最終章 処刑

 蝋燭の炎が陰鬱に室内を照らしだしている。机の上の書類に目を通していた司教がノックの音にふと視線をあげた。
「入れ」
「失礼します」
 一礼しつつ覆面が室内へと入ってくる。胸の前で手を組み合わせ、司教は彼へと問いかけた。
「具合はどうだ?」
「芳しくありません。少なくとも、明後日までに再度の拷問を行うことは不可能でしょう」
「ふむ・・・そう、か」
 目を閉じ、司教が考えこむ。無言のまま覆面は司教の次の言葉を待った。
「流石に、あと一か月時間をかけるわけにもいかんな・・・。幸い、純潔を既に失っていることは確認できた。姦通もまた、死を以って償うべき罪。特に問題はあるまい」
「しかし、魔女であるとの自白は、取れていませんが?」
「当日の早朝に水の審問を行う。魔女であることが証明されればそれでよし。されなければ、姦通の罪を以って斬首に処す。
 何か問題があるかね?」
 司教に問い掛けられ、覆面はすっと視線を下げた。
「ありません」
「よろしい。何、魔女は一人でも充分じゃろう。問題はない」
 司教の言葉に、覆面は無言をもって答えた。

 この街では、死刑は一月に一度、公開で行われる。死刑に値しない軽い罪であればその場で裁かれるが、死刑を宣告されたものはその日まで監獄に繋がれ、処刑されるのを待つのだ。
 月に一度のお祭り。それが今日だった・・・。

 まだ日も昇らぬ早朝。乱暴に扉が開かれる音でミシェールは目を醒した。横で眠っているアンナは、受けた拷問によって体力を消耗しつくしているせいか目を醒す気配がない。
「な、何!?」
「お前ではない、用があるのは、そっちの女だ」
 そう言いつつ覆面の一人がアンナのくるまっている毛布に手を伸ばした。その腕へとミシェールがしがみつく。
「ちょっと、まだ彼女は傷も癒えていないのよ!? 拷問なんて・・・」
「邪魔をするなっ」
 覆面が乱暴にミシェールを払いのける。彼女自身も華奢な少女だし、アンナほどではないとはいえ、拷問によって身体は弱っている。あっさりと弾きとばされて床に転がった。
 腕を掴まれ、強引に引きずり起こされてアンナがうっすらと目を開けた。その瞳に恐怖の色が濃く浮かぶ。再び拷問が始まると思ったのだろう。
「あ、い、嫌・・・」
「お前にはこれから、水の審判を受けてもらう。それによって無実が証明されれば、ここから解放してやろう」
「水の・・・審判? それを受ければ、私が魔女じゃないって・・・」
 アンナの表情に希望が閃いた。床の上に転がっていたミシェールが表情を硬ばらせる。
「水の審判って・・・駄目だよ、アンナ! あれは・・・ぐふぅ」
 ミシェールの腹へと覆面の一人が蹴りを入れる。息を詰まらせ、苦悶に身をよじる親友の姿にアンナが悲鳴を上げた。
「ミシェール!?」
「さぁ、こい」
 強引に腕を掴まれ、アンナが部屋から引きずりだされる。ばたんと音を立てて扉が閉まった。
 それが、アンナとミシェールの最後の別れだった・・・。

 街のそばを流れる川に掛けられた橋の上へとアンナは連れていかれた。まだ風は冷たく、月は雲に隠れていて周囲を照らしているのは覆面たちが持っている松明の炎だけだ。
「い、一体何を・・・?」
 不安そうにしているアンナの肩を覆面が二人がかりで掴み、その場へと強引に座らせた。他の覆面が素足のままでここまで歩かされ、血を流している足を握り、もう片方の手でアンナの手首をつかんだ。
 まず、アンナの右足の親指に紐を結わえる。そこへ彼女の左手を近づけ、その紐で左手の親指の根本をきつく縛った。右足の親指と左手の親指が一つに結びつけられたわけだ。同じようにして、彼はアンナの右手と左足も親指で一つに結んでしまった。
 紐によって指を縛られ、胎児のように身体を丸めた態勢で体が固定される。そこに指二本ほどの太さの鉄の鎖が何重にも巻き付けられた。結果、かなりの重さの鎖によって彼女の体が身動きできないように拘束された。
「これより水の審判を行う」
 厳かな口調で司教がそう告げた。その言葉に覆面が二人がかりでアンナの体を鎖ごと抱えあげた。よたよたと橋の端まで歩いていく。
「ま、まさか・・・」
「古来より水は聖なるもの。もしもお前が魔女であるならば、水はお前を受けいれることを拒み、水に浮くじゃろう。沈めば、水に認められたということになり、無実が証明される訳じゃ。・・・やれ」
「やめてーーーー!」
 アンナの悲鳴に少し遅れて、ザバァァンという水音が高く上った。丁度月が雲から顔を出し、下界を柔らかい月光で照らしだす。
 水の中で、黒いシルエットが蠢いている。必死に息を止めているアンナの苦悶する姿だ。懐から取り出した砂時計を司教は足元に置いた。
 サラサラと砂が落ちていく。その砂が半分ほど落ちた頃--それは、ゆっくりと200数えるぐらいの時間がたってからだが--ごぼっと一際大きな気泡が上ってきた。ごぼごぼと上る気泡によって水面が掻き乱され、水中の様子はよく分らない。無言のまま覆面たちと司教はそれを見つめていた。
 やがて、気泡が完全に止った。水中のシルエットはもう、ピクリとも動かない。ただ川の流れによってゆらゆらと髪が藻のように揺れている。
 アンナが川に投げこまれてからゆっくりと600を数えるだけの時が過ぎ、完全に砂時計の砂が落ちきった。ゆっくりとそれを拾い上げると司教が覆面たちに合図をする。覆面たちが力を合わせて鎖を引っぱり、アンナの体を水から引き上げた。
 不思議と苦悶の表情を浮かべていないアンナの脈を覆面が取る。もちろん、鼓動は止まり、息もしていない。完全な死体であった。
「この女が魔女でないことは証明された。が、姦通の罪を犯していたことは確実であるため、死体を斬首に処すこととする」
 そう、司教が宣告した。

 ある意味で、その日の祭りは「当り」であった。たまたま、今月は死刑に値するとされた罪人の数が多かったのだ。ささいな口論から三人を撲殺した大男は車刑によって処刑された。忌むべき異教徒と婚姻を交わした青年は、異教徒と共に焼き殺された。姦通の罪によって二人の女性が斬首されたが、その二人目の担当者が首を撥ねそこねたのは今回の唯一とも言える汚点だった。
 だがそれも、毒薬を作っていた男が絞首刑となり、さらに一人の魔女が火刑に処されるとあってはすぐに人々の頭から追い払われてしまった。

 街の中央広場に柱が立てられた。後ろ手に縛られ、口を猿ぐつわによって塞がれた魔女--ミシェールが引きだされる。
 鉄仮面を付け、腰に鈴を付けた男が半ばひきずるように彼女を柱へと連れていく。広場を取りかこんだ群衆から、口々に罵しりが飛んだ。
「悪魔の情婦!」「この魔女め!」「死ね! これ以上災いを持ってくるな!!」
 猿ぐつわのせいでミシェールの言葉はすべてウーウーという唸りにしか聞こえない。柱に彼女のことを縛りつけると、周囲から人の背丈よりも高い藁の束がその周囲に立てかけられていく。最初は背中の側から、円を描くように藁束が積み重ねられていく。やがて、着火役の拷問吏が出る隙間だけを残して完全にミシェールの姿が藁に覆われた。
「ウー、ムー、ムウー!」
 猿ぐつわを噛まされたまま、懸命にミシェールがもがく。その左肩に手を掛けると覆面は懐から短剣を取り出した。はっとミシェールの表情が刃物の輝きに硬ばった。
慈悲を与える
 淡々とした口調でそう言うと、覆面が短剣をふるった。喉の辺りをぱっくりと切り裂かれ、大きくミシェールは目を見開いた。猿ぐつわがなければ、ぱくぱくと口を開け閉めしていただろう。
 無論、致命傷ではある。だが、返り血を浴びないようにという配慮のために気管のみを切り裂いているため、即死には至らない。ほんの数分とはいえ、地獄にも等しい死の苦痛を味わい続けねばならないのだ。
 すばやく身を引くと覆面は自分が出てきた隙間を藁で塞いだ。群衆に喉を裂かれたミシェールの姿を見せないためだ。魔女はあくまでも「生きたまま」焼かれる建前になっているのだから。
「炎によって、悪魔に汚されたこの女の魂を浄化する!」
 司教の宣言と同時に藁へと火が放たれた。ごうっと天高く炎が上がる。一瞬、まだ絶息していなかったのか、苦しげにミシェールが体をよじるのが炎の隙間から見えた。だが、それもすぐに炎のなかに埋もれてしまう。
 わあっと歓声があがった。炎が完全に消えさるまで、その歓声が止むことはなかった・・・。
 こうして、一つの物語が終る。ほんのつかのまの間だけ記憶に残り、すぐに次の事件によって上書きされる運命の物語が。
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All writen by 香月