ここでは小説での描写でちょっとコメントを付けておいた方がいいと思われるものについて書いてみます。それぞれの小説を読む上ではそれほど気にしなくてもいいようなことばかりですが、深く考察する時には役に立つと思います。
首から上をすっぽりと頭巾で覆った男(魔女)
彼らは拷問吏(死刑執行人)です。彼らが覆面を被っているのは彼らの職業が忌み嫌われているものであり、自由民とは一線を画した存在だからです。
拷問吏がどれほど嫌われていたかを示す例として、こんなものがあります。当時の拷問吏は女性の死刑囚に対して求婚し、受けいれた女性の罪を許す権利を持っていました。しかし、この制度がありながら、多くの女性が「拷問吏の妻になるくらいなら」と死刑を選んだそうです。
実際拷問吏に対する差別は大きく、自由民と一緒に食事をすることはもちろん、話したり触れたりすることも禁じられていました。
髪はどうしますか?(魔女)
当時、悪魔は服の下や髪の中に潜んでいると考えられていました。そのため、取り調べの際には服を脱がし、長い髪は切ってしまうのが普通でした。
第一段階と第二段階は俗に「予備拷問」と呼ばれ(予備拷問)
実際にはそれぞれの段階でもこの言葉は使われます。また、同じ責めでも拷問によっては本当の拷問扱いだったり予備拷問扱いだったりします。
良い例として三章の吊し責めでの鞭打ちがあります。鞭打ち自体が独立した拷問ですが、吊し責めの際は予備拷問として扱われます。ただし、一旦吊してからの鞭打ちは本拷問扱いです。
毅然とそう答えるアンナの手を司教はつかんだ(予備拷問)
ここは明らかに嘘です。魔女の体に直接司教が触れることはありません。これらの拷問は全て拷問吏が行ない、聖職にあるものは指示を下すだけです。ここは演出的に覆面が出てくるのは変に思えたのであえてこういう行為をさせています。
しばらく様子を見(予備拷問)
記録では3時間以上に渡って締めつけられ続けていた女性の例もありますから、比較的あっさりとひいています。まぁ、演出上このシーンを続けるのも何だったのであっさり引き下がらせた、というのもありますが(笑)。
(蝋燭を)7本束ねたもの(吊し責め)
カテジナ法典(拷問を行う時にどんな拷問を、どの程度行うべきかを定めた法律書)によれば、吊るし責めの段階は全部で三っつあり、蝋燭の火で脇の下を炙るのはその三段階目です(正確には、梯子を使ったひきのばしの際の規定ですが)。蝋燭を7本束ねたものが正式とされ、他の物を使うことは禁止されていました。もっとも、ドイツはこの法典の規制外だったので、様々な道具が使われたようです。
傷を癒すために数日間の休息が取られた(水責め)
魔女に対する拷問に於いては、拷問中に容疑者が死亡すると拷問吏および審問官の罪となりました。そのため、酷い傷を負った場合は治療のためにしばらくの休息期間を挟むのが一般的でした。
大きな水槽(水責め)
魔女狩りでの水責めは一般的なものではありません。そのため資料がないのですが、小拷問用の9リットル入りのものという設定にしてあります。(大拷問、もしくは特別拷問と呼ばれるものの場合は倍の18リットル)
これは神によって(中略)お前に苦しみを与えることはない。(水責め)
無茶苦茶な理論ですが、同様のものとして「これは聖なる炎である。もしも本当にお前が魔女でないのならば、触っても火傷をすることはない」といって燃えている炎を掴ませるというものがあります。特に地位の高い聖職者が好んだ論理だそうですが。
ぶつぶつと聖句を唱える(水責め)
聖句自体は適当です(笑)。ですが、魔女かどうかを見わける方法の一つに、聖句を唱えさせる、というものがありました。拷問に掛け、その後で聖句を正確に唱えられなければ魔女である、というもので、有名なジャンヌ・ダルクもこれによって魔女の疑いを強めています(ただし、ジャンヌは公式には魔女でないとされていますが)。
しかし、拷問によって息もたえだえになっている儀牲者がまともに口を聞けるハズもなく、他の魔女を見わける方法と同じように無実の人間に魔女の罪を着せるための理論の一つといえるかも知れません。
純潔では(ロバ)
魔女の条件の一つとして、悪魔と交わったこと、というのが有ります。ここではそれを指して言っています(ちなみに、アンナが純潔でないのは一年ぐらい前にレイプされた経験があるから、というのは裏設定ですが<^^;)。
この時代、貞節を守るのが当然とされ、婚前交渉ですら罪になりました。後で司教が言っているように、姦通罪は死罪です。
余談ですが、ジャンヌ・ダルクは取り調べ中に処女であることが証明されたために罪から魔女というのは除外されました。「魔女でないこと」を示すのに唯一と言っていいまともな条件が処女であることの証明です。
お祭り(処刑)
中世のヨーロッパにおいては、処刑というのは民衆の娯楽でした。拷問人は忌み嫌われていましたが、処刑人(特に、腕のいい者)は嫌われるどころか一種のヒーローのような扱いさえ受けていたのです。
死体を斬首に処す(処刑)
死体に対して更に処刑を加えることは、それほど珍しくはなかったようです。現在でもアメリカなどの裁判では単純に罪それぞれの罰を足し算していき、懲役200年とか懲役300年とかいう判決が出ることがありますが、それと同じように斬首に値する罪と火刑に値する罪両方を犯せば斬首の後に火刑という判決が下されることもあったのです。
この場合、魔女であることは否定されましたが、彼女は未婚であり、婚約者もいません。にもかかわらず処女ではなかった=姦通の罪を犯していたということになり、(女性なので)斬首という判決になったわけです。
ちなみに、後半の処刑シーンで処刑されている二人の女性のうちの一人がアンナ(の死体)です。
周囲から人の背丈よりも高い(中略)完全にミシェールの姿が藁に覆われた。(処刑)
フランス式の火刑です。ドイツ式の場合は足元に薪を並べる形になるので、こちらのほうが日本人には馴染みがあるかも知れません。
ジャンヌ・ダルクの処刑もフランス式だったので、この形です。もっとも、彼女の場合は専用の台が作られたのですが。
慈悲を与える(処刑)
火刑は犠牲者に与える苦痛が大きいため、時としていったん別の方法で殺してから「死体に対して」刑を加えるといった事が行われていたようです。もっとも、これは正式に法律で定められていたことではなく、事件を裁いた裁判官や処刑を執行する処刑人の判断で行われる慣例であり、行われずに実際に生きたまま焼き殺された人間も多かったようですが。
なお、ここで刃物で首を切っているのはもっとも標準的なやり方で、他にも首を締めて窒息させる(死ななくても、意識を失えばいい)、首に火薬の入った袋をぶら下げておく(炎で火薬が爆発し、即死する)などといった「慈悲」の与え方があったようです。