第三話 一寸刻み

「う……うぅぅぅ」
 低い呻き声が二十人以上の男女の口から漏れる。全身を縄でぐるぐる巻きにされ、俵を積むように庭に積み重ねられているのだ。上の方に居るものは、まだそれでも負荷が少ないが、下の方になったものは胸を圧迫されているせいでまともに息をすることも辛いという状態だ。ミシミシと肋骨が軋んだ音を立てている。
 更に、この責めで苦しいのは重みだけではない。それが主なのは言うまでもないが、それに加えて互いの体温による熱もかなりの苦痛を与える。責めの時間が長くなれば、脱水症状を起こすものも出てくるだろう。
 彼らが積み重ねられているのは、竹中采女が普段キリシタンに対する責めを行う時に使う土蔵ではない。街道に面した広場を竹矢来で囲い、更に警護のものを付けた上での公開処刑である。以前に公開処刑として行った磔は短時間で終わるものだが、これは違う。数日から下手すれば一週間以上をかけてじわじわと死に追いやるのだ。もちろん、転ばなければこうなるぞ、という脅しのためである。
「見せしめとはいえ、あまりいい気分はしませんなぁ」
 首の後ろを撫でながら大神がそうぼやく。小さく笑うと采女は部下の方へと振り返った。
「これに恐れを為して、転ぶものが出ればそのものの命は助かる。彼らとて、苦しさに耐え切れずに転ぶといえばすぐにでも助けると申し渡してあるのだからな。気に病む必要はない」
「はぁ……分かっては、いるのですが」
 軽く肩をすくめるようにしてそう答える大神に、采女は僅かに苦笑した。
「意外と、神経が細いのだな。既に何十人と殺しておいて、まだ犠牲を気に病むとは」
「采女様は、楽しんでいらっしゃるようで」
 叱責を覚悟の皮肉だったのだが、采女は陽気な笑い声を上げた。
「楽しむ、か。そうだな、そういう部分も有るには有るな」
「う、采女様!?」
「そうでも思わなければやっておれんよ。役目とはいえ、な」
 意外と真面目な采女の口調に、はぁと頷くことしか大神には出来なかった。

「さて……今日の処刑を始めるか」
 俵積みの視察の後、昼食を取り終えると采女はそう言った。大神がぎょっとした表情を浮かべる。
「采女様、処刑では……」
「冗談だ。そういちいちまじめに反応するな。とはいえ……転ばねば結局は処刑ということになるし、今までの体験上転ぶ可能性はさほど高くあるまいなぁ」
 やや嘆息するようにそういうと采女は小さく首を振った。

 場所は変わって、拷問倉である。
 毎回違った趣向を凝らした器具が用意されているのだが、今回の器具は巨大な裁断機のようなものだ。人間が楽に横になれる大きさの板の片方の端に、背筋が寒くなるほど見事に研ぎ上げられた巨大な刃物が据えつけられている。片方の端はちょうつがいのような感じで固定されており、反対の端を手に持って動かすことで刃物がその下に置かれたものを切断するという単純な仕掛けだ。
「……さて、お密。これが最後の機会となる。転んで命を長らえるか、助けてもくれない神を信じて若い命を散らすか。どちらを選ぶ」
 采女の言葉に、身体を震わせたのは二十代半ばほどの女だ。癖のない黒髪をまっすぐに背中の辺りまで伸ばした、なかなかの美女である。ただ、これまでの拷問のせいか左の頬が大きく張れあがっていて、その美貌をだいなしにしてしまっている。
「デウスは、私をハライソへと導き、永遠の命をお与えくださるでしょう。僅かな命を惜しむつもりはありません」
「……後悔しなければよいがな」
 采女はそう呟くと大神に合図を送った。お密の背後に控えていた大神が彼女を立たせると台の上に寝かせる。衣服は付けたままで、爪先の辺りがちょうど刃物の下になる位置だ。その後で胸、腰、膝、更には脛や腿の辺りをやや過剰とも思えるぐらい念入りに拘束していく。
「転ぶ気になったら、いつでもそう言うがいい」
 采女の言葉が終わるのを待って、大神が刃物を押し下げる。磨き上げられた刃が、本能的に指を縮めたお密の足の指をかすめていった。爪と、その周辺の肉が切り落とされる。ぎゅっと唇を噛み締め、お密が懸命に悲鳴を押し殺す。
「一寸刻み、五分刻みという言葉があるだろう? それを実際にやってみようと思ってな」
 どうでもよさそうな口調で采女がそう説明する。刃をいったん上げると僅かに大神が立ち位置を変えた。どうやら台と接している方は完全に固定されている訳ではなく、台に添って左右にスライドする仕掛けらしい。
 再び、大神が刃を押し下げた。今度は、指を縮めていても効果はない。第一関節の辺りで切断された指がコロンコロンと台の上に散らばった。びくびくっと痙攣するようにお密の身体が跳ねる。もちろん、厳重に拘束された身体はほとんど動いてはくれないが。
「うっ……」
 微かな悲鳴がお密の唇から漏れた。再び刃を上げた大神が、立ち位置を更にずらす。首を曲げ、恐怖に満ちた視線をお密が鈍い光を放つ刃へと向けた。
「転ぶなら、止めるぞっ」
 やや荒い口調で大神がそう言う。彼にとってもこの責めは辛いらしい。だが、彼の願いも空しくお密はきゅっと唇を結んだまま首を左右に振った。
「大神、いちいち確認を取っていては日が暮れる。何しろ、後数十回は切り刻んでいくのだからな」
「は、はい」
「お密も、無駄な意地は張らずに速く転ぶことだな。一生歩けない身体になりたいのか?」
 淡々とした口調で采女がそう問いかけた。無言のままお密が首を左右に振る。
「仕方ないな……大神、続けろ」
 采女の言葉に、嫌そうに頷くと大神が再び刃を下した。今度は根本から指が切断され、コロコロと板の上に転がる。血にまみれたそれは、人間の身体の一部というよりは何か昆虫の幼虫を思わせる一種異様な物体に見えた。
「うっ……くぅっ」
 ともすれば絶叫したくなるのを、懸命にこらえるお密。采女の口元に薄い笑いが浮かんだ。ぎゅっと目を閉じ、大神がまた刃を持ち上げ、位置を少しずらし、下すという一連の動作を繰り返す。
「あああっ」
 我慢しきれなくなったのか、お密の口からついに悲鳴が漏れた。切り落された足の先端部分が肉と骨を露出させている。溢れだす血が、板や刃を濡らしていた。
「いいぃいぃっ! ひぃぃやあぁあっ!」
 甲高い、耳を塞ぎたくなるような悲鳴が大神が刃を押し下げる度にお密の口から放たれる。一度悲鳴を上げてしまうと、もう我慢はきかないらしい。単純に身体を切断されるだけでも相当な苦痛だが、傷の近くの神経が過敏になっている部分を少しづつ切っていくわけだからその苦痛といったら比べようもない。
 十回以上に分けて、お密の足がばらばらにされる。あともう一度か二度、刃を下せば足首が切断される、という辺りでくるんとお密の瞳が反転した。あまりの苦痛に意識を失ったらしい。
「采女様……?」
「まだ、転ぶという言葉は出ていない。水をかけて起し、続けろ」
「……はっ」
 中止を遠回しに求めた大神の言葉をあっさりと却下すると采女は軽く肩をすくめた。しぶしぶと頷いた大神がお密の顔に水を浴びせる。
「うっ……うぅぁ」
「お密。転べ。転ぶと一言いいさえすればこの苦しみから逃れられるのだぞ」
 心からの忠告を大神がお密に投げかける。だが、がちがちと恐怖と痛みに歯を鳴らしながらもお密は転ぶとは言わなかった。
「い、いっそ、ひとおもいに、殺して……お願い、だから……」
「そうはいかん。転ばねば、このままじわじわと切り刻む。
 この娘が死ねば、次はお前たちの番だからな。今のうちに転ぶと言ってしまったほうが身のためだぞ」
 後半は、戒めをうけた上でお密が切り刻まれていく様を見せられている他のキリシタンたちに向けた言葉だ。その言葉に、蒼白になっていた彼らの間に動揺が広がる。
「さて……大神。手が止っているようだが?」
「はっ、はい」
 ぎゅっと目を閉じると、大神が体重をかけて刃を押し下げる。ごとんと鈍い音が響いてお密の足首から先が切り落され、板の上へと転がった。大きく目を見開き、お密が絶叫を上げる。
「ぎひぃぃぃいやぁぁぁ!!」
 悲鳴を上げ、びくびくと身体を震わせているお密の姿に顔をしかめながら、大神が再び刃を下した。脛へと刃が食い込み、肉と骨を断つ。
「いやぁあぁぁあぁぁっ! 殺して! もう、殺して!」
 髪を振り乱し、涙と鼻水で顔をべとべとにしながらお密が絶叫する。ふんと鼻で笑うと采女は扇子を左の掌にうちつけた。
「転びさえすれば、すぐにでも止めてやるとも。だが、転ぶと言わない限りはその地獄は続くぞ。そう簡単には、人間は死なないようにできているからな」
「ううううぅっ。デ、デウスよ、私を導き給え……ぎゃあっ」
 祈りの言葉が途中で悲鳴とすすり泣きに変わる。諦めたのか、大神が事務的な表情になってごく無雑作に刃を上下させ始めた。
「いっ……! ひっぃっ……! ぎひっいぃ……!!」
 肉と骨がスライスされ、板の上に並んでいく。次から次へと溢れだす血のせいか、お密の肌が透けるように白くなっていった。唇の端に白い泡を浮かべ、虚ろになりかけた視線が宙をさまよっている。
 刃がもう何回振り下されたのか、憶えているものがいなくなった頃。板の上にいるのは息も絶えだえになったお密と、細かくスライスされた彼女の膝から下だった肉片に変っていた。痛みがあまりにも大きすぎるせいなのか、意識を失なうこともできずにひゅーひゅーとお密は喉を鳴らしている。
 大神が刃を押し下げる。太ももの肉へと刃が食い込み、びくんとお密の身体が跳ねた。骨が太い上に肉の量も多いせいか、一度では切断できない。刃が骨に半ばまで食い込んだ頃合をみはからって大神は一旦、刃を振り上げた。
「せい、やっ」
 軽い気合の声を上げ、体重と勢いをのせて刃を押し下げる。がっっと刃が骨を断ち、板へと食い込んだ。
「! ……いぃ!」
 声にならない悲鳴を上げてお密がのたうつ。死の間際といった感じで震えている唇が、よほど耳を澄まさなければ聞こえないようなか細い声を紡ぎだした。
「……、ま、す。…ろ…び…、…たす、け……転……」
「転ぶのだな!?」
 大神が怒鳴るようにして問いかける。こくんと、僅かにお密の首が動いた。そのまま目を閉じ、動かなくなる。慌てたように大神がお密の身体をゆさぶるが、反応はない。
「死んだ、か……?」
「はっ。そのようで」
「ふ、ん。強情をはるからそういうことになる。最初から素直に転ぶと言いさえすれば、痛い目もみずにすんだものを、な」
 つまらなさそうにそう呟くと、采女は呆然としているキリシタンたちへと視線を向けた。
「さて、お前たちはどうする?」
 そう問いかける采女の表情が、一瞬鬼か悪魔のように見え、大神は慌てて視線をそらした。
 むっとする血臭が、周囲には漂っていた……。
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All writen by 香月