拷問は禁止紅緒の受難

 明治維新の際に、「拷問無用のこと。これに関する全ての条文を削除する」という法令が発布されています。これにより、名目上は拷問は全面禁止されたのですが、実際には反政府主義者やキリスト教徒に対しては拷問が行われることも珍しくはなかったようです。
鉛筆折り紅緒の受難

 指の間に鉛筆などの棒状のものを挟み込み、上下から圧力をかけて指の骨を痛めつけるという拷問で、第二次世界大戦中の陸軍や憲兵隊が得意としていた拷問だそうです。西洋で言う『親指締め器』と似た責めですが、器具の形にしないのは日本式といえるかもしれません。時には、指の骨が折れるまで続けることもあったようで、見かけよりは結構きつい拷問といえます。
小便は垂れ流し紅緒の受難

 主に女性に対して行われた行為ですが、肉体的に痛めつけるのではなく精神的に痛めつけることを目的として糞尿を垂れ流しにさせる、というのは古今東西で見られます。
 紳士の国といわれ、拷問を一部の例外を除いて全面的に禁止していたイギリスですが、この手の精神的な責めは頻繁に行われていたようです。また、有名なロンドン塔も汚水や汚物にまみれ、鼠が走りまわる環境で閉じ込められるために多くの被疑者は発狂してしまったといいます。
下痢紅緒の受難

 ここではかびの生えたパンが原因になっていますが、下痢を起こさせる拷問は明治以降の日本ではよく行われていたようです。その場合は、まずたっぷりと食事をさせ、冷え込みのきつい独房に数日間監禁、またたっぷりとした食事を与えて監禁、ということを繰り返すのが普通で、空腹と無茶食いを繰り返した被疑者は酷い下痢をし、しかも自分の汚物にまみれるために肉体的・精神的にぼろぼろになってしまうといいます。
当たったのは九発だけジュンの受難

 銃殺刑では、大体2ダース程度の銃弾を撃ち込みます。しかし、銃の命中精度というのは普通に思われているよりもはるかに低く、大体半分当たればたいしたものだそうです。また、少し下で書いているように、心臓を狙って撃ってもまず当たらず、犠牲者を即死させることはよほど運がよくない限りありません。
 このため、銃殺隊による一勢射撃の後、責任者が拳銃を受刑者のこめかみなどに当てて最後のとどめを刺すのが一般的です。