右足から血を流した少女が転がっている。雪の重みで折れ、尖った先端を空へと向けたまま雪に埋もれた若木を、踏みぬいてしまったらしい。どくどくとあふれる血が、傷を覆った両手の間からこぼれて雪を赤く染めている。
「ひっ!? あ、あなた、は……!」
 ミレニアの顔を見て、少女が悲鳴を上げる。側に転がった袋の口から、数枚の銀貨がこぼれ落ちて雪の上に散乱していた。銀貨以外にも、小振りの宝石や銀の燭台、ナイフなどが袋から顔を覗かせている。そちらへとちらりと視線を向け、ミレニアが無表情に呟いた。
「盗んだん、ですか?」
「そ、そうよっ。しかたなかったの! 両親が病気で倒れたって報せが来て、でも、領主様は一年の期限が切れるまでは帰っちゃ駄目だって、帰らせてくれないんですもの。だ、だから、私は……!」
 ミレニアの言葉に、やけになったように少女が叫ぶ。何の感情も表情に見せず、ミレニアは少女の顔をじっと見つめた。
「そう、ですか。でも、盗みは、罪です」
「こ、殺すの!? わ、私を、殺すつもりなのね!? そうでしょう!?」
 怯えたようにそう叫ぶ、少女。軽く首を傾げて、ミレニアが血を流す少女の足へと視線を動かす。
「見逃しても、その足では動けないから凍死すると思いますけど。私一人じゃ運べませんから、誰か、呼んできますね」
「ま、待って! 領主様に拷問されるのは、嫌っ。お願い、せめて、一思いに殺してっ」
 きびすを返しかけたミレニアへと、顔を真っ青にして少女がそう叫ぶ。屋敷に仕える前から領主が残酷な人間であるとは聞かされていたが、最近では話に聞いた以上だ。何日も、時には何週間も掛けて様々な苦痛を与え、無残に殺す。そんな例を、何度も耳にしている。
「……殺して、欲しいんですか?」
 背中を向けたまま、淡々とした口調でミレニアがそう問いかけてくる。こくこくと頷き、それから頷いたところで背を向けている相手には意味がないと気付いて声に出して哀願する。
「お、お願い、酷いことは、しないで。一思いに、楽にして」
「……分かり、ました」
 振り返ったミレニアが、転がった袋から銀のナイフを手に取る。怯えて震える少女の上に馬乗りになると、ためらいなく喉に当てたナイフを動かした。頚動脈と気管が切り裂かれ、大きく目を見開いた少女がぱくぱくと口を動かす。吹き出す鮮血を避けようともせず、ミレニアはじっと少女の断末魔を見守っていた。びくっびくっという痙攣が少しの間続き、すぐに少女の瞳から光が消える。
「クリスさんに、教わったこと、役に立ちましたね……」
 ぽとり、と、足元にナイフを落としながらミレニアがそう呟く。血にまみれた己の両手を無表情に眺め、ミレニアは小さく首を振った。
「苦痛の生と、安楽の死、どちらが幸せかは、本人が決めることですけどね……」
 物言わぬ物体と化した少女へと背を向け、小さくそう呟くとミレニアは屋敷へと戻っていった……。
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