ここでは小説での描写でちょっとコメントを付けておいた方がいいと思われるものについて書いてみます。それぞれの小説を読む上ではそれほど気にしなくてもいいようなことばかりですが、深く考察する時には役に立つと思います。
拷訊(お滝)
正確には、奉行所で行う訊問の際に加えられるものが拷訊、伝馬町の牢屋敷で行なわれるのが拷問というふうに江戸時代では区別されます。もっとも、時代背景を考えると、まだこの時期にはこの両者の区別はそれほど明確ではありませんが。
先を細く裂いた竹の鞭
(お冬)
割り竹とも呼ばれるもので、後に公式に拷問器具として採用された箒尻の原形にあたる。本編では非常に痛いように大神が言っているが、むしろ派手な音を立てて儀牲者の心をくじくのが主目的の器具である。
もちろん、力まかせに叩かれればそれなりに痛い。
海水に硫黄を加えたもの
(お冬)
元々は、火山の火口付近で煮えたぎっている硫黄を身体に掛けるという拷問です。ただ、普通にそれをやると全身火傷で一瞬のうちに死に至るため、このように海水と硫黄の溶液を沸かし、それを柄杓で少しづつかけるという拷問に変化しました。
西洋でも、硫黄を染み込ませた羽毛に火を付けて投げつける拷問が行われており、硫黄は結構頻繁に拷問の際に利用されたようです。
間違いなく死んでいただろう
(心太)
実際の拷問の際には、必ず専門の医師が同席します。特にきつい拷問の場合やりすぎると「責め殺してしまう」危険性があるためですが、海老責めの場合はその限界点の見極めが難しく、途中で死んでしまう事故もよくあったようです。
魔女狩りの場合、自白を得られずに責め殺してしまった場合は拷問吏の罪とされ、死刑になることもありました。しかし、日本の場合は単なる事故扱いとなり、誰かが責任をとらされるということはまずありませんでした。
やや前かがみになるように
(心太)
これは、石によって胸が圧迫され、窒息するのを防ぐためです。石抱き責めも海老責めと並んで危険な拷問で、やはりちょっとした判断ミスが儀牲者を死にいたらしめてしまいます。
なお、この後の采女の台詞にある「五枚積まれてなお耐えた者」は実在します。しかし、彼の場合は「自白は取れなかったが、状況からみて犯人に間違いない」と奉行の判断が下され、死刑になってしまいました。彼のような「拷問に耐え抜いたが死刑になった」者は記録に残っているだけで五人います。
慌てて竹鞭を手にした
(心太)
現実には、石抱き責めの間に鞭打ち等の他の拷問が加えられることはありませんでした。拷問の目的はあくまでも自白を得ることや改宗させることで、殺してしまっては意味がないからです。
ただ、日本のキリシタン弾圧の際にはかなり苛烈なことが平気で行なわれていたという事実もあるので、ここはあえて無茶な拷問を行なっています。
お衣の魂が・・・最中だった。
(お衣)
通常、拷問と拷問の間には体力回復のための期間が設けられます。彼女のように三日続けて、しかもこれだけ苛烈な拷問を受けることはまずありません。
やはり心太の時と同じく、あえて無茶な拷問を行なっています。
自ら名乗りでた者たちだ
(悪夢の始まり)
長崎を中心に行なわれたキリシタン狩りでは、自分から名乗りでるキリシタンは珍しいものではありませんでした。中には一度改宗しながら、やはりキリシタンでいたいと再度の改宗を奉行所に願い出て、そのまま処刑された者もいます。
まだお唯の生命の火は消えていなかった。
(悪夢の始まり)
鋸引きのやり方には大きく分けて頭の方から切る、腹の辺りで上下に切断する、そしてここでやっているように逆さに吊って股から切るの三つがありますが、一番苦しいとされているのがこの逆さに切る方法です。
この体勢で切断していく場合、胸の辺りまで刃がこないと死ねず、犠牲者は内臓をずたずたにされる痛みを意識がはっきりとしたままで味わい続けるといわれています。
水磔
(水の地獄)
これは、実際には東京湾(当時は江戸前ですが・・・)で行なわれた拷問です。時代もかなり下っており、時代考証としてはおかしいのですがここで採用しました。仕組みや効果は本文の通りです。老人や子供も犠牲になったというのも、史実に基づいています。
いずれは死体が腐敗し、更に状況を悪化させる
(水の地獄)
時代は下って明治になりますが、キリシタンの弾圧として行なわれた拷問の一つに狭い部屋に大量の人間を詰め込むというものがあります。常に他の人間に圧迫され、座るどころか足が宙に浮いてしまうことも珍しくない状態で何日も放置されると次々に死者が出るのは避けられません。それでもその死体を始末することなく放っておくため、死体は腐敗し、そこから発生した蛆がそばの人間にとりついて腹を食い破るといった悲惨な状態も生まれました。
大きな水槽
(水の地獄)
一体、いくらするのか見当もつかない代物です(笑)。これに関しては、時代考証を完全に無視して見栄えを優先しました。
考証をしっかりするならば、酒樽あたりが適当ではないかと思います。
人間を冷水に漬けると・・・書物で読んだことがある
(水の地獄)
ナチス・ドイツの行なった実験の一つにこれと同じものがあります。それが元ネタになっていますが、遥か先の時代の実験を何故彼が知っていたのかは私にも分かりません<^^;
炎に包まれて息絶えていくキリシタンもいる。
(あまたの生け贄)
キリシタンを集団で火刑に処したというのは実際にもあります。その時は柱に縛りつける形だったのですが、炎で縛っていた縄が焼き切れ、自由を取り戻しながらも炎の中に留まっていた人間は本当にいたそうです。
鞭打ちの用の柱
(ある旅人の手記)
当時のヨーロッパの街には、広場には必ずといっていいほど晒し台と鞭打ち柱が設置されていました。また、アメリカの例ですが、これらの設備を欠いているという理由で州から罰金刑を課せられた街もいくつか記録に残っています。
この時代の拷問/刑罰というのは多分に宗教的・社会的な意味を持っており、また民衆の娯楽としての側面も持ち合わせていました。
大きなハンマー
(ある旅人の手記)
初期の車刑ではハンマーではなく大きな車輪(周辺が鉄で補強されたもの)を用いて四肢を砕いていました。ある程度時代が下ってくると実用性が重視されてハンマーになります。
車刑自体、最初は太陽への捧げものという儀式的な意味が強かった処刑法で、それが時代の流れとともに重罪人への苛酷な処刑として定着したようです。
獣姦の罪
(ある旅人の手記)
ここで「異教徒との婚姻(と性交)」を獣姦としているのは、史実に基づいています。(当時の)キリスト教においては異教徒は人間ではなく獣であるとされ、異教徒との婚姻や性交は獣姦として裁かれるのが普通でした。「異端」というのはあくまでも「キリスト教を信じてはいるが、教会とは違う解釈をしている人間」のことであり、異教徒はそもそも人間ではないとされたのです。
「魔女」は同時に「異端」でもありますし、魔女狩りは異端審問から派生したのも事実です。が、異端はまだ人間として扱われ、死後は墓地に埋葬することも許されますが、異教徒の場合はよくて家畜扱いでした。この辺りの考え方が奴隷制度などにも影響を与えているとされています。奴隷とされたのは、ほぼ例外なくキリスト教徒以外ですが、彼らを使う側の認識では人間ではなく家畜だったわけです(「彼らはキリスト教を信じていない=人間ではない=だから何をしてもいい」という図式です)。
髪の毛によって削がれた勢いでは首を切断できない
(ある旅人の手記)
これも実際にあった事故です。案外髪の毛というのは斬撃に強く、中世の騎士は背後からの攻撃を受けた時に首筋を守るために髪の毛を伸ばしていたほどです。
代々処刑人の家系
(ある旅人の手記)
処刑人や拷問人は代々受けついで行くのが普通です。特に、周囲から忌み嫌われていた拷問人の家系に生まれた者は拷問人になる以外になく、結婚相手も同じ拷問人の娘でなければなりませんでした。
がくんと少女の身体が落下し、止まる
(ある旅人の手記)
このように、いったん吊るし上げておいてから落下させ、床に落ちる前に止めるというのは実際に吊るし責めで頻繁に行われていました。これをやられると落下の加速度で倍加した体重がまともに吊られた部分にかかるため、肘や肩をたやすく脱臼させることが出来るのです。
想像するよりもこの衝撃は大きいらしく、逆さに吊るしてから同じことをやると脳味噌が頭蓋骨に押しつけられて潰れ、目や耳から吹き出してしまうことすらあったそうです。
岡場所
(吉原無残)
えーと、「岡場所」っていうのは、「吉原以外の遊郭」を指す呼び方なんですが……タイトル、吉原ですよねぇ(苦笑)。また、本来は「遊女」や「女郎」という言葉も吉原の人間以外には使えないそうなので、この女将の台詞は時代考証を考えるとかなり変ですね。
それはともかく、江戸時代では吉原は特別扱いされた場所でした。ここで女将が言っているように治外法権と言ってもいい状況で、それ以外の地域で適用される法律はここでは適用されず、代わりに吉原独自の決まりごとが色々と定められていたようです。実際、ここで悪さをした人間はスマキにされて川に放りこまれても文句は言えなかったほどです。それ以外の地域でこんなことをすれば、確実に殺人扱いになるのですが。
激しく嘔吐した
(吉原無残)
ここでやっているように背中から地面に叩きつけられると、ほとんどの人間がかなりの確率で吐いてしまうそうです。また、めまいや耳鳴りも酷く、身体に損傷を与えないにもかかわらず非常に苦しい責めになります。
なお、ここでは吊り方からタイトルを「ぶりぶり」としましたが、このように吊るし上げてから砂地に落とすというのを繰り返す仕置きは「滑車責め」と呼ぶこともあります。「滑車責め」は、背中側で両腕を縛ってから吊るし上げる拷問の呼称として使われることもありますが。拷問器具ほどではありませんが、拷問方法に関しても名称には曖昧な部分が結構あるようです。