8月16日 晴

 先日、このお屋敷で長い間メイド頭を勤めていた人が辞めていきました。いくらメイドとはいえ、このお屋敷で20年以上も仕事を続けられたというのは凄いことだと思います。
 もっとも、彼女は自分が辞めるのと入れ変わりになるような形で、自分の娘をメイドとして御奉公に上げています。口の悪い人なんかは、自分が助かるために娘を犠牲にして逃げたんだ、なんて言ってましたけど、私個人としてはそれはただの誹謗中傷の類じゃないかなって思います。環境はともかくとして、このお屋敷で働くとかなり高給をもらえる訳ですし、自分が20年も勤め上げたのだから娘も大丈夫だろう、と、そう判断したんじゃないでしょうか。
 ……結果的には、他の人たちの言葉を否定できないような状況になってしまいましたけど。
 それと、久しぶりに私に同室の人が出来ました。領主様に個室を与えられて以来、ずっと一人だったので嬉しいです。もっとも、その相手と言うのはメイドでも側室でもなく、拷問人ですけれど。
 本当は、領主様は拷問人である彼女には別の部屋を一人で使わせる予定だったそうです。ただ、このお屋敷は中央の中庭を囲んで十字架型に四つの建物が配置されているんですけど、領主様御自身や私たちが生活している南館にはもう余分の部屋はありませんし、妊娠している領主夫人が生活している北館に不浄な拷問人を入れる訳にも行きません。だから、普段使っていない東館か西館の部屋を掃除して使わせるつもりだったみたいです。それは面倒だからという理由をつけて、私が自分と一緒の部屋にして欲しいと領主様に頼んだわけですけど、随分と領主様はびっくりしていました。本音を言えば、一人で個室に居るのは寂しいから、というだけの話なんですけど。今の私の部屋は、個室といってもかなり大き目で、二人で使っても何の問題もないですから。
 結局、私の意見が通って私と彼女が同室、ということになりました。元々私が使っていた部屋は、他のメイドの人たちが使っている部屋がある辺りから少し離れていましたし。それでも他の人たちは、拷問人と一緒に生活するなんてとんでもないって顔をしてましたけど、私だって名目はともかくとして実質は似たようなものですから。
 何でも、彼女は元々居た町の教会の司教様が変わって、折りあいが悪くなったので旅に出たそうです。普通は拷問人と言うのは生まれた町を離れることはありませんし、他の町に行ってもまず仕事なんて出来ないですから、折りあいが悪くなったというのはただの方便で、実際には追放されたんじゃないかな、とか私は勝手に思っています。流石に、そんなことは聞けないから本当のところは分かりませんけど。
 彼女--クリスチーナって名前だそうですけど、本人の希望もあってクリスさん、って呼んでいます--は私より二つ年上で、落ち着いた感じの奇麗な人です。ちょっと堅苦しいところもあるみたいですけど、私みたいな暗い人間とも普通に接してくれるいい人です。どんな人でも--たとえ向こうから無視されたり嫌われたりしてしまっても--同じ部屋で暮らす相手が居た方がいい、とだけ思っていたんですけど、この分なら少しはこのお屋敷での辛い生活も楽しくなりそうです。もっとも、流石に本職の拷問人ということなのか、来ていきなりだというのに領主様の残酷な命令に平然と従っていましたけれど……。

 大きな板の上に、十二、三歳ほどの幼い女の子が大の字に縛り付けられている。恐怖と絶望に表情を歪め、はぁはぁと浅い息を吐いていた。ここ三日ほど、水以外は何も与えられていないせいか、だいぶ衰弱している。
「どうして……? どうして、ミミが……?」
 自分がどうしてこんなひどい目に会わなければならないのか、まったく理解できない様子で小さく彼女がそう呟く。つうっと彼女の薄い胸から腹にかけて指を走らせ、領主が笑いを浮かべた。
「若い娘の方が、肉が柔らかくて旨いからな。せいぜい、こんな所で朽ち果てる己の不幸を呪うがいい」
「う、うまい……? ミ、ミミを、食べる、の……!?」
 信じられないというように、ミミがそう叫んだ。震えている彼女の腹を軽く指で押し、領主が笑う。
「普通の食材には飽きていてな。ヨカルには感謝しなければな。なかなかにいい食材を届けてくれたようだ」
「う、嘘よ。お、お母さんが、そんなこと……するはず、ないもん!」
「信じるかどうかはお前の勝手だな、確かに。だが、真相がどうあれ、結果は同じだ」
 あっさりとそう言い放ち、領主が後ろを振り返る。下男のバルボア、メイドのミレニアと言ういつもの二人に加え、今日はもう一人の少女が同席していた。飾り気のない皮製の服に、顔全体を覆う鉄の仮面。腰に二つの鈴をぶら下げた、拷問人の少女だ。
「さて、クリス。お前の腕前、確かめさせてもらおうか。触れ込み通りの腕であることを祈っておるよ。私のためにも、お前自身のためにもな」
 くくくっと含み笑いをしながら、領主がそう言う。言外に、期待に答えられなければお前も殺す、と言っているも同然の態度だ。仮面のために表情は読み取れないが、微かに頷いてクリスは台の上の少女へと歩み寄った。
「い、いやっ、なに、なにするの!?」
 怯え、泣きながらミミが顔を左右に振る。そんな彼女の僅かばかりの抵抗には一切かまわず、クリスが彼女の右腕の付け根辺りに皮紐を巻き付けた。バルボアがその紐の端を受け取り、力を込めて引く。ぎゅっと輪になった紐の先端が締まり、ミミの腕に食い込んでいく。
「い、痛いっ……」
 幼い顔を苦痛に歪め、ミミが呻いた。クリスが充分に引き絞った皮紐をもう一度腕に巻き付け、更に引いてから結ぶ。血管が圧迫され、ミミの腕が赤紫色に染まっていく。
 クリスが更にもう一本の皮紐を取り出し、今度は肘と肩の間辺りに巻き付けた。同じようにバルボアが引き絞り、食い込ませる。額に汗を浮かべ、ミミが小さく呻いた。腕の先にしびれるような熱いような、そんな微妙な感覚が走る。肘から先が青紫色に変わったのを確認してから、クリスがバルボアに湾曲した片刃の剣を渡す。苦痛に左右に頭を揺すっていたミミがふとその剣に目を止め、ひっと息を飲んだ。
「やだっ、やだやだやだぁっ。やめてぇっ」
 ミミの上げる悲鳴に、領主が唇を楽しそうに歪める。無言・無表情でバルボアが剣の先端を台の上に置く。クリスがその先端を押さえ、バルボアが柄を押し下げる。てこの原理にしたがって動いた剣が、ミミの肘に食い込み、ゆっくりと断ち切っていく。腕を徐々に切断される痛みにびくんと身体を震わせ、ミミが絶叫を上げる。皮紐で二重に血管を圧迫されているせいか、出血量はさほどでもない。
 一分近くの時間をかけ、ミミの腕が完全に切断された。ごろんと転がったその腕をミレニアが拾い上げ、切断面に掌を押し当ててあふれる血を押さえる。もちろんそんなことで完全に押さえ切れるはずもないが、ともかく、彼女はそのまま壁の方へと走り、そこから生えた鋭い針に掌を刺して壁に腕をぶら下げた。切断面からぽたぽたとこぼれる血は、床に置かれた壷の中に落ちていく。
 ミレニアが腕を運んでいる間に、クリスとバルボアの二人は右腕と同じようにミミの左腕にも皮紐を巻き付けていた。右腕を切断されたショックからか、ひくひくと身体を痙攣させるだけでミミは大きな動きは見せない。
 掌をエプロンで拭いながら、ミレニアが台の方に戻ってくる。ちらりとそちらの方に視線を向けると、クリスはバルボアに再び剣を渡した。同じようにゆっくりとミミの左腕を切断する。ギイィッっと濁った悲鳴を上げ、ミミが上体を起こした。手首と足首で拘束されていただけだから、両腕を切断された今彼女の上体を押さえるものはない。
「動かないで」
 そっけない言葉と共に、クリスが右腕を振るう。喉元を腕で打たれ、そのままミミは台へと叩き付けられた。後頭部を台にぶつけて弱々しく呻く。脳震盪ぐらいは、起こしたかもしれない。
 ミレニアが、ミミの左腕を運び去る。右腕を刺した針に同じように刺し、二つの断面から滴る血がうまく落ちるように壷の位置を調整する。それを済ませると、彼女は台の上に登ってミミの胸の上にまたがった。くるしげに呻いたミミが、自分を押さえつけているミレニアへと哀願の声を向ける。
「お、姉ちゃん……助け、て……」
「……クリスさん? 続きは?」
 ミミの声など聞こえていないような態度で、ミレニアが肩ごしに振り返ってクリスに問いかける。一回軽く頭を振ると、クリスはミミの太股へと皮紐を巻き付けた。
「慣れてる、のね……」
「え?」
「いえ……なんでもないわ」
 肩ごしに振り返り、問い返してきたミレニアに首を振って答えると、クリスは止血処置を続けた。両手両足を切断しても、それだけでは致命傷にはならない。ただ、放っておくと出血多量で確実に死に至る。今回の領主の要望に答えるためには、出来る限り出血を押さえる必要があった。切断するのに斧を使わず、わざわざ二人がかりでゆっくりと切るのも、ミミに長く苦痛を味合わせるためというよりはショックを防ぐためだ。一思いに切断した場合、そのショックで心臓が止まる危険性がある。
 足に走る血管は腕のものよりも太い。クリスは二重に巻き付けた皮紐の間に木の棒を挟んでからバルボアに引き絞らせた。充分に食い込んだのを確認してから、その木の棒を回転させて皮紐を巻き込ませ、更に深く皮紐を食い込ませる。肉の間に完全に食い込んで皮紐が姿を消し、痛みにミミが身体をびくびくっと動かす。同じような仕掛けを、膝との間にもう一つ作り、腕を切断したのと同じように刃を押し当てて膝の部分で足を切断する。太い分腕よりも余分に時間がかかり、苦痛が長引いたミミが泣き叫ぶ。出血を押さえ、少しでも長く生き延びさせるための処置が彼女のことを苦しめているのだから皮肉な話だ。
「ギィッ」
 ごとっと、重い音を立てて断ち切られた足が台の上に転がる。きつく縛られ、血行を阻害された影響か、足の先の方は半分麻痺していたので痛みはそれほどでもない。だが、それでも足を切り落とされる痛みと衝撃は大きかったのか、ミミの口の端に白い泡が浮かんだ。
 ミレニアが、ミミの上から降りると切り落とされた足を持って壁へと走った。天井から吊るされたロープの先端の輪に足首を通し、吊るす。ぼたぼたと切断面から落ちる血が腕からの血を受けていた壷とは別の壷の中に溜められていく。切断された両腕と右足をばたつかせ、暴れるミミの身体をバルボアが押さえ込み、クリスが腰に下げた筒の中身を彼女の口の中に注ぎ込む。怪訝そうに領主がクリスに問いかけた。
「ん? 何だ? それは」
「酒の中にいくつかの薬草を混ぜたもので、沈痛・麻酔の効果があります」
 一応は領主の方に視線を向けたものの、そっけない口調でクリスがそう答える。眉をしかめて領主が椅子から腰を浮かせた。
「痛み止めか……?」
「殺すな、そして、気絶もさせるな。そう命じられたはずですが? 御心配なく、多少鈍くしただけです」
「しかし……」
 なおも言いつのろうとする領主の視線が、台の側に戻る途中のミレニアに遮られる。口をつぐんだ領主の方に、無表情にミレニアが視線を向けた。
「彼女のやりたいようにさせてはいかがですか?」
「ふ、む……。まぁ、よかろう。続けろ」
 椅子に座り直し、領主が面倒そうに手を振る。それを確認したのかどうか、クリスはミミの唯一残った左足の太股に皮紐を巻き付けていく。バルボアと入れ変わり、ミミの上にまたがるとひくひくと痙攣を続ける彼女のことを無表情にミレニアが見下ろしている。
 バルボアが皮紐を引き絞り、更に木の棒を回して深く食い込ませる。膝に刃を当て、ゆっくりと断ち切る。既に定番となった『処理』を行い、ミミの足を切り落とす。両手両足を断ち切られ、ミミが手足をばたばたと暴れさせた。付け根と切断面の側、二ヶ所にきつく皮紐が巻かれた手足は、完全に紫色に変色している。いくら出血を押さえているとはいえ完全に押さえきれる訳ではないし、台の上に転がった先端部分からあふれた血もある。ミミが暴れるたびにぴちゃぴちゃと血溜りが音を立てた。
 ミレニアが、切り落とされた左足を右足の横に吊るす。二本の足からこぼれおちる血がきちんと壷に溜まっていくのを確認すると、ミレニアは横に吊るされた腕の方に視線を向けた。既にほとんど血の流れ切ったそれを両手で掴み、手首の方から握るようにして残った血も絞り出す。
「ギィッ。い、痛いよぉ……助けて……」
 皮紐の中間、紫に変色した腕に太い釘を打ち込まれ、ミミが悲鳴と弱々しい哀願の声を上げる。精一杯の抵抗か手足をばたつかせ、もがいているのだが、幼い彼女の力ではどうにもならない。
「い、いや……やああぁっ」
 ミミが悲痛な叫びを上げる。それにはかまわずに、バルボアとクリスの二人はミミの両手、両足を板へと釘で打ち付けていった。大きく目を見開き、びくんびくんとミミが身体を震わせる。
 二人がそんな作業をしている間、壁際に作られた作業台ではミレニアが壁から外したミミの両腕から大きな包丁を使って肉を削ぎ落としていた。削ぎ取った肉は台の上に置かれた挽肉機の中に入れられていく。挽肉機がいっぱいになると、まだ肉片のこびりついている骨を台の上に置いてミレニアが挽肉機のハンドルを回した。ボウルの中に、にゅるにゅるっと挽かれたミミの腕肉が吐き出される。
 ミミの四肢を釘づけにしおえたバルボアが、ミレニアの横に立って作業を手伝い始める。クリスはといえば、ミミの額に浮かんだ汗を拭い、半開きになった彼女の口に薬を注いでいる。
 ざくざくと、バルボアが無造作に足の骨から肉を切り離し、挽肉機の中に放り込む。ミレニアがハンドルを回し、大量の挽き肉を作っていく。二人とも完全に無表情で、とても人間の肉を扱っているようには見えない。
「……準備は、出来ましたか?」
 クリスが視線を二人の方に向けてそう問いかける。薬が効いてきたのか、ぼやけかけていたミミの瞳がのろのろと動き、クリスの右手に握られた小さな刃物に止まる。小さく呻いて身体を震わせるミミの腹へと、すっとクリスが手にした刃物を押し当てた。
「ひっ……きゃあああっ」
 びくんっと身体を震わせ、ミミが悲鳴を上げる。すうっと刃物が走り、ミミの腹を縦に切り裂く。更に傷の上下の端から左右に刃物を走らせ、扉のようにミミの腹を開く。その動作に淀みはなく、いかにも手慣れた作業といった感じだ。意外と、出血は少ない。
「い、や……やだ、やめて……ぐぎぃっ!」
 絶食のため、からっぽの腸をクリスが引き出す。ぶつっと胃の下の辺りで腸を切断すると、クリスはその端をバルボアに手渡した。ミレニアが部屋の端から木製のローラーを持ってきて、バルボアがそこに腸の端を釘づけにする。腹を裂かれたショックでひくひくと痙攣しているミミが、涙を流しながら顔を左右に振った。(挿絵
「やめ、て……ぎゃあああああっ」
 ミレニアがローラーを回す。腸がミミの腹から引きずり出され、木の棒に巻き取られていく。大きく目を見開き、びくびくっと何度も身体を震わせるミミ。激痛に悲痛な悲鳴を上げるが、誰一人として同情の表情を浮かべるものは居ない。
「ひぎっ、ぎぎゃぁっ、ぎゃ、ぎぃっ!」
 口の端に白い泡を浮かべ、ミミが身悶える。ずる、ずるっと腸が腹から引きずり出され、木のローラーへと巻き取られていく。ゆっくりと2m以上も腸を引きずり出すと、ミレニアが手を止めた。刃物を振るって腸を切断し、クリスがはみ出した腸を腹の中へと押し込む。そのまま胃の下の傷と腸の傷を重ね、クリスは針と胃とで縫いあわせ始めた。針が通るたびに悲鳴をあげ、血の混じった泡を口から飛ばしてミミが身悶える。
 その間に、ミレニアがローラーに巻き取った腸の端を結び、袋状にする。豚の腸よりは多少太目なそれを、少し強引に腸詰め機にセットすると、バルボアとミレニアの二人はさっき挽き肉にしたミミの肉を彼女の腸の中に詰め始めた。
「代わりましょう」
 腹の傷を針と糸で縫いあわせ、ミミの口に薬を注ぐ。それを終えるとクリスがミレニアの横に歩み寄ってそう言った。無表情に顔をあげ、自分の方へと視線を向けてくる彼女に向かってクリスが言葉を続ける。
「彼女の髪でも撫でてあげてください。多少は、気が落ち着きますから」
「……かまいませんか?」
 ミレニアが、領主の方に向かってそう問いかける。軽く首を傾げて領主がミレニアとミミへと視線を交互に走らせた。
「ふん。好きにするがいい」
「はい」
 小さく頷いて、ミレニアがミミの側に移動する。口の端からよだれを垂れ流し、ミミが身体を痙攣させている。ミレニアの手が彼女の髪に触れると、のろのろと瞳が動いた。
「お、姉、ちゃん……痛いよ……助け、て……」
 ミミの口からか細い哀願の声が漏れ、瞳から涙があふれる。無言のまま、ミレニアは彼女の髪を撫でている。その顔には何の感情も浮かんではいない。(挿絵)
 中に肉の詰められたミミの腸にいくつものひねりを作り、薫製用の箱の中に吊るす。チップを入れて火を付けると、バルボアとクリスが領主の側に移動した。
「後は、待つだけか。それも退屈なものだな」
「……これ以上の責めは、殺す危険が高すぎますが?」
 領主の言葉に、クリスが静かにそう答える。領主がにやりと唇を歪めた。
「そこを何とかするのが、一流の拷問人の腕ではないのかな?」
「しかし……」
「私の命令が聞けないのか?」
 クリスの抗弁に、領主が僅かに不快げに眉を寄せる。一瞬クリスが沈黙した。ここで領主の機嫌を損ねるのは得策ではないが、かといって彼の要求どおり更なる拷問を加えればミミの命はない。既に最終的に殺すことが確定しているとはいえ、まだ生きていてもらわなければ困る相手だ。どうしようか、と、クリスが僅かに考え込む。そこへ、ミレニアが口を挟んだ。
「領主様。楽しみは後に、とも申します。あれもこれもと欲張って全てをなくす必要もないのではないでしょうか」
「……ふ、む。まぁ、お前がそう言うならかまわんか」
 少し意表を突かれたような表情を浮かべて領主がそう呟く。クリスが領主とミレニアの顔へと交互に視線を走らせた。既にミレニアは視線をミミへと戻していて、クリスとは視線はあわない。
 小さく、クリスは溜息をついた。

 鍋の中に湯が満たされ、薫製を終えた腸詰めが茹で上げられていく。その横では、ミレニアとバルボアが壷に溜められたミミの血をすくって豚の腸へと注いでいた。こちらも、肉を詰めたものと同じようにひねりを作り、湯の中へと入れられる。
 領主が椅子から立ちあがり、鍋の中を覗き込む。普通のものよりはだいぶ太いが、それでも外見はあまり変わらない腸詰めが湯の中で踊っていた。作るところを見ていなければ、人間の腸の中に人肉を詰めたものだとは分からないかもしれない。血を満たされた方の腸詰めは、湯の熱によって血が固まり、真っ黒になっているが、こちらも豚の血で作る『黒い腸詰め』というものが存在するから、やはり知らなければ中に詰まっているのが人間の血だとは分からないだろう。
 茹であがった腸詰めを、皿の上に盛ってミレニアが領主へと差し出す。一本をつまみ上げると、領主はそれに食いついた。ぶつっといい歯ごたえがして、口の中に肉の味が広がる。くっと、満足そうに領主が唇を歪めた。
「やはり、若い娘の肉は旨いな」
 そう呟きながら、更に皿の上の腸詰めを手に取る。今度はすぐにかぶりつこうとはせず、台の上に張り付けられたミミの方へと歩いていく。
「三日も何も口にしていないからな。さぞかし腹が減っているだろう? 茹でたての腸詰めだ、食うがいい」
 笑いながら、ミミの唇へと腸詰めの先端を押し当てる。飲まされたアルコール分と痛みで意識がもうろうとしているミミが、僅かに口を開けた。領主の言葉通り、耐えがたいほどの空腹感があったのもその理由の一つだろう。弱々しく顎が動き、口の中に押し込まれた腸詰めを食い千切る。
「くくく……旨いか? 自分の肉で出来た腸詰めは」
「!?」
 領主の言葉に、ミミが大きく目を見開く。領主が更に口の中へと腸詰めを押し込もうとするが、堅く歯を食い縛ってミミはそれに抵抗した。そんなわずかな抵抗を笑いながら領主が左手でミミの鼻をつまむ。呼吸を止められ、ミミの顔が真っ赤に染まる。
「む、ぐ……ぷはぁっ。むぐぅっ」
 耐えきれずに大きく口を開けたミミが、口の中に腸詰めを押し込まれてくぐもった呻きをもらす。太い腸詰めを彼女の口一杯にほおばらせると、領主は左手をミミのきゃしゃな顎にかけ、閉じさせる。自分の意思によらずに顎を上下させられ、食べたくもないものを食べさせられてミミが涙を流して身悶える。
「う、むぅ……むぐ、ぐぅっ」
 強烈な嘔吐感が胸の奥から沸きあがる。人の肉を食べる、そんなことは想像するだけでも身の毛がよだつが、それが自分の肉ともなればなおさらだ。けれど、口と顎を押さえられた今の状態では抵抗も出来ない。ポロポロと涙を流しながら、自分の肉で出来た腸詰めを咀嚼し、飲み込むしかない。
「おかわりは、要りますか?」
 ミミへか、それとも領主へか。少し判断のつけがたい口調でミレニアがそう問いかける。くくっと低く笑い、領主が彼女たちの方へと視線を向けた。
「もらおうか。ああ、たっぷりあるからな。お前たちも好きなだけ食べるがいい」
「はい」
 小さく頷き、ミレニアが腸詰めの盛られた皿を領主の方へと差し出す。そこから一本を取ってミミの顔の前に突き付けると、領主がそれを自分の口の中に放り込む。それを横目で見ながら、ミレニアがバルボアとクリスの方へと皿を差し出す。
「どうぞ」
 むすっとしたまま、バルボアが皿の上から腸詰めを数本まとめて掴む。流石に手を出しかねているクリスへと無表情にミレニアが視線を向けた。
「一本だけでも、どうぞ」
「……え、ええ」
 少し気圧されたような口調で頷くと、クリスが腸詰めの一本を手に取る。ミレニア自身も黒い血の腸詰めを手に取ってほおばった。ぷつっと噛み切られた断面から、どろりと血があふれ出す。口元を汚した血を服の袖で拭いつつ、ミレニアがぽつりと呟いた。
「少し、生でしたね」
「そ、そう……」
 どう反応していいのか分からず、クリスが曖昧に頷く。仮面を外すと、ぎゅっと目を閉じてクリスも腸詰めをかじった。吐き出したくなる衝動を必死で押さえ、何とか飲み込む。
「やだよぉ……なんで……なの? もぅ、やだぁ……!」
 ひっく、ひっくとすすり上げながら、ミミがか細い声を上げる。口の中にねじこまれる腸詰めを、吐き出す気力ももう既にない。口の中に押し込まれ、顎に手をかけて強引に食べさせられている。
「どうぞ」
 ミレニアが、指でつまんだ腸詰めを領主の方へと差し出す。そのままかぶりついた領主がにやっと笑った。血の広がる台の上に腰かけ、ミレニアがミミの小さな唇を指でなぞる。弱々しく開いた彼女の口へとミレニアが腸詰めを押し込み、領主が顎を手で動かして噛ませる。
 ぐぅっと呻いてミミが身体をのけぞらせた。咳込んだ拍子に、口の中から肉片が飛び出して彼女の口の周りを汚す。無表情に指を伸ばし、ミレニアが吐き出された肉片をミミの口の中に押し込み直す。
「慣れてる……だけじゃない、の?」
 何の表情も浮かべていないミレニアへと視線を向け、小さくクリスがそう呟いた……。
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