第三話 心太

「う・・・うぅ・・・」
 掠れた呻き声が少年期を脱っしかけたぐらいの年齢の男の口から漏れる。
 固く胡座を組む形で足を縛られ、箱縛りに戒められた上体は、胸が足に触れるぐらいにまできつく折り曲げられている。白い服がじっとりと汗を吸い、ほつれた髪が数本、額や頬に張りついていた。
「それほど、辛いのですか?」
 囁くように大神が采女へとそう問いかける。薄く笑うと采女は肩をすくめた。
「お前が、前の二人でずいぶんと辛そうな顔をしていたからな。これならば、それほど良心は痛むまい?」
「は、はぁ・・・」
 曖昧な表情で大神が頷く。女子供が泣き叫ぶ姿というのは、見ていて心地よいものでは決っしてない。今回は責められているのは男だし、小さく呻いているだけだから正直に言って気は楽である。
 もっとも、それは大神がこの海老責めの怖さを知らないからこそ抱ける感想でしかない。ほとんど身動きの出来ない態勢に戒められているせいで、心太の全身の筋肉は悲鳴を上げている。歩き続けているよりもずっと一箇所に立ち続けている方が辛いのと同じで、人間の身体というものは長時間に渡って同じ姿勢を取り続けることは出来ないのだ。
 まして、腹を折り曲げ、胸を圧迫されたこの姿勢では、満足に息をつくことも出来ない。心太が掠れた呻きしか上げないのは、辛くないからではなく、それが精一杯だからなのだ。全身にびっしょりと油汗が浮かんでいる。
「石を乗せろ」
 短く采女がそう命じた。はっと答え、大神が大きな木の板を心太の背に乗せるとその上に一抱えほどの石を置いた。
「う、うぁァ・・・」
 ぎしぎしと骨が軋む。ほんの僅かに残されていた胸と足の間の空間が、石に圧迫されて完全になくなる。悲鳴ではなく、無理に押し出された息が苦鳴となって彼の唇から漏れた。瞼の裏にチラチラと光の粉が舞う。
「転べ、転ばぬかっ」
 石の上に足を起き、大神が体重を掛ける。閉じていた目を見開いて、心太が悲鳴を上げた。もっとも、その悲鳴は息を吐く以上の音にはならず、大神の耳にまでは届かない。パクパクと開け閉めする口から垂れた唾液が地面の上に汚点を作った。唇の端に泡が浮かぶ。
「! ァッ・・・!」
「その辺にしておけ、大神。責め殺してしまってはしかたがない」
「は? はぁ・・・」
 首を傾げながら大神が采女の言葉に従い、石と板をどけ、心太の戒めを解く。ぐったりと四肢を地面の上に投げだし、うつろな視線を心太は宙にさまよわせた。手や足の指の先が欝血して紫色になっている。このままあとしばらく責めを続けていたら、間違いなく死んでいただろう。
「牢に入れておけ。次の責めの為に用意させるものもあるからな」
「はっ」
 頭を下げると大神は乱暴に心太のことをひきずり起した。

「これは・・・?」
 翌々日。いつものように土蔵にやってきた大神は首をかしげた。柱の前には三角に尖らせた木材が五つ並べられ、そのそばには板状の巨大な石が五枚、積み上げてある。その重さは正確には分らないが、少なくとも自分一人で持ち上げるのは不可能そうだ。
「何、今日は石抱きをやってみようと思ってな。ああ、安心しろ。この石は一人では持てないからな。ちゃんと下男は呼んである」
「はぁ・・・」
 彼の手によって、心太が並べられた楔型の木材の上に正座させられる。ぐっと奥歯を噛み締め、心太は悲鳴を噛み殺した。やや前かがみになるように柱へと心太の身体が縄で結びつけられる。
 自分の体重によって、脛へと尖った木材が食い込む。肉ではなく、直接痛みが骨に届くのだ。最初の頃に鞭で打たれた時とは比べものにならない痛みが、徐々に強さを増しながら脳天に響く。
 大きく息をすれば、それだけで身体が僅かに上下に動き、脛の痛みを増加させる。出来るだけ浅く息をするように心太は心がけた。それでも、少しみじろぎするだけでもとんでもない痛みが電流のように全身を走る。
「記録では、五枚積まれてなお耐えた者もいたというが・・・さて、キリシタンの信仰心とやらでどこまで耐えられるかな? すでにもう、二人転んでいるが」
 采女の言葉に、きっと心太が顔を上げる。
「殺す、なら・・・殺せ・・・!」
「殺さないよ。世の中には死ぬより辛いことというのもあるからな。意地をはるなら、それをたっぷり味あわせてやる。
 石を」
 入口の辺りで控えていた二人の下男が、小走りに積まれた石へと駆け寄り、一番上の石を持ち上げる。そこで初めて気付いたが、上の石は薄く、下に行くほど厚くなっているらしい。もっとも、一番薄いこの石でも、大人が一人で持うのは不可能なだけの重さは充分に持っている。
「う、うわあぁぁぁ」
 石を腿の上に置かれた途端、心太の口から悲鳴が漏れた。大きく身体をのけぞらせ、逃れようとするかのように震わせる。もちろん、そんなことをしても石は下男の手によって押えられており、苦痛を増すだけでしかない。
「転ぶか?」
 采女の言葉に、激しく心太は首を振った。脛の皮が破れ、肉が裂け、流れる鮮血が地面の上に広がっていく。悲鳴を噛み殺すために食いしばったせいで、唇が破れ、血が滴った。だが、その痛みも、下半身を呵むこの痛みの前ではないも同然だった。
 大きく肩を上下させ、荒い息を吐く。その度に全身に痛みが突き抜けると分っていても、浅く息をする余裕などどこにもない。吹き出した汗がびっしょりと衣服を濡らした。
「二枚目を」
 無慈悲に、というより、どこか楽しんでいる口調で采女がそう命じる。こちらは完全に無表情で下男たちが二枚目の石を持ち上げ、心太の腿の上の石へと重ねる。
「・・・!」
 声にならない悲鳴を上げる心太。足に係る荷重は二倍ではない。物理的にもそれより少し多いし、感覚としては三倍近くに感じる。
 足の骨が砕ける。そう心太は思った。もしも足の下に敷かれている木材が一本だけであれば、とっくに骨が折れていただろう。五本敷き詰められているせいで適当に荷重が分散され、骨を折る事なく苦痛のみが増大していく。
「次」
 采女の言葉が耳に入り、心太は表情をひきつらせた。彼の見ている前で、少しよろけながら三枚目の石版が運ばれてくる。それが足の上に重ねられた時、弾けた痛みに心太の意識は闇に飲まれた。

「う・・・うう・・・う・・・」
 水を浴びせられ、意識を取り戻した心太が呻く。吹き出した血で彼の足は真紅に染まり、激しい痛みのせいでガンガンと耳鳴りがする。涙のせいで視界はぼやけていた。全身に痛みが充満している。
「転ぶと言えば楽になれる。転ばないのであれば・・・まだ石は、二枚残っているな」
「う・・・あ・・・デウスよ・・・」
 采女の言葉に心太は弱々しく首を振った。どこか満足そうな表情で采女が男たちに指示をする。残った二枚を併せれば、その厚さは現在心太が抱いている三枚の石にやや劣るぐらいだ。四枚目の石が持ち上げられ、心太の元へと 運ばれた。
「がっ・・・!」
 悲鳴が喉の奥で弾ける。零れ落ちそうなほど大きく目を見開き、心太は空気を求めるかのように口を何度もパクパクと開閉した。骨が軋む音が聞こえるような気がする。視界が真っ赤に染まった。
「大神、鞭を」
 采女が少し呆然としている大神にそう命じる。はっと我に返った大神が、慌てて竹鞭を手にした。
 びゅっっと風を裂いて竹鞭が振り下される。石を抱き、背中は柱に縛られているせいで打てるのは肩のみだ。バシィという音に、心太の絶叫が重なった。
「強情をはるな。楽になれ」
「デウスよ・・・守り・・・ギャアァッ」
 大神の鞭に、祈りの言葉が途切れる。口から飛び散った泡は血が混って赤かった。痙攣するように小刻みに身体が震える。
「最後の石を」
 采女の言葉に、大神が一歩下り、下男たちが五枚目の石を積上げる。大きく目を見開いたまま、心太は悲鳴すら上げられない。びくびくっと数度大きく身体を震わせ、心太は胸の前まで積み上げられた石の上へとつっぷした。半開きになった口からとめどめもなく血の混った唾液が流れる。
「ここまでか。石を下せ」
 采女の言葉に、下男たちが半ば崩すようにして石をどける。完全に意識を失なった心太の脛は、白い骨がところどころで露出していた。

「しぶといですなぁ・・・」
 僅かに首をすくめると大神がそう言った。口元に笑みを閃かせ、采女が視線を彼へと向ける。
「やはり男は耐久力があってよいな。女と違って、多少手荒にしても壊れる心配がないのはいい。とは言え・・・」
 采女が苦笑を浮かべた。
「御公儀の目もある。あまりのんびり楽しむわけにも、いくまいな。なにしろ、『転ばねば殺してしまえキリシタン』などと平気で言うような連中がそろっている。そんなことをすれば、民全てを殺すことにもなりかねんというのに」
「は、はぁ・・・」
「二、三日回復の時を置く。その間は、お衣、お澄両名の詮議を行なうとしよう。ああ、無論、あらたなキリシタンを探すことも忘れずにな」
 事務的な口調で指示をくだすと、采女は軽く溜息をついた。

 心太の回復には予想外に手間取り、再びの責めが行われたのは石抱きから5日が過ぎてからだった。今日は下男たちの姿はなく、土蔵の中にいるのは采女と大神、そして責められる心太だけだ。
 五日間の休息があったとはいえ、心太のやつれようは尋常ではない。頬はこけ、目は落ち窪んでいる。半死人のような風貌になった心太は、今、天井の梁から縄で吊るされていた。
「あ・・・ぁ・・・ア・・・」
 心太の唇から苦鳴が漏れる。彼の吊り方は俗に言う『逆海老吊り』。背中の側で手首と足首全てを一つに束ね、そのまま吊してあるのだ。身体が背中の側へとのけぞり、背骨が軋む。
「辛いか? まだまだ、これからだぞ? 転ぶというなら、すぐにでもそこから降ろしてやるが、どうだ?」
「殺・・・せ」
「ふぅむ、強情だな。大神、石だ」
 石、という単語に、びくっと心太が身体を震わせる。だが、大神が持っているのは中央に穴を開け、そこに縄を通したものだ。もちろん、重さはそれなりに、ある。
 その石が、心太の背に乗せられた。石の縄が心太の胴体に縛りつけられる。あらたな荷重に背骨がギシギシを軋んだ。噛み締めた唇から血が滴る。
「回せ」
 采女の言葉に、大神が時計回りに心太の身体を回しはじめた。縄がねじれ、徐々に心太の身体の位置が高くなっていく。
 五回、十回、二十回、五十回。限界まで縄は捻られた。何をされるのか予想はつきつつも、その怖さを認識できずにいる心太。また、大神にしたところで、この責めの苛酷さなど、理解できていない。むしろ、回復のために日を置きすぎてはいけないため、軽く責めを加えるのだろう、などと考えている。
 大神が手を離した。限界まで捻られた縄が元に戻ろうと一気に回る。
「う、あ、あ、あああああああ!?」
 心太が悲鳴を上げた。遠心力によって頭に血が登る。視界が流れ、三半器官が揺振られる。悲鳴はすぐに途絶え、心太は声もなく回転を続けた。
 じょじょに、回転がゆっくりになる。だが、その時には勢いのよって再び縄は捻れていた。ほっと一息をつく間もなく、今度は逆方向に心太の身体が回転した。
 不自然な形に拘束された四肢が、肩が、股が、激しく痛む。石を乗せられた背骨が、軋んだ悲鳴を上げる。だが、それら全てを併せたよりも強烈なのが、三半器官を責められることによる眩暈と吐き気だ。
「や・・・げぇ・・・たす・・・」
 途切れ途切れの悲鳴が、回転を繰り返す心太の唇から漏れる。
 二度、三度、四度。無論、一回ごとに勢いで捻られる分量は少くなっていくから、僅かずつではあるが回転数は減っていく。だが、それでも、完全に心太の回転が止ったのは相当に時間がたってからだった。
「げほっ、げほげほ、げぇ」
 心太の口から胃の中身が吐き出される。酸いた臭いが周囲に漂った。
「大神、二個目の石を」
 采女がそう命じた。げぇげぇと嘔吐を続ける心太の背に、二個目の石が乗せられた。ずしっと荷重がかかり、吐き出そうとしていたものを喉に詰めて心太が苦悶に身体を揺らす。
「回せ」
 無感情に采女は命じる。再び心太の身体が回された。縄の捻れが最大になる寸前、悲鳴のように心太が叫ぶ。
「こ、転ぶ! 転ぶから・・・もう、やめて・・・」
「ふむ。大神」
 床の上に準備されていた、後二個の石に視線を向けながら、采女は心太を下すように命じた。
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All writen by 香月