第一話 お滝

 氷雨という形容詞がぴったりとくるような冷たい雨が降っている。それを眺めながら竹中采女(うぬめ)は代官の大神の報告を聞いていた。
「・・・では、踏絵を踏めなかった人間が五人いた、というのだな?」
「はっ。御公儀の定める所によれば、キリシタンはその身分を問わずに死罪に処すべきものであります」
「左様。だが・・・」
 僅かに言葉を途切らせると竹中采女は雨へと視線を向けた。平身低頭したまま大神は次の言葉を待っている。
「踏絵を踏めなかったもの、その全てを殺していてはこの国から民が絶える。ここはやはり、転ばせるか・・・」
「お言葉ながら、采女様。奴等のしぶとさは並大抵ではございません。説得は無意味ではないかと・・・」
 大滝の言葉に、竹中采女はくくくと低い笑い声を漏らした。
「確かに、口で言って聞きはしないだろうな。だが、人間、苦痛には案外弱いものだ。
 君は拷訊を見たことがあるかね?」
「拷訊、で、ありますか? いえ・・・」
「あれはいい。屈強な男が、最初は平然と耐えていても、最後には泣き叫び、許しを請う姿は非常に面白いものだ。
 ふむ、そうだな。キリシタンの信仰心とやらを、私が試してやろう」
 竹中采女の浮べている表情に、大神は僅かに首をすくめた。

 暗い蔵の中に、采女の指示でキリシタンの一人、お滝という娘が連れ込まれた。年はまだ十三。あどけなさを残した少女だ。
「キリシタンは死罪というのは、知っているな?」
 縄目を受けたお滝に向い、大神がそう問いかける。こくん、と、少女が頷いた。猫撫で声を出し、大神が少女へと語りかけた。
「悪いことは言わん。転べば命は助けてやる。お前もその若さで死にたくはないだろう?」
「僅かな生のために、永遠の命を捨てる積りはありません。父なる神、デウスを信じることが罪であるというのならば、どうぞ私の命をお取りください。そうすれば、私の魂は天国(ハライソ)へと召されるでしょう」
「父なる神とやらが、お前に何をしてくれた? こうしてお前は捕えられ、殺されようとしているのに、何もしてはくれないではないか」
 大神の問いにゆっくりとお滝は首を振った。
「父なる神、ゼウスは私たちの行動を見ておられるのです。人の心は弱きもの。何ものにも負けずにただ神のみを信じることこそが大切なのです」
「確かに、人の心は弱いものだ。それを今から証明してやろう。大神」
 面白がっているような口調で采女がそう言う。僅かに震えながらお滝は正面から采女の顔を見つめた。
「他人を故なくして傷付けるあなたに、どうぞ神の御慈悲がありますように」
「神か。お前が祈るべきは神ではない。この私だ。いずれ分るようになる」
 そう言うと采女は大神に顎をしゃくった。嫌そうな表情を浮かべながら、大神がお滝の肩に手を掛けた。後ろ手に縛られた彼女の縄を一旦ほどき、両掌が肘の辺りにくるように深く組ませてから縛り直す。そのまま縄尻を胸の方へと回し、ぐいっと力を込めてひっぱった。縛り上げられた腕を肩の方へと無理に引き上げられ、お滝が苦痛の声を漏らす。大神はそのまま胸の前へと縄を回し、胸を腕をまとめて縛りあげた。
「それを箱縛りという。その形に縛られるだけでもかなりの苦痛のはずだ。一言転ぶとさえ言えば、その苦痛からはすぐに解放してやるが、どうかね?」
 采女の言葉に、口で大きく喘ぎながらお滝は首を横に振った。采女の視線を受けて大神が天井の滑車へとお滝を縛る縄の端を通した。
「あ、くぅっ・・・」
 大神が体重をかけて縄を引く。小柄なお滝の体が宙に浮かんだ。胸へと回された縄に全体重がかかり、息が詰まる。苦しげに体をよじるお滝の姿を楽しそうに采女は眺めていた。
 大神が縄の端を柱に縛りつけた。宙に吊られたまま、ゆっくりとお滝の体が回転する。小さく苦痛の呻きを上げながら、お滝はじっと耐えていた。
「これが吊るし責め。立派な拷訊だ。このまま続けてもよいが、今日は少し違う責めをしてみよう。大神、例のものの用意は?」
「はっ。ここに」
 大神が懐から半紙に包まれた竹串を取りだす。ついさっき竹を割り、火で先端を焼き固めたばかりの品だ。普通であれば、ささくれや刺を綺麗に磨いてから使う。そうでないと、危いからだ。
「ふむ」
 受けとった竹串を数度掌で撫で、満足そうに頷くと采女は大神に顎をしゃくった。大神が膝の下の辺りでお滝の足を縛り、抱き抱えるようにしてその足の自由を奪った。何をされるのか想像が付いたらしく、お滝が明かな怯えの表情を浮べた。
「や、やめて・・・」
「転ぶか? 転べば、許してやろう」
 采女の言葉に、ごくんとお滝は唾を飲み込んだ。全部で十本の竹串で采女がぴたぴたとお滝のむきだしの足をたたく。
「どうする?」
「・・・あなたに神の御加護がありますように。どうぞ、私はあなたのことを許しましょう」
「許す、か。いつまでそんな口がきけるかな?」
 そういいつつ、采女は竹串の先端をお滝の右親指の爪と肉の間に差し込んだ。ちくっとはしった痛みに、お滝が体を震わせる。口元に笑みを浮べると采女は一気に竹串を押し込んだ。
「きゃあああああああああ」
 大神のことを跳ねとばしそうな勢いでお滝が体を震わせる。単に串を肉と爪の間に刺し込まれるだけでも相当の痛みだが、この串の場合は多くのささくれが肉を刔るのだ。頭の中が一瞬痛みだけに占領される。
「あと、九本」
 残酷に采女がそう言う。ぜぇぜぇと大きく肩で息をしながら、お滝は采女の顔を見つめた。
「どうぞ、好きなだけその串を私に突き立ててください。この痛みが、私をゼウスの元へと導いてくれるでしょう」
「では、二本目だ」
 采女が二本目の串を人差し指へと突き立てた。懸命に悲鳴をこらえるお滝。だが、意思に反して体は大きく震え、涙が溢れる。
「あ、ああ、あ・・・」
「転ぶ気になったら、いつでも言うがいい。三本目だ」
 中指にも串が刺さった。真っ赤な鮮血が串をつたい、ぽたぽたと零れる。
「四本目」
 采女がゆっくりと竹串を押し込む。これ以上はないというほど大きく目を見開き、お滝が体を震わせた。大神が必死の形相で彼女の足を押さえている。
「五本」
「ぎゃっ。や、やめ、ぎゃああああぁぁぁ」
 左右に竹串をねじりながら小指の爪と肉の間に押し込んでいく。獣じみた絶叫と共にお滝が激しく体をのたうたせた。唇の端に白い泡が浮かんでいる。
「これで半分だな。まだ続けて欲しいか?」
 采女の言葉に、お滝が首を振る。にやっと笑うと、采女は畳みかけるように問い掛けた。
「では、転ぶのだな?」
「そ、それは・・・」
 お滝はぎゅっと目をとじた。唇を噛み締める。呆れたような表情を一瞬浮かべると采女は残りの竹串を一本ずつお滝の左足の指へと刺していった。右とは違い、刺し方は浅い。刺される度にびくっ、びくっと体を震わせながらも、お滝は悲鳴を上げることなく五本の串に耐えてみせた。
「う・・・く。もう、終りですか?」
「まさか。これからが本番なのだよ。大神」
 采女に言われて大神が柱に縛りつけてあった縄をほどいた。ゆっくりとお滝の体が下っていき、やがて浅く刺さった左の串たちが地面へと触れる。体重が串にかかり、ひぃっとお滝が悲鳴をあげた。その段階で再び縄を柱に結びなおす。右足の串は深く刺さっているために宙に浮んでいるから、左足に刺された五本の串と胸に掛けられた縄で少女の体が支えられていることになる。
「ひっ・・・い。い、痛、い。くぅっ」
 お滝の額にびっしりと汗が浮ぶ。苦悶すればするほど串が肉を刔り、深く食い込んでいくのだ。椅子に腰かけ、采女は少女の苦悶する様を楽しげな笑いを浮べて眺めていた。
「転ぶか?」
 どうでもよさそうな口調でそう問いかける。びっしりと汗をかきながら、それでもお滝は首を横に振った。ふぅむと顎に手を当てると采女は視線を大神へと向けた。
「大滝。彼女のことを前後左右に揺すってやれ。転びやすいようにな」
「はっ・・・」
 しぶしぶという風に大神が吊られた少女の腰に手を当てた。ひっと息を飲んでお滝が体をすくませる。
「転ぶと言ってくれ。拙者とて、こんなことはしたくないのだ」
 ささやくような大神の言葉に、お滝が恐怖に表情を染める。
「で、でも・・・」
「大滝。命令が聞こえなかったのかね?」
 残酷な笑みとともに采女がそう言う。ぎゅっと目をつぶると、大神はぐいっとお滝の体を前へと押しやった。がりがりと竹串が地面をこすり、血の跡を残す。
「ぎひぃいい、いやあああぁぁぁ」
 お滝が悲鳴とともに体を大きくのけぞらせる。ぶんっと足を振った拍子に串が地面にあたり、脳天まで激痛が走り抜けた。
 大神が今度は後ろへとお滝の体を引き戻す。ぺりっと足の爪が剥れ、地面の上へと転がった。血に染まった串が地面に落ちる。
「あ、が、が、ぎゃぁっ」
 呻くような悲鳴を上げてお滝は失神した。椅子から立ち上った采女が地面に転がる竹串を拾いあげ、爪を剥がされてのっぺりとした赤い肉を見せている足の指へと突き立てる。
「ぎゃ、ぎゃ、ぎゃ、ぎゃあああああ」
 びくんびくんと海老のように激しく体をのたうたせるお滝。その顎を掴むと采女は血に染まった竹串を彼女の目の前へと突き付けた。
「転ぶか? 転ばねば、更に苦痛を味合わせることになるが・・・?」
「ころ、転びます、転びます! だから、もう、もう、ひどいこと、しないで・・・」
 涙で顔をぐしゃぐしゃにし、半狂乱になってお滝が叫ぶ。満足そうに頷くと、采女は大神に合図をした。柱に結ばれた縄をほどき、そっとお滝の体を地面の上に横たえる。しくしくと泣いているお滝へと向かい、采女は残酷な笑顔を向けた。
「これでお前は処刑を免れたわけだ。後で改宗を証明する証文に血判を押してもらうぞ」
「は、はい・・・。う、うううぅぅぅ」
 上体を縄で縛られたまま、すすりなく少女のことを、痛ましそうに大神は見つめていた。
トップページに戻る  次の話へ
All writen by 香月