第五話 お澄

 薄暗い土蔵の中心近くに、人の腰ほどの高さの大きな箱が置かれている。その上に両手両足を広げた形でお澄は縛りつけられていた。衣服を脱がされてはいないが、服の裾が捲りあげられているせいで今までの拷訊によって受けた鞭や焼ゴテの跡が白い肌に刻みこまれているのがよく分かる。
 そして、その前に並ばされている人間が、三人。既に転んだお滝、お冬、そして心太の三人である。一様に暗い表情を浮かべ、お澄の方を出来るだけ見ないように視線を足元に落としていた。
 両足の爪を剥がされたお滝、左右の足に酷い火傷を負わされたお冬の両名は、ただ立っているだけでも辛いのか時折小さな呻きを上げている。二人に比べれば肉体的な損傷の少ない心太だが、すぐ上の姉お衣が殉教し、更に目の前でこれから拷訊にかけられようとしているのも血を分けた姉とあっては平静でいられるハズもない。表情の悲痛さでいえば他の二人に劣るものではなかった。
「さて、お前たちは既に転び、こうして血判を押したわけだが・・・」
 いつもの椅子に座り、采女がひらひらと紙を揺らして意味ありげに言葉を切る。不安そうな表情を浮かべている三人へと彼は薄く笑った。
「口ではどうとでも言える故、ひとつ実験をさせてもらおう。それが済めば、確かに改宗したとして家に帰してやろう」
「・・・」
「さて、そこにいる女は知っているな? かつてのお前たちと同じキリシタンだ。これからこの者を転ばせるわけだが・・・おい」
 采女の言葉を受けて、大神がお澄の縛られている箱の影に隠れるように置かれた小さな箱の上から布を取り払う。そこに乗せられていたのは、竹で出来た鋸だった。怪訝そうな表情を浮かべている三人に、大神がその竹の鋸を一本ずつ渡していく。
「お前たちには、その鋸でこの女の手足を切り離してもらう。一番先に切断できた者には、ほれ、これをやろう」
 無雑作に采女が地面の上に小判を投げ出す。何を言われたのか理解できなかったわけでもないだろうが、竹の鋸を持たされたまま三人は凍りついたように動けない。
「どうした? 大神、お前が見本を見せてやれ」
 唇を笑みの形に歪めて采女がそう言う。一瞬嫌そうな表情を浮かべたものの、逆らっても意味がないことを悟っている大神は箱の上に残された最後の鋸を手に取った。
 大の字に縛られているお澄の、剥き出しになった右太ももへと大神が鋸を当てる。ゆっくりと力を込めて引くと、肌が破れて真っ赤な血が滴った。僅かに苦痛の声をお澄が上げる。
 引いたのと同じくらいの速度で鋸を押し込み、もう一度引く。肉を刔られ、一瞬びくんとお澄の身体が跳ねた。
「簡単だろう? キリシタンは天下の大罪人。お前たちが本当に転び、正道に帰したというのならば、むしろ進んでやれるはずだがな」
「私のことを心配する必要はありません。あなたがたから受ける痛みを私は受け入れるでしょう。さぁ、あなたがたの命を救うのです」
 苦痛に表情を歪めながら、気丈にもお澄がそう言い放つ。その声に押されるようにふらふらと三人はお澄の四方へと散った。ためらいがちにお澄の肌へと鋸の歯を当てる。
「っ・・・ぅ」
 手足を鋸で引き裂かれる痛みに、僅かにお澄の唇から呻きが漏れる。はっと手を止めた三人へとそっとお澄は微笑みを浮かべてみせた。
「大丈夫です。さぁ、続けてください」
「で、でも・・・」
「いいのです。私が苦痛を受けることであなたがたの命を救えるのであれば、私は喜んでこの痛みを受けいれましょう」
「どうした? 手が止っているぞ。そんな調子では、またお前たちをキリシタンとして拷訊にかけねばならんな」
 お澄の言葉にかぶせるようにして采女が意地の悪い口調でそう言う。自分が受けた拷問の凄まじさを思い出して三人が身体を震わせた。泣き出しそうな表情を浮かべて三人が再び手を動かす。
 大の大人が、鉄の鋸を使っても人間の手足を切り離すというのは結構な重労働である。ましてや力の弱い少年少女が、切れ味の悪い竹の鋸を使っているのだから、そう簡単にいくはずもない。
 ギザギザした竹が肌に食い込み、ゆっくりと引き裂いていく。鮮血があふれるが、切れ味がよくないせいで引き裂かれた肉の中を何度も何度も鋸が刔り、いたずらに苦痛のみを増大させる。
「・・・! ぅ・・・っ」
 自分が悲鳴を上げれば、三人の心を苦しめることになる。そうと知っているお澄は必死に唇を噛んで苦鳴を押し殺す。だが、それは全身に力が入り、鋸の速度を殺すことにもつながる。ゆっくりと、ゆっくりと筋肉を断ち切っていく竹の刃。すでにたっぷりと血を吸って真っ赤に染まった鋸が、無惨な傷口をひろげながら肉に食い込んでいく。
 どれほどの時間が過ぎたのか。心太の鋸がお澄の骨へと達っした。肉を裂かれる痛みとはまた違う、文字通りの骨に響く痛みにお澄が身体を震わせた。
「うあっ」
「姉さん・・・!」
 心太が思わず鋸から手を離す。目に涙を浮かべながらお澄が顔を弟の方に向けた。
「だ、大丈夫です。き、気にしないで・・・つ、続けて・・・」
「で、でも・・・」
「もう嫌っ!」
 突然そう叫んでお冬がその場へとしゃがみこんだ。彼女へと視線を向け、采女が薄く笑う。
「どうした?」
「もう嫌です、こんなことは! いっそ、殺してください!」
「ふぅむ。命は助けてやりたいと思っていたが・・・まぁ、本人が望むのであればしかたあるまい。大神、その女を縛り上げろ。足首と膝を縛り、両手を身体にぴったりとつけるようにな」
 采女がそう命じる。はっと小さく頷いて大神が柱にかけてあった縄を手に取った。きをつけの姿勢にさせたお冬の胴と手を何重にも縄で巻き、膝と足首も縛り上げる。ちょうど一本の棒のように身体をぴんと伸ばした形で縛りあげられたお冬が、恐怖に震える瞳で采女のことを見た。
「さて、今ならまだ間にあうが?」
 その視線を受けた采女がどうでもよさそうな口調でそう言う。首を起してお澄がお冬へと視線を向けた。
「お冬ちゃん。無駄に命を捨てては駄目。私なら平気だから・・・」
「・・・先に主の元へと参ります」
「いい覚悟だ。大神」
 指示を受けた大神がやはり柱にかけてあった蓑をお冬に着せた。更にその上から油を振りかける。
「ここでは少々狭いな。お滝、心太、お前たちも一緒に来い」
 そう言って采女が立ち上がる。彼を先頭にして五人は土蔵の外へと出た。中庭から見上げる空はどんよりと曇っている。
「では見せてもらおうか、蓑踊りをな」
 薄く笑って采女がそう言う。それと同時に、大神が土蔵の前の篝火から移した松明の炎を油をたっぷりと含んだお冬の蓑へと当てた。当然、瞬時に蓑は燃え上がる。大神が松明を当てたのは背中の辺りだから、まず、お冬の背中が炎に包まれることになった。
「ひぃっ、熱い、熱いいぃぃ。嫌ぁぁぁ」
 たまらず悲鳴を上げるお冬。逃れられる筈もないが、炎から逃れようとしてぴょんぴょんと不自由な身体で跳ね回る。確かにその姿は踊っているように見えなくもないが、とても楽しめるような代物ではない。大神にしても、辛そうに顔をそむけている。
「あああああああついぃぃ、ひいぃぃぃ」
 さほどの時をおかずに蓑の全てに炎が回る。全身を炎で包まれたお冬がごろごろと地面を転がって悶え苦しむ。その光景を声もなくお滝、心太の二人は凝視していた。
「あ・・・あ・・・・・・あ・・・」
 やがて悲鳴も涸れ、炎の塊となってお冬が動きを止める。蓑の火力では黒焦げになるとまではもちろんいかないが、全身に大火傷を負わされれば充分に人は死ぬ。むしろ、なかなか死にきれないだけに大量の薪と藁で焼き殺す火刑の方が苦しまずにすむかもしれなかった。
「・・・さて、お前たちはどうする? お澄を転ばせるのに協力するか、それとも死か?」
「・・・」
 お滝、心太、二人とも声が出ない。手にはお澄の肉を断つ嫌な感蝕がまだ残っているが、目の前でお冬がああも無惨な殺されかたをしたのを見ては抵抗する気力も出なかった。
「・・・協力、します」
 辛そうに声を震わせ、お滝がそう呟く。無言のまま心太も頷いた。

 それからたっぷりと一時ほどの時間を掛け、お澄の右手と左足は切り落された。鋸によって何度も刔られた無惨な切り口には焼けた鉄が当てられ、焼き焦すことで止血された。懸命に悲鳴を殺していたお澄の口から、獣じみた絶叫が上がる。激しく何度も頭を振ると、がっくりと首を折ってお澄は意識を失った。
「ふむ。転ぶという言葉は得られなかったが、まぁ、手足を切り落すという約束は果たしたな。お前たちは釈放とする。帰って村の者に伝えるといい。明日の正午、キリシタンの処刑を代官所の前の広場で行う、とな」
 采女の言葉に、はっきりと心太が表情を変える。すぐ上の姉、お衣は既に拷問に耐え切れずに死んだ。お澄の足を切り落すという行動におよんだのも、心の中では途中でお澄が苦痛に耐え切れずに転んでくれるのではないか、と、そう期待したからだ。自分がそうであったように。
 だが、お澄は最後まで転ぶことを拒み続け、そして明日の正午に公開で処刑されるという。采女の狙いは明白だ。公開の処刑によって民の心に恐怖を植えつけること。さっきお冬を使って自分とお滝の心にそうしたように。
「不服か?」
 からかうように采女がそう問いかける。その視線を受けて慌てて心太が首を横に振る。もしも不服だと言いでもしたら、それを理由に自分は殺される。そう悟ったのだ。目の前の男は、人を殺すことーーそれも、嬲り殺すことーーを楽しんでいる。
「結構だ。大神、二人を送ってやれ」
 采女の言葉に、完全な無表情で大神は頷いた。

 翌日は、昨日の天気とはうってかわって晴天だった。代官所前の広場には磔台が立てられ、ぐるりと竹矢来で囲まれている。竹矢来の周囲には村の人々がひとだかりを作っていた。
「これより、キリシタン、マダレナお澄の処刑を行う」
 村人へと向けて大神が声を張り上げる。おおっという低いどよめきは、明らかに処刑に反対するものだ。だが、無論それに構わずに采女が軽く右手をあげる。槍を手にした二人の男がすっと磔台の横へと進みでた。
 磔台の上で、お澄は優しい微笑みを浮かべている。片手、片足のせいで時折バランスを崩すが、無事な左手首と右の二の腕の辺り、そして胴体をしっかりと縄で結ばれているために転落の心配はない。
「アリャリャッ」
 独特の掛け声と共に処刑人が見せ槍をする。自分の目の前で交差した槍にもお澄の表情は変らない。シンっと周囲が静まりかえった。
「主よ、御元に参ります」
 お澄の祈りが終るか終らないかのうちに、まず最初の槍が左の脇腹から右肩までを一気に貫く。吹き出した鮮血に顔の半分を朱に染め、お澄の表情が歪んだ。ぐるりと回転しながらその槍が引き抜かれるのとほぼ同時に、こんどは右の脇腹から左肩へと二の槍が貫き通す。
「アアアアアアアッ!」
 全身の力を込めたような絶叫がお澄の口から迸った。低いどよめきが群衆から上がり、顔を覆う者も出始める。
 血を滴らせる槍が、再び左脇腹から右肩までを貫く。もちろん、最初と全く同じ軌跡を辿っていくことなど出来ないから、新な傷が増え、お澄に苦痛の叫びを上げさせる。
 左の槍が抜かれると右。右が抜かれると左。交互に身体を刺し貫かれ、血の泡を吹きながらお澄が身体を震わせ、断末魔の悲鳴を上げる。何度も刺された脇腹からは、ずたずたになった内臓が顔を覗かせていた。
 規定通りの二十六回の槍を終え、手元まで血にまみれた槍を手にした処刑人が穂先をお澄の喉元へと当てた。既に十回を越えた辺りでお澄の悲鳴は途絶え、顔も伏せられていたが、決りは決りということなのだろう。同時にとどめの槍を喉へと入れると、二人は采女へと一礼した。
「これにてキリシタンの処刑を終わる。ただし、これ以降もキリシタンの詮議は厳しく行う故、覚悟しておくように。
 また、キリシタンを発見、通報したものには銀三十匁を報償金とし、逆にキリシタンをかくまった者はキリシタンと同罪、死刑とする。以上」
 村人たちの怨嗟の視線をむしろ心地よげに受けとめ、采女はそう言った。

 これより、竹中采女の血と苦痛に彩られた狂宴が幕を開ける・・・。
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All writen by 香月