あまたのいけにえ


 いつのまにか厳しかった寒さも和らぎ、世間では春の息吹が芽生えていた。だが、拷問倉の中は暗く、ひんやりとした冷気に相変わらず満たされている。
「う……あぁ……」
 逆海老の形で吊られ、ゆらゆらとゆっくり回転しながら苦しげな呻きを心太があげる。背中へと背負わされた重石が彼の背骨を軋ませていた。既に二回に渡って駿河問いによる回転を加えられ、意識が朦朧としている。
「なかなかしぶといな、心太よ。だが、私もそういつまでもお前一人にかまっているわけにもいかんのだ。お役目が有るゆえな」
 いささか残念そうに、采女がそう呟く。下男たちの手によって三つ目の重石を背中へと乗せられた心太が、食い縛った歯の間から呻きを漏らした。
「私としては、だ。お前に殉教者などという名誉は与えたくないのだよ。認めたくはないが、お澄を公開処刑にしたのは失敗だったと言わざるをえないからな」
「姉さんたちは……立派、だった。死は……恐れるべき、ものでは、ないということを、示したのだから……」
 苦しげに、途切れ途切れに心太が言葉を紡ぐ。苦笑にも似た表情を浮かべて采女が頷いた。
「そして、死を恐れない人間は優秀な兵士となる。南蛮人たちが、この国を攻めるための準備として布教をしていると言う話も、あながち絵空事とは言えまい。一向衆の例もある事だしな」
「いずれ……神の国が、この世に現れる。その為ならば……死など、恐ろしくはない……」
「ふむ。立派なことだ。救ってもくれぬ神とやらが、そんなに大切なのか?」
 ぐるぐると、二人の間にかわされる会話など耳に入らぬ風に下男たちが機械的に心太の身体を回転させ、縄をよじる。ちらりと恐怖を表情に浮かべながらも心太が采女に言葉を返した。
「デウスは、私たちを、試しておられる。神の、千年王国に住まう資格が、あるのかを」
「たいしたものだ。全知全能と言いながら、試してみなければ信者の心も分からぬか」
 からかうように采女がそう言い、心太が唇を噛み締めた。返答に窮したというのもあるのだろうが、綱のよじれがそろそろ限界に達したのを察知したせいでもある。薄く笑いながら、采女が掌に扇子を打ちつけた。
「う、あ……ああああああああああっ! あああああああああああっ!!」
 視界が勢いよく流れる。腹の底から吐き気が込み上げ、懸命に食い縛っていたはずの口が大きく開いて悲鳴があふれ出す。重石のせいで軋んだ背骨が、折れてしまうのではないかと思うほど嫌な音を立てる。よじれがほどけ、いったんは下がった身体が、今度は回転の勢いで逆にねじれた綱に引き上げられていく。
「あ! はっ! がっ! うわああああああああっ!」
 げほげほと咳込みながら胃液を吐き出す心太。その身体が今度は逆回転に振りまわされる。視界が涙でにじんだ。
「転ぶか、死か、二つに一つだ、心太。別に私は、お前が死ぬまでそれを続けさせてもかまわんのだよ?」
「ああああああああああっ、殺、せっ、ああああああああっ、ああっ」
 朦朧とする意識で、懸命に心太がそう叫ぶ。もっとも、本人の意思に反して迸る悲鳴のせいで、その叫びは決して意味の有るものにはなっていなかったが。
「ふむ、その減らず口、いつまで続くか楽しみだ、と言いたい所だが……確かに、これは時間の無駄かも知れんなぁ」
「あああああっ、うわあああああああっ、あああああっ」
 心太のあげる悲鳴が徐々に小さくなり、やがて途絶えた。完全に失神した彼の身体が更に何度か左右に回転し、止まる。軽く溜息を付くと采女は椅子から立ちあがった。
「やれやれ……しかたない、大神、処刑の準備を」
「はっ。では、お澄のように公開での磔を……?」
「いや、同じでは芸がないだろう。それに、処刑待ちのキリシタンどもも結構な数になっているしな。
 大神、お前はとりあえず、大量の薪を集めるのだ。南蛮人どもは、異端や魔女を焼き殺すと聞く。我々もそれに習おうではないか」
 薄く笑みを浮かべると、采女は困惑の表情を浮かべている大神へとそう言った。

 そして、二日後。
 処刑を行うというお触れを聞いた村人たちが集まってきた。竹矢来に囲まれた広場には薪と藁が敷き詰められている。だが、死刑囚たちを縛りつけるための柱は用意されていない。
 村人たちのざわめきの中、十数人のキリシタンたちが刑場へと連れてこられた。どの顔にも、一様に諦めと共に誇らしげなものが浮かんでいる。列の最後尾に立つ心太が、ふっと口元を綻ばせた。
「これより、キリシタンどもの処刑を取り行う」
 大神の言葉に、群集がどよめく。彼の横へと進み出た采女が、立ち並ぶキリシタンたちへと薄く笑みを浮かべた。
「これが、最後の機会だ。これからお前たちはあの薪の上で生きたまま焼かれるわけだが……」
 視線で広場に敷き詰められた薪や藁を指し示しつつ采女が軽く肩をすくめた。
「特別の慈悲を持って、お前たちの足は縛らないでおいてやろう。キリシタンとして焼かれるもよし、転んで生きながらえるもよし、好きな方を選ぶがよい」
 采女の言葉に、群集の間に動揺が走る。いかに意思の強固なものとて、自分の身体が焼かれていくのを感じながらなお火の中に留まることなど出来るのだろうか……?
「無用なお心遣いです。我々は皆、信仰に生きるもの。一時の苦痛に屈することなどないともう充分に御存知なのでしょう?」
 後ろ手に縛られたまま、静かな口調で心太がそう言う。ふっと口元に冷笑を采女が浮かべた。
「我々、か。勝手に他人の気持ちを代弁するものではないな。ほれ、困っているものも居るではないか」
 采女の言葉に、いならぶキリシタンのうち何人かがふと視線を泳がせた。くすくすと小さく笑いながら、采女が軽く右手を上げる。下男たちと大神が荷物でも扱うような手荒さでキリシタンたちを薪の上へと移動させる。つんのめった女の上に別の男が覆い被さるような形で転がった。苦痛の声が上がるが、意に介した風もなく次々とキリシタンたちを薪の上に追いやっていく。
「では、始めるとしようか」
 采女の言葉に応じて、三ヶ所から火が放たれた。藁が燃えて上がる煙が風に流れ、いったんキリシタンたちの姿を覆い隠す。げほげほと咳込む声と、火にあぶられた人間のあげる悲鳴が交錯した。もっとも、まだ藁による火は小さいし、中央近くによれば煙はともかく炎からは逃れられるから悲鳴はさほど大きくない。
「さて、どれだけもつかな……?」
 完全に面白がっている表情で采女がそう呟く。彼を横目で見やり何か言いたげな表情を大神が浮かべるが、口に出しては何も言わなかった。
 やがて、薪に火が燃え移ったのか大きな炎が上がった。次第にその大きさを増しながらキリシタンたちを包んでいく。
「うああああっ、熱いーー!」
「うわっ、火、火がぁっ!」
「いやあああああっ」
 炎にあぶられたキリシタンたちの悲鳴が上がる。その姿は煙と炎に隠れてはっきりとは見えないが、かえって地獄の光景を連想させて背筋が寒くなる。
「逃げたければ、逃げてもよいのだぞ? もっとも、もたもたしてると逃げたくとも逃げられなくなるがな」
 穏やかな口調で采女がそう言う。彼の言葉を裏付けるように炎の壁はその大きさと勢いを増している。そろそろ衣服に火が燃え移り、半狂乱になって薪の上を転がるものも現れ始めた。
「ひい、ひいいいいっ。た、助けてくれぇっ」
 ごろごろと、炎に包まれた男が一人、炎の輪から転がり出てくる。無表情に下男の一人が桶に汲んであった水を彼に浴びせかけた。ぽたぽたと全身から水を滴らせながら男が荒い息を付く。
「逃げてきた、と言うことは、転んだと解釈してもいいのかな?」
 意地悪く采女が彼にそう問いかける。動揺したように顔を上げた男に向かい、采女が唇を歪める。
「転んではいないと言うのならば、もう一度あの中に戻ってもらうだけの話だが」
「…………転び、ます」
 いったん、炎の輪に視線を向けた男ががっくりとうなだれながらそう呟いた。その間にも、悲鳴は大きさを増している。
「いやあああっ、熱い、熱いよぉ」
「デウスよ、御加護を……!」
「ぐあああっ、うわ、うわあっ」
「お母さん……お母さん……!」
 いくつもの悲鳴が上がる。身体を縛っていた縄が焼き切れたのか、手を振りまわしているものもいる。
「ふむ、あと、二、三人は転ぶか……?」
 冷淡に、そう呟いた采女が僅かに目を細めた。炎と煙、更に火に焼かれてのたうちまわっている人たちに隠されがちだが、炎の中心近くに一つだけ動かない人影がある。
「ほう……楽しませて、くれるじゃないか」
「はっ?」
「いやなに、心太の奴、炎の中心で正座しておるよ。死ぬまであのままいれればたいしたものだが」
 くつくつと小さく笑いながら采女がそう呟く。その間にも、若い女が一人炎の輪から飛び出してきた。更に一人の老人が、炎から逃げ出そうとして途中で力尽きる。そうやって逃げ出す人間がいる一方で、
「デウ……ス、よ……」
「ハライソへ……」
「導き……給え……」
 最後の力を振りしぼり、祈りの言葉を唱えながら腕を高く伸ばし、炎に包まれて息絶えていくキリシタンもいる。

 小半時も燃え続けた炎が消えた時、後には元の顔も判別も出来ないほど黒焦げになった死体がいくつも転がっているだけだった。偶然かどうかは分からないが、ただ一つ、正座した形で黒焦げになった死体へと手を差し延べるような形で散乱して。
「ふむ……残念だな」
 僅かに苦々しげにそう呟くと、采女は刑場を後にした。
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All written By 香月