「邪魔するよ」
 粗末な木の扉をノックしながら、一人の男が土間へと顔を覗かせる。まぁと驚いたような表情を榊屋の女将が浮かべた。
「小次郎の旦那じゃありませんか。まぁまぁ、おっしゃってくださればお迎えに上がりましたものを」
「なぁに、勝手に上がり込んだのはこっちの方さ。武蔵の奴がまた馬鹿な事をしでかしたと聞いてね、見にきたんだ」
 軽く肩をすくめながらそう言うと、小次郎は皮肉げな視線を吊られている遊女、武蔵へと向けた。
「これで五回目、だったかな? いい加減諦めちまえばいいものを」
「ふん。たとえ殺されたってあんたのものに何かならないわよ」
 ふいっと顔を背ける武蔵。その言葉に小次郎は苦笑しただけだが、女将のほうは顔を真っ赤にした。
「武蔵! 馬鹿な子だね。せっかく小次郎の旦那がお前のこと身請けしてくれるっておっしゃってるのに、ろくでもない男と足抜けばかりしようとして……」
「あたしはねぇ、こいつのことが大っ嫌いなのさ。こんな奴のものになるぐらいなら、死んだほうがましってもんよ」
「こ、この子は……!」
「ま、まぁまぁ、女将。俺も気の短い男じゃないんでね、のんびり武蔵がなびいてくれるのを待ってるさ。それより、早いとこ『仕置』を見せてくれないか?」
 小次郎の言葉に、女将が慌てたように頷いた。
「は、はい。おい、お前たち!」
 女将の言葉に、のっそりと二人の大男が動き始める。一人はまず、武蔵を吊していた縄の端をほどいて武蔵の足を地面につけた。もっとも、両手は万歳をした形のままになるように調整して再び縄の端は柱に結び付けられる。
 もう一人は棚から一本の縄を取り出し、別の柱へとその端を結わい付けた。そのまま縄を持ってくると、武蔵の腹の辺りに二重に巻き付ける。何をされるのかは分かっているらしく、やや青ざめた表情で武蔵は唇を噛み締めていた。
「おーい、武蔵。分かってるとは思うが……」
「あ、あんたのものになるぐらいなら、死んだほうがましって何度も……むぐぅ」
 一旦梁に通された縄の端を、二人の大男がぐいっと力任せに引っ張る。腹に溜まっていた空気を一気に押し出され、悲鳴とも音ともつかないくぐもったものが武蔵の口から漏れた。さらにぐいっと大男達が体重をかけて引っ張ると、元から細い武蔵の腹の辺りが縄に締め付けられ、ますます細くなる。
「う~~、ああぁ~~」
 くぐもった呻きをあげて武蔵が顔をのけ反らせる。額に浮かんだ汗の球が蝋燭の光を反射してキラキラと光った。顎に手を当て、戸口にもたれかかって小次郎がそれを眺めている。
「うーん、やっぱり武蔵は苦しんでる顔が一番綺麗だよなぁ」
「こ、この、変態……うあぁあぁぁ」
 気丈に言い返した武蔵が、悲鳴を上げる。ぐいぐいと遠慮なく引かれる縄のせいで、既に彼女の腹は普段の半分ほどの細さになっていた。圧迫された内臓が上下に移動し、痛いのはもちろん、肺や横隔膜が圧迫されて上手く息ができなくなる。
「か、はっ……は、ぁ、ぐ……ああぁっ!」
 息をする度に、喉と胸が激しく痛む。痛みを紛らわそうというのか、激しく頭を振るせいで髪がほつれ、汗で塗れた顔に張り付いて何ともいえない妖艶な雰囲気を作り出す。
「あ、はっ……は、ぐ……ぐぅっ」
 ぐんっと、縄の端が引かれ、口から舌を飛び出させて武蔵が呻く。大きく見開かれた目も、苦痛のあまり焦点が鈍りかけている。
「が、ぐ……ぐえっ」
 人間の悲鳴というより、蛙が押し潰されるときの声といったほうが近いようなそんな音が、武蔵が呼吸する度に彼女の口から漏れる。半ばほつれた髪をぐいとばかりに掴むと、女将は彼女の顔を小次郎の方に向けた。
「ほら、お言い。どうか私を身請けして下さいってね!」
「げ、う……い、や、だ、ってぇぇぇぇぇぇ!」
 更に縄が引かれ、語尾が悲鳴に変わる。既に彼女の腹の辺りの太さは普段の三分の一以下だ。胃や腸といった内臓の中の空気も押し出され、肉と肉とがくっついた状態になっていることになる。
「おいおい、女将。頼むから殺さないでくれよ」
「分かってますよ、旦那。こっちだって商売ですからね。この子にはまだまだ稼いでもらわなくちゃならないんだ。この瓢箪責めだって、受けてる間は地獄ですがね、縄さえほどいちまえば身体には傷一つ残りゃしないんですから」
 グイグイと髪を引っ張って武蔵の頭を振りつつ、女将がそう言う。瞳に涙を浮かべながらも武蔵はきっと小次郎のことを睨み付けた。僅かに気押されて小次郎が一歩あとずさる。
「何だい、その目は! ほら、もっと力を入れて!」
 既に顔を真っ赤にして縄を引っ張っている大男達に、女将が叱咤の声を飛ばす。一瞬顔を見合わせた大男達が、全体重と渾身の力を込めて縄を引いた。瞬間的にだが、更に武蔵の腹が細くくびれる。
「! が! はっ! あぐぐぐぐぅぅぅぅ」
 ビクビクっと数度身体を痙攣させ、武蔵が失神する。ふんと小さく鼻を鳴らすと女将は掴んでいた武蔵の髪を放した。同時に大男たちが手を離し、武蔵の腹のくびれが元の太さに戻る。がっくりと首を垂れたまま細く息をしている武蔵の顔を覗き込むと女将はくるりと小次郎のほうを振り返った。もちろんその時には、満面の笑みを浮かべている。
「さて、旦那。今日はどうなさいます? 生憎と今日はこの子をお座敷にあげるわけには参りませんが……」
「あ、ああ。いや、今日は最初から武蔵の仕置を見に来ただけだからな。これで引き上げるとするよ。そうそう、これは見物料だ」
 ぽんと紙で包んだ金を放ると小次郎はそう言った。空中でそれを受け止めつつ女将が卑屈な笑いを浮かべる。
「毎度。ああ、旦那。毎回毎回うるさいようですけど……」
「わかってるよ。ここで見たことは他言無用、だろ? いいふらしゃしないさ」
「へへっ、すいませんねぇ。いくら岡場所が治外法権って言っても、限度がありますんで。奉行所に知られるとちょいとばかしうるさいんでね」
「ま、その時にはこっちでも何とか話をつけてやるさ。邪魔したね、また来るよ」
 最後に気絶したまま吊られている武蔵に視線を向けると、小次郎はそう言った。
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All writen by 香月