11月21日 雨


 私が、領主様と結婚してから一ヶ月がたちました。とはいっても、私の生活は以前とそれほど変わっていません。元々、この結婚は私が領主様の中でどういう立場に居るのか知るために行った賭けでしかなかったわけですし、日常の仕事を何もしないというのは同じことですから。
 それは、確かに、絹で出来た高級な服や宝石や貴金属の装身具なんかを領主様から頂きましたけど、元々私はそういうものにこる性格ではありませんから。見栄えのいいドレスというのは動きにくいものですし、パーティとかで正装する必要が有る時以外は、今まで使っていたメイド服を普段着として使っています。部屋も、わざわざ移るのは面倒だということで変わっていませんし、ミミちゃんやクリスさんと同室、というのも変化していません。
 あえて変わった事をあげるとすれば、領主様の夜のお相手もするようになった、というぐらいです。後は、最近はクリスさんに拷問のやり方を習ったりもしてますけど、これは領主夫人になったからというわけではありませんし。単に、いつまでクリスさんがこのお屋敷に居てくれるか分からないから、今のうちに技術を習っておこうと思っただけの話です。
 でも、あたりまえですけど、クリスさんは凄いです。私も、人体内部の構造の知識とかは一通り教えてもらって覚えたんですけど、実技となると全然かないません。もっとも、子供の頃から経験を積んでいるクリスさんと素人の私が技を競おうだなんて、初めっから無謀なんですけど。暴れる相手のお腹を手際よく切り裂く技は、側で見ていても凄いと思います。一見無造作にすぱすぱ切っているように見えても、実際には長年の経験と深い知識に裏打ちされた無駄のない動きなんですよね。私が真似しても、三回に一回ぐらいしか成功しませんもの。じっとしていてくれればともかく、暴れられるとすぐに手元が狂って切っちゃいけないところまで切ってしまって……。(->日記のシーンを読む
 本当は、クリスさんにはずっとこのお屋敷に居て欲しいです。でも、あの人はプロの拷問人で、自分の仕事に誇りを持っていますから。領主様の気まぐれで罪もない人を殺すようなことは、本当はしたくないんだと思います。きっと、いつかはこのお屋敷を出ていってしまうんでしょうね。寂しいですけど……。

 廊下の曲がり角で、メイド服を着た二人の少女がはちあわせする。水差しの置かれたトレイを持って小走りに移動していた赤毛の少女が、きゃっと小さく悲鳴を上げてひっくりかえった。自分と同じように尻餅をついた相手へと険のある声をかける。
「ちょっと、どこ見て……!?」
 文句を言いかけた少女が、相手の顔を直視して身体を硬直させる。癖のない黒髪を左手でなでつけながら、ミレニアは無表情に立ちあがった。ぱんぱんっと、軽くメイド服のほこりを払う。
「お、奥様……!?」
「あなた、名前は?」
 驚愕と恐怖を顔に張りつけて呆然と呟く少女へと、ミレニアがそう問いかけた。ひっと息を飲んで、少女ががばっと平伏する。
「お許しをっ。どうか、お許しくださいっ、奥様っ!」
「名前は、何?」
 頭を床にこすりつけ、がたがたと震えている少女に向かい、何の感情も感じさせない口調でミレニアが再び問いかける。問いかけられた少女の方は、がちがちと歯を鳴らすばかりで何も答えられない。相手の返答を待つように沈黙していたミレニアが、すっと右手を伸ばして這いつくばっている少女の髪をキャップもろとも掴んで仰むかせる。
「名前」
「ひっ、いっ……。あ、あの、フィアナ、です。お、奥様っ、御慈悲をっ、どうかお許しくださいっ」
 顔面を蒼白にし、がくがくと震えながらフィアナと名乗った少女が哀願の声を上げる。彼女の髪を掴んでいた手を離し、ミレニアは彼女に背を向けた。
「フィアナ、ね。覚えておくわ」
「ああっ、お許しをっ」
 恐怖に腰が抜けたのか、床の上にへたりこんだまま悲痛な叫びを上げる少女を完全に無視して、ミレニアは歩み去っていった。

「失礼な娘ね……」
 この屋敷に使えている人間の名簿をめくりながら、ぽつりとミレニアがそう呟く。自分の呟きに反応して顔を上げたミミへと小さな笑みを向け、彼女は再び視線を名簿へと落とした。
「別に、私は血に飢えた殺人鬼じゃないのに。……そう、妹がいるのね」
 名簿から視線を外し、少し何かを考え込むようにミレニアが宙に視線をさまよわせる。しばらくそうやって視線をさまよわせると、ミレニアはふぅっと小さく息を吐いた。
「期待には、応えるべきかしら……?」

 薄暗く、ひんやりと冷えた空気が満ちた地下室。壁際にはぐつぐつと油の煮えたぎる大きな釜が置かれており、反対の壁から伸びたロープによって一人の女の子がその上に吊るされている。年の頃なら十一か二、まだあどけなさの残る童女だ。もっとも、今はその表情は恐怖に引きつり、足をばたばたさせながら泣きわめいている。
 部屋の扉が開き、バルボアがメイドを一人、腕を掴んで連れてくる。怯えきった表情を浮かべていたメイドが、宙吊りになって泣いている女の子に気付いてはっと目を見開いた。
「セ、セニア……!?」
「お姉ちゃぁん、助けてぇっ。やだ、こんなのやだよぉ……」
「ど、どうして……!? 領主様!?」
「まぁ、趣向という奴だ。別に、何がなんでもこの娘を殺したいわけではないからな。お前が頑張れば、この娘も、お前自身も、助かる道は有る。安心するがいい」
 くっくっくっと低く笑いながら、領主がそう言う。椅子に座る彼の横に立っていたミレニアが、淡々とした口調で震えているメイド--フィアナへと説明を始めた。
「彼女を吊るしているロープを、今から切断します。あなたは、そのロープを握って支えてください。支えきれなくなれば、当然、あなたの妹は油に落ちて死ぬことになりますから、頑張ってくださいね」
「な、なんで……? 何で私たちがそんな目にあわなきゃいけないの!? ねぇ!」
「別に、たいした理由はありません。只のゲームですから。あえて言うなら、運が悪かった、ということですね」
 淡々と、無表情にミレニアがそう告げ、フィアナが絶句する。この状況を楽しんでいるらしい領主の態度は、まだ、理解できる。決して趣味がいいとはいえないが、それも個人の性癖の範囲だし、彼がそう言った悪趣味な趣向を好むというのは領民にとっては周知の事実だ。
 しかし、ミレニアの表情にも口調にも、楽しんでいるような様子はまったくない。完全な無表情を保ったまま、まるで興味がなさそうな風情で立っているだけだ。理解不能な相手の態度に、フィアナが恐怖の表情を浮かべた。まるで、人間ではない存在のようなものを見るように、ミレニアの顔を凝視する。
「あなた……! あなたは、一体何者なの!? 何がしたいの!? ねぇ!!」
「無制限に支えていろ、とは言いません。あの砂時計の砂がすべて落ちきるまで。それまで耐えられれば、あなたも妹も助かります。耐えられなければ妹はこの場で死に、あなたにはまた別のゲームを行ってもらいます」
 恐怖の表情で叫ぶフィアナに、淡々とした口調でミレニアが『ゲーム』の説明を続ける。彼女がすっと指さした先に置かれているのは、人間ほどもある大きな砂時計だ。中に満たされた砂がすべて落ちきるまでにかかる時間は、優に一時間を越すだろう。
「そ、そんなの、無理に決まってるじゃない! ねぇ、答えてよっ! 私たちを殺して、何がしたいの!? 私が、そんなに憎いの!?」
「ルールは、分かりましたね? では、始めましょう」
 半狂乱になって叫ぶフィアナの言葉を完全に無視して、ミレニアが淡々とそう言う。バルボアが、半ば引きずるようにフィアナをロープの前に連れていき、肩はばよりやや広いぐらいの間隔で彼女にロープを握らせた。そして、無造作にロープを断ち切る。
「くうぅぁっ!」
「きゃあっ」
 フィアナとセニアの声が重なって響く。理性では無理だと分かっていても、妹が死のうとしているのを何もせずに見ていることなど出来ない。幼い頃に両親をなくしたフィアナにとっては、妹は唯一にして絶対の存在なのだから。渾身の力をこめ、断ち切られたロープを握り締めて妹が沸騰する油壷に落下するのを阻止する。
「うっ、くうぅっ」
 顔を真っ赤に染め、歯を食い縛ってフィアナが呻く。幸いというべきなのか、ロープの表面には無数のささくれが有り、滑り止めの役を果たしている。もっとも、そのささくれのせいでフィアナの掌は破け、血を滴らせているのだが。
「さて、どこまでもつかな……?」
 ミレニアにグラスにワインを注がせながら、領主が楽しそうにそう言う。無表情にフィアナへと視線を向けたまま、ミレニアはクリスへと呼びかけた。
「クリスさん、お願いしますね」
「……」
 無言のまま、クリスがイバラ鞭を手にフィアナの正面に立つ。ぱしんと言う床で鞭を鳴らす音に、フィアナが目を見開いた。
「い、嫌っ。やめて……! きゃあああぁっ」
 クリスの振るった鞭が、フィアナの身体を打ち据える。メイド服が裂け、あらわになった白い素肌から鮮血を滴らせてフィアナが身体を震わせる。二度、三度とイバラ鞭は振るわれ、その度にフィアナの口から甲高い悲鳴があふれ、服と肌が裂かれていく。
「ひっ、いぃっ。ひっ、イヤアアアァッ。あっ、くっ、きゃあああああっ」
 フィアナの膝ががくがくと震える。傷の痛みにロープを握る力が緩んだのか、吊るされたセニアの身体が落下した。引きつった妹の悲鳴に、慌ててフィアナが両手に力をこめ、ロープを握り直す。
「お、お姉ちゃん、怖い、こわいよぉ……」
「だ、大丈夫だから……! 絶対、助けてあげるから。きゃああああぁっ」
 妹の泣き声に、無理矢理微笑んでフィアナが応じる。そこにクリスがイバラ鞭を振るい、フィアナの口から悲痛な悲鳴を絞り出した。上半身にぼろ布と化したメイド服の残骸をまとわりつかせ、鮮血で真っ赤に染めながらフィアナが身悶える。
「くっくっく……新鮮味には欠けるが、やはり家族の愛情というのは面白いな」
 妹を助けたい一心で懸命の努力を見せるフィアナの姿に、たのしげに笑った領主が、ふと何かを思いついたような表情を浮かべてミレニアの方に首をひねった。
「そう言えば、ミレニア。お前にも、妹が居たのではなかったかな?」
「それが、何か?」
「い、いや、別に特に意味はないが……」
 無表情に見返され、領主が少し動揺したように言葉を濁す。領主の示した動揺にも表情一つ動かさず、無言のままミレニアは鞭打たれているフィアナの方へと視線を戻した。歯を食い縛り、目を閉じて鞭の連打に耐えている。上半身はもうほとんど裸になり、鮮血でべっとりと濡れている。しばらくは黙ってその光景を眺めていたミレニアだが、小さく頭を振るとクリスに声をかけた。
「クリスさん、鞭はもうそのぐらいでいいですよ」
「え?」
「このまま続けても、あまり面白い展開にはならないでしょうから」
 怪訝そうに振り返ったクリスへと淡々とした口調でそう言うと、ミレニアはワインやグラスを置いていた小さなテーブルの上から燭台を取り上げた。そのまま、目を閉じ、歯を食い縛って必死にロープを掴んでいるフィアナの元へと歩み寄る。(挿絵)
「な、何……!?」
 顔の前に蝋燭の炎を近づけられ、その熱気に目を開いたフィアナが恐怖に表情を歪める。笑みを浮かべることもなく、無表情にミレニアが蝋燭の炎をフィアナの乳房へと近づけた。
「ひっ、ひいいいいいぃっ!」
 イバラ鞭によって引き裂かれた無残な傷口を炎であぶられ、フィアナが絶叫を上げる。顔をのけぞらし、炎から逃れようと身体を揺らすが、両手をぴんと左右に伸ばし、ロープを握り締めている状態では身体を動かせる範囲などたかが知れている。
「手を離せば、楽に逃げられますよ」
「ひいいいぃっ、熱っ、熱いっ。やめてぇぇっ」
 傷にそうように炎を動かすミレニア。悲鳴をあげ、激しく頭を振りながら、それでもロープを握る手を離そうとはしないフィアナ。僅かに唇を綻ばせ、ミレニアが蝋燭の炎を動かす。
「嫌ぁっ、いやっ、熱いっ、熱いぃっ。きゃあああああぁっ」
 胸から腹、再び胸、そして脇の下へと蝋燭の炎を這わせていく。炎の熱であぶるのではなく、直接炎を肌に当てて焼き焦がしているのだから熱さも痛みもかなりのものだ。ぴんとはりつめ、ぶるぶると細かく震えている右腕へとゆっくりと炎を這わせながらミレニアはフィアナへと笑いかけた。
「いつまで、我慢できます?」
「ひっ、ひやああああぁっ。やめてっ、お願いっ、やめてぇっ。いやあああああぁっ」
 ロープを握り締め、関節が白くなっているフィアナの拳へとミレニアが蝋燭の炎を当てる。反射的に手を引いたために力が抜け、ずるりとロープが滑った。慌ててロープを握り直すが、もうほとんど切断されたロープの端まで滑ってしまっている。後少しでも滑れば、もう手の中から抜けてしまいそうだ。
「くうぅぅっ」
 歯を食い縛り、懸命に耐えるフィアナ。いったん蝋燭の炎を離し、ミレニアが無表情にフィアナの顔を見つめる。
「お、お願い……。私はもう、どうなって」
「聞き飽きました。その台詞は。砂が落ちきるまで、耐えれば済む話です。……まだ、三分の一ぐらいしか落ちていませんけど」
 ちらりと巨大な砂時計へと視線を走らせ、ミレニアがそう言う。絶望と恐怖に表情を引きつらせるフィアナの左拳へと、ミレニアは蝋燭の炎を近づけた。
「いやあぁっ」
 悲痛な悲鳴を上げて、フィアナが身をよじる。こちら側のロープにはまだ多少の余裕があったのだが、炎から逃れようとした拍子に手が緩み、あっという間に余裕がなくなる。
「いやっ、いやいやいやぁっ。お願いっ、やめてぇっ。ひいいいいいいぃっ」
 乳房の傷を炎であぶられ、フィアナが悲鳴を上げる。彼女を嬲るように、蝋燭を身体に近づけては離し、離しては近づけるということをくり返すミレニア。
「ひいぃやぁぁっ、熱いっ、嫌ぁっ、あっ、ひいいいぃっ。いやああああぁっ」
 絶叫をあげつづけるフィアナ。すっと一歩下がると、ミレニアは左手を伸ばしてフィアナの身体を濡らす血を指先で拭った。口元に血で濡れた指を近づけ、ちろりと舌を覗かせて血を舐め取る。
「あっ、く……。領主様、奥方様、どうかお許しを……御慈悲を」
 蝋燭の炎から一時とはいえ解放されたフィアナが、顔を伏せてそう哀願する。自分でグラスにワインを注ぎ、飲んでいた領主がくっと唇を歪める。
「さて、どうしたものかな。どうする? ミレニア」
「そうですね……」
 領主の言葉を背中で受け止め、ミレニアが軽く首を傾げる。すっと左手を伸ばすと、彼女はうなだれているフィアナの髪を掴んだ。反射的に顔をあげかけた彼女の頭を押さえ、顔を下に向けさせたまま固定する。そうやって顔を下に向けさせたまま、ミレニアは右手に握っていた燭台をフィアナの右目の辺りへと動かした。
「ぎゃあああああああああぁっ!?」
 まぶたもろとも右目を炎で焼かれ、フィアナが絶叫を上げる。ミレニアの手を弾き飛ばして身体のけぞらせ、両手で顔を覆う。
「うっぎゃああああああぁっ!!!」
 フィアナの絶叫に少し遅れて、どぼぉんという音と獣じみた断末魔の絶叫が上がる。その叫びにはっと視線を向けたフィアナが見たものは、煮えたぎる油の中で身体を暴れさせ、油を跳ねさせながら絶叫をあげつづける妹の姿だった。
「セニア……!」
「残念でしたね。今のを耐えられれば、二人とも助かったのに」
 油を満たした釜へと駆け寄ろうとしてバルボアに捕まえられ、じたばたともがくフィアナへと、ミレニアが淡々とした口調でそう告げる。右目を焼き潰され、残った左目だけでぎっとフィアナがミレニアのことを睨みつけた。
「あ、悪魔……!! あ、あなたは、悪魔よ!!」
「よく言われます。けど、問題は私が何者なのかではないでしょう?」
 憎悪の視線を受け止めながら、表情一つ変えずにミレニアが淡々と言葉を紡ぐ。
「あなたはゲームに負けた。最初に言いましたよね。負けたら、次のゲームに参加してもらう、と」
「こ、これ以上、何をするつもりなの……!?」
「さぁ……? まだ、決めていませんから。決まるまでは、地下牢にでも入っててください。
 バルボアさん、連れていってください」
 軽く小首を傾げ、ミレニアがそう言う。その言葉に何かをわめきはじめたフィアナのことを、バルボアが引きずって連れていく。ぐつぐつと煮えたぎる釜へと視線を向けると、ミレニアがもう一度小首を傾げた。
「食べ残しは、彼女の食事にでもしましょうか。捨てるのももったいないですし」
 完全に本気としか思えない口調で、彼女はそう呟いた。
TOPへ
前の話(十月)へ   次の話(十二月)へ