第二話 お冬

 ぎしぎしと、天井から吊られた縄が軋んだ音を立てる。背中で腕を組み合わせ、吊るされているのは一人の少女だ。年の頃なら十六か七といったところだろう。
「強情ですな。呻き声一つたてないとは・・・」
 額に浮かんだ汗を拭いながら大神がそう漏らす。先を細く裂いた竹の鞭で打たれるのは大の男であっても辛いものだ。にもかかわらず、吊られた少女は悲鳴どころか呻き声さえあげないでじっと耐えている。
 といっても、無言なわけでもない。小さく歌のようなものを歌っている。父なる神を讃える歌だというのは、はっきりと聞きとれなくても明らかだった。
 彼女の名前はお冬。キリシタンである。
「そう急くこともないだろう、大神。我々は彼女を殺したいわけではないのだからね。少し休ませてやらねば、責め殺してしまう」
 土蔵の奥側の椅子に座っていた竹中采女がそう言った、はっと答えて大神が柱に結んであった縄を解き、お冬のことを地面におろした。僅かに乱れた服の裾から白い足が覗く。
「ふむ、綺麗な足だな」
「は・・・?」
 采女の漏らした呟きに大神が怪訝そうな表情を浮かべる。煩わしげに手を振ると采女は椅子から立ちあがった。
「続きは明日だ」
「はっ」
 後ろ手に縛った縄はそのままにして大神が立ちあがる。ばたんと音をたてて扉が閉まり、土蔵の中を闇が包みこんだ。

「大神、明日は大きめの釜を用意しておいてくれ」
 屋敷の廊下を歩きながら采女が後ろに従う大神にそう言った。
「釜、でございますか?」
「そうだ。それほど煮えたぎらせる必要はないが、触れば火傷する程度には熱い湯もな」
「はぁ・・・なるほど。承知いたしました」
「あまり乗り気ではないようだな?」
 からかうような口調で采女がそう言う。慌てて大神は首を振った。
「と、とんでもありません」
「ふふふ・・・構わんよ。さて、どこまで楽しませてくれるか・・・」
 遠くを見るような表情になって采女はそう呟いた。

 翌日。土蔵の中には釜と薪が運びこまれた。昨日と同じように吊り上げられたお冬がさすがに怯えたような表情を浮かべる。いつものように椅子に座り、頬杖をついた姿勢で采女はお冬の顔を見あげた。
「なかなか、綺麗な足をしているな。その足に煮えた湯をかければどうなるか・・・無惨なことになるとは思わんかね?」
「・・・美しさなどかりそめのもの。死すら私は恐れません」
 震える唇でお冬がそう答える。ふむと小さく頷くと采女は大神に手をあげて合図をした。少し嫌そうな表情で釜の中の湯を柄杓で掬う大神。
 裾は捲りあげられていて、白い足が膝の辺りまであらわになっている。唇を震わせながら目を閉じ、じっとお冬はその瞬間を待っていた。一旦ちらりと采女の方に視線を走らせ、大神が柄杓を傾むける。
 びくん、と、お冬が身体を震わせた。湯の通った跡がみるみるうちに真っ赤に変わる。やけただれるほど高温ではないが、ひりひりと連続した痛みがはしる。
「たいしたことはなかろう? その程度であれば、治療さえすれば跡も残らずに消える。無論、転べば治療もしてやろう」
「お断りします。父なる神を裏切ることはできません」
「地獄の業火に焼かれる、か。大神、今日はこれまでだ。降ろしてやれ」
 そう言いつつ采女が立ちあがる。意表をつかれたような表情を浮かべて大神が問い返した。
「は? し、しかし・・・」
「聞こえなかったのかね? 今日は終りだ」
 やや不機嫌そうな采女の言葉に、慌てて大神は頷いた。

「不満そうだな?」
 自室で大神とさしむかいになって采女はそう言った。何と答えればいいのか分らずに大神が困ったような表情を浮かべる。
「は、その・・・」
「ふふふ・・・。火傷というのはな、大神。時間を置けば置く程痛みが増す。あの程度の浅い火傷でも、砂混じりの土の上に直に置かれれば相当な痛みだ。まぁ、しぶといキリシタンに耐えられぬ痛みでもないだろうが」
 杯を傾むけながら楽しそうに采女がそう言う。ますます分らないという表情になって大神が首を傾げた。
「それでは、意味はないのでは?」
「明日もまた、少し温度を高くした湯をかける。火傷の跡に再び火傷を負わせるわけだ。傷口というのは刺激に敏感になっているからな。今日以上の痛みに襲われる。そしてまた一晩放置し、翌日もまた湯を注ぐ。満足に眠ることの出来ない 日々が続けば意志も弱くなる。いずれは転ぶよ」
「はぁ・・・」
 そんなものかと、大神は首を傾げた。

「あっ・・・くっ」
 それから三日。初めてお冬が湯を注がれる時に呻いた。一度も湯をかけられていない右足はいまだに透き通るように白く、反対に左足は真っ赤になっている。ところどころには醜くケロイド状のものが出来ていた。
「どうかね? 転ぶ気になったか?」
 采女の問いに唇を噛みしめたままお冬が左右に首を振る。軽く肩をすくめると采女は視線を大神に向けた。
「このままでは、傷が化膿するな。火傷の治療には冷たい水が一番。大神、一度冷やしてやれ」
「はっ・・・」
 足元に置いてあった桶を取りあげると大神が無雑作に中の液体をお冬の左足へと浴びせた。瞬間、お冬が海老のように激しく身体を震わせる。
「な・・・」
 驚いたように大神は一歩さがった。問いかけるような視線を受けて采女が笑う。
「ふぅむ。目の前の海から汲んできた水は、お気にめさなかったかね」
 傷口に塩水が染み込み、脳天まで突き抜けるような痛みを与える。声にならない悲鳴を上げて数度身体を震わせ、お冬ががっくりと首を折った。
「終りだ、大神。おろしてやれ」
「は、はぁ・・・」
 やや罪悪感に襲われたのか、大神が表情を歪めている。苦笑を浮かべると采女は席を立った。

 その日から、夜になると微かな呻き声が土蔵から漏れるようになった。

 あれから何日が過ぎたのか、もうお冬は覚えていなかった。ぼこぼこと泡を立てている熱湯を注がれた時はその瞬間に気絶した。恒例となった海水による冷却の痛みで再び覚醒し、あまりの痛みに気を失なうことも許されずに吊られた身体でのたうちまわった。
 夜はもう、安息の時ではなかった。焼けただれた左足は、空気の流れですら痛みと感じる。ほんの微かに動かすだけでも皮膚がひきつり、押えきれない悲鳴が口から漏れてしまう。
 土蔵の底に敷かれた粒子の荒い砂が容赦なく傷にすりこまれ、痛みが突き抜ける。じっと筋肉を動かさないように集中していなければやすりのように砂が傷口を責めたてるが、人間の身体は長時間に渡って同姿勢を保つようには出来ていない。
 眠りも、すでに彼女には縁遠いものであった。疲労の余り、半ば気絶するように眠りに落ちる瞬間がある。だが、眠れば身体を動かさないように張りつめていた意識も途絶える。結果、無意識に動かした足へと砂が擦り込まれ、激痛によって眠りは破られてしまうのだ。

「辛そうだな」
 吊り上げられたお冬に向い、采女がそう言う。皮肉な事に、吊られている時の方が痛みは少ない。確かに両手は痛むが、砂のやすりで火傷の跡を痛めつけられる事に比べれば小さな痛みだ。
「一言転ぶと言えば楽になれる。どうだ?」
 そう言いつつ采女が彼女の左足へと触れた。爛れた皮膚と肉に指が沈む。耳を塞ぎたくなるような悲鳴を上げてお冬が身体を震わせた。だが、それは余計に采女の指を火傷の跡へと食い込ませることになる。
「どうかね?」
 指に付いた膿を汚らわしげに振り捨てると采女がそう問いかける。がっくりと首を折り、激しく肩を上下させながらもお冬は気丈にも首を左右に振った。
「ふむ。こちらはせめて綺麗なままで残しておいてやりたかったのだがね。
 やむを得んか。大神。例の物を」
 無傷の右足へと手を這わせながら采女がそう言った。ぼこぼこと煮えていた釜の中へと大神が何か黄色い塊を入れる。すうっと沸騰がおさまった釜を大神は長い棒で掻き回した。
「あれは、海水に硫黄を加えたものだ。普通の水よりもずっと高温になる。
 そう、火傷どころか、一瞬で皮膚も肉も溶けてしまうほどにな。煮えるまでにはまだしばらく時間がかかる。ゆっくりとどうするか考えるがいい」
 采女の言葉にさぁっとお冬の顔から血の気が引いた。

 四半時を掛け、再び釜の中の液体が沸騰を始めた。火山にでもいるような硫黄の臭気が立ち込める。大神と采女は布で口元を覆っていた。鉄の柄杓で大神が煮えたぎる液体を掬いあげた。
「これは松の木から削りだしたものでな、高温になると良く燃える」
 そう言いながら采女は指の爪ほどの木片を懐から取りだした。沸騰している液体へとその木片を落すと、ぽうっと赤い炎があがる。僅かにお冬が息を飲んだ。優しいとさえ言えそうな笑みを浮かべて采女が問いかける。
「さて、転ぶかね?」
「・・・いいえ」
 内心で葛藤があったのか、少しの間を置いてお冬が首を横に振った。やれやれといいたげに溜め息をつくと采女が椅子へと戻った。
「やれ。ああ、自分が浴びないように気をつけてな」
「はっ」
 流石に緊張した表情で大神が柄杓の中身をお冬の右足首から下へと振りかける。じゅっという音と共に白煙が上がる。同時に、お冬が身体を大きく痙攣させた。跳ねあがった足に危うく柄杓を蹴られかけ、慌てて大神が後ろにさがった。
「ひぁ、あ、あ、ぎ、ぐ、ああっ」
 悲鳴とも息とも付かないものが唇から漏れる。激しく身体を振るせいでぎしぎしと縄が軋んだ。唇の端に白い泡が浮かぶ。液体を浴びた部分が黄色く泡だち、皮膚と肉が溶けてずるりと流れる。非現実的な白さの骨が顔を覗かせた。
「まだたくさん残っているな。南蛮ではこれを使って骨の標本とかいうものを作るそうだが・・・まだ続けて欲しいかね?」
「ひぃっ、や、やめ・・・」
 ぶんぶんと激しく首を左右に振るお冬。身体をくねらせた拍子に左右の足がぶつかりあい、とんでもない激痛が脳裏で弾ける。再び悲鳴が彼女の唇から漏れた。
 痛みの余り失禁したのか、太ももから足首へと黄色がかった液体が伝う。それが左右の足の傷に触れたとたん、またお冬の身体が跳ねた。塩分を含んでいるせいで、傷に染みたのだ。半狂乱になって奇妙なダンスを踊る少女のことをしばらく采女は楽しそうに眺めていた。
「転ぶか? 転ばないというのなら、続けるが・・・」
「こ、転びます。転びますから、だから、もう・・・!」
 恐怖に満ちた表情でお冬はそう懇願した。
「やっと、転んでくれましたな・・・」
 疲れきった表情でそう呟く大神に、何故か不満そうな表情で采女は頷いた。
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All writen by 香月