一月二日 晴

 今日、私は一つ年を取りました。だからといって、何が変わったわけでもありませんが。年が明け、新年になっても特に何もないのと同じことです。
 もっとも、私の誕生日ということで、今日は領主様がパーティを開きました。たった一日の違いですし、新年のパーティと一緒でもかまわないんじゃないかと私なんかは思うんですけども。そうすれば、犠牲者の数も少なくて済んだわけですし。こんなことを言ってはせっかくの領主様の好意を無にしてしまうんでしょうけど、他人と付きあうのが苦手な私は、正直いうと、パーティの雰囲気は苦手で……あんまり嬉しくはなかったんですよね。私の誕生日を祝うパーティに欠席するわけにもいかないですし、どうしても主役ということで他の人から挨拶を受ける機会も多くなりますから。
 そういえば、領主様の発案で、氷の上に人を立たせてその首にロープを巻いておく、みたいなことがパーティの余興として行われたんですけど、私にはあんまり面白い余興だと思えなくて。一人だから面白くないのかな、と思って、何人か並べて誰が最後まで生き残るか、というゲームにしてみたんですけど、結果的には大して変わりばえはなかったですね。少しは場が盛り上がるかな、と思ってたんですけど……。あれだったら、昨日と連続になってしまっても旅芸人の人たちに踊りを踊ってもらった方がよかったかもしれません。今年の人たちと同じぐらいの芸を見せられるような人たちが、来年も来てくれるといいんですけど。まぁ、今から来年のことを考えてもしかたないんですけどね。

「うっ……」
 小さく呻いて、クレージュは目を開いた。十代半ばという若さながら、彼女は十二人の少女たちからなる旅芸人の一座を率いる団長である。昨日も、旅の途中で立ち寄った街の領主に招かれて新年を祝う踊りを披露したばかりだ。破格ともいえる報酬を受け取り、領主のすすめでその館へと一泊した、そこまでは覚えている。
「何……?」
 べっとりと額に張りついた淡い青色の髪を手で払いのけ、彼女は眉をしかめた。気が付けば全身びっしょりと濡れている。水か、と、一瞬思ったが、鼻を突く独特の臭気がそれを否定した。油だ。
「ドミナ、ミシェット、プリカ、それにみんなも……? ねぇ、みんな、起きて!」
 団員たちも自分と同じように全身に油を浴びせられ、石造りの床の上に転がされているのを見て取り、慌ててクレージュは仲間たちの身体を揺さぶった。う、うんと小さな呻きを漏らしながら次々に団員たちが目を覚まし、身を起こす。
「こ、ここ、どこ……?」
 団員の中では最年少の、プリカが不安そうに周囲を見回してそう呟く。誰もその問いに答えられず、団員たちが互いに顔を見合わせた。わずかな沈黙を挟み、はっとした表情を浮かべてクレージュが団員たちの顔を見渡す。
「ちょ、ちょっと! リンは!? リンはどこに行ったの……!?」
「え……!?」
 クレージュの言葉に、団員たちの間にざわめきが広がる。全員そろっている、という思い込みがあったせいか、それとも異様な状況に誰もが混乱していたのか。言われてみれば、確かに一人足りない。プリカの次に若い少女の姿だけが、この場にない。
「ど、どうなってるの……? わ、私たち、どうなるの……?」
 蒼白になり、唇を震わせてドミナがそう呟く。十代の少女ばかりで構成されたこの一座の中で唯一、二十歳を越えているのが彼女だ。普段は裏方に徹している彼女の呟きに、シーンと重い沈黙が降りる。誰もが不安と恐怖を感じ、それでいて最悪の事態を口には出せないでいるのだ。口に出せば、それが現実になってしまいそうだから……。
「あーっ、もうっ。辛気くさいわねっ。縛られてるわけじゃなし、何とか逃げ出す手段を考えればいいんでしょ!?」
 重い沈黙を破ったのは、一座の中でも最も優れた踊り手のミシェット。気が強く、自分の才能を鼻にかけるところがある彼女はあまり他の団員と良好な関係を保っているわけではないが、それでも彼女の言葉は全員に一筋の希望を与えた。小さく頷いてクレージュが周囲を見回す。
 彼女たちが居るのは、奇妙な部屋だった。それなりに広い部屋なのだが、扉のようなものは見当たらない。また、壁は高さ5m程の部分で途切れていて、天井は更に高い位置にある。もっと大きな部屋の中央部分を、四角くくりぬいてあるような印象だ。何のためにそんな造りになっているのかは、分からないが。
「ミシェット、肩を貸すから、上に登ってみてくれる? あなたが一番身が軽いわけだし……」
「そりゃかまわないけど、アタシの力じゃ他の人を引っ張り上げるのは無理よ? まぁ、プリカぐらいなら何とかなるかもしれないけど……」
 壁に手をついて首だけを捻じ曲げたクレージュの言葉に、数歩下がりながらミシェットがそう応じる。わずかにクレージュが苦笑を浮かべた。
「上に何か、脱出に役に立つものが有るかもしれないでしょ? とりあえず、偵察。嫌?」
「嫌だなんて言ってないでしょっ。ああ、もう、ベタベタして気持ち悪いっ」
 べったりと肌に張りつく服を指で引っ張りながら、ミシェットが毒づく。彼女たちはそういうことはしないが、旅芸人は春を売ることも多い。また、観客となる男の目を喜ばせるという意味もあって、基本的には露出の高い衣装を身にまとうのが普通だ。彼女たちも手足が剥き出しの服を着ていたのだが、それでも油を吸った布地が身体にまといついて動きを阻害している。しかも、足の裏まで油まみれで、下手をすると転んでしまいそうだ。すうっと息を吸い、意識を彼女が集中させたその瞬間。
「おやおや、もう目が覚めたのか。危ないところだったな」
 苦笑混じりの男の声が不意に降ってきた。はっと、全員の集中が声のした方へと集中する。壁の途切れた先に、この館の主、すなわち、領主の姿があった。
「領主様。これは、一体どういうことでしょうか?」
 壁から手を離し、一応の礼儀は守りつつも硬い口調でクレージュが問いかける。くくっと低く笑うと、領主が軽く片手を上げる。屈強な体格の男が、縄で縛られた一人の少女を引きずるようにして団員たちの視界の中へと姿を現した。
「リン!」
「だ、団長……たす、助けて……」
「どういうことです!? 私たちが、一体何をしたと言うのです! このような扱いを受ける覚えはありませんが!?」
 弱々しいリンの呟きに、かっとなったクレージュがきつい口調で領主へと問いを放つ。くくっと、再び低く笑うと領主が軽く肩をすくめた。
「昨日の踊り、見事だった。今度は、別の踊りを見せてもらおうと思ってな」
「別の、踊り? それはどういう……?」
 領主の言葉を理解できなかったのか、怪訝そうにクレージュが問い返す。その表情が、不意にはっとこわばった。視界の中にもう一人、新たな人物が姿を現したのだ。ごくありふれたメイド服に身を包んだ少女が、手に松明を持って。
「ま、まさか……やめてぇっ!」
 クレージュが、叫ぶ。その悲痛な叫びにも何の表情も浮かべず、無表情に、無造作に、メイド服の少女が手にした松明の炎を縄で縛られたリンの身体へと触れさせた。
「きゃっ、きゃああああああぁっ」
 たちまち上がる、リンの悲鳴。やはり全身に油をかけられていたのか、リンの身体が信じられないほど勢いよく炎に包まれる。熱気にあぶられたのかわずかに顔をしかめ、リンを縛る縄を握っていた男がどんっと彼女の背中を突き飛ばした。炎に包まれた少女の身体が5mを落下し、石の床へと叩きつけられる。その衝撃と苦痛に呻く間もなく、炎に包まれた少女は悲鳴を上げながらごろごろと床の上を転がり始めた。
「イヤアアァッ、熱いぃっ、助けてぇっ」
「リンッ!」
 少女の悲鳴に、弾かれたようにドミナが駆け寄る。だが、彼女は忘れていた。自らの身体にも、たっぷりと油が浴びせられていることに。反射的に差し出した手に少女の身体を包む炎が触れた途端、油に炎が燃え移る。
「ヒッ、ヒイイヤアアァッ。アアァッ、熱いっ、嫌あぁっ」
 指先から肘、肩へと勢いよく駆け上がってくる炎に半狂乱になってドミナが腕を振りまわす。その拍子に炎が触れたのか、彼女の太股や胸の辺りからも火が上がった。たちまちのうちに全身を炎で覆われ、人間松明となったドミナが両手を目茶苦茶に振りまわし、よろめくような足取りで部屋の中を走り始める。
「リンッ! ドミナッ!」
 悲痛な叫びをクレージュが上げる。助けたいのはやまやまだが、油にまみれた身ではそれは不可能だ。火を消すために近づけばドミナの二の舞を演じることになる。
「キャアアアッ!」
 目茶苦茶に手を振りまわし、走りまわるドミナが団員の一人に抱きついた。炎の塊となったドミナに抱きつかれた少女が、同様に炎に包まれて絶叫する。どんっとドミナを突き離すが、既に遅い。突き飛ばされたドミナと縛られたままのリンがごろごろと床の上を転がりまわり、新たに炎に包まれた団員が先程までのドミナと同じように両手を振りまわし、悲鳴を上げながら走り始める。彼女たちの身体から滴り、床に散った油にも炎が移ってそこかしこで炎を噴き上げ始めた。
「いやぁっ、来ないでっ」
 ミシェットが悲鳴を上げ、炎に包まれた団員から逃げようと走り出した。その言葉がきっかけになり、団員たちが口々に悲鳴を上げながらそれぞれ走り始める。阿鼻叫喚の、地獄が幕を開けた……。

「くくっ、くくくっ。無様なものよな。昨日まで苦楽を共にしてきた仲間を押しのけてでも助かりたいか」
 眼下で繰り広げられる地獄絵図を眺めながら、領主が楽しげに笑う。彼の視線の先では、十人あまりの少女たちが必死の形相で部屋の中を駆けまわっていた。油で滑って転ぶものが居る。他人に押しのけられ、よろけた拍子に床の炎に触れて火だるまとなるものが居る。突き飛ばされ、炎の塊となったかつての仲間と抱きあうようにして床に転がるものも居る。誰の口からも悲鳴があふれ出し、表情は引きつっている。
「貴重な、油を……」
 領主とは少し離れた場所に立ち、沈痛な表情で地獄絵図を眺めていたクリスがぼそりとそう呟いた。旅芸人の一座に浴びせられているのは、揮発性は低く、引火性は高い、そんな特殊な調合の油だ。彼女の家に秘伝として伝えられていたものだが、それはこんな風に無意味に消費されるたぐいの物ではないはずなのだ。無意味な虐殺のために使われるぐらいなら、いっそ捨てられた方がましとさえ思う。
 きゅっとした唇を噛んだクリスの肩に、ぽんっと誰かの手が置かれた。振り返ったクリスの瞳を正面から見つめ、ミレニアが小さく首を左右に振る。わずかに苦笑のような笑みを口元にひらめかせ、クリスは小さく頷き返した。そんなやりとりが交わされていることにも気付いていないのか、領主は楽しそうに瞳を輝かせて眼下に繰り広げられる惨劇の様を眺めている。

「来ないでっ、来ないでったらぁっ。アタシは、こんなとこで死ぬわけにはいかないんだからっ」
 助けを求めるように手をこちらに伸ばし、悲鳴を上げながら駆け寄ってくる火だるまになった団員。それを避けながらミシェットが叫ぶ。身をかわされた団員がそのままよろよろと走りすぎ、壁にぶつかって転んだ。相変わらず悲鳴を上げつづけ、身体を掻きむしるようにしながら床の上を転がり始めた彼女には視線も向けず、ミシェットは自分の服に手をかけた。たっぷりと油を吸い、炎がかすめただけでたちまち燃え上がるような服を着てるからいけない、と、そう考えたのだ。
「こんなのっ、着てるからぁっ」
 叫びつつ、べったりと肌に張りつき、動きを阻害する服をミシェットが脱ぎ捨てる。すらりとした裸身を惜し気もなくさらし、彼女は展開される地獄絵図をじっとにらみつけた。他の誰が死のうと関係ない。ただ、自分が生き残るのが最優先だ。こんなところで終わっていい人間では自分はないのだ。
「お姉ちゃぁん、助けてぇっ」
 泣きべそをかいたプリカが、駆け寄ってくる。彼女はまだ、炎に包まれてはいない。ただ、その背後から炎に包まれた団員の一人が近づいて来ていた。追いかけられ、恐怖に表情を引きつらせてまだ十二になったばかりの幼い少女が助けを求めている。
「来ないでって、言ってるでしょっ!!」
 怒りの形相を浮かべ、ミシェットが右足を伸ばしてどんっとプリカの胸を蹴り飛ばした。驚愕に大きく目を見開き、小柄なプリカの身体が後ろにふっとぶ。すぐ後ろに迫っていた、火だるまになった団員を巻き込んでプリカは床の上に倒れ込んだ。
「ひっ、ひいやあああぁっ」
 背中が一瞬にして燃え上がり、悲鳴を上げながら弾かれたようにプリカが跳ね起きる。
「ヤダッ、ヤダヤダヤダッ、助けてぇっ」
 背中に炎を背負ったプリカが半狂乱になり、ミシェットの方へと走り出す。炎から逃れようというのか、ぴょんぴょんと飛び跳ねるようにして向かってくるプリカの顔へと、ミシェットは手にしたままだった自分の服を投げつけた。ばさり、と、プリカの顔を油に濡れた布地が包み込む。巻きつくような格好になった布地の先端が、プリカの背中から全身へと燃え移りつつある炎に触れ、ぼっと燃え上がった。
「むぐっ、むぐぐぅぁっ」
 炎に顔を包まれ、くぐもった呻きを漏らしながらプリカが床の上を転げる。何とか巻きついた布をむしり取ろうと手を伸ばすが、油で湿った布地はべったりと張りついていてなかなか取れない。冷静な時ならともかく、炎に包まれてパニックを起こしている今なら尚更だ。
「はぁ、はぁ、はぁ……死んでたまるもんか。こんなとこで、死んでたまるもんかっ」
 荒い息をつきながら、鬼気迫る形相でミシェットがそう呟く。つつっと後ずさり、背中を壁にぴったりと付けると彼女は炎に包まれた人間が踊り狂う惨劇の光景をじっと見つめた。仲間たちの半分は炎に包まれて床を転がりまわるか走りまわるかしており、残る人間は無秩序に動きまわる炎の塊から逃れようと必死の形相でやはり駆けまわっている。あちこちで人間同士がぶつかりあい、悲鳴が上がる。床の上にはいくつか、黒焦げになって動かなくなった塊も見えた。
「死ぬもんか……死ぬもんかっ。うぁっ!?」
 突然、左肩に衝撃と痛みを感じ、ミシェットが悲鳴を上げた。はっと視線を向けた先で、二つの炎が踊る。一つは、床に転がった松明の炎。そしてもう一つは……燃え上がった自分の左肩だ。(挿絵)
「ひっ、ひいいぃやああぁっ、熱っ、あっ、あっ、ああああぁっ」
 大きく目を見開き、絶叫しながらミシェットが火を消そうと自分の左肩を右の掌でばんばんと叩く。だが炎はいっこうに弱まらず、逆に右手に炎が燃え移った。
「あぎっ、ぎっ、ぎゃあああああぁっ! やっ、やだぁっ、助けっ、あっ、あっ、熱いぃっ」
 服を脱ぎ捨てたところで、肌にはべっとりと引火性の高い油が付着している。服を着たままであれば全身にあっさりと炎が回り、苦しむ時間はむしろ少なくなっただろうに、服を脱ぎ捨てていたミシェットはゆっくりと全身に炎が広がっていく苦痛を味あわされることになった。じりじりと自分の身体が焼けていくのを感じながら、ミシェットが踊り狂う。
「いやあああああぁっ、助けてえぇっ、誰、誰かっ、火を消してぇっ。いやああああぁっ」
 左肩から燃え広がる炎は肘から左の乳房、左頬の辺りまでを覆い、右掌に移った炎は肘の辺りまでその勢力を広げている。右手の火を消そうと太股の辺りに掌を叩きつけたせいで、両方の太股も燃え上がり始めていた。炎で出来た衣装をまとい、絶叫を上げながらミシェットは死の舞踏を踊り始めた。

「おやおや、ミレニア。お前はあの娘に賭けていたのではなかったかな? あのままいけば、お前の勝ちだったろうに……それほど、あの娘の行為の醜悪さが気に入らなかったか?」
 全身を燃え上がらせた他の娘たちとは異なり、身体に炎を衣装のようにまとって踊り狂うミシェットの姿を眺めながら、領主が苦笑を浮かべてミレニアにそう問いかける。その手から松明を落とし、ミシェットの身体を燃え上がらせた張本人であるミレニアが無表情に領主の顔を見返した。
「……手を、滑らせただけです。他意はありません」
「くくっ、くくく……そうか。まぁ、そういうことにしておくか。おや、また一人、燃えたな。残りは……ふむ、三人か。この分だと、私の勝ちかな?」
 楽しそうに笑い、領主がそう呟く。人間が燃える炎に照らし出され、その顔が赤く染まって見えた。踊り狂うミシェットを避け損ねた少女がたちまち炎に包まれ、絶叫を放って手足をばたつかせて踊り始める。これで、まだ炎に包まれていないのは二人だけになった。

「あああぁっ、死ぬのはイヤッ、ああっ、死ぬのはイヤァッ。助け、助けてっ、ああっ、熱いっ、イヤアアァッ」
 悲鳴を上げながら、炎に包まれたミシェットが走る。さっきぶつかった少女は床の上に転がり、か細い苦鳴を上げてひくひくと断末魔の痙攣を見せていた。激しい動きを見せているのは、ミシェットとまだ炎に包まれていない二人だけだ。他の団員たちはみな、床の上に転がる黒焦げの燃死体となるか、もしくはなりかけて痙攣しているかのどちらかだ。
「あっ」
 ミシェットに追いかけまわされるような格好で走っていた二人の生き残り。だが、ついにずるっと足を滑らせてクレージュが床の上に倒れ込んだ。身体を半分ひねるようにして顔を上げ、恐怖と絶望に表情を引きつらせて迫ってくるミシェットのことを見つめる。その時、横合いから一つの影がミシェットへと飛びかかった。
「団長! 危ないっ」
「アークエン!?」
 二つの叫びが交錯する。一座の中では一番の新顔、つい先月仲間に加わったばかりの少女が、炎に包まれたミシェットに抱きつくようにして床の上に倒れ込む。もちろん、彼女も全身油まみれだ。たちまちのうちにミシェットの身体から炎が燃え移り、彼女の全身が炎に包まれる。
「ひっ、ひいいぃっ、イヤァッ、死ぬのはイヤァッ。ギイイィ……ッ」
 大きな叫びを上げ、覆い被さったアークエンのことを振りほどこうとミシェットが手足をばたつかせる。全身を炎に包まれ、苦痛の呻きを漏らしながら、しかしアークエンはしっかりとミシェットの身体を押さえ込んでいた。
「アークエン、あなた……!?」
「よかった……団長が、無事で……」
 身体を起こしながら、信じられないというように呟くクレージュへと、炎に包まれた顔を向けてアークエンが小さく微笑む。呆然として見つめるクレージュの目の前で、二人の少女がもつれるように抱き合って燃えている。
「何にも出来ない私を、拾ってもらって……嬉しかった……よかった……恩返し、が、出来て……」
 小さな呟きが掠れて消え、がっくりとアークエンが崩れ落ちる。何時の間にかミシェットの悲鳴も消えており、ぱちぱちという人間の燃える音だけが周囲に響いていた。自分以外に動くものの居なくなった部屋の中に立ち上がり、拳を握り締めてクレージュがキッと領主のことをにらみつけた。
「ボクたちが一体何をしたっていうんだ!? 何で、何でこんな酷い目にあわされなきゃいけないんだ!!」
「くっくっく、威勢がいいな。礼を言おう。なかなか、面白い見せ物だったよ。賭けにも勝てたことだし、お前だけでも生命を助けてやってもいいんだが……まぁ、お前一人生き延びるというのも不公平だな。仲間のところに逝ってもらおうか」
 クレージュの血を吐くような叫びに、楽しそうに笑って領主がそう応じる。同時に、ごごごっと低い唸りが周囲に響いた。クレージュが居る空間を部屋とするなら天井、領主たちが居る方から見れば床に当たる部分へと鉄の板がせり出してくる。領主の足元と、その反対側の一辺から。
「待てっ! 答えろよっ。何で、何でお前はこんな酷いことが出来るんだ!? ボクたちを殺しておいて、面白い見せ物? 賭けに勝てた? 冗談じゃない! ボクたちの、人の生命をなんだと思ってるんだ!?」
 ずりずりとせり出してくる鉄板が、クレージュの視線から領主の姿を遮ろうとする。完全に姿が見えなくなる寸前、くくっとまた領主が楽しそうに笑った。
「決まっているだろう? ただの玩具おもちゃだよ」
 ガシャンッ、と、二枚の鉄板がぶつかり合って閉じる。最後に聞かされた領主の言葉に、がっくりとクレージュはその場に膝をついた。団員たちを燃やす炎のおかげで、鉄板が閉じたにもかかわらず周囲は明るい。
「どうして……ボクたちが、こんな目にあわなきゃいけないのさ……?」
 ぎゅっと、床の上で拳を握り締めてクレージュがそう呟く。細い肩が振るえ、床へと涙が落ちた。
 しばらく、そうやって声もなく泣いていたクレージュが、不意にぐらりとバランスを崩して床の上に倒れ込んだ。両手で喉元を押さえ、苦悶の表情を浮かべる。
「か、は……っ。な、なに……? い、息が、苦し、い……」
 密閉された空間で炎が燃えているのだ。酸素はどんどんと消費されている。ごろんと仰向けに大の字に転がり、薄くなった空気を懸命に吸い込むクレージュ。ぶるぶるっと全身が窒息の苦しみに痙攣を始め、かはっ、かはっと喘ぎながらクレージュが右手を天井へと向けて伸ばす。
「苦、しい……息が、出来、ない……かはっ。だ、誰、か……助け、て……」
 酸素が少なくなったせいで、次々と炎が消えていく。急速に闇が広がっている部屋の中にクレージュの苦悶の呟きが微かに響いた。きゅうっと身体を弓なりに反らせ、天井へと差し延べた右手が数度激しく痙攣する。大きく開かれたクレージュの瞳が濁り、ぱたりと右手が床に落ちるのとほぼ同時に、最後まで燃えていたアークエンの炎が消えた……。
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